1334年1月 春の除目

1334年1月 春の除目


TSHパロ ※尊直前提 ※憲直?

主要人物:直義・足利千寿王・上杉憲顕・岩松経家・石堂範家

~1334年1月 春の除目~鎌倉にて~


1334年1月。それは、足利一門にとって、慶事の相次ぐ月だった。

正月早々に、直義自身の婚姻、そして、3日、親王将軍御臨席のもと、恒例の新年の行事の垸飯(おうばん)の儀式が数日間にわたって執り行われた。

百年以上、その儀式を主催していたのは北条氏であったが、今回は、足利がそれを行うことで、武家の府の権力が交代したことを関東一円に知らしめることになった。

むろん、今回、将軍に垸飯を献上する役目をつとめたのは、兄の嫡男である千寿王と、親王将軍の執権を自称する直義、甥と叔父のふたりであった。


その儀式も終わり、鎌倉に、幼い甥とともに戻った直義は、鎌倉の復興と再建に向け、忙しい日々をおくっていた。

日が落ち、夕陽が部屋の障子を赤く染め上げる。

直義は、配下の官僚たちに本日の政務の終了を告げた。

(当時の仕事は、灯明の節約のためにも、基本的に、仕事は日の出から日没までしか行われない)


その瞬間、幼い甥が、大きな愛嬌のある目をかがやかせながら、「おじうえ、もう、政務は終わられたのだろう!」と言い、部屋に駆け込んできた。


直義は、甥に、やさしくほほ笑む。


それを受け、甥は上機嫌になり、ますます、目をかがやかせた。

「では、いまから我の手習いをみてくだされ!」と言い、こどもがやさしい母にねだるように、練習したとおぼしい紙の束をみせてきた。

直義はそれを受け取り、一枚一枚、甥の手蹟(て。筆跡のこと)を丁寧にみていく。

筆のもちかたすら、様になっていない甥の手蹟は、その年齢もあり、けっして上手いとはいえなかったが、父親である兄と同じく、おおらかな性質をうかがわせる文字だった。

「おまえの手蹟は、兄上によく似ている」と、直義は、甥の頭を撫でて、ほめてやったが、甥は、我は、おじうえのように書きたい。と言い、子どもらしくまるい頬をふくらませ、むくれた。


直義は、そんな甥をみて、うれしいことを言ってくれる。ほんとうにかわいらしい甥だ。と思う。

「では、おまえに手本をかいてあげよう」と言い、手元の紙に、いろは歌を書きつけてやった。

甥は、叔父のその白い指が持つ筆先からえがきだされる、流麗なうつくしい文字に、大きな目をみはり、うっとりとみとれているようだった。


子をもったこともない(そして、これからもおそらくないであろうと思っている)直義ではあったが、この甥とともに過ごすひとときは、いままでにないほどに、楽しいものだった。

手本の墨が乾くまで待っているあいだ、さきほどまでむくれていたことも忘れたような甥に、直義は、「ごきげんはなおったか、千寿王」と、やさしくささやいてやる。


そんななごやかな雰囲気を壊すように、みやこの兄からの、急を告げる使者が庭先に駆け込んできた。

とたんに不安そうな顔になる甥に、案じずともよい、と声をかけ、直義は、障子をしずかにひき開ける。

悪い知らせか、と思ったものの、息せききってやってきたその使者の顔は喜びにあふれていた。

使者が、殿からでございます、と、書状を直義に差し出してきた。

ご苦労だった、と使者をねぎらったあと、直義は書状を受け取る。

いつもの定期便の連絡とは異なるが、兄に何があったのだろうか。


書状は2通あった。

直義は、まず、1通目の書状を広げる。

そこには、1月5日に、みかどから、正三位の位を賜った、と簡潔に書かれてあった。

兄らしい、すこし丸みのある、愛嬌にあふれた文字が躍るような文面だった。

その文字は、いま、隣にいる甥のそれとやはりよく似ている。

書状の末尾の日付をみると、1月5日と書かれてあった。

みかどから官位をいただいたあと、とるものもとりあえず、すぐに書状を書き、早馬を出してくれたのだろう。


去年(1333年)の6月に、兄は従三位という高位に昇ったが、それからたったの7ヵ月で、陸奥守(北畠顕家。陸奥国に下向する時、1333年10月10日で、正三位に昇格した)と同じ正三位になったことになる。

