3章⑨
善悪反転レインコードss※3章はこんな雰囲気かなと自分なりのイメージを形にしてみたssです。
※キャラ付けや関係性などは筆者個人の妄想に基づいています。また、独自の補完があったりします。
※謎迷宮を個人的に解釈して描写しています。
※反転ヤコウが謎迷宮仕様でカナイ区住民への憎悪を零したり、反転フブキの覚悟ガンギマリシーンがあったりします。
※推理していそうな要素を描写していますが、素人が雰囲気を演出する為に捻り出した産物です。
薄目で読んで頂ければ幸いです。
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イカルディの底が知れた瞬間、元居た世界と変わらぬ自分本位に対し、冷静に失望した。
環境に狂わされたと言えば同情の余地はある。一人の水泳選手としての人生を否定されたという点は、彼の動機の核だ。
だが、それは仲間達の命や尊厳を侮辱して良い免罪符には成り得ない。
……そして。
だから死んでも良かったんだ、と自らの心を慰撫する理由に足り得る訳でも無い。
これは、栓無き、死体を蹴るに等しい想定になるけれども。
元居た世界のようにカナイ区の問題が解決すると仮定して。
待ってさえいれば、水泳にも耐え得る防水性の日光除けボディークリームがいずれ開発されたかも知れない。
希望的観測を繋げただけだが、時間が解決した可能性はあった。
——あったけれども、もう、終わってしまった話である。
死に神ちゃんがイカルディの魂を刈り取り、元居た世界と似たようにカナイ区が嫌いだという捨て台詞が遺される——かと思いきや。
「…………街を、滅茶苦茶にするつもりは、なかったんだ」
「……え?」
『魂の声だから真実だよ。けどさ、賢者タイムなんて見せつけられても微妙な気分になるね』
ここまでするつもりはなかった、という本音を彼の魂から洩らされて、ユーマは驚いた。
「街もそうだけど、それより仲間のコトを悔やみなよ。優先順位おかしくない?」
イカルディへの評価がだいぶ下回っているギヨームは、イカルディが懺悔した対象に不満ありげに素気無く言い切った。
「……」
「…どしたの、ユーマ。こんなヤツの為に気に病んでるの? 現実に戻ったらヨミー様に怒られるだろうから、メソメソしてる余裕ないと思うけど」
「いえ、そうではなくて……」
ユーマが引っ掛かっているのは、カナイ区への思い入れが浅いイカルディが、カナイ区に懺悔したという不可解さだった。
「——、あ」
「ん? っ、え、ま、待ちなさいよー!」
その折だった。
フブキがあらぬ方向に視線も体も向けたかと思えば、一目散に走り出した。突然の奇行にいち早く反応したのはギヨームで、慌てて追いかける。
ドミニクに指示して咄嗟に捕まえさせない辺り、そうする必要は無いと認識している辺り、ギヨームはだいぶフブキに絆されている。理屈は不明でも理由はあるのだろう、と。
『謎迷宮がもうすぐ崩れるのに独断行動!? 何やってんのさー! 崩壊に巻き込まれたいの!? アグレッシブ自殺!?』
「お、追いかけよう! ドミニクさんも行きましょう!」
残されかけたユーマ達は当然、その後を追った。
足場の揺れが激しくなってもフブキは走り続け、遂にはその空間に辿り着いた。
「ユ、ユーマ。アレ、何? 影法師?」
「……!」
一足先に追いついていたギヨームが指差す先には、質の悪いモザイクで雑に処理されたような人型が立っていた。
元居た世界で、とある忘れられない事件の黒幕とも言える存在の、未だ明かされる前の演出と酷似していた。
『…ご主人様。イカルディをそそのかしたのは誰なのか、当ててみて。そうしたら、モザイクが取れるよ』
死に神ちゃんもユーマと似たような連想をして、それから、この世界におけるその枠は何者かと想像して。
想像に過ぎぬが、一定の確信を既に得ていて。
それ故、静かな声だった。モチベーションが上がる筈も無かった。
「…ユーマさん。わたくしには、そこに居るのが、誰なのか、分かります」
「……フブキさん」
「分かるのですが、あなたが当てねばその姿を現してくれないのですよね。お願いします」
先んじて到着していたフブキからもお願いされた。
IQの高低差なんて冗談では笑い飛ばせない、玲瓏とした声だった。
・イカルディをそそのかしたのは?
