1333年4月~5月 六波羅救援のため上洛

1333年4月~5月 六波羅救援のため上洛


TSHパロ ※ほぼR18。尊直? ※エイプリルフールネタあり

主要人物:直義(未婚)・尊氏(既婚)

~1333年4月~5月 六波羅救援のため上洛~


1333年3月20日すぎに、六波羅探題救援のため、ふたたび上洛するよう、幕府首脳部から、兄に命令がくだった。

だが、こんどの兄の反応は、あきれるほど遅かった。

ぐずぐずと準備を理由に引き延ばし、足利一門のほぼすべてを率い、やっと、鎌倉を弟とともに出立したのが、3月27日だった。

4日たっても、足利の軍は、遅々として進まず、やっと、箱根の山をのぼろうとするあたりだった。

速戦速攻の兄にしては、きわめてめずらしい。

兄上にはお考えあってのことだ、と、直義はその点については、心配はしていなかった。


むろん、兄が幕府に叛乱をおこすつもりであることは、すでに聞いている。

そして、兄の目的は、さきの後醍醐のみかどに忠誠を誓って、すこしばかりの利を獲ようというていどのところにはない。

いま、北条氏一門以外で足利家ほどに優遇されている家はないが、それだけに、次に潰されるのは、足利ということは目に見えていた。

であれば、時機をうかがって、先制攻撃をしかける必要がある。

ただし、これはあまりにも危険な賭けだった。

賭けの代償は、ひとつやふたつの国を支配下におさめるていどでよいわけがない。報酬は、北条氏にとってかわって、権力を獲ることだ。

そして、当然のこととして、それを要求できる名声と地位を、すでに、この兄はもっていた。

だが、この軍旅にでてからの兄は、弟とともにひさびさに一日中ずっとおれるとあってか、きわめて上機嫌だった。

梅の花をみては、一句ひねり、早咲きの桜をみてははしゃぎ、弟とともに箱根の出で湯(温泉)につかり、と、今の兄を見れば、物見遊山の旅と変わらぬ。

これが、北条氏にとってかわろうとする男の姿だろうか。


兄がそういう野心をもっていても、弟は、むろん、兄についていくだけであるが、ただ、心配なことがあった。

9年前から、兄は、いっこうに、弟から、乳離れしようとせぬ。もちろん、文字通りの意味だ。

そろそろ、乳離れをさせねば、と弟は考えた。

郎党の妻女の話を小耳にはさんだところ、赤子を乳離れさせるためには、乳の先に辛子(からし)を塗ったりして、衝撃を与えるのがよいらしい。

だが、陣中に辛子(からし)などあるわけがない。そして、食べ物を、みずからの乳先に塗って、赤子でもない兄に舐めさせてやるなど、弟にはできるはずもなかった。

そもそも、食べ物を、玩具のように扱うなど、生真面目な弟には考えもつかないことだった。

どうしたものか、と思う。


軍議が終わったあと、仮の宿舎にしている寺の一室で、弟は、兄上、お疲れでしょう、と、ささやきながら、いつものように、兄の頭をひざにのせ、やさしく撫でてやっていた。

兄は、兄を癒そうとしてくれる弟の手にうっとりとした顔になった。

そんな兄の顔をみて、このやりかたは、気が進まないが、兄のためだ。しかたない、と、心中で、弟は、ため息をつく。

幸いにも、本日は4月1日である。この日は、嘘をついてもとがめられない日とのことだった。

上機嫌な兄は、我はべつに疲れてはおらぬが。と言い、笑いながら、弟の白い頬に大きな手をのばした。

「おまえと、日がな一日、ともにおれるのだ。このいくさが、ずっと続けばよいとおもうくらいだ」

兄上は、とんでもないご冗談を仰せになる。と、弟は、しずかにほほ笑む。


そして、弟は、「この寺の湯屋(斎戒沐浴と休憩を兼ねた寺院の建物のこと)は、出で湯とのことです。明日も早い。そろそろ、お行きなさいませ」と、兄を促す。

おまえも、ともに入らぬか、と言い、兄は、身をおこした。

それにたいして、わたしは、兄上がおあがりになられたあとで、湯をつかいます。と、弟はことわる。