そして、源頼朝公の最終官位は正二位であったから、あと2つ位階を昇れば、武家政権の創始者と、兄は、同じ位に並ぶことになる。

兄がもつ、征夷大将軍への野心。

わずか3年前までの、家督を継ぐ前の兄が言えば、嘲笑されるようなことでしかなかった、果てしない夢。

それが、現実に、手をのばせば届くところまで、きたのだ。


そして、兄からのもう1通の書状を、直義は、手に取り、広げる。

そこには、ただ1首の短歌だけが書かれていた。


恋(こひ)しとよ君恋しとよゆかしとよ、

逢(あ)はばや見ばや見ばや見えばや


(恋しい。おまえが恋しい。おまえを、抱きたい。ああ、逢いたい。逢いたい。早く逢いたい。ただただ、早く、早く、おまえに逢いたい)


直義は、白い指で、やさしく兄の筆あとをなぞった。

そのとき、「おじうえ、なにがあったのですか」と、幼い甥が、叔父の直垂の袖を引いてきた。

直義は、片ひざをつき、甥に目をあわせ、しずかにほほ笑む。

「兄上が、正三位(おおきみつのくらい)に叙されたことをお知らせくださったのだよ。たいへんめでたいことだ」

甥には、正三位が何を指しているのか、兄がその位についた意味も、なにも、まだわかっていないのだろう。

だが、それでも、足利には良いことであるのだ、と察したのか、甥はあいまいにうなずいた。

そして、どこかこわごわと、遠慮がちに、直義に尋ねてきた。

「ちちうえは、我のことをなにか書かれておられませんでしたか。…ははうえのことは」

それを聞き、直義の手がとまる。それだけで、幼い甥は察したのか、うつむいてしまった。切りそろえられた髪が、その顔を隠す。

そして、さきほどまでの上機嫌ぶりが嘘のように、ちいさな肩をおとし、手本の紙を手にとったあと、甥は、側仕えのものと一緒に、部屋に戻っていってしまった。

そんな甥のようすが気にかかっていた直義だったが、やるべきことは山積していた。


ーーーーーーーーーーーーーー


数日後、直義は、あるおなごのために、鶴岡八幡宮の神楽殿を借り切ってやった。

その庭先にいくつもの篝火(かがりび)を焚かせ、ひとりぶんの酒肴を用意させ、怜人(れいじん。音楽を奏する人のこと)に、その場に天女が舞い降りるかのごとく、楽を奏でさせる。

