5章⑦
善悪反転レインコードss※5章はこんな雰囲気かなと個人的な解釈を形にしたssです。
※キャラ付けや関係性などは筆者個人の妄想に基づいています。また、独自の補完があったりします。
※4章反転ヨミー生存ルート兼本編クルミが参加するルートを採用しています。
※経緯で不穏な空気が漂ったりしますが、最終的にはビターエンドに到着する予定です。
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「無理なお願いだったのに、ありがとうございます!」
自覚はあったらしい。単に無鉄砲な、勇気と蛮勇を履き違えた少女では無かった。
「礼を言ってる暇はねぇぞ。自分から好き好んで藪蛇に突っ込むんだ、罵倒されても耐えろよ」
履き違えていた方が御し易かったが、仕方ない。差し当たって、支障は無いはずだ。
クルミからの感謝に手をひらひらと振って雑に応じる一方、ヨミーは素知らぬ顔で算盤を弾きながら、指定された場所にあった車を見つけた。
人間では無いという真実に打ちのめされて生じた破片で、新たに獲得したアイデンティティーを再構築する。
……いや。獲得なんて、格好良い呼び方は似合わない。
既存の手札を全て捨てさせられ、強制的に握らされた新たな手札で、今後の身の振り方を決めねばならない。
ヤコウの件をカナイ区外から訪れた超探偵達にだけ一任するのは、現在カナイ区に住まう者として看過し難いという責任感——等という綺麗事を、改めて厳密に表現し直す。
自己保身だ。ヤコウの身柄をカナイ区外の者に任せるのは、欠陥ホムンクルス側の立場としてはマズい。どちらに転がすにせよ、まずは現場で確保し回収する。
真実が暴露されたとは言え、超探偵達とて感情はどうであれヨミーと会いたがっているはず。ヤコウの扱いについて間に合うはず。
処遇を検討する余地が成立するのは、あくまでも事がカナイ区内で収束するのが大前提だ。最初から外部に委託してしまっては話が全く異なる。後に外部へ洩れるとしても、やり方というものがある。
その本心を見透かされたからこそ、マコトやハララ、そしてヴィヴィアから事実上の同意を得られた。
上辺だけの口八丁で言い包めに成功したのでは無い。自分達の利益と合致すると判断され、暗黙の内に協力関係が結ばれたのだ。
ユーマを実質的に足止めしながら、その名前だけを利用して都合良く事を運ぶ。
それが、ヨミーのやりたい事、なのだが。
彼を謀れたと安心するのは浅慮だろう。
彼がヴィヴィアを、更にはマコトをも説き伏せ、遅まきでも追いつくつもりで居て、だからひとまずは見逃された可能性。
馬鹿みたいに小さくか細いが、その正体を思えば無下にできない。
例え、死神の書の契約で記憶喪失になり、別人レベルで人格が変わっていようとも。見習い同然に過ぎないと思い上がれば、足元を掬われるだろう。
だから、理想としては、早く終わらせてしまいたい。
ヨミーは目的地に向かって運転していた。曲がりなりにもマコトの管理下の車なので、見た目がボロいだけでちゃんと稼働した。
「これはビンテージとは言わねぇ、管理不十分で樽の中で痛んだワインじゃねぇかクソッタレが…」
「潜水艦を事務所にしているんだ。経年劣化による質感も許容範囲内じゃないのか?」
「あれがオレのセンスだと本気で思ってんのか!? 八百屋で腐ったジャガイモしか売ってなかったみてーな状況だったんだよ!」
助手席にはハララが、後部座席にはクルミが座っている。両腕が自由のハララが隣とは生きた心地がしないが、他ならぬ自分が連れて行くと宣言したのだ。この状況自体は致し方無い。
その代わり、車の外観やら、自分が運転してやっている事には文句を垂れるが。
「もう目星が付いてるんですか?」
「勘だ勘。三年振りのお天道様を一身に浴びれる、馬鹿と煙の好きな場所。本人が浴びたがってるだろうし、デスヒコ達の無力化にも適してるしな」
ヨミーはキレ気味になりつつ、クルミの疑問に答えた。
そのついでに、出発する直前にマコトから託された案を思い返し、不快感で歯噛みする。
「確認しとくが、場の誤魔化し方はマコトの案でいいのか?」
「…我が儘言っちゃいましたからね。お任せします。私のことは『クルミ=ウェンディー』の身代わりとでも思って、好きに扱っちゃってください」