「そんなことをいわずに、な、直義」と言いながら、兄は、弟の着物に大きな手をかけ、そのあわせをひろげようとしてくる。

弟は、そんな兄をしずかにみつめ、問うた。「兄上、直義を、お吸いになりたいのですか」と。

先日、兄と、出で湯をともにしたとき、なしくずしに、結局は、兄におしきられ、胸を吸われてしまったからだ。今回も、兄が、そうしてくるだろうことは、目に見えていた。

兄は、一瞬、きまりわるげな顔になった。

やはり、とおもった弟は、白い手で、そんな兄のするどい頬を、何度も、しずかに撫ぜてやる。

それを肯定ととったのか、兄は、おおきなこどものように目をかがやかせ、「この乳を吸ってもよいか、直義」とねだってきた。

弟は、ほだされそうになる心を引き締め、意を決して、とうとう、兄に言った。

「直義は、兄上に、もはや、乳を吸わせてはやれませぬ」

とたんに、兄の顔色がかわった。一瞬、気の毒に思ったが、心を鬼にして、弟は続ける。

「兄上のほかに、兄上よりももっと、この乳を吸わせてやりたいものができました」

兄は、嘘だろう、と言い、泣きそうな顔になった。それをみて、弟の心がいたみ、ゆらぐが、それでもきっぱりと、兄に告げた。

「まことです」

ほんとうなのだな、と、兄は、一転、真面目な顔つきになった。はい、と弟はうなずく。

そうか、と言った兄のたくましく大きな体躯が、突然、弟におおいかぶさってきた。そして、兄は、押し黙ったまま、弟の帯をときだした。

兄上、何をなされるのです、という弟にもかまわず、兄はそのまま、強い力で、一枚ずつ、弟の着物をはぎとっていった。

弟は、もとより、兄に抵抗するつもりもなく、されるがままだったが、いつもとちがう様子の兄に、どうされたのだろう、と、さすがに心配になってきた。

そして、兄は、さいごの一枚だけになった弟の胸もとをひろげ、そこに顔をうめてきた。


結局、兄は、いつものように吸うのか。やはり、嘘を言ったところで、効果はあるはずもないか。と、弟は思った。

だが、そのとき、弟は、困惑した。胸もとに、兄の涙がおちてきたからだ。

泣くほど、兄は、この乳を吸いたいのだろうか。

弟は、「兄上、顔をおあげください」と言い、胸もとから、兄の顔をあげさせた。

それをみた弟は、おもわず、息をのむ。兄が、声を出さずに、緑の目から涙をこぼしていたからだ。

弟の胸がはげしくいたんだ。悪いことを言ってしまった、と思った。兄の涙をみた瞬間、あれほどの決意は、どこかに飛んでいってしまった。

捨てられたこどものように泣くほどに、兄は、この乳から、離れたくないのだ。

「うそです。うそです」と、弟は、目の前の兄のおおきな体にとびつき、その頭を、白い胸にかき抱く。

「ほかに吸わせてやりたいものなど、直義には、おりませぬ。この乳は、兄上のものです」


それでも、ただ、静かに涙をこぼし続ける兄に、弟の胸が、ますます、いたんだ。兄のためとはいえ、嘘など言わねばよかった、と、心底、後悔した。

「かわいそうなことをしてしまいました」

弟は、兄の涙を、袖でやさしくぬぐってやる。

「兄上、申し訳ありませぬ」と謝罪し、兄のするどい頬を、白い手でつつみこんでやり、「直義がいけませんでした」とその顔じゅうに、なぐさめのくちづけの雨を降らせた。

兄は、もっと、もっと、というように、おおきなたくましい体をすりよせてきた。

いまでも、兄弟の上半身は、隙間なくといっていいほどに密着しているのに。あとは、下半身くらいしかないのではないか。と、弟は、困惑した。


それでも、この、悲しませてしまった兄を、もっと、もっと、つつみこみ、かぎりなく、あまやかしてさしあげたい。

そう思った弟に、逡巡する気持ちはまったくわかなかった。ゆるやかに凪いだ海のような心になった。

兄上、すこしだけ離れてください。と言い、姿勢をかえ、座りなおした弟は、その白い脚を、兄のまえで、しずかにひらいた。単衣の裾が割れ、白い腿の内側もみえるほどだった。