そして、その場に、石堂範家を呼び出し、その心が生み出した理想のおなごのため、舞い手にとっては最高の、一世一代となる晴れ舞台を用意した、と告げる。

石堂と話をかわしたあと、たいせつなおなごとのひとときを邪魔してはならぬ、と直義は早々にその場を立ち去った。


すでに、夜の闇が、鎌倉をおおいつくしていた。


鶴岡八幡宮の社殿の前の長い石段を下りきった直義のもとに、ひとりの郎党が、たいそう慌てた様子で駆け込んできた。

「たいへんでございます。若君がいなくなってしまわれました!」


その一報を受けた瞬間、直義は、自分の顔が青ざめ、血の気が引くのをはっきり感じた。

だが、うろたえてはおられなかった。

「すぐに千寿王を探し出すよう、郎党たち全員に手配せよ!」

あるじの命令を受け、郎党たちが簡単な打ち合わせをしたあと、あっという間に、それぞれの捜索場所を決めて、四方八方に散っていく。

それを見ながら、直義は、足元がぐらり、と大きく崩れたように感じた。

いままで、何があっても、どのような事態が襲ってきても、何を失っても、それに毅然と対峙してきた直義の、はじめての経験だった。

「いや、わたしも捜しにまいる」

指揮する立場にあるものがとるべき行動ではないとわかってはいたが、そう言わずにはいられなかった。

だいぶその数を減じたとはいうもの、切り通しの付近に、野犬の群れがまだうろついており、鎌倉の中にも、素性の知れぬあやしいものが屯(たむろ)している。

ここにこうしているあいだにも、甥の身になにがあったら、と、いてもたってもいられないおもいにおそわれた。

馬を引け、と命じようとした直義の目の前に、年上のいとこが、「相州どの!」と言い、馬を駆けさせ、やってきた。

男は、直義の手前で、馬を止め、急いで下馬する。

自分のもとにやってきてくれた男のそばに駆け寄った直義は、そこで、怖れのために、自分の手が細かく震えていることに気づいた。

直義は、若君が行かれる場所に、お心当たりはありませんか、と問われたことで、やっと、すこし冷静な思考がもどってきた。

「心当たりはない、ないが、あの子が行きそうなところは、前に住んでいた、足利の邸があったところしかない」

「ここからはだいぶ遠い。馬で行きましょう」と、男は、乗ってきた馬の背に、直義を押し上げ、すぐに、みずからも鞍を掴み、鐙(あぶみ)に片足をかけて馬上の人になる。

ふたりの乗った馬は、八幡宮の前の横大路を通り過ぎ、六浦路へと向かう。

その後ろを、松明をもった郎党たちが走ってついてきた。火の粉が、夜の闇に激しく舞い散る。

ふたりの乗った馬は、激しい蹄の音を立てながら、青砥橋をわたる。すぐに、足利の、破却された邸跡がみえてきた。

急いで飛び降りるように下馬した二人は、甥の名前を必死に呼びながら、夜の闇の中、そのちいさな姿を求めて捜しまわった。

だが、いっこうにみつからない。

ここではなかったのか、と焦りを隠せない直義の耳に、郎党の声が飛び込んできた。

「青砥橋の下におられました!」

その瞬間、常の直義にも似ず、切迫した足どりで、走るように、直義は、逆方向の青砥橋へ向かっていった。

呼吸を荒げ、肩で息をつき、青砥橋の下に着いた直義の目に飛び込んできたのは、郎党たちのかかげる松明のあかりのもと、小さな体をまるめるように、横になって眠っている甥の姿だった。その手には、手本の紙がにぎりしめられている。

千寿王、無事だったか、と思い、安堵のため息をつく。

気が抜けたように、思わずよろめいた直義を、背中から支えたいとこは、いつものように手回しよく、郎党たちに指示をくだしていった。


おもうに、甥は、足利の邸へ向かおうとしたものの、疲れて、ここで横になって眠ってしまったのだろう。

だが、その、こどもらしくまるい頬には、涙のあとがこびりついていた。

直義は、そんな甥を、慈愛をふくんだまなざしで、しばらくのあいだ、みつめる。

そして、白い手をのばし、千寿王、と、その名を呼び、その頭をしずかに撫でてやり、「どうか、起きておくれ」と、やさしく声をかけた。

その呼びかけで、ぼんやりとしたようすで目を覚ました甥だったが、目の前にいるのが、やさしい叔父だと認識した瞬間、その目から、大きな涙の粒をあふれさせた。

それをみて、戸惑い、千寿王、どうしたのだ。どこか痛いところはないか。けがをしたのか。と、心配そうにふたたび声をかけてきた叔父に、甥は、そのちいさなからだで、「ははうえ、ははうえ」と呼びながら、その胸に飛び込み、懸命に抱きついてきた。


…千寿王。ああ、そうだったのか。


叔父は、甥を、その白い腕に抱きとり、その切りそろえられた髪を、幾度も幾度も、やさしく撫でてやる。


こんなに幼くて、父と別れ、母と引き離され、いくさ場に向かわされたのだ。どんなにか、心細く、さびしかったことだろうに。

はじめから、こうして、ただ、抱きしめてあげればよかったのだ。

あの日の兄に、そうしてやったように。


甥が泣き止み、落ち着くまで、直義は、その胸に、甥を抱き、頭を撫でてやっていた。

しばらくしたあと、叔父の胸から、泣きはらした顔をあげた幼い甥のまろい頬に、やさしいくちづけの雨をおとした。

甥は、叔父からの、その慈愛のこもったくちづけを受け、ああ、ほんとうにしあわせだ、というかのような顔になり、屈託なく、あかるく笑った。

かがやかしくもどこか残酷な、ひとを強烈に引き付ける魅力をもった兄と、顔だちこそよく似てはいるものの、それとはまた違う、ひとのよい、おおどかな(性質がおっとりしており、物事にこせこせしないさま、という意味)、あかるい笑いだった。

