龍淵の想い

龍淵の想い


ネフィに初めて出会ったのは若い頃だった。当時の大公に連れられ氷水底ユニオンクレイドルを訪れたとき、顔を合わせたのを覚えている。年下でまだ生まれて間もないにも関わらずどこか儚げて達観したような雰囲気を持つ氷水だった。


年月が経ち、俺は大人になった。色々なことを知る内に、今の相剣のあり方に不満を持った。新たに大公となった承影との力の差に歯噛みした。氷水の為にこの地に縛り付けられることを良しとしなかった。そういった鬱屈とした感情は、ネフィと触れ合うことで発散できた。彼女は慈悲深く寛容だ。関係が長引くにつれ、俺はネフィに惹かれていった。我ながら

恥ずかしいが異性として惚れていたのだと思う。俺は告白すると決意しネフィに切り出した。


「お前の最期を看取らせてくれ」


改めて振り返るとどうなんだと思う台詞にネフィは頷いた。思わず心の中で叫んでしまったぐらいには嬉しかった。その後は夫婦として寄り添って暮らした。氷水や相剣の皆はこれに好意的で、温かい目で見守っている。肌を重ね愛し合う度に、俺の中のネフィへの想いは膨らんでいった。お互いを一生のパートナーだと確信する程に。


更に時は流れ、ネフィはコスモクロアの後継者たるエジルの教育係になった。一方の俺も莫邪という弟子をとった。エジルは俺に懐いていたし、莫邪は気立てのいい優秀な弟子だ。嬉しい反面、ネフィとの時間が無くなっていくのに焦っていた。ネフィは長い年月の中で体の大部分が黒く変色し、氷水の性質上そう長くは持たないだろう。だから、残された日々を大切に過ごそうと努めた。


そして、あの夜。雲一つない月光に照らされた静けさの中いつも通り寄り添っていると、ネフィが口を開いた。


「アナタは…」


何かを言いかけて口を噤んだように見えたので意図を問うたが、誤魔化されるだけだった。仕方ないのでまたの機会に聞こう。そんな楽観的な気分で目を離した隙に、ネフィの姿は消えていた。


「―――ネフィ?」


胸騒ぎがした。すぐに立って周辺を探すも見つからない。その後一時間程彷徨った辺りで思い至る。ネフィは既に全身が黒く染まっていた。おまけに限界が近く動きも緩慢で遠くに行けるような状態ではない。それにも関わらず姿が消えたということは即ち…


「還ったのか…」


黒く染まった氷水はユニオンクレイドルに還る。それは相剣にとっても周知の現実。それでも想い人の喪失は耐えがたく、両の目から涙が零れ落ちた。長年連れ添った中で、俺にとってのネフィは大きくなっていた。生き方を変えてしまうほどに。

動揺する頭で考える。ネフィは自分の死期を悟っていた筈だ。であるならば、先程言い淀んだ言葉は最後に伝えたいことであった可能性が高い。でも、ネフィはそれを話さなかった。彼女は何を伝えたかったのだろう。