「身代わりィ…? ホムンクルスジョークかァ…? マジで全部受け止めようとするヤツがあるかよ、ンな生き方してたら病むぞ」
感性の違いか、それともヨミー自身に余裕が無いだけなのか、妙にセンシティブに感じられて仕方ない。繊細かよ、と自嘲したくなる。
「異世界から来たことを正直に言ったら、議論の主題が乗っ取られかねないのは確かですし」
「…実際、マコトもアホ面でポカンとしてたぐらいにはインパクトがあったからな」
異なる世界云々の情報を隠すなら、一時的とは言えクルミをこの世界の住民として扱わせる事になる。
だが、そうなると、生命活動を一度停止した欠陥ホムンクルスが知能も含めて正常化したという、特にヤコウが認め難い虚像をでっち上げる必要がある。
その虚像を成立させるにあたって便利なのがマコトの案なのだが、素直に受け入れるのは癪だった。個人的な好き嫌いで分水嶺を決めるのは論外とは言え、いけ好かなさが先行するのは拭い切れなかった。
三年振りの晴れ空の下で運転しているが、気分は爽快とは程遠い。
自らのアイデンティティーの崩壊と突貫の再構築の強要で、心理的にデバフが掛かっているのもある。だが、それ以上に、恐らくだが、たまに事故的に浴びてしまう日光が関係している。
隣でハララも渋く硬い表情をしており、こめかみから僅かに発汗させている。欠陥ホムンクルスの日光アレルギーは理性の喪失にも関与する以上、思考を保てるだけ御の字だとしても、あまり悠長に余裕を嘯く事はできない。
急ごしらえで使用しても効能を発揮した遮光性クリームだが、その一方で過信し過ぎるのも良くないのだろう。消耗品である以上、効能に時間の経過は関係するし、数量とて限界がある。
塗っていてこの有様なら、建物の中に避難した住民は本当に日の差さない奥まで逃げ込む必要がありそうだ。シャッターを閉めでもしないと苦痛を完璧には除けないだろう。
「……まだ、ありますよ」
「……いや。まだいけるんだろ? オメーの分がなくなったら、元も子もねーよ」
「私はこのレインコートがありますし、クリームの残りだって…」
「簡単に切り崩すんじゃねーよって有り難ぇ説教だ、受け取れよ。ヴィヴィアの分にって置いてった分もあっただろ、身銭切るのも程々にしとけ」
雑ながら諭しているが、かと言ってクルミが特別心配性だと結論付けるのは早計だ。我慢し過ぎて理性を手放してしまっては本末転倒で、その意味ではクルミの杞憂は過保護では無い。
本末転倒を迎えたら、現場に駆けつけても意味が無い。化け物らしい姿を見せに来ただけじゃないか、とヤコウに嘲笑われて終いだ。
なお、実際の反応は未知数である。どんな顔をされるのか、想像上では無貌の黒塗りで固定されていた。
……ヤコウを例に出したが。ヤコウ以外の者達にそんな姿を見られるのも、不愉快な話である。
「…マコト=カグツチの案、安請け合いしていいのか?」
「あ゙?」
「スワロ=エレクトロは嘘を見抜けるんだろう?」
「……」
その中でも、特に意図して思考から排除されていた者の名を出され、ヨミーは一拍だけ置いた。
置かざるを得なかった。
「直近でやらかしたんだ。策だと見抜いても敢えて空気を読まず、言及してくる可能性がある」
「心臓に毛が生えてんのか? オレにウエスカを殺させようとした陣営の台詞かよ、それ…」
疑問自体は尤もだが、今日に至るまでの紆余曲折が酷過ぎる。元を辿れば誰のせいだと思っていやがるのかと、ヨミーは半ば本気で尋ねてしまった。
「あの時と今では事態が変わったからな。関係が変わるのも止む無しだろう?」
「あァそうだなァ、事情も前提も色々変わっちまったもんなァ…ッ、時間の無駄体力の無駄ッ、それで話は終わりだ…ッ」
開き直りやがって、とハンドルを握る手に力が籠もる。
この場面の台詞だけを切り取ると、経緯の惨さとは裏腹にハララの言い分が潔過ぎるし、ヨミーも変に日和っているように映る。現に後部座席でクルミがギョッと固まっていた。
ヨミーには一応、以前保安部の面々の前で辞めた元部下を庇った時の台詞を引用されていると分かるのだが、内輪向け過ぎていちいち説明するのも馬鹿馬鹿しい。クルミに丁寧に解説し、ハララのフォローをしてやる義理も無い。
それを差し引いたって、呉越同舟とは言え、凄まじく太々しい。ヨミーは自身のメンタルが剛の側だと自画自賛しているが、ハララの態度に呆気に取られそうだった。