この甥は、それでよい、と直義は思う。


叔父は、甥に、やさしくほほ笑む。


「かえろうか。かわいい、かわいい、千寿王。わたしたちの家へ」

ええ、帰りましょう、と、かたわらの男が、穏やかな美声で、直義に声をかけてきた。

「ああ、ともにかえろう。いとこどの」


ーーーーーーーーー


そして、勝長寿院に戻ったあとも、甥は、直義のそばから離れようとはしなかった。

あとは寝るだけだ、部屋までおくろう、という叔父の直垂の袖をつかみ、

「おじうえ。我は、おじうえのそばで寝たいです」

甥は、そのおおきな愛嬌のある目で、いいですか、と、叔父を見上げ、ねだってきた。

この甥は、ほんとうに、自分をよろこばせることばかり言ってくれる、と思いながら、「ではわたしの部屋でいっしょに寝ようか」と、直義は、甥に声をかけた。

とたんに、甥は顔をかがやかせ、はしゃぎながら、叔父に抱きついてくる。叔父は、それをやさしく受けとめてやった。


そのあと、叔父と甥のふたりは、小袖だけを身にまとったかっこうで、同じ衾の中に入る。

直義は、甥をその白い腕の中に抱き、そのちいさな背中を、やさしく、何度も撫でて、寝かしつけてやった。

疲れていたのか、あっという間に、甥の寝息が聞こえてくる。

直義もそれを見ながら、しずかに眠りについた。


だが、その数刻後、直義の意識が、眠りの闇のなかから、すこしずつ浮上していく。

小袖の胸もとが、なにものかによってひろげられていくのを、直義は、夢うつつに感じた。

そのなにものかは、直義の胸もとに、乳を求めるように、頬をすりよせ、あまえてきた。


…兄だろうか。


かわいい、かわいい、兄上。とその耳もとにささやきながら、直義は、なかば無意識に、その頭を、やさしく、白い手で撫でてやった。


…眠りにつくときに、兄に、乳をふくませてやっていなかったのだろうか。


そのなにものかは、直義の胸を、濡れた口で舐めてきた。

やはり兄か、と、どこか遠い意識のなかで思った直義は、兄上、お吸いになりなさい。と、いつものように、その口もとに、乳をふくませ、あやしてやった。


…だが、兄の髪はこんなに短かっただろうか。それに、兄は、いま、みやこにいるはずだ。そして、ここは鎌倉だ。


そこで、直義の意識は目覚めた。

いま、自分の胸を吸っているのはだれなのか、と自分の胸もとをみた直義は、そこに、寝ながらその先を吸ってくる幼い甥の姿をみとめた。


おそらく、乳母の乳房をもとめてきたのだろう。

起こすのもかわいそうだ。しばらく、このまま吸わせてやろう。と、直義は、そのままにさせておいた。

ああ、それにしても、こうしている甥は、兄によく似ている。

みやこにいたとき、いつも、兄は、弟の乳の先を口にふくんで眠っていた。目の前の甥は、その兄と同じ顔で、同じしぐさをしながら、眠っている。

ふたりとも、ほんとうに、いとおしく、かわいい。


叔父は、幼い甥に、やさしくほほ笑む。


また、眠りが襲ってくる。ふたたび、直義は、眠りの闇の中に沈んでいった。


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翌朝、直義は、障子をとおしたあかるい光で目覚めた。

胸もとには、昨夜から変わらない姿で、叔父の胸にしがみつく甥がいた。

叔父はしずかにほほ笑み、良い子だ、と言い、その小さな背中を撫で、あやしてやる。

だが、叔父が身じろぎしたことで、眠りから覚めたのだろう。

甥がその愛嬌のあるおおきな目をあけた。最初はぼんやりとしたまま、口の中のそれに音をたてて吸いついていたが、やっと起きたようだった。

とたんに、いままで、自分がなにをしていたか悟った甥は、口を離し、うろたえ、青ざめた。

さすがに、兄とは異なり、乳母ではなく、男のそれを吸ってはならぬ、というていどの常識はあるようだった。

だが、甥は、そのちいさな手で、必死に、叔父にしがみつき、おおきな目で叔父を見上げ、懇願してきた。

「ごめんなさい。ゆるして。おじうえ、われをきらいにならないで」


そんな幼い甥をみて、直義にしてはめずらしいことだったが、かるく声をあげて笑った。

胸いっぱいに、甥へのいとおしさが満ちる。


「嫌いになるものか。ほんとうに、おまえは兄上にそっくりだ」と言い、直義は、そっと、幼い甥をその白い腕に抱き取った。


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そして、10日ばかりたったある日。

ふたたび、みやこの兄と師直から、急を告げる書状が、鎌倉に届いた。

