5.open one's eyes
まだ肌寒さの残る花曇りの四月六日。真央霊術院の正門を赤と青の制服が通り抜けていく。
入学式開始までもう半刻もないということで登校する生徒はまばらだ。その中に交じって海燕は初めての登校を経験していた。
しかし普段であれば子供らしく浮かれるところが、今日は様子が違っていた。
「ったく、アイツら……」
苦虫を噛み潰したような表情で足早に歩く海燕。彼がまたもや不機嫌となっている理由には、やはり友人である童女が関係していた。
「なァにが『正式な手続きを踏め』だ! 本人と約束してんだから問題ねーだろ!?」
そう、実は綱彌代への偵察がてら一緒に登校しようと久々に梨子へ会いに行ったところ、屋敷の家人に敢えなく追い返されてしまったのである。
--かいえ〜〜〜ん!!
遠目で梨子が屋敷から飛び出すのが見えたものの、すぐに家人に連行されて行ったのを思い出す。
--おい! 一体どういうコトだよ! 手紙なら事前に寄こしただろ!?
--申し訳ありませぬが、申請書は梨子様ではなく本家の方にお渡し下さい。他家との交流は御当主様の許可なく行う事はできない決まりとなっておるのです。
--何だと…!?
--加えて梨子様は本家からの急な要請により、本日は霊術院への登校が遅れる予定で御座います。どうか、ご理解頂きたい。志波様。
海燕は湧き上がる感情を押し込め、廊下を渡る。そして粛々と自身宛てに届いた案内書通りに特進学級である『一組』へと向かった。
教室の扉を開ければもう既に、三十人近くの生徒が着席し教師の説明を受けていた。まさか遅刻したか?と気まずそうに入室する海燕に教室中の視線が集まる。
「お早ようございます、志波殿。お席はそちらですよ」
義手であること以外は素朴な教師が、海燕を前列の席へと案内する。聞けばどうやら朝礼は未だ始まっておらず、生徒とは雑談をしていたらしかった。
海燕は胸を撫で下ろすと、少し宜しいでしょうかと尋ねる。
「 ——『綱彌代 梨子』のことなんですが。家の事情で遅れるそうです」
「おや、そうでしたか。綱彌代家ともなれば煩雑な手続きも多いでしょうからね。承知致しました。代理のご連絡、有難う御座います」
「…いえ」
そう言って海燕は席に着く。すると、隣席に座る年長の男がやわらかく微笑みかけてきた。
「初めまして、志波殿。私は朽木蒼純。会えてとても嬉しいよ。宜しくね」
海燕は差し出された手を握り返し、爽やかな笑顔を浮かべた。
「そうかアンタが朽木家の!こっちこそ宜しく頼む。会えて光栄だぜ」
「有難う。私も海燕殿はとても優秀だと聞いているから、直ぐに飛び級してしまって短い間になりそうな事だけは残念だな」
「か、勘弁してくだいよ。これでコケたら恥ずかしいじゃないですか」
「ふふ、君なら問題なく越えられる壁だと思うよ?」
悪戯っぽく笑う白飾りをつけた黒髪の男。彼もまた海燕同様、五大貴族の次期当主であった。しかし零細貴族の志波家はともかく朽木家の権威は凄まじい。この二人が対等と呼べるのかは疑問の余地が残るだろう。
とは言え自由人な海燕には関係のない事だったようで、二人はあっという間に打ち解ける。そして朝礼が終わる頃には、講堂まで先導する教師の後ろで談笑に花を咲かせていた。
その更に後ろを歩く生徒達は萎縮しつつ二人のあとを着いて行く。
——『始まりの五家』。三界が創成されて百万年余の間、神たる霊王に仕え、尸魂界を支えた続けた神々の子孫達。それが五大貴族だ。
本来、五大貴族の次期当主ともなれば霊術院に通わずとも相応の技術を学ぶことができる。故に、彼等が霊術院に通うなど滅多にない。何よりも死神は寿命が長い為、偶然同期として勉学を共にするなればより稀有な事だ。
にも関わらず今期、三人もの五大貴族が同じ教室へと集っていた。二千年に及ぶ真央霊術院の歴史においても初の事であった。
生徒達はこれから訪れるであろう嵐に胸を高鳴らせ、入学式の始まった講堂へと入場する。
そして全員が着席した頃。漸く、最後の新入生が到着した。
『——浅打とは、』
死神と寝食を共にし練磨を重ねる事によって魂の精髄を写し取り、唯一無二の『斬魄刀』へと進化する最強の武器なのだ、と。教師の説明に真剣に耳を傾ける生徒達の手元へ『浅打』が配られた。
「聞いたよ。その浅打、【刀神】から直接頂いたって?」
「おう、偶然会ってな」
声を潜めて聞いてくる蒼純に海燕も声を潜めて答える。どうやら浅打を事前に受け取っていたのは自身と梨子の二人だけらしく興味津々といった様だ。
「どんな人だったの?」
目を輝かせた蒼純に、海燕は目と耳に焼き付いて離れないあの日の出来事を語ってやる。
「随分と…異風な方なんだね」
「ああ。だけど放たれる霊圧は確かに本物だった」
「そうか。私も是非お会いしたかったなぁ…」
--上で待ってるからSa。
ふと疑問に思っていた言葉を思い出す。