そう言えば、あの時は久々に再会……否、『初めて会った』スワロが、元部下を殴り倒す暴挙に出ていたのもあって、随分と必死になって台詞を紡いだものである。台詞自体に嘘は無かったが、我ながら綺麗な言い回しだったと思い返せば口元が引き攣りそうだ。
実際に、環境で人間関係は容易く推移する。前提一つで何もかもが引っ繰り返る。
…………良くも、そして悪くも。そういうものだ。
だから、一貫性を重要視するなら、あちらを仕方ないと諦めれば、こちらも仕方ないと諦めるしか無い訳で。
「気色悪ィ心配してんじゃねーよ。ンなもん言い方次第で潜り抜けられんだよ」
「凄まじい己惚れだな。案外言われている側は、誤魔化されていることだけは分かりそうだが」
「さっきからオレの仏心に九分九厘で依存しやがってふざけんなよ」
十割舐められてるだろ、昔に戻ったつもりかよ酷ぇわクソが。そう思ったが、寛大な慈悲でほんの僅かながら言い回しを和らげる努力をしてやった。
「その理屈だと都合が良い女にも程があるだろうが、適当ぶっこいてんじゃねぇよ」
「乗ってやってる部分もあったんじゃないのか?」
「よりにもよってオメーが、物分かりの良さと都合の良さを履き違えてんじゃねぇよ」
「……理知的で公平だと、本気で?」
「さっきからネガキャンがうるせーんだよ、何が言いてぇ…ッ!」
「キミの元部下を、僕や部長の前で殴り倒していたが。保安部の前で、暴行でしょっ引かれる可能性を検討せず、完全に頭に血を登らせていたが。キミの自尊心を守る、ただそれだけの為に、だ」
「重箱の隅をつついてんじゃねぇ! 誤差だ誤差! 異常な状況下に秒で適応したら歪みで誤差ぐらい生じんだろうが!!!」
「…………偏った評価だな」
元々は、懸念とそれに対する答えの応酬だったのに、話の軸がどんどんとズレていく。
歯に衣着せぬ物言いにも限度がある。無意味な煽りならば止めて欲しかった。単に無礼というのもあるし、これ以上スワロの話題は止めてくれという心の悲鳴も噛み合い、軋みそうだった。
折角、意図して思考から除外していたのに、台無しである。
「問題は彼女だけじゃない。他の部下達を説得できるのか?」
「何とかするしかねぇだろうが。その、できる可能性が高いのが、オレなんだろうが…ッ」
「……いざという時は、僕の名でも呼べ」
「力ずくの方が絶望的だが!? 一人で平均値をバカみてぇに上げてるのが居やがんだぞ!」
可能な限り不穏な暗黙の了解をぼかしてやり取りを交わすが、クルミから多少不審に思われているだろう。致し方無い。
クルミの存在は少しばかり面倒だが、邪魔になる程の存在では無い、はずだ。
この身は人に非ずだが、ここで車から降ろして放置する選択を取る程の、比喩的な意味での人でなしのつもりは無い。
打算という側面でも、ユーマと親しい彼女を騙し討ちして粗雑に扱うのは、後々不利になりかねない。
「…好き、なんですね? スワロさんのこと」
「……、何だァ…?」
なぜピンポイントにそこなのだ。もっと、こう、なぜ部下が相手なのに説得や交渉が必要なのかとか、そういった疑問を尋ねられると予想していたのに。
勘弁して欲しい。純情な少女の好奇心かも知れないが、是非とも深入りは控えて頂きたかった。
それと、なぜ疑問符を纏った意外そうな物言いなのか。元居た世界では自分達は如何様な関係なのだ。ほんの僅かに好奇心が膨らみかけるが、程無くして萎む。良好だろうが破綻していようが、ヨミー自身に実りが無さ過ぎる。
隣の芝生が青かろうが、枯れていようが、虚しいだけだ。
「…………この件が片付いたら、終わるだろ」
察して引っ込んで欲しかった。紛い者だった、という衝撃を同じく味わった身ならば。
言葉数が少な過ぎたかと危惧したが、クルミが息を呑む気配を感じ取ったので、良し、と思った。ついでにハララもこれ以上踏み込むのは止めて欲しい。
目を逸らそうが逸らすまいが、刮目しようが瞑目しようが、変わらぬ未来とやらを、初っ端から提示してやれば良いのだ。
「……す、好きなんですよね?」
「思春期が好きそうなネタだったか? それ以上はよせ」
なぜ焦ったように言及してくるのか。マジかよ。優し過ぎたか? いや、だが、真面目に相手をしろと…? 結末なんざ自明の理だろ、なぜ突っ込んでくる…?