慈愛にみちたまなざしで、兄をみつめ、「兄上、ここに、おいでなさい」と、弟は、その白い両腕を兄にむかってひろげた。

その一瞬後に、弟のひろげられた白い脚のあいだにたくましい腰を割り入れてきた兄は、その胸もとにむしゃぶりついてきた。


弟は、兄に、やさしくほほ笑む。


兄の頭を何度も撫ぜては、そのするどい頬に、慈愛のこもったくちづけをおとし、あやしてやる。

弟の胸に抱かれた兄は、単衣のあわせをさらにひろげた。弟の白い肩がむきだしになり、ずりおちた単衣が、ほそい腰にわだかまった。

「いまだけは、たくさん、たくさん、お吸いになりなさい」

弟は、兄の腰を白い腿ではさみ、そのたくましく大きな背中を何度も撫でてやった。

だが、兄は、それでもなお、もっと、欲しいのだ、というかのように、その額を弟の肩にこすりつけては、体をすりよせてくる。

「まだたりないのですか、しかたない兄上です」と、乳の先を吸ってくる兄の頭を撫ぜた弟は、しずかにほほ笑む。

かわいい、かわいい、兄上。とその耳もとにささやきながら、脚をさらにおおきくひらき、兄のたくましい腰にまきつけるように、白い両脚を兄の背中で差し交え、兄をやさしく引き寄せ、つつみこんだ。(さしかう。互いに差し伸べて交差させる、という意味)


やっと、心から安堵したのか、兄は「ああ、直義、直義、直義」と、くりかえし、くりかえし、弟の名を呼んでは、その白い頬から首筋にかけて、何度も顔をすりよせ、くちづけ、ただひたすらに吸いあげては、弟にあまえてきた。

上も下も隙間なく、兄にぴったりと密着してやった弟は、赤子を抱く母のごとく、兄をその胸にかき抱き、白いのどをのけぞらせた。


兄をその白い脚のあいだに迎え入れた弟は、兄が満足するまで、たっぷりと、心ゆくまで、乳を吸わせて、兄をあまやかしてやった。

そのあと、「落ち着かれましたか、兄上」と、そのするどい頬を撫ぜながら、兄がとびつくであろう提案をしてやった。

「兄上とともに、直義も、出で湯にまいります。いっしょに、湯につかりましょう」

兄は、さきほどまで涙をこぼしていたことも忘れたように、一転して、上機嫌になった。

とたんに、うきうきとしたようすになり、弟をそのたくましい腕に抱き上げ、立ち上がる。

さきほどまで、捨てられた犬のように泣いていた兄が、はや、上機嫌に笑っている。くるくると様子が変わるが、ほんとうに、かわいい兄だ、と、弟は思った。


弟を腕に抱いたまま、湯屋にむかう兄に、「おろしてください、兄上。一人で歩けます」と、弟は、控えめながらも、幾度も、兄に抗議する。

だが、よいではないか、と、上機嫌な兄に、おしきられてしまった。さきほど、兄を泣かせてしまったこともあり、それ以上、強くは言い出しかねた。

そして、湯屋のなかに入っても、兄に抱きかかえられたまま、弟は、出で湯につかることになってしまった。(当時は、着衣のまま入浴する)

湯屋は、出で湯からの湯気で、むっとした空気がたちこめていた。

どちらかといえば、ぬるめの湯が好きな弟は、これではのぼせてしまいそうだ、と思う。だが、熱い湯が好きな兄は、たいそう、気に入ったようだった。しかたない、と、弟は、兄に付き合うことにした。

白く濁った湯のなか、胡坐(あぐら)の兄は、弟をそのたくましいひざの上に、横抱きにして座らせた。

兄弟は、出で湯の、ぬめってなめらかな泉質の湯を手にすくいとり、お互いにかけてやりながら、しばらくのあいだ、楽しんだ。

そのとき、どうして、おまえは我にうそをいったのだ、と、兄は、ふしぎそうな顔をして、弟に尋ねてきた。だが、弟が嘘を言ったことにたいして、とくに怒っているわけではないようだった。

そもそも、この兄が、弟に対して怒ることは、幼いときから、まったくといっていいほどにない。兄をやさしく叱るのは、いつも、弟の役目だった。


兄のおおきな手が、湯をすくいとっては、単衣の上から、弟の白い肩にかけ、安心させるように、撫でさすってくる。

ひどいことをしてしまったわたしを、兄上は、許してくださるのだ、と思った弟は、兄に、正直に答えることにした。

「郎党の妻女たちが、胸に、辛子を塗って、赤子に乳をやるのをやめさせる話をしていたのを、聞いてしまったのです」

おのれが、辛子を塗った弟の乳を吸う事態を想像したのか、感情の起伏の大きい兄にしては、めずらしく、なんともいえない微妙な顔をしていたが、弟に先を促した。

「兄上が、いつまでも、直義の乳をお吸いになっていたのでは、いつしか世に知れ、兄上の、大将軍としての威厳に疵(きず)がついてしまいましょう。そうなってしまうまえに、と思ったのです」