→ ヤコウ=フーリオ 〇
ユーマが正解を言い当てると、死に神ちゃんの説明の通り、雑なモザイク処理が撤去された。
酷く癖のある青髪。サングラス。部長職は自由な服装が許されるのか、元居た世界の人物の物と似たような、髑髏や血飛沫をあしらわれたダーティーなファッション。それでも保安部の部長だからと、申し訳程度に社章が刻まれた上着を羽織っている。
「嗚呼。やはり、部長でしたか」
姿を現したのは、ヤコウ=フーリオその人だった。
曖昧に微笑んでいるが、それは予想が当たって安堵するフブキに応えているものでは無く、顔に張り付いているだけのものだった。
「……知って、たの?」
「いいえ。部長がどの程度関与しているのかは存じ上げません」
「じゃあ、なんで」
「部長の気配を感じたので、探しに参ったのです。ただそれだけです」
実は全てを知っていて、高度な演技をしていた——のでは非ず。
敬愛する人物の気配を感じ取ったから、辿っただけ。それだけなのだと言い切られ、ギヨームの追及が詰まった。
何の裏もありませんよ、言葉通りですよ、とフブキの台詞の端々から醸し出されていたからだ。
「……ヤコウ所長。あなたが、イカルディさんの背中を押したんですか?」
「背中を押した、ねぇ? オレとしては、頼られたから助言した程度のつもりだったんだが」
ユーマから指摘された解答にヤコウは不服そうながら、否定せずに肩を竦めていた。
「レジスタンスを壊滅させれば、願いを叶えてやる。その提案に乗ったのは向こう。
活動家らしくテロの一つや二つもついでにやったらどうだ? って助言に、最終的に頷いたのだって向こうだ。
救いの手を差し伸べてやっただけだぜ、オレは」
ヤコウによる自供という体によって、マッチポンプと称するのも歪な酷い繋がりが明らかにされた。
何が救いなものか。本気で望みを叶える気があったとして、代償が釣り合っていない。望みを餌にカナイ区を混乱に貶めただけで、ただひたすらに害悪極まる。
それをあっけらかんと言い切って、ヤコウは煙草を吸うべく胸ポケットへ手を伸ばすが、空だったので指先が空を掠っただけだった。
「えー? 本物じゃないからってカッコ悪い演出だな。この謎迷宮、オレに恨みでもあるのか?」
ヤコウはやれやれと再び肩を竦めて愚痴る。
何を呑気に愚痴っているのかとユーマは唖然とさせられた。
「……な、なんでよ」
平然と詳らかにするヤコウの飄々とした態度が薄気味悪くて堪らないのだろう、ギヨームは軽蔑しながらも恐れるように距離を取っていた。
ドミニクも臨戦態勢に入りかける。そんな彼に死に神ちゃんは『襲っては来ないと思うよ』と一応は親切心で忠告していた。
「マ、マルノモン地区は、鎖国状態のカナイ区にとって大事な経済の中心だって聞いたんだけど……一時的にでも経済不全に陥ったら、パニックになる、って……」
「へぇ。スパンク=カッツォーネルの経済口座でも受けたのかい? 口で言うほど仲は悪くないみたいだな」
「あのハゲ寸前のブタちゃんとは仲良くないしー…」
空気を読まない注釈だが、人を豚扱いすると侮辱罪で法的手段に訴えられる危険性があるのでちゃん付けにして誤魔化している。なお、実際に誤魔化されているか否かは不明である。
閑話休題。
カナイ区は、アマテラス社自治区という別名からも分かる通り、アマテラス社の城下町だ。鎖国という環境も相俟って、その意味は重い。
アマテラス社の頂点に近いヤコウが、アマテラス社の利益に無頓着なのは不可解だ。無能な搾取はまだあり得るが、街自体の破壊を幇助するのはあり得ない。
「心配は無用だ。問題ないよ。震災特需だ」
「……は?」
それなのに。
あっさり言ってのけるヤコウに、ギヨームはポカンとする。