ヨミーは混乱した。感情が大渋滞し、交通事故まで起こりかける。
相手がハララならそちらから突っかかってきたと切り返せるが、事実上一日も交流していない少女に大人げなく反論しろと? 自制心のネジが急速に締まる。
「す、すみません。でも、なんだか、急いで結論を出そうとしてるみたいですから……」
だが、その一方で、分かってて踏み込んだよな? と苛立つのも事実な訳で。ならばこそ、前述の自制心が重要になるのだが。
「…お互いに、時間はあると思います。その長さが、不平等だとしても、です」
ハンドルを握っていなかったら、掌の皮膚に爪を如何程まで食い込ませていただろうか。
前向きに関係の再構築を望めとでも? ——詐欺同然なのに? 再構築もクソも無いのに?
「…………詮索は、その辺にしとけ。あんまり大人を茶化すなよ」
「で、出過ぎた発言でしたね。は、はは…」
「……チッ」
恋愛は成立してこそ意味がある。そんな視野搾取に陥って、ある側面では正解だがそれ以外の全ての面では不正解の思考で、うっかり口を出した——のでは無いと、ミラー越しに映る委縮したクルミの様子から、そう解釈できる、のだが。
それはそれで、そんなに見ていられなかったか、と。この自分が、そんなに陰気だったか、と。
……陰気な顔をしていたのだろう。情けなくて、年齢差を考慮せずに思わずフォローしたくなる程度には。
「なんだか、戦いに行くみたいな空気ですから、比較的明るそうな話題を選んだつもり、でした」
三年前より以前から、『ヨミー=ヘルスマイル』と親交があった相手だ。一番重いまである。
それを教えてやるべきかどうかちょっとだけ悩んで、止めた。そこまで親切にしてやる義理は無い。
「へェ、そうかよ。ビビってるか?」
「……た、大して時間も経ないで、いきなりですからね。身構えはします。けど、逃げ帰ったりはしません」
「……まぁ、精々、頑張れよ」
「…何が始まったのかと少し驚いたぞ」
「何も始まってねーよ」
ハララの他人事のような呟きに、元を辿れば原因はオメーだとヨミーは舌打ちした。
擁護するなら、欠陥ホムンクルスにも感情があるのだから、その意味では思う所があって然るべきだ。
寧ろ、真実だと胸を張って主張できるのは感情ぐらいしか無いのだから、それを蔑ろにする事はできない。
だが、感情なんて、人間も当然持っている訳で。
いや。正しくは、欠陥ホムンクルスが人間の構造を模倣して、結果、感情を伴っているだけであって。
……だから、どうした、と無碍も無く切り捨てられるだけの話ではないか。
◆
——ヤコウ=フーリオは、絶対に逃げられない。最悪、屋上から身投げを試みて極端な逃避を図るのが精一杯な、追い詰められた脱獄犯だ。
然れども。
ヤコウが設定した目標、その達成の条件は、手に届く範囲に収まっている。
それ故の自身の命すら軽んじる危険な傾向を垣間見せながら、現状は進んで捨てる必要が無いからと大人しかった。
だから彼は、脱獄で余罪を増やしておきながら、超探偵達に捕まる事にちっとも抵抗感を示さなかった。
青空の下で、青白く不健康な顔で、すこぶる上機嫌そうに、快活そうに、笑っていた。
「日光アレルギーで気絶してるだけだ」
足元で倒れ伏し、とっくに意識を手放したフブキとデスヒコを指して、ヤコウは述べた。