なにをいう、と、兄は、上機嫌に笑いながら、「おまえがそのようなことを気にすることはないのだ」と、腕のなかの弟に顔をすりよせ、その胸におおきな手を這わせてきた。

「おまえのこれを吸うよろこびにくらべたら、我の威厳など、なにほどのことがあろう」

そのようなことを申されましても、と、弟は、兄のおおきなたくましい胸に、そっと、白い頬をすりよせ、本音をもらした。

「直義は、直義のせいで、兄上が、まわりから、嘲笑(わら)われるのは、いやなのです」

うすいくちびるを噛みしめ、ほそい眉をよせた弟は、「直義は、兄上に、恥をおかかせしたくないのです」と、ちいさな声でもらし、兄のおおきな腕の中でうつむき、白い顔を両手でおおってしまった。

「ああ、直義!」

兄は、弟の白い両手をその顔からはずさせ、その頬にいくどもはげしくくちづけては、舐めまわす。

「ほんとうに、なんと、健気で、かわいらしいことを言うのだ!」

兄のおおげさな反応に戸惑うしかない弟の白い両頬を、兄は、おおきな手でつつみこみ、そのちいさな顔を上向けさせた。

「おまえは、我を殺す気か」

兄のそのことばに驚いたのか、おもわず目をみはり、ちいさく首をふる弟に、兄は、「案ずるな。おまえはなにも心配することはないのだ」と語りかける。

そして、力強く、弟に宣言する。

「そのようなつまらぬことを言わせぬほど、我が、さらなる高みにのぼり、力を獲(え)ればよいだけだ」

兄は、弟の白い首筋に、大きな厚めのくちびるを這わせた。それが、どんどん下へおりていった。

そんな兄の目に入ったのは、濡れた単衣が、ぴったりと、弟の白い肌にはりつくようすだった。その白い肌は、湯で上気し、赤くなっていた。そして、兄が愛してやまない、うすい紅色をした胸粒が可憐にたちあがり、濡れた白い単衣を、押し上げている。