そう言えば、梨子は刀神と何の話をしていたのだろうか。あれから二度ほど手紙を遣り取りしたが、それについての返答は無かった。
『続いて新入生代表挨拶に移る。新入生代表・志波海燕殿。壇上へ』
「お」
慌てて立ち上がると横目に蒼純が小さく頷き励ますのが見え、海燕はニヤリと笑う。そして生徒達の合間を抜け壇上へと上がった。
——海燕の語りは時節の挨拶から始まった。次に生徒への祝辞、教師陣と在校生等との巡り合わせへの感謝、今後の展望へと続き、己の死神としての在り方に対する想いを述べる。
そして最後に、清聴する者達の背中を押す言葉で締め括られた。
「……」
拍手喝采の中を少し恥ずかしそうな顔で壇上から下りる海燕の姿を、梨子は心ここに在らずといった様子で静かに眺めていた。
持つ者全て【死神】であると証明する浅打を、力なく…その両手に握りしめて。
Ⅲ
「海燕殿、少し時間はあるだろうか?」
「…悪い蒼純さん。後で聞くよ!」
担任教師からの説明も終わり下校時間となった昼下がり。海燕は話しかける蒼純に断りを入れると梨子の方へ向かう。
「よ! 梨子」
「海燕…久しぶり!」
しかし既に、梨子は数人の生徒達に囲まれていた。
話を聞けば彼等は申し訳なさそうに、これから綱彌代家主催で傘下の家門との祝賀会があるため今から梨子を連れて直帰せねばならないのだと説明する。
「そうか…。じゃあまた明日な、梨子」
「うん、またねー! かいえーん!」
教室を出て行く梨子に海燕は「おう」と手を振り返す。仕方ないとはいえ、何となくもやつく感情を処理していると淑やかな声がかけられた。
「お久しぶりです。海燕さん」
声のした方を向くと、女子院生の赤い制服を身に着けた美貌の少女が立っていた。
「——都! 久しぶりだな」
「梨子さんとご無事に再会できたんですね」
「まあな」
海燕が嬉しそうに笑うと都は不敵な笑みを浮かべた。
「……聞きましたよ? 私と別れたあと綱彌代家に訪問したとか」
「あ」
「『迷子だな!』なんて、あっけらかんとされていたのに本当は随分と水くさい方なんですね?」
都は小首を傾げると揶揄うような口調でそう言った。
「そ、それは…だな〜……そう! そうだよ! 俺達出会ったばっかだったろ? そんな相手にそこまで図々しい頼み事できねえじゃねーか!な!?」
「あらあら、私たしか『今はよくてもいつかお二人と親しくなったときに必ず後悔するからお手伝いさせてほしい』と、お伝えしたではありませんか。それに梨子さんのこと無鉄砲だと言う割には、御自分は無茶なさるのですね?」
都の整然とした反論に海燕はあらぬ方向に視線をさ迷わせ始める。誤魔化すのが下手らしその様子に都はくすくすと笑い出した。
「——でも、確かにその通りですよね。よく考えてみればお互いまだ信を置くには早過ぎるでしょう。成程、となれば私は皆さんから背中を預けて貰う為にも強くなる必要があるのですね」
「いやッ、信用してないってワケじゃねぇんだけど…!」
「あら、これは私だけの話ではありませんよ? 海燕さんも梨子さんに置いて行かれてご立腹なさっていたでしょう? どうですか。良い機会ですし、一緒に特訓しませんか」
「え?特訓…?……そりゃ」
「良いな」と言いかけて海燕はハッと顔を青くする。蒼純を待たせているのを思い出したからだ。
後ろを振り向けば蒼純は律儀に遠巻きから見守っていたらしく、海燕と目が合うとにっこりと笑い返してきた。
「悪ィ都……蒼純さん待たせてんだ。返事はあの人の要件聞いてからでいいか?」
「勿論です。私はいつでも大丈夫ですから、後日にでも」
都に感謝を伝え、蒼純の元へ戻る。
「蒼純さん、すまねぇ待たせちまったな」
「大丈夫。それほど待ってないよ」
「それで要件ってなんだ?」
「いやなに。親睦を深めるついでに少し君と『手合わせ』をしてみたくてね。駄目だろうか?」
「え…いいけど…」
そう言って海燕は後ろ振り向く。目の合った都が不思議そうに頭を傾げて微笑んだ。
Ⅲ
ここは瀞霊廷某所・志波邸の玄関。そこで男は一人、幼い家族が帰宅するのをじっと待っていた。
「ただいまァ」
夕日が沈んだ頃、ようやく玄関の戸が引かれる。
「遅ーーーーい!!!」
「うわァ!?」
玄関の戸を開いた海燕は目の前で助走をつけて飛び蹴りを喰らわせようとする男を視認し、咄嗟に横へ回避した。
「なッ何すんだよ!! 叔父貴!!」
「お前こそ何してんだ! この不良少年め! 今が何時だか分かってんのか!! 兄貴が聞いたら号泣するぞ!!」
「そんくらいで泣くか! てか何で瀞霊廷にいんだよ!! 流魂街の仕事はどうした!?」
「可愛い甥っ子の入学を祝いたくてサボりましたッ!!!」
「ほんと良い根性してんなアンタ!?」
海燕と叔父貴と呼ばれた男が静かな夜の瀞霊廷でギャイギャイと騒ぎ立てるのを都と蒼純は呆然とした様子で眺めていた。