恒例の定期便とは異なるが、今回は、今日、明日にでも、それが届くはずだ、と直義は予測しており、おどろきはしなかった。

すぐに、そばに仕えている郎党に、「(関東庇番の)二番組副頭をここに呼ぶように」と命じる。

その必要はございません、と、郎党は首をふり、告げる。「すでにそこまでお越しになっておられます」と。


直義は、さすがだ、と思う。

では、あの、年上のいとこには、書状の内容もわかっているのだろう。


政務をいったん終えたあと、上機嫌な甥をひざの上に抱き、あやしながら、碁の石のおきかたを教えてやっていた直義のもとに、年上のいとこがやってきた。

男は、おだやかな微笑を浮かべ、「おお、おふたりとも、仲良くやっておられるようですな」と声をかけ、いつものように、直義の白い手をすくいとって、優雅にくちづける。

直義は、忙しいところ、わざわざきてもらってすまないな、と、男にかえした。


そのとき、突然、甥は、叔父のひざからおりて、いとこのもとに小走りに駆け寄り、飛び上がって抱きついた。

「ねえ、上杉のおじ上。今日はいいお天気だ。我は、海まで行きたいな」

ほう、海に。と、男は穏やかに笑いながら、甥を、その鍛えた片方の腕に、軽々と抱き上げた。

船に乗りたい、と甥ははしゃぎながら、いとこの美しくととのえられたあごひげをひっぱった。

男は、さすがに困ったような顔になった。

「若君、歓迎してくださるのはうれしいのですが、すこし、離れてくださいませんかな。これでは、相州どののお顔もみえないではありませんか」


幼い甥は、ぷくりと、そのこどもらしくまろい頬を、愛らしくふくらませる。

「だって、こうでもしないと、上杉のおじ上に、おじうえを奪(と)られてしまう」

おやおや、という表情になり、男は、どこか興味ぶかけなまなざしで甥をみつめた。

「では、これは若君の作戦ですかな。なかなかよくお考えになられた」


叔父は、そんな甥に、しずかに声をかけた。

「では、こんど、よく晴れた、波のおだやかな日に、千寿王と、わたしと、いとこどのの三人で、六浦港まで行こうか」

ほんとうにですか、と、甥が、顔をかがやかせながら、叔父に確かめてきた。

ああ、ほんとうだ。と答え、叔父は、甥に「これから、わたしといとこどのは、だいじな話があるのだ。しばらく席を外してくれるか」と頼む。


甥はききわけがよく、それ以上ごねることもなかったが、そのかわり、と、叔父に条件をつけてきた。

「つぎに三人で、海に行くときは、おじうえは、はじめて会ったときのお衣装になってください」と。

それはよろしいですな、と、男も嬉しそうに言ってきた。

上杉のおじ上もそう思われるだろう!、と甥は言い、叔父に、うっとりとした顔で告げた。


「あのお姿のおじうえは、とても、おきれいだった」


その甥のうっとりした顔をみて、直義は、あのかわいい兄に、ほんとうによく似ている、と思う。

兄とおなじほどに、めぐし愛(うつく)しい、兄の息子。

(めぐしうつくし。切ないほどかわいくいとおしい、という意味)


だが、おきれいだ、という甥の褒め言葉は、うれしくもあるが、すこし、面映ゆくも感じる。(おもはゆい。恥ずかしい、きまりがわるい、てれくさい、という意味)

この甥は、昔からずっと、兄がそうだったように、将来、あまたのおなごを泣かせるかもしれぬ、と思い、さすがに、内心、苦笑を禁じえなかった。


おじうえ、よいでしょう、と、ふたたび、甥はねだってきた。

おまえがそう言うなら、と、叔父は、甥に、やさしくほほ笑む。

とたんに、甥は、ぱっと顔をかがやせた。


そして、約束ですよ、約束しましたからね、と、叔父に念をおしながら、甥は、自分の部屋に戻っていった。


甥が立ち去るのを見送ったあと、直義は、待たせたな、と、いとこに向き直った。


「すでに知っていようが、みやこの兄と、執事(高 師直のこと)から、急ぎの知らせがきた」

なにかは、わかっていよう、と、直義は、年上のいとこを、しずかにみつめた。

「毎年の、恒例の、春の除目(人事異動)ですかな。今年は、11日から3日間にわたって行われたはず」

それもある、と直義は答え、除目について、くわしくはこれに書いてあるが、と言い、1通の書状を、広げた状態で手渡した。

「まず、親王将軍(成良親王)は、四品(しほん。親王の位階の第4位のこと。なお、護良親王は二品である)に叙せられ、上野太守に任ぜられることになった」


(上野国は親王任国であるため、長官は、必ず親王が任命される。実務上の最高位は、次官の介(すけ)となる)