もはや我慢できぬ!と、強烈な衝動にかられた兄は、湯のなかで、弟の腰をかかえ上げ、白い脚を大きくおしひらき、たくましい腰を割り入れる。

兄に雄の欲望を向けられているとは思いもよらない弟は、困惑した。

兄は、濡れた単衣の上から、弟の立ち上がった乳の先を、夢中で、強く吸いたてる。


兄は、思う。

泣き落としは、この弟にはたいへん効果がある、と。

そうそう、何度も使えない手ではあるが、乳は兄上のものです。と弟に言わせることができた。

また、機があればそれを逃さず、この手をつかい、兄の目の前で、弟に、みずから、その白い指で、蜂蜜を、その乳の先に塗らせたい。

弟は恥ずかしがるだろうが、必ず、塗らせてみせる。

そのあと、蜜がしたたりおちる弟のそれを吸い、味わいつくしたいものだ。吸ってやった弟の反応も、楽しみたい。

そのあとは、むろん、弟の白い体のすみずみまで、舐めまわしてやろう。


―――――乳離れする気などまったくない兄であった。


単衣の上から吸われる、いつもとは違う感触に、弟は、ますます、戸惑った。

兄はまだたりないのだろうか、と思う。

だが、さきほど、たくさんお吸いになりなさい、と許したてまえ、兄を拒み、悲しませてしまうことは言えなかった。

胸を吸う兄の頭を、弟は、何度もしずかに撫ぜ、慈愛のくちづけをあたえ、その顔におちかかる濡れた長い髪を、白い指で、そっと、耳にかけてやった。

吸いついてくる兄の動きにあわせて、ちゃぷちゃぷ、と、乳白色の湯が揺れる。

湯が顔にかかることを避けるため、弟は、兄が吸いやすいように白い胸をつきだし、そのたくましい首に両腕をまわし、兄の太い腰に白い脚をさしかえ、兄にすがりついた。

とうとう、弟は、兄を、乳離れさせることをあきらめた。

なにより、この、かわいい兄を悲しませたくない。

…ああ、だが、のぼせそうだ、と思い、弟の意識は、闇に溶けた。


意識を失った弟の腕からは力が抜け、いまはかろうじて、片手が兄の首にひっかかっているだけだった。

美味そうな獲物が、じつに無防備な姿をさらしている。

せっかくなのだ。獲物を、この機会に、たっぷり味わおう。と、いくさをふくめ、何事においても、即断即決の兄は、すぐに決めた。

兄のものは、すでに興奮している。

兄は、弟の腕をおろさせ、その単衣の腰ひもをほどいた。単衣の袖が、弟の白い腕にまつわりつき、天女の羽衣のように湯に浮く。

出で湯の縁(ふち)に、弟の肩をのせる。

これを幸いと、弟の白い両脚をもちあげ、たくましい肩にかつぎあげるようにして、さきほどよりもよりおおきくひらかせた。

すべてを無防備に、弟は、兄の目にさらしてしまった。

その白い脚のあいだに顔をうめた兄は、無自覚に、兄をあおりたててくる弟の白い腿の内側、その奥深くに何度もつよく吸いつき、いくつも、いくつも、所有の痕をのこした。

いつかは月に去っていく天女をひきとめる、おろかな男のように。


…ああ、この弟は、我の、我だけのものだ。だれにも、何者であっても、わたさぬ。わたすものか!


白い乳白色の湯の中で、兄は、意識のない弟の白い両脚をとじさせた。

その内腿にむけて、兄は、たくましい腰を突きいれる。

湯でぬめってなめらかな感触を堪能しながら、ことさらに、奥の割れ目に押しつけ、引いては、つよく突きあげた。

その兄の激しい動きにあわせ、乳白色の湯が、さらに激しく揺れた。

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兄は、意識のない弟の内腿を数度つかい、ひとまず満足をえた。

意識はもどったが、まだ夢うつつの弟を胸にだきこみ、その白い手をおおきな口もとにもっていき、上機嫌に、その白い指を舐めしゃぶった。

はじめから、兄は、弟の嘘がわかっていた。

ひとつは、とくにいくさでは外れることのない兄の勘がそう告げていた。

だが、もうひとつ。

このやさしい弟が気にかけるものはじつに多いが、そのなかでもとりわけ、情愛をかたむけているふたりがいる。

だが、そのふたりは、いまはすでに遠い鎌倉にいるからだ。


ひとりは、おのれの血を直接ひく、あれ。

いまは人質として、妻とともに、鎌倉にいる。裏切れば、殺される運命であった。

数えるほどしか、あれに会ったことがないにかかわらず、弟は、千寿王はいまどうしているのですか、元気ですか、と、いつも兄に尋ねる。

これも、それもあげたい、と言い、肌触りのよく丈夫で軽い、貴重で高価な綿布を、唐(から)の国から多くとりよせては、「兄上からわたしてやってください」と差し出してくる。兄の妻に嫌われていることはわかっているのか、兄を介して、甥に渡してほしい、といつも頼んでくるのだ。

受け取る兄は、内心では、おもしろくなかったが。やさしい弟が愛を注ぐのは、我だけでよいのだ!

(綿が、国内で一般に普及するのは江戸時代である。それまで、富裕層以外は、麻布を利用した)

だが、足利の嫡男としての価値が、あれにはある。こちらが動かずとも、執権(赤橋守時のこと)が、おのれの命とひきかえにしてでも、妹と、妹が産んだあれを逃がすだろう。妻の兄は、名ばかりの執権ではあるが、それでも、その地位にみあう能力はある優秀な男だ。しくじりはすまい。

そもそも、鎌倉の守りがかたいということは、逆にいえば、逃げることもほぼ不可能だ。その鎌倉から、足弱の身分の高い女と子供が逃げ出すなど、内部の権力者の手引きがなければ、できるはずもない。