「もし目を覚ましたら、まず正気を失ってて、身近な人間に襲いかかるだろう。
この状況ならオレだな。だから、今、仮に目を覚まされても、オレが喰われてる間に逃げてくれよ? オレも、そうやって生き延びたんだ。
……あ、そうだ。証拠を一つでも増やしたいから、余裕があるなら撮影もしといてくれ」
言いたい事を言ってくれている上、さぁ逮捕してくださいと体現するように、ヤコウは呑気だった。
否。ようやく得られた、深い安堵を噛み締めている。それが一見呑気な雰囲気だと錯覚させている。実際には、触れるだけで傷つくヤスリのような雰囲気なのに。
まるで糸のように絶望的に細い道を、綱渡りのように歩き抜いた果て。そこにヤコウが望む見返りが存在するのだから、さもありなん。
カナイ区中へのアナウンスの電波ジャックに利用したマイクを投げて寄越すように指示すれば、「ああ、もう用済みだ」、「外部の皆さんがトドメを刺さなきゃな。オレの発信なんて、所詮ただの八つ当たりだし」と呆気無く応じられた。
ついでに隠し持っていた銃まで、超探偵達への害意は無いのだと証明する為に自発的に投げて渡してきた。
するり、するり、とスムーズに進んでいる。
「気絶してる二人は物陰に避難、クソダサパーマ野郎は確保。で、いいんだよねー?」
「……グロいのは苦手? まぁ、心臓に良くないよな」
「撮影する気なんかないけど? って言うか、上司を喰べるとか覚えてなくてもサイアクだから、グルグル巻きにしとくんだけどー!?」
「証拠品なんだから、規制とか気にしなくていいのになぁ」
「何なのさっきから噛み合わない、このオッサン…ッ! ドミニク、その二人を下の部屋に放り込んできて! あー、ハゲとの共同作業、すっごい萎えるーッ」
「貴様は私に恨みでもあるのか!!」
ギヨームの語気が苛立ちで揺れていた。ヤコウの言葉を聞く度に不快感に陥りながら、ドミニクに気絶した二人を移動させたり、スパンクにヤコウの拘束を手伝わせたり。
超探偵が五人も居るのだ。人手は寧ろ余るぐらい。容易い事であった。
脱獄したヤコウを捕まえられた。足元で倒れ伏している二人も保護し、暗がりへと移動させられた。
然れども。事件解決の解放感からは程遠い。
終わっていない。
スムーズにお膳立てを整えられたのは、ヤコウの脱獄の解決では無い。
三年前に始まり今日まで隠蔽され続けた大事件、その対処と解決。
その一環として、まずは然るべき所へと、ヤコウを連行せねばならないのだが。
その、然るべき所が、保安部どころかカナイ区全体が機能不全に陥った現状で、どこに該当するのか。
本来の予定では、超探偵達はマコト=カグツチによる計画の一環で監禁された後、決着が着き次第解放されるはずだったが、斯様なIFにかまけている場合では無い。
超探偵達は、この舞台へと強制的に参加させられた。棚から落ちた牡丹餅を拾うが如く、参加の資格となる情報を給餌されて。
超探偵の職務は真実の解明だ。謎解きとはその手段であって、競争に非ず。経過が如何であれ、不服であれ、真実の価値自体は変わらない。
問題は、真実のその後の扱い。
秘匿するのは論外だ。私立探偵ならば規格外の真実を前にして怖気付き、優しい嘘という建前で無責任な決断も許されようが、超探偵は違う。
違う、のだが。
——では、どうする?