「復旧工事に復興事業。それに、我らが新CEOはカナイ区の住民想いだから大盤振る舞いに違いない。アマテラス社未所属の住民も恩恵を授かれるだろう」
ギヨームが拙い知識ながら経済面を述べたのは、アマテラス社にとって不利益な筈だろうに、なぜ? と突く為だ。
それが、ダメージを受けても回復できるのだと堂々と反論されてしまった。
「時間差で重税を課して回収する、なんて姑息な手段もないだろうぜ。世界中に支社を持つアマテラス社が最も負担するべきだと考えてるだろう。泣かせる住民愛だと思わないか?」
「……街をぶっ壊されて、怖い思いをした住民の心情は?」
「経済の次は心情に訴えかけるのかい? って言うより、キミとしてはそっちの方が本題かな?」
現実だったらのらりくらりと回避されただろうが、ここは崩壊寸前とは言え謎迷宮。
謎を解いた者とその仲間への褒美として、カナイ区の住民への憎悪しか感じさせない願望がその口からあっさりと零れる。
「いっそ、自治区が全く機能してないって世界中から批判されるぐらい混乱してくれれば良かったんだがな」
ヤコウの容易い自供が周囲に齎すのは、困惑であり、顰蹙であり、憤慨であり、軽蔑であり、そして黙して見守る部下の眼差しであった。
「…………みんな、苦しみ抜いて、死んじまえばいいんだ」
黙して見守る眼差しに応じるように、ヤコウはフブキを一瞥した。
……いや。違う。残酷だが、応じた訳では無い。
お前もみんなの内の一人だぞ、という、心が無いと軽蔑するだけでは足りない、残酷な意思表示だった。
「ぶ、部下を泣かせたいの!? それって楽しい!?」
「……『フブキちゃん』を? 泣かせて、楽しいかどうか? 楽しくないどころか悲しいし嫌になるし、辛いけど?」
「は、はぁっ?」
ヤコウは心底意外そうに驚いていた。野心など無さそうに。
カナイ区の住民を人扱いせず、自らを他者を思いやる人格者だと宣うような、厚顔無恥の破綻した言動だった。
「……フブキさん達だけじゃない。カナイ区の人達に対して、なんで、そんな酷いことを言えるんですか?」
「それは、……それは。……それは、言えない。ボーナスはこれで終わりだ。続きは自分で考えてくれ、探偵見習いくん」
ユーマが割って入るように口を挟めば、ヤコウは物言いたげに口をモゴモゴと動かしたが、断念したように首を左右に振った。
謎迷宮のシステム上、ここまでが限度。寧ろ、ここまで伝えられただけでも破格の温情なのだろう。
「…死に神ちゃん。ヤコウ部長が言っているのは、基本的に“真実”なんだよね?」
『嘘はないはずだよ。謎怪人って程の存在じゃないしねー。正体を明かせばオッケーだけど、そもそも気づけるかって段階で難易度を爆上げしてバランスを取ってるヤツ』
「……」
ユーマは、考える。
ヤコウの本心に忌憚なく触れられる。それは心情的には苦しいけれど、理解という意味では一助になる。
せっかくヨミーが解決していたはずだったのに、理由があったとは言え二度手間を踏むように事件を改めて解いた事にモヤモヤしていた真っ只中での、青天の霹靂。
意味が見出せれば別に良いのかという単純な問題では無いけれども。
それでも、収穫はあるに越した事は無い。
「ユーマ。アイツの考え、推理しようとしてるの?」
「ええ、そうです」
「…どんな壮大な理由なら許されるんだろ、ってイヤになるような男なのに?」
「真実に、納得の是非は関係ありません」
「……記憶を覚えたままでいられるのがユーマで良かったなーって思うよ」
ギヨームはハッキリと、ヤコウへの嫌悪感を示していた。
無理も無い。好き嫌いの二つで物申すのであれば、余程の破綻者でも無い限りは嫌いになるのみだ。