そのあとの、あれの使い道についても、兄は、すでに決めていた。


いまひとり。われら兄弟を産んだ女の、甥。

これから情勢がどう動くかは、兄でも、まだすべてよみきれぬが、悪いほうにころがれば、一門衆のひとりとして、前線に立つだろう。

いまの少人数では、幕府軍とはまったく勝負にならぬ。

そうなれば弟はひどく嘆き悲しむだろうが、我がなぐさめてやればよいことだ。


兄は、弟にはけしてみせることのない、酷薄な笑みを浮かべた。その緑の瞳は、残酷にかがやいた。

ーーーーーーーーーー

箱根の山を越えた足利の軍は、10日近くかけてゆるゆると進み、やっと、所領のある三河国に着く。

その兄のもとに、各地からの伝令がぞくぞくと入ってきた。


四国の伊予で敗れてから、とみに衰え、武器にも不足するありさまの長門探題が、3月24日、ついに、おのれと部下の妻子たちを、鎮西探題府がある博多に避難させた。

山陰地方は、名和長年の軍によって席巻されつつある。楠木正成がたてこもる金剛山は難攻不落であり、幕府の大軍を引き付けている。比叡山も、寝返る可能性が高い。

2月24日、さきの後醍醐のみかどは隠岐を脱出されたあと、4日間も、荒波の日本海を小舟でさまよわれた。そして、いまおわすのは伯耆国(鳥取県)の船上山。

そこからの征東軍が、錦の旗をかがけ、みやこをめざし、日本海の海岸沿いに動いており、その進路にあたる足利の所領の宮津、漢部(京都府綾部市)に迫ってきている。


所領の代官たちは、征東軍に抵抗するかしないかの指示をくだしてくれ、と、相次いで、兄の判断をあおいできた。

兄は、決断した。兄弟の母の実家の上杉を通じて、さきの後醍醐のみかどに、綸旨(りんじ。天皇の命令書のこと)を乞うことを。上杉は、下級とはいえ公家であり、朝廷にもつながりがあるためだ。

それは、名和軍にたいする事実上の無抵抗宣言だった。名和軍は、広大な足利の所領を進む。むろん、足利の所領への略奪はない。


4月16日、兄が率いる足利の軍は、鎌倉を出立後、ひと月ちかくかけて、六波羅探題救援の名目で、やっと、みやこに入った。(日付は『太平記』より)

このとき、持明院統の院やみかど(後伏見院・その弟の花園院・後伏見院の子の光厳天皇)は、戦火を避けて、六波羅に避難しておられた。

その治天の君(後伏見院)の御前に、うしろに弟を従えた兄が、人好きのする笑顔の面をはりつけ、ひれ伏す。

ご安心ください。この高氏が、院をお護りし奉ります、と。

悠然と笑む兄に、なにも知らぬ院は、心強く思し召されておいでだったろう。

むろん、兄は、その笑顔の裏で、すでに裏切りの意思をかためているのだ。かたわらの弟は、兄が、舌なめずりをするけだもののような目で院をみつめていることに気づく。それは、敬うものをみる目ではなかった。


4月17日、兄の密使が、船上山で、さきの後醍醐のみかどから、綸旨をおしいただく。


4月22日、兄は、東国の足利一門の岩松経家あてに、東国での足利と新田との共同作戦を提案する密書をしたためた。

父系では足利だが、母系では新田である岩松氏をとおして、鎌倉で、新田義貞に挙兵するよう仕向けさせるためだった。兄は、そのための仕掛けも、ほどこした。

(岩松氏は新田と足利の混血の家。尊氏の七代前の当主の義兼が、遊女に産ませた息子の義純を、新田義貞の六代前の先祖の義重に預けた。この義純と義重の孫娘が結婚し、岩松家の祖となる時兼が生まれた。その後、義純は、立身のため、新田氏の妻を捨て、北条氏に罠にはめられて死んだ畠山重忠の妻(北条時政の娘)と再婚して、足利(畠山)泰国をもうける。そのため、母もろとも離縁され、新田家で養育された時兼は、父系でいえば足利なのだが、母系の新田一族に属することになる。岩松経家は、その時兼の子孫。)


4月27日早朝、別動隊として、山陰道を担当する兄は、大鎧をまとった美々(びび)しいいでたちで、弟と馬を並べ、歓呼の声に送られ、5000騎を率いてみやこを出陣した。その姿は、堂々たる大将軍の風格をそなえていた。

それをみた、なにも知らぬ者たちは、1年前とおなじく、今度も、幕府の勝利を疑いもしなかったにちがいない。

だが、六波羅探題は、裏切りの噂がつきまとう兄を警戒した。幕府は衰えきっていたが、その諜報網は、このときでもまだ健在だった。

さいごの切り札として、幕府は、正面の戦線である山陽道に、北条一門の名越高家が率いる7600騎を投入する。

その戦線は、陸路では、護良親王の腹心である、名将の赤松円心が、3000騎を率いてまちかまえている。くわえて、親王の影響下にある瀬戸内海の水軍の、海上からの攻撃にさらされるきわめて負担の大きいものであった。それでも、裏切るかもしれぬ兄に、山陽道を任せるわけにはいかなかったのだ。