ほう、それは。と、男は、その意味するところがわかったようだった。

「親王将軍は、上野介(当時の新田義貞の官職)どのの、形の上での上司となりますな。みかどは、足利に対抗させるために、新田を育てるおつもりでしょうが、こちらにも飴を与える、ということでしょうか」


だが、今年、8歳になる親王将軍に、新田義貞の上司としての働きなど期待できるはずもない。

たしかに、親王が、上司として動くことはいちおう可能だが、それをさせてしまうと、足利の影響が明らかになりすぎ、下手をすれば、新田一族とことをかまえることになってしまう。

せっかく、穏便に、鎌倉を引き渡させたのだ。それだけは避けたい。


いとこは首をふった。

「あまりに、微妙すぎますな」

このていどでは飴にもならぬのではありませんかな、と、男は、優雅だがつめたい微笑を浮かべた。

それにたいして、直義は、ほんとうの飴がこちらだ。と、言い、書状のその部分を白い指で指ししめす。

男はそれを読み、こんどは、めずらしく、わずかに、おどろいたようだった。

「13日付けで、相州どのが、正式に、親王将軍の執権に補任されたのですか。これは、これは」

予想していたより早すぎる。みかどがお認めになるとはおもわなかった、というような声だった。

そうだ、と直義はうなずく。

「いままで、わたしは、親王将軍の執権を自称してきたが、これで、正式にみとめられることになった」

現状の追認という形ではあるが、これで、これから、だいぶやりやすくなるのはたしかだった。弟が動きやすいように、兄が、朝廷にたいして、かなりの恫喝(どうかつ。何らかの目的のためにおどして恐れさせること)をしてくれたのだろう、と思う。

「上野国を、いったん、新田一族に渡してしまうことにはなりますが、かわりに、みかどから、武家の府、鎌倉での足利の支配を、これで正式にお認めいただいた。悪いことではありませんな」

みかどが、本心から望まれたわけではないだろうが、な。と、直義はかえした。


この人事の裏には、隠岐の島まで、みかどと流刑の苦労をともにした、女の影がちらついている。

かの寵妃は、隠岐にまでみかどにつき従ったことにより、その信任を獲得し、大きな発言力をもつに至っていたが、身分は中宮でも皇后でもない。ほんとうは、なれるものなら、なりたかったはずだった。

そして、昨年の10月、前中宮(西園寺嬉子のこと)が崩御したが、その2か月後、みかどはそのあとがまに、敵対していた持明院統の22歳の皇女(後伏見院の長女で光厳院の同母姉の珣子内親王のこと)を新中宮の座に据え、後宮にいれられた。

かわりに、寵妃は、わが子を次の帝にし、その母后になる実質上の果実をえらんだ。それにもっともめざわりなのは、わが子たちの敵となる、いまだに、全国の官軍に号令しうる実力をもつ、護良親王だった。

その親王をおさえることができるのは、足利のもつ軍事力しかない。

わが子が即位しても、軍事力がなければ、いつ、皇位を追われるかわからないからだ。それを、みかどをとおして、あの女はみてきた。

ゆえに、なんとしても、足利をみずからの陣営にひきとめておきたいはずだった。それを見越して、兄が、女からみかどへ、この人事をはたらきかけさせたのだろう。


そして、みかどの寵妃は、昨年の時点で、皇太子となるはずのひとりだけを手元に残し、あとの5歳と7歳のふたりを、東北と東国とに、形の上だけにせよ、軍事司令官(宮将軍)として派遣したのだ。