「死に神ちゃん。あのクソダサパーマ野郎が共犯判定から外されるのはどうして? 実行犯だけが犯人扱いされるから?」
『積極的な共犯だったら一緒に犯人扱いされるよ。けど、今回のは、推理小説をモチーフに殺人事件を起こしたら、じゃあその推理小説の作家も共犯なのかってレベルだね」
「共犯の意識がないから、ナシなの?」
『細かい所は省くけど、殺意の有無も関係するよー。保安部による偽装工作や加担は、謎迷宮を増築させただけ。とにかくナシだよ、残念だけど』
計画に口を出したヤコウも、計画を知っていて加担したはずのハララやデスヒコも、共犯の定義から外されて実質お咎めは無い。
今回だけでは無い。保安部が裏に潜んでいた事例は他にもあって、けれどもその全てにおいて保安部の怠慢、否、不正を咎められなかった。
トカゲの尻尾を集めているような、賽の河原で石を積むような、無意味では無いがいつまで経っても抜本的な解決に至れないもどかしさ。
長い戦いになると悠長に構えるには、悪意的な隠ぺいによる白々しさがえげつない。
「——部長に危害は及ばないようですね。良かったです」
こんな事が許されて良いのかと、場の空気が淀み、湿り、重く圧し掛かる中で。
フブキが胸を押さえながら呟いた清涼な安堵が、場違いなまでに響き渡った。
その点に安心するという意味において、彼女は間違いなく保安部に所属しているのだと、ヤコウの部下なのだと、如実に物語っていた。
「…アンタは、どんな気持ちで、アイツの下で働いてるの?」
ヤコウ関連を掘り下げるとフリーズするのではないかと危惧しながら、ギヨームは尋ねた。
「気持ちとは、言葉にするのが難しいので、答えかねます。ただ、ヤコウ部長の為に、としか言いようがありませんね」
予想に反して、フブキは答えてくれた。
時の流れを守るのだと胸を張っていた当初とは打って変わって、凛としていた。別人ではないかと困惑するような毅然とした態度だった。
ヤコウの恥知らずな自供を聞いてもなお、そこで立っていられている。
自分は何も間違っていない、と主張する者特有の、歪な真っ直ぐさがフブキに宿っていた。
「いや、そうじゃなくて、なんで?」
「なんで、とは」
「性格的に相当無理してるよね?」
「……」
「……そういう意味でさ。なんで?」
「ヤコウ部長の為です」
顔が陰で隠れている訳でも無いのに、表情が確かに見えているのに、特段恐ろしくも何ともなくありふれているのに。
フブキは、自然体で言ってのけている。
堂々巡りとしか言いようが無く。けれども、はぐらかされていない。ただそれだけが答えですよ、と丁寧に何度でも教えられる。
倫理とは、生き様を支える精神的支柱。それを否定し、相反する道へと足を向けてでも、守りたい存在。それがヤコウなのだ、と。
「昔は、イイヤツだったらしいって聞いたよ? けど、変わっちゃったんでしょ? それでも守りたいの?」
「…いけませんよ。そんなに容易く断言してしまっては」
なんで、どうして。納得できない。
そんな風に困惑するギヨームに、フブキは優しく釘を刺す。柔らかな泥にゆっくりと差し込むように、丁寧に、ちゃんと、しっかりと。
釘の頭部ごと埋めるべく手が汚れようが、そのまま腕まで沈んでいこうが、お構いなく。
「あの人は、昔から何も変わっていません。わたくし達はそう信じて、進み続けるんです」
視線を合わせてくれないヤコウを見据えながら、フブキは断言した。
話の通じなさが、この局面で、不気味で理解し難い意味で発揮されてしまった。
悪い人じゃないのに対話ができない。前提が、過去に追い縋っているようにしか思えない。覚悟を決められてから、改心を望めない。
「……とは、言いましても。変わっていない、というのはヴィヴィアさんからの受け売りなのですが」