しかし、その日のうちに、名越高家は、伏見の西の久我畷(こがなわて)にて、湿地の泥土に騎馬の足をとられ、赤松軍に射殺される。

その名越軍の敗走の報が入ってきても、兄は、顔色ひとつかえず、援軍をだすこともなかった。そのまま、丹波路を進む。とうとう、幕府にたいして、その態度をあきらかにした。

同日、名越高家の戦死の一報をもって、伝令の騎馬は、足利の軍馬がみちている丹波国を、無人の野をゆくがごとく駆け抜け、4月29日、船上山に入る。

そもそも、事前の足利との密約がなければ、伝令は、足利の所領の多い丹波国を通れるはずもないのだ。

それとほぼ同時に、兄が旗幟を鮮明にしたという報告も、船上山に届けられた。

大将が討たれた山陽道の幕府の全軍は、たちまち総崩れになり、雪崩をうってみやこに退却した。もはや、六波羅の命運は、みえていた。

兄は、足利の軍を率いて、所領が背後にあるため、挟撃をうける心配のない篠村に、ゆうゆうと、陣を張った。


4月27日をもって、足利一族以外の者への軍勢催促状が、兄の名で、篠村から、日の本の各地へいっせいに発せられる。それを用意するのは、弟の役目だった。


2日後の4月29日、篠村八幡宮で、兄は、ついに、討幕の旗をかかげる。


しかし、兄は、篠村を10日近く動かなかった。扱いのきわめて微妙な持明院統の皇族の処遇の判断を船上山にあおぐためだった。

そして、船上山から、みかどの内意が書かれた密書が、兄に届く。

「来たか」

兄は、使者からそれを受け取り、さらり、と広げる。それをみた兄は、心底から愉快そうに笑った。陽気で残酷な笑いだった。

「よかろう。この高氏が、みかどの御前に、お望みのものを、すべて捧げ奉ろうぞ。お愉しみにお待ちあれ」

弟にも中身をみせず、兄は、使者の前で、それを篝火(かがりび)に投じる。密書は、炎の蝶になり、焼け落ちた。


そして、5月6日の夜、ときはいまだ、とみた兄は、全軍に号令をかけ、進発させる。

5月7日の午前6時、兄の采配がうちふられ、要塞と化した六波羅探題府への総攻撃が開始された。

六波羅の武士たちは、今日これをかぎりと力戦する。だが、日の本で最強の精兵を擁する足利軍の敵ではなかった。


―――――わずか一昼夜で、六波羅探題府、陥落。


激戦は、5月8日未明には終わる。だが、それは、兄が『終わらせた』のだ。

いかに足利の精兵であろうと、死にもの狂いの六波羅軍が相手では、その数を減じる。損害をふやしたくない、と、兄は、わざと、包囲網の一角をあけさせた。

いくさばでみせる、あのふしぎな笑みをたたえた兄の緑の瞳は、残酷にかがやいた。

汚れひとつない戦装束を身にまとった愛する弟を、兄は、そのたくましい胸に抱きよせ、その耳もとに、男らしく低い、蠱惑的な声でささやく。

「あとは、敗れ、しりぞこうとする、疲れきった獲物をおいつめ、その首を、みずから刈り取らせればよいだけだ」と。

その兄の意図に気づいているのかいないのか、持明院統の院やみかどがのられた鳳輦(ほうれん。天皇の乗り物)を中心におしつつみ、北方探題(北条仲時)と南方探題(北条時益)が率いる2000騎は、包囲網のなかの手薄な一角を破った。いや、破らされる。

六波羅から脱出しようとする幕府軍に、矢が、雨霰(あめあられ)のようにはげしく降り注ぐ。六波羅の要塞のなかにおるならともかく、わずかばかりの持盾(もつたて)では、矢を防ぎようもない。

よき的となった幕府軍は、次から次へと射抜かれ、たちまち、その数を減らしていく。

持明院統の院やみかど(光厳天皇、天皇の父の後伏見院と叔父の花園院)をお護りし、東国におちのびようと、必死に血路をきりひらいた一行は、東へ向かい、苦集滅路(くずめじ。京都の東山を越えて山科に抜ける道)に足を踏み入れる。