このふたりでなくても、みかどには、年長の皇子は、護良親王を含め、ほかに5人もおられる。

だが、あえて、僻遠の地に、年端もいかないこどもを送り出す女の、その執念には、とうてい、わたしは遠く及ばぬ、と、直義は思う。

あの女は、朝廷での軍事的支配権を、どのようにしてでも、護良親王から、自分の息子たちの手に奪い取りたいのだ。


そして、兄は、それをみている。

女の執念を、最大限に利用しつくし、共通の敵を屠り、巨大な利益を得るべく、牙を研ぎ、まちかまえている。


兄の野心を扶(たす)けるために、わたしは、わたしにできることをするしかない。と、内心でため息をついた直義は、もうひとつ。と、付け加える。

今宵、ここで宴を催すので、二番組筆頭(岩松経家)を呼ぶように。と。

いとこは、いつものように、手回しよく告げた。

「では、飛騨守護(岩松経家の当時の官職)には、上杉の、とびきりうつくしいおなごを用意しておきます。かかり(費用)の金銀も、すでにご用意しております」

それは、助かる。頼む、と直義は言い、続ける。

「わたしも、もてる財のすべてを吐き出しつくす。これも、鎌倉のためだ」


そして、直義は、いとこのひろい胸に、半身をもたれさせ、白い頬をすりよせる。男が狩衣に薫きこめさせた沈香のかおりが、直義をつつんだ。

「これで、わたしは、一文無しだ」と、冗談まじりに、ちいさく笑った。

男は、直義の肩におおきな手をまわし、力づけるように抱き寄せた。そして、いたずらな童子のような声で、耳もとにささやく。

「では、一文無しになったあなたを、上杉に、いや、わたしのもとにお迎えしましょう」

ふふ、と直義は笑った。

「であれば、千寿王を連れて、いとこどののもとに転がりこんで、養ってもらおうか」

子持ちで迷惑をかけるな、という直義に、男は、直義の白い手をすくいとり、優雅にくちづけた。


「そうなれば、楽しみですな。相州どのと若君に、不自由はおさせしませぬ」


ーーーーーーーーーー


その夜、関東庇番の二番組筆頭は、勝長寿院を訪れた。いつものことだが、戦で略奪した女たちを引き連れていた。

直義は、そんな二番組筆頭の杯に酒を注いでやり、告げた。

「おまえに、鎌倉将軍府での、これ以上の地位は与えぬ」と。


二番組筆頭は、関東における、足利と新田との共同作戦を成功に導いた功により、昨年の7月19日に、飛騨守護となっていた。

それは、兄の推薦をうけたためでもあるが、同族の新田義貞や、兄の武蔵守任官よりも早かった。

また、11か所もの所領(うち7か所は、北条泰家(時行の叔父)の旧領)を得ていた。すべてが北条氏の旧領であったから、いずれもゆたかで実入りがおおく、かつ、軍事上の要地であった。

それに加えて、直義が与えた、関東庇番(訴訟の審理や執権の親衛軍の機能をもつ)の二番組筆頭の地位。

それで満足せよ、と告げた。

足利党のものを、これ以上の重職につけては、それに属していない、ほかの坂東武士たちからの反感がますます高まるだろう。

また、討幕戦により、旧幕府が保管していたすべての文書類が灰になってしまったため、鎌倉将軍府に、官僚たちを多く採用せざるをえない。

ゆえに、新政府や、その恩恵を最大限にうけている足利にたいする反発がすでにかなり広がってしまっている。


「そのかわり、心置きなく暴れられるいくさばを、用意してやろう。責任は、わたしがとる」


その機会は、まもなくくるはずだ。北条の残党の、御内人であった本間氏と渋谷氏が蠢動しつつある、という報告をすでに密偵からうけている。

足利への反感をおさえるためにも、反乱を鎮圧し、執権とその部下たちの実力を、関東一円の武士にみせつける必要があった。

そのためには、目の前の男の武が必要なのだ。陣中におなごがいなければ仕事はせぬ、と公言する、直義には理解しがたいほどの女好きではあったが、その強さはみとめていた。


そして、この男が求めているのは、その長所を発揮できる場と、機会。

それをととのえるために力をつくすのが、上の立場にあるものの義務だ。


褐色の肌をした筋骨たくましい男は、まだ顔にあどけなさののこる、たいそう若い女をその胸に抱き寄せた。

承知、と言い、上司の信頼にこたえるように、にやり、と笑う。


本題は、これからだった。


いままでのような自称ではなく、正式な執権としてはじめての命令を、直義は、目の前の部下にくだす。

「飛騨守護として、飛騨国の工匠たちに、根こそぎ動員命令をくだし、鎌倉の復興のために提供するように」と。


(飛騨国は特殊な国。主な納税手段は、年貢ではなく、工匠の技術の提供である。一つの里につき1組10人のチームを組み、うち8人は工匠。あとの2人は耕作をし、仲間の食糧を生産する体制をもつ。なお、飛騨の工匠は、いくさの際には工兵としても活躍した)