でも、わたくしは信じたいのです。
そう続けられて、ギヨームは匙を投げるように首を左右に振った。
なぜ、フブキのような善性を持つ人間が、ヤコウの所業に加担しているのか。その疑問に対するアンサーは、究極の感情論だった。
探偵は感情を律するべき。世界探偵機構の規則の一つには、掻い摘むとそのような意味の文言がある。
誰にでもある心を蔑ろにしているという反論があるけれども、それでも規則として成立するには正当性があるのだ。
例え善意でも、親愛でも、度が過ぎれば毒になる。
……その事を想起させるような、個人への肩入れに比重が偏り過ぎた、どうしようもない癒着。
それは、金や権力目当てよりもいっそタチが悪い、保安部上層部の結束と相成っていた。
だが。匙を投げても、お手上げになる訳にはいかない。
「……ユーマ。まだ、保安部の人達のコトを考える気力はある? これからも考え続けられる?」
「……大丈夫です」
元居た世界での思い出が絡むとは言え、ユーマは頷いた。その事にギヨームは肩から力を少しだけ抜いた。
「だ、だったら、お願い。これが忘れるからじゃないよ。どう止めればいいのか分かんない。でも、止めないと、どこに行き着いちゃうのか分かんないっ!」
託せるから、何とかしてくれる人が確かに居るから、ギヨームは安心し、傍から見ていて不安になるくらい多弁になっている。
見習いへの期待としては重過ぎるし、先輩として責任が欠如しているが——斯様な非難をする第三者は不在だし、居たとしてユーマは取り合わない。
ギヨームなりにフブキの人となりを考察していたからこそ、どうしてそこまでヤコウに狂えるのかと混乱していた。なまじ中途半端に絆されていたので、余計に。
見た目以上に混乱の度合いは酷いようで、ドミニクが慌ててギヨームの背中をさすっていた。
◆ ◆ ◆
——波乱の終わりから、現実世界へと帰還して。また一悶着があった。
『ですよねー。全部終わったって顔して横になりたいけど、寧ろここから始まるんだよねー現実の面倒臭い処理が。ファイトだご主人様』
死に神ちゃんはがっくりと項垂れつつ、汗だくで場の状況を観察するユーマの頭をポンポンと叩くように撫でていた。
ヨミーが連れてきた真犯人が心不全で倒れ伏した。今にも引き金を引こうとしたその手が脱力し、銃がころんと転がり落ちた。
そこまでは予定調和だ。それでも頭が痛くなるのだが。
大問題は、この場にフブキが瞬間移動で現れたようにしか思えない状況が出来上がった事だった。
その事に、その場に居たユーマと死に神ちゃん以外の思考リソースが割かれ、気を取られていた。
「身に覚えがない?」
「は、はい。ハララさんやデスヒコさんは実は物陰に隠れられて、わたくしを驚かせようとしていますか?」
「仕事中だし、その線は薄い…かな。それに、場所も変わってるんだよね?」
「屋内だったと記憶していますが、不肖ながら、記憶を疑うべきなのかも知れません……」
「……不思議なことも、あるんだね」
謎迷宮が崩壊する寸前、常軌を逸する忠義を示した事をすっかり忘れ、フブキはオロオロと戸惑っていた。
そのフブキから事情を聴きながら、ヴィヴィアは不思議の一言で強引に総括し、ひとまずはフブキの精神を落ち着かせつつ、ユーマを睨みつけている。
『オカルトは全部ご主人様のせいって疑ってきてない? まあオレ様ちゃんとの共犯みたいなもんだけど』
死に神ちゃんは溜息を吐いていた。
『いっそ一緒に世界の時を守ってきましたってフカシてみる?』
(フブキさんの記憶がなんでないのかって整合性が取れないよ!)
『この言い訳は駄目かー』
(他の言い訳があっても言える状況じゃないよ空気が重い……ッ!)