「いいか。この街で、人間ヅラして生きてる連中を信じちゃ駄目だ」
「そ、そーいう言い方、は……」
縛られながら、ヤコウの訴えは切実だった。
ヤコウが言い捨てた所の人間ヅラしてる者達の中には、カナイ区の探偵事務所の所長が含まれている。
だから、最も近くで、切実な祈りと紙一重の怨嗟を聞かされたギヨームは、ざらっとした不快感から決して良い気はしなかった。
けれども。咄嗟の反論こそ出かけたが、最後まで擁護を言い切る事ができず、潰えて途切れた。
「善意は善行や善果を保証……してくれたら良かったんだけどなぁ」
別にギヨームを追い詰める気は無いので、ヤコウは完全に断言してぶった切るような真似だけは避け、さっさと本題に移る。
「三年前に隠した証拠品の数々を持って、早急にカナイ区から脱出。それから、本物のナンバー1と接触してくれ。安易に世界探偵機構の本部に戻るのは、ちょっと賭けになっちまう。オレのツキは良くないんだ、賭けはもう懲り懲りだよ」
「し、指示されてるみたいで、ヤダー…ッ」
ギヨームは猿轡を噛ませてやろうかと一瞬悩んだが、理性が勝利し断念した。
「…どの道、本部に直帰できないんだよねー。本部のビルがテロでドッカーンって爆発四散したらしくってさー…」
「え。マジかよ」
「大体さ、本物のナンバー1を探せってミッション足す必要あるの?」
「CEOがその顔を利用して、世界探偵機構を一部ちょいちょいって悪用してたからな。本物が居ねーとオレの身がヤバいんだって、ホントに」
「じゃあさ、顔写真抑えといてよー!」
「悪い、アホみたいに警戒されてできなかった」
カナイ区の住民の真相が明かされるついで、世界探偵機構も一部噛んでいる事が発覚した。
組織的に真っ黒という意味では無く、アマテラス社の現CEOマコト=カグツチの正体がナンバー1のDNAから製造されたホムンクルスであるが故、同じ顔という点を利用されたという話なのだが。秘密の通信で連絡していた白髪の老人は影武者だったので、あの顔は参考にならない。
「それはそうと、善は急げって言うだろ。頼むよ。オレを助けてくれってわけじゃないんだ。カナイ区の真実を、全世界に公表したいんだ」
「え、えぇー…えー? でも、それ……」
ヤコウの嘆願は厚かましいが、一定の妥当性があり、一部許容する余地があった。カナイ区の現状を断罪するのであれば、ヤコウは死守せねばならない。
だが、安易に乗っかるのもアブナイのでは、とギヨームは直感的に危機感を覚えていた。
「ここに居る皆さんに、この街で蠢く命に裁きを下してくれって言ってるんじゃないんだからさ……。
ただ、真実を告発する。探偵の責任はそこまでだよ。最終的な判断は、警察とか、世間様とか、まぁ、みんなで考えましょうって話になるんじゃないか?」
ヤコウを連れて緊急的にカナイ区から脱出するのは、ベター寄りの選択のはずだ。
はず、なのだが。
何だろう。
とても、嫌な予感がする。
その恐怖で、頭の中が満たされる感覚に、あ、やばい、沈む、とギヨームはようやっと自らがキャパシティーを超えかけていると自覚した。
「……今すぐ敢行となれば、所長とユーマを置いて行くことになるが?」
「ハ、ハゲの声ー…? ヤダー…」
「意見しただけで罵倒される筋合いはないが」
「スワロがさっきから喋んないし、セスはなんか指噛んで自傷してるし、ウソでしょ、繰り上がりでハゲに頼んなきゃいけないー…ッ」
「貴様ァ…ッ!」
傍から見てもキャパシティー超えは明白だったので、見兼ねたようにスパンクも混ざってくる。
ギヨームの口が対スパンクにやたらと辛辣なのは常態化している事だ。ポジティブに擁護するなら、まだ平素の素振りを継続できるだけの余力が残っている。
「二人ともマイナス補正値が掛かった上でファンブル出ちゃったけど、いつ落ち着くんだろー…?」
「知るか! TRPGじゃなくて現実だからな! 解決まで戻らない想定で決めねばならん!」
「うえぇ、今度はモノポリーしか遊んだことなさそうな脂ぎったヤツがこれに指示してくるぅー」