だが、落人をねらう野伏(のぶせり)に襲われ、早くも、南方探題は、顎下を射抜かれ、即死。

からくもそこを切り抜け、やっと逢坂の関の手前にたどりつくが、そこでも襲われ、光厳のみかどは、左の肘に矢をうけ、負傷。

だが、そのさいごに、7日からの戦いに疲れ果て、いまや700騎以下に打ち減らされ、矢種をもすべて射(う)ちつくしたかれらを待っていたのは、5月9日の、近江 番場(ばんば)の宿での、凄惨な悲劇だった。

前方に、五辻宮(大覚寺統の亀山院の皇子)が率いる武者の群れ、後方には、不敵で底しれない微笑をたたえた、兄の親友の佐渡判官(佐々木導誉)の大軍に挟まれ、獲物は、とうとう追い詰められ、袋の鼠になった。

獲物が入った袋の口が、ついに、縛られる。

蓮華寺での、27歳の北方探題をはじめとした284人(人数は『東寺長者補任』より)の切腹の血だまりの、この世に現出した地獄を眼前にみて、治天の君は、恐怖にこおりつき、ただ、震えておられた。


おのれの手を汚すことなく、兄は、獲物を、すべて狩りつくした。

治天の君やみかどという、あまりにも大きな戦果を得た。この日の本でもっとも尊貴な捕虜たちを、手にいれたのだった。

そして、皇位の象徴である神器を、かぎりない恥辱に震える、いまや虜囚となった現人神(あらひとがみ)の手から、奪いとる。


兄は、その生涯をとおして敬愛する、ただひとりのみかどの御前に、それらを献じた。

ーーーーーーーーーー

廷臣のほとんどにみすてられた、尊貴な捕虜たちは、昨日までの敵兵に囲まれ、槍をつきつけられ、軽蔑の視線をあびながら、とぼとぼとみやこに戻った。

だが、そんな屈辱は、序の口だった。

112年前の承久の乱(1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた乱。鎌倉幕府は、治天の君の後鳥羽院を逆輿(さかごし。進行方向とは逆にして運ばれる罪人の移送方法)にのせ、隠岐島に流刑にした)いらいの、よき見世物に、都大路は、何万人もの見物人であふれかえっていた。

いざござんなれ、とばかりに、昨日までの治天の君やみかどをのせた、粗末な網代車が、市中をひきまわされる。


―――――時代は、完全にかわった。高貴で優雅な王朝文化の余韻は、ついに消えはてた。いにしえからの伝統の体現者である、ほかならぬみかどがよびよせた、血なまぐさい、武者(むさ)の世へ。


いまや、おのれの牙城となった六波羅探題府から、その捕虜の行列をみおろした兄は、腕のなかの弟に、天つ日(太陽)のように、誇りかに笑いかける。

「どうだ、直義。おまえの兄は。強い。強いだろう!」

おおきなこどもが、やさしい母にほめてもらいたい、というかのように、その緑の瞳は、期待と興奮にみちて、残酷にかがやいていた。


弟は、兄に、しずかにほほ笑む。

「…ええ、兄上。あなたは、だれよりも、強い男」

だが、その切れ長の瞳には、弱きものや敗者へのなさけやいたわりがいっさいない兄へのかなしみに、みちあふれていた。


それにも気づかない兄は、歓喜にみちた笑みをうかべ、腕のなかの弟の白い顔を上向かせた。

「昔から、言っているだろう。我が、おまえを守ってやる。われら兄弟の敵を、屠ってやる」

そして、そのうすいくちびるに、兄は、ふかくくちづけ、厚いおおきな舌をさしいれる。

「おまえは、我とともに、さらに高みにのぼり、わかちあうのだ。地位も、名誉も、財も、すべてを!」

弟は、そっと、目をとじ、白い頬を、かがやかしい兄のたくましい胸にすりよせる。

…ああ。この、強く、かわいい兄が、目の前にさしだしてくる、地位も、名誉も、財も、とくに、なにも望むわけではないものを。


―――――兄は、鎌倉幕府の打倒に、巨大な功を樹(た)てた。弟への宣言どおり、兄は、さらなる高みへとのぼることになる。


おわり。


★後醍醐帝が、隠岐島を脱出後、4日間も日本海を漂流したのは事実…。

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