下手な言い訳は、ただでさえ息苦しい自らの首を絞めかねない。迂闊な発言をしようものなら、誰から言葉という名の凶器が飛ばされるか分かったものでは無かった。
兎にも角にも、誰かが事態の収拾を図らねばならない。
「えー、皆さん。ちょっと今だけは立場を横に置いといて、冷静になろうか」
自らの身に降りかかった不可解なテレポート現象にオロオロするフブキを横目に——厳密には違うが、正しい説明もできない——、ヤコウはパンパンと大袈裟に手を叩いて音を鳴らす。
「頭が高ぇんだよ、飼い主。テメーが主導権を握るのか?」
「お前に握らせる理由もないだろ。お前達に危害を加えないから安心しな」
「安心してるのはテメーだろうが。繋がってたクセによォ」
「あー、なぁに? 誰が? 誰と? 何か証拠でもございます?」
「さっき死んだ男の証言以外にはねぇが……ッ?」
「まさかと思うが、それでユーマくんに八つ当たりするなよ?」
「……しないが? 多頭飼育で崩壊せずに済んでる実績で、ストレス耐久が高いと己惚れてるのか? 狂犬どもが従順なだけだろうがよ」
傍からはヨミーが苛烈で強烈だが、その実、ヤコウもへらりと笑っているようで露悪的だった。
「その胡散臭い証言が仮に認められようが、そいつの犯した罪は変わらない。処刑一択だ。それでも連れてきたんだから鬼だな、立派な殺意を感じるんだが?」
「なんで見逃すのが筋みてーな言い方しやがんだ、罪は罪だ」
「おお、意見の一致。殺すなら司法で殺すのがお前のこだわりか?」
「死刑に賛成か反対かのディスカッションでもしてぇのか? 暇だな! 付き合ってやろうか?」
「死刑で一致してんだから別にいいって。自分の為に仲間を殺した、カナイ区を滅茶苦茶にした。それで助かるのは虫が良過ぎる。だろう?」
「……」
一歩も引かぬ応酬に見せかけて、ヨミーの精神的負荷が一方的に蓄積していた。ヨミーの心が脆いと言うより、ヤコウの面の皮が分厚過ぎるのだ。
「…どうして、テロリストなんぞがのさばる。どうして街が壊される。秩序とルールはどこへ消えたんだろうなァ?」
「まあまあ。苛々するのも分かるけど、とりあえず落ち着いて」
「何の感情も湧かねーのかよ…ッ」
「そりゃ、悲しいぜ? カナイ区が好きな身としてはな」
ヨミーの反論を端からまともに受ける気など無いようで、ヤコウは野心など無縁だと嘯くような口調で、のらりくらりと避けていた。
精神的負荷で血管が切れそうなヨミーの様子に、セスは顔面蒼白で見守っていたし、ギヨームは「行けーっ」と野次馬みたいなノリで応援していたし、ドミニクの視線はギヨームにのみ向けられていたのだった。
「ユーマくん。キミ、テレポート系の探偵特殊能力を持ってるのか?」
「い、いえ。ボクは、そんな力は持っていません。もしそうなら、ボクが複数の探偵特殊能力を持っていることになりますし…」
「だよなぁ。オレにはよく分からんが、複数の能力持ちってあり得るもんなのかねぇ」
「ボクはそうではありませんし、そういう話もボクの記憶にないので、何とも……」
「あ、大丈夫。疑ってないから。自己申告、ちゃんと信じるよ」
フブキの件は何も解決していないのに、ヤコウは然程気を取られている様子でも無かった。
と言うより、考えても埒が明かないから保留にせざるを得ないのだろう。対策の考案も、探偵が間近に居るこの場で駄々洩れにするべきでは無い。
「で、だ。犯人が突然死したのは、キミが原因だよな?」
それ以上に、目の前の出来立ての死体、厳密には死体を生み出したユーマへの興味関心が勝っている。質問に熱がこもっている。
「……、はい」
ユーマは頷いた。死に神ちゃんは『オレ様ちゃんのパワーなんだけどなー』とぼやき、周囲の人々は強張りながら、あるいは敵愾心を剥き出しにしながら、現状では成り行きを見守っていた。
「あの段階でも、間に合うんだな」
ヤコウは軽快そうに、上機嫌そうに口笛を吹いた。
これが性根の悪い相手だったら嫌味だと解釈できるのだが、ヤコウは嬉しそうにしていた。処罰の意図を全く感じられない。
ユーマからの供述は望めずとも(契約違反になるので不可能なのだが……)、推測して把握したがっている欲求は透けて見えていた。
『オレ様ちゃんの力が嫌らしい目で見られてる!? セクハラうぜぇ~ッ!!!』
(死に神ちゃんの力に興味を持ってる…? 好奇心、じゃ、ないよね…?)