戦乱の世がおさまったばかりだ。飛騨の工匠たちは、すでにあちこちから声がかかっているのだろう。

また、みかどが、正月に大内裏造営の議をおこされたため、百年ぶりの大きな仕事が控えるはずだ、と思われた。

そんなときに、鎌倉にすべての工匠を振り向けるのは、と、部下は、一瞬迷う目をみせた。

だが、直義としては、飛騨の匠の本格的な奪い合いになるまえに、かれらを、足利のもとに組み入れたい。兄も、それを望むはずだ。


それを見計らったかのように、よろしいでしょうか、と、直義に声がかかった。

入るがよい、と、直義は、襖の向こうに声をかける。

襖が開いた。年上のいとこが、優雅にして飄然とした姿をあらわす。

そのうしろには、上杉の近習たちが、絹織物や銅銭、銀粒や砂金の袋が積まれた三方を、捧げ持って控えていた。

いとこの目くばせで、みやこふうのしつけのいきとどいた近習たちが、多くの三方を、飛騨守護の前に並べていった。


部下は、その目に、ゆらぎの色を一瞬みせる。

それをすばやくみてとったいとこは、大きな手をあげ、指を鳴らした。

開いたままの襖のあいだから、妖艶な上杉の美女たちが入ってきた。飛騨守護の前に並び、手指を揃え、しとやかに頭をさげる。

たちまち、飛騨守護の顔は、みていられないほどに脂下(やにさ)がる。

おなご好きの部下は、上司には見向きもせず、いままで腕にだいていた、まだごく若いおなごを、もはや用はない、とばかりに放り出した。

そして、美女たちの先頭にいた、尼削ぎの切り髪の、後家の姿をした公家のおなごに手をのばす。

部下の、褐色の肌をした男らしい手が、美女の張りのあるゆたかな胸を、着物のうえから揉みしだく。

後家の美女は、まあ、いけないおかた。と、妖艶にほほ笑み、飛騨守護の筋骨たくましい胸にしなだれかかった。

ほかの美女たちも、たおやかな手を、部下のからだのあちこちに這わせる。いくつもの白魚のような手が、部下の下半身にのびていき、それをたくみな技であやす。


よいか、と直義は、部下に、声をかけた。

その瞬間、話は、まとまった。


部下とおなごたちの情熱的なひとときを邪魔してはならぬ、と、しずかに立ち上がった直義に、後家の美女が、おまかせくださいませ、というかのように、目を細め、かすかに微笑する。

あとはたのむ、と、昔なじみの美女にちいさくうなずいた直義は、「では、われらは去ろう」と言い、年上のいとことともに、その場を立ち去った。

襖のむこうから、美女たちとたわむれる部下の上機嫌な声が響く。


…さて、蜘蛛の巣にかかった蝶は、どちらだったのか。


自室に戻った直義は、男に、「上杉の八百比丘尼(やおびくに。人魚の肉を食べたことで、不老のまま800歳の長寿を獲得した尼のこと)たちを遣わしてくれて、ありがたい」と、礼を言う。

男は、片方の眉を跳ね上げ、いたずらな童子のような顔になり、くつくつ、と喉を鳴らした。

「飛騨守護は、あのおなごたちの、齢(よわい)を知らぬほうが、しあわせかもしれませんな」

それは言わぬが花だ、いとこどの。と、ちいさく微笑した直義は、男のひろい胸に、もたれかかった。

「…飛騨守護は、さまざまなおなごを受け入れる度量のある男だ。たとえ、あいてが、全員、古希(70歳)をこえていようと、否(いな)やはいうまいよ」

そうかもしれませんな、と苦笑した男は、抱き寄せた直義の白い手を優雅にすくいとり、大きな手でもてあそぶ。

そして、そのさくら色の爪を口に含み、かじり、音をたてて吸い上げた。


いたずらを仕掛けてくる男の、なすがままにされる直義は、男に、しずかにほほ笑む。

「だいいち、おなごの齢をばらすなど、無粋のきわみというものではないか」


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みかどは、1月23日、10歳の恒良親王を、皇太子とされた。

それは、次のみかどのふたりの同母弟を、それぞれ、鎌倉と奥州に置くことで、形の上でにせよ、みかどとその寵愛あつき女が、ともに、日の本すべてを統治するというもくろみであった。だが、この配置が、女の産んだ三人の皇子たちの、それぞれの、その後の運命をきめてしまうことになる。

そして、立太子から1週間たった1334年1月29日、年号が『建武』に改まった。


―――――この日より、『建武の新政』がはじまる。


おわり。

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