「私への偏見的な罵倒に余念がないな本当に!!」
非情に不服ながら、その余力がある内に援護しなければ、ギヨームまで冷静さを喪失して潰れかねない。そうなれば連鎖的にドミニクとの意思疎通も非常に困難になり、五人中四人が一時的とは言え機能不全に陥る地獄の様相が呈される。
多人数で行動できる利点が悉く潰されるのは最悪だ。カウンセリングの真似事などできるはずが無い、ふざけるな、奇怪で謎過ぎる状況ではないか。
そういう訳で、スパンクもスパンクなりに必死だった。
「…………えっと。なんか、ごめんな?」
「憐れむな!!!」
「あ。じゃあ、話の腰が折れてますよってストレートに突っ込んでいいのか?」
「切り替えが早いな! そうだな! 構わん!!」
超探偵達が使い物になんねーのかな、と心配するような、見縊るような眼差しを敏感に察知し、スパンクは秒どころか瞬で言い返した。
そもそもにおいて。
ヤコウが見兼ねたように、これから取るべき行動を案として言語化した事で、さもヤコウが場の主導権を支配を目論んだような空気になりかけていたが。
なぜ、そうなったのかと言えば。
「あいつはニセモノだよ。さっさと踏ん切りをつけるべきだと思うがね」
「簡単に言わないでよー! ヨミー様と連絡取った方がいいのかどうかって割とガチで真剣な悩みなんだけどー!?」
「連絡した方が拗れると思うけど」
「じゃあ無視しろって言いたいのー!?」
所長であるヨミーまでもがホムンクルスだったという真実に、スワロとセスが衝撃を受け過ぎた余り、一時的に機能不全に陥ったからだ。
特にスワロは、本物のヨミーは疾うに死去したという過去に打ちのめされていた。
だが、それとは関係無く、状況は刻一刻と進むのだ。
「スワロー! セスー! まだバグってる!? 班分けしたいんだけど!」
口さがなく表現すると、何をやっているのかと、ちゃんとしろと、考えろと、何か言えと、そう急かし立てたくなるものだが。
擁護として、そして冷淡なタイムロスの縮小として、代わりにこっちでやっとくねとギヨームはできるだけ状況に対処しようと努める。
「ヨミー様と会う人、ユーマを回収する人、コイツを監視する人で分けるよー!」
「班は二つで済むんじゃないか」
「アンタ、ヨミー様のこと嫌いでしょ!!」
「…………それ、ギャグかな」
全く楽しくも無さそうな声で、ヤコウはぼそりと独り言つ。
このカナイ区に訪れてから世話になったヨミーに配慮したいし。
けれども、三年前以前の事情を鑑みると、スワロやヤコウにそれを強いるのは酷だし。
最近知り合ったばかりなのにショックが凄まじいセスにはビックリさせられるし。
なら、自分を含めて冷静に振る舞えている者達は、その印象通り胸中も穏やかなのかと問われれば反感が生じるし……。
……そんな風に、案外、手間取っていた所為、だろうか。
「——ご苦労だったなァ、テメーらァ…ッ!」
それとも、向こうの動きが迅速だったのか。客観的な時の経過を示す指標足り得る時計が不在の現状では、分かりかねた。
「…………ヨミー様?」
「っ、待て、待て…」
「……喋れるの?」
「息、整えるまで、待てよっ!」
ずっと走り続けた所為だろう。汗を拭う素振りも見せず、ぜぇぜぇと激しく息切れしていた。
カンカンカンカン、と慌ただしく非常階段を駆け上がる音は、更にもう二人分だけ続いた。
「たかが一階分上っただけだろう? 貧弱だな」
「オメーだって、手がガタガタ震えてんだろうがよォ……ッ!」
「ふ、二人とも! せめて日傘! ないよりマシですから!」
「……まだ、いける。今は邪魔臭ェ、手が塞がる」
晴れ晴れとした青空の下、死んだような空気が更に凍り付いた、この状況を説明しよう。
丁度話題の中心に位置していた当のヨミーが、非常階段を駆け上がり、登場した。直射日光を浴びてもデスヒコやフブキのように気絶するでも無く、しかし体力切れの如く息を切らす要因にはなっていた。
把握している情報と異なり、正気を、理性を保ち、会話できる状態を保てている。