『知るかァ! セクハラはセクハラじゃいッ! こういう勘違い野郎が死神の書を開いたこともあったような、なかったような。記憶の容量から追い出したから忘れたけど』
(実は昔のこと結構覚えてるんじゃないの、死に神ちゃん…)
『昔の男のことを語らせたいの!? 酷い! オレ様ちゃんをセクハラでサンドイッチする気かーっ!』
お返しだー! と叫びながら死に神ちゃんがユーマの頭上に体当たりを仕掛ける。恐らく、人型の姿だったら胸をダイレクトに押し付ける視線に困る絵面が完成していただろう。
死に神ちゃんの死の匂いを嗅ぎ取る危機察知能力は尋常では無いので、余裕をかますような言動をしている辺り、現状はそう危険では無いのだろう。たぶん。比較的。恐らく。きっと。
『ヤバい匂いだけど、ご主人様への敵意はないね』
ご丁寧にも死に神ちゃん自身が注釈してくれた。
だが、安心できない。
ヤコウがユーマに好意的なのは、カナイ区の住民に死を齎すから、と露悪的な解釈を描ける故に。
と言うより、もはやその解釈で観念するしかない段階に至っている。
ヤコウは人が変わったように、カナイ区の人々を憎悪しているのだ、と。
三年前にどこかで頭を打ち、その衝撃で価値観が変容した説が、いよいよ笑えなくなってきた。
『ご主人様。モジャモジャ頭達について考える続けるのはいいけど、タイムリミットはあるからね。頭を打って性格が変わった説、マジで視野に入れた方がいいかもよ』
(……一応、入れてはいるよ)
『理解はできなくてもさ、元居た世界のヨミーの扱いみたいに逮捕エンドを目指そうよ。生きてりゃまあいいじゃん。対応する事件があるはずだし』
(そうなると、この世界のヨミー所長が……いや。今はまだそれどころじゃない)
次に起こるであろう事件を推定し頭を回すのは、この場を切り抜けてからだ。
「それじゃ、死体を回収してひとまず撤収するか」
「あ、あの。ヤコウ部長」
部下達と引き上げるべく踵を返しかけたヤコウを呼び止めた。
「……ん? 質問でもある?」
「はい。お答えいただけますか?」
「いいけど、内容によるぜ? それと、答えられるかどうかに関係なく、一回だけだ」
好意的だからこそ妥協し、素直に応じてくれるヤコウへと、ユーマは一度深呼吸を挟んでから問いかけた。
「あなたは、『空白の一週間』の件から今日に至るまで、ずっと正気なんですか?」
それは、ユーマの悪意の有無など関係無く、ヤコウの温情に全力で寄り掛かって成立する無礼な質問だった。
巷ではヤコウの精神疾患説が半ば本気で囁かれていて、保安部の耳に入る度に“厳重注意”が成されている現状を思えば、真正面から堂々と喧嘩を売るどころか叩きつけるストロングスタイルだった。
「やるじゃんっ!」
「や、やめ…やめなさ…」
「…………もう少し、言っても大丈夫だったか?」
「っ!? あなたはご自愛ください…!」
故に、場が、時が止まったように凍り付き……そうになったが、まさかのギヨームとヨミーが反応した。常に雨が降っている為に外でも音響がやや悪いのだが、ユーマの質問の次に響き渡った。
この状況で最も慎ましくしているべき立場の者が二人も反応し、しかも片方は上司だったのでセスの挙動が若干バグって頭を抱えていた。
なお、そんな外野の些細な騒ぎは、当事者であるユーマとヤコウには二の次未満だった。
ユーマは本気で尋ねていた。
ヤコウが正気だというなら、その正気を疑わない為にも。真摯さを追及したが故の無礼を犯してでも。
「…………ああ。オレは、正気だ」
「……分かりました」
流石に思う所があったのか、ヤコウは幾許かの沈黙を置いていたが、ユーマになら答える価値があると踏んだようで、茶化しも笑いもせず、随分と真剣な声で応じてくれた。
(終)