後を追うように現れたのはハララと、雨も降っていないのに未だレインコートを着続ける少女が一人。見覚えがあるような、無いような、その少女は濃い紺色で厚い布地の傘を二本ほど両腕で抱えていた。
「…………、あ、あなた。クルミちゃん?」
「え、っあ! そうです、クルミです!」
別ベクトルの予想外の出来事による衝撃が、幸いにもショック療法的に働いた。
スワロは驚いたように呟き、その呟きを聞いた者達は、一拍遅れて、なぜ? と驚愕と疑問符を浮かべた。
スワロが顔見知りとして認識するクルミとは、エーテルア女学院の件で被害者となったクルミ=ウェンディーを指すが、彼女は殺害されたはずだ。
それが、何事も無かったかのように、ピンピンとして立っている。ヨミーやハララに日除けの傘を勧めるも断られて少し落ち込むという、酷く場違いな、幾許かの協力関係を前提とした光景が在った。
「あー…ちょっと、予定変更」
ヨミーが現れた瞬間から顔色を変えたヤコウは、わざとらしい程の深呼吸を繰り返す。
続いて現れたハララやクルミに対して、言いたい事、叫びたい事は、十や二十では済まなかっただろうに。
「形振り構わず逃げてぇけど、皆さんの様子からしてできそうにないし。ホントに好きね、『ヨミー』のこと。同じ顔だしな、うん」
「ディ、ディスられた…ッ」
「……何か、オレの知らないことが、起きてる、みたいだし」
伊達に三年以上も耐えてきた訳じゃない、と体現するように、両目を血走らせながらもヤコウは目の前の現実を見据えていた。
「安心しろよ、ヤコウ」
と、言うよりも。
「オメーの愛しい妻の遺留品を見つけて、漁って、治療薬を開発して正常化させた、ってワケじゃねぇ。
本当の本当に隠したかった、部下共の遺留品すら、一個も見つかっちゃいねーからよォ」
特にお前は見据えざるを得ないだけだ、とヨミーは冷淡に指摘した。汗だくで、その癖に顔は赤くなど無く、蒼褪めている状態で。
自身の懸念を一発で射抜かれたヤコウは、一瞬面食らう。
「……なぁんだ」
一瞬だけだった。
「お前ら、もう、そっち側に就くって判断したわけだ」
化けの皮を剥がされて、人間では無かった事実に慄くのでは無く、化け物として生きる事に開き直ったのかと、ヤコウは侮蔑の念を隠しもせず、顔を歪めて唾棄した。
「同士討ちとか、混乱して使い物にならなくなるとか、そんな結末を期待してたんだがな。流石に見放されたのは仕方ないとして、幾らで買収された?」
「まぁ、待てよ」
息を整え終えたヨミーは、主にハララに視線を注ぎながら矢継ぎ早に言葉を繰り出すヤコウを制する。空洞な罵倒に過ぎないと自覚していた為か、ヤコウは一応は黙った。
目は口以上にものを語っており、ぐるぐると感情が渦巻き、それでもヨミー達の思惑を探ろうと爛々とギラつかせていたが。
「状況が状況だ。互いに誤解があったら取り返しがつかねぇ。まずは情報の擦り合わせといこうじゃねぇか」
「……おい、所長。目的を先に言え」
間延びめいた、呑気な提案を切断するように、スパンクは単刀直入に尋ねた。
「今すぐカナイ区から出ねばならんのか、我々は真剣に決断しなければならないんだぞ」
「…何を焦ってやがる。日光を浴び始めて、たかがちょっとの時間で暴走はしねぇよ」
「……そうではない」
「信じられねぇか? ここに居る人間が餌になった所で、オレにメリットなんかねーよ」
「そっちが悠長過ぎるんだが!? だから、早く言え、目的を!」
ホムンクルスなれども探偵として生きた責任感に基づいて、この場に駆け付けた。そんな綺麗事を、できる事なら、脳裏に過らせたかった。
その期待感を抱かせるに足る人物が、ヨミー=ヘルスマイルだ。
「ヤコウの処遇、延いてはカナイ区の未来を、我らが世界探偵機構のナンバー1に賭けようってだけだが?」
だが、実際に、ヨミーの顔を見た者の脳裏に過ったのは、全く別の感想だった。
思惑と言動が、果たして一致しているのか。
言葉の通りに解釈して良いのか。
明るい日の下で、ヨミーの表情は確かに照らされているはずなのに、まるで能面と対峙したような感覚に襲われた。
(終)