「ネフィ…何だったんだ、最後に俺に何を…ネフィ…」


考えても、答えは出なかった。


~~~~~~~~~~~


ネフィの死は多くの者達に衝撃を与えた。相剣と氷水の架け橋として長年活躍していたからだ。あの承影も知らせを聞いて目を閉じ思いにふけった。弟子の莫邪もすすり泣いた。エジルなどはひたすら泣いた後に皆がいなくならないか不安がる始末だ。


一方の俺はネフィが還った後も相剣師としての役割を果たし続けた。相剣のあり方に納得してはいない。承影との差は十分に縮まっていない。氷水による縛りを解きたいとは今でも思う。だが、この大霊峰と氷水底にはネフィとの思い出が詰まっている。それを外敵に犯されるなど無視できなかった。この場所はネフィの命を奪ったシステムである魔境であると同時に、彼女の大切な場所となっていた。何かと世話を焼く莫邪の支えもあって、十全に使命をはたしたと思う。


そして、更に時が流れたある日。霊峰の外から来訪者がやってきた。本性を現したドラグマから逃れてきたという彼ら彼女らを、承影とコスモクロアはいずれ訪れる脅威への対抗策として向かい入れた。俺としても異論はない。万が一脅威が想定を超えていた場合、取れる手段は多い方が良いからだ。やってきた者達の名はアルバスとエクレシア。特に大国ドラグマで聖女として力を振るったというエクレシアのあり方は、どこかネフィを想起させた。無論動揺を悟られないように振舞ったが、エジルや莫邪などには一目瞭然だったようだが。


「相剣師の龍淵殿とお見受けする」


そんな中、デスピアを名乗る間者が姿を現した。わざわざやってきたのは現状に不満を持つ俺に謀反の提案をするためだった。支援のためにデスピアの軍勢を差し向けるとも。確かに、内と外から責められれば如何に相剣とや氷水といえども瓦解するだろう。俺の不満を解消するまたとない機会だった。だが―――


「断る」


俺はその提案を一蹴する。魅力的な誘いではあったが、それはネフィとの思い出の地を穢されるのと同義だ。それに、俺は既に力だけではどうにもならない事がある事も知っている。どうあってもネフィを救うことはかなわない。であるなら、眼前の間者は俺にとっての敵である。

当初の目論見が外れた間者は俺の洗脳を試みたが、それを苦しみ疲弊しながらも弾き返すことができた。何が要員だったかと問われれば愛としか言いようがない。俺は身体を引きづってこのことを皆に伝え、戦の準備を促した。そして間もなく、デスピアの軍勢がやってくる。


戦いは熾烈を極めた。膨大な物量を持つ敵によって次々と倒れていく相剣師や氷水。更には謎の竜による襲撃もあったが、何とか持ちこたえしのぎ切る事ができた。だが、戦闘の傷は大きい。相剣と氷水はその三分の一を喪失。なんとか耐えきったコスモクロアも死期が早まっているだろう。多くの者が怪我人の救助や復興などに動く中、アルバスが承影にこの地を去ることを告げた。戦闘の中でエクレシアが敵の首魁に連れ去られたのだという。かの聖女の悲しみを感じ取り必ず救うと決意するアルバスの姿はかつての自分のようで。次の瞬間には体が動いていた。


「小僧、俺も連れていけ。戦力にはなる筈だ」


話し合いの結果、防衛できるだけの戦力を残しつつ、俺と赤霄が同行することになる。数日の長征の末に辿り着いたのは大砂海ゴルゴンダ。そこにはデスピアの大群が押し寄せ、対抗勢力が残った戦力を結集した防衛線を構築していた。

始まった戦闘は壮絶だった。彼我の戦力差は歴然。ホールより現れた深淵の獣をも吸収した敵軍の猛攻は蹂躙とさえ言えよう。途中陽気な機械共の助けも借りて戦況は五分近くまで持ち直したが、それでも戦いはこれからだった。傷だらけの体に鞭を打ち、立ち上がる。上空には堕ちたエクレシアに手を伸ばし叫ぶアルバスが見えた。少年が想い人を取り戻せるよう祈ったとき。


『龍淵…』


懐かしい声がした。間違いなくネフィの声だった。周りを見渡すと、どこからかやってきた氷水のエネルギーが身体を包んでいく。瞬間、脳裏によぎったのは存在しない記憶。視点からしてネフィのモノだ。それらが走馬灯のように駆け巡り、あの夜の記憶がやってくる。

驚くことに、ネフィは俺の中の反感に気付いていた。そして、最後に言い淀んだ理由もわかった。俺を最悪の道から遠ざける為に多くに手を尽くしながらも、それが十分だとは思えなかったこと。しかし、最後の時まで俺を疑うことが出来なかったこと。どうやら、俺は最後までネフィに迷惑をかけていたようだ。そして、ネフィの俺に対する想いの強さも――



「お前には世話ばかりかけてしまったな…この様な夫に連れ添ってくれた事を感謝する。迷惑ついでになるがもう少しの間力を貸してくれ」


彼女に最上の感謝を。滾る決意に呼応するかのように氷水の力が力の神髄を書き換えていく。黒い鎧は氷の如き澄んだ水色に。周囲には氷の剣が顕現する。押し込まれつつある戦況にあっても、負ける気がしない。


「行くぞ、ネフィ…!!」


異形の姿をした深淵の獣に向かって駆けだした。今度こそ、この戦いと積年の想いに決着をつけるために。


~~~~~~~~~~


ゴルゴンダ決戦は深淵の神獣ディス・パテルの討伐を以て終了した。閉ざされた大地は開かれ、各勢力が復興に全力を注いでいる。それは大霊峰や氷水底も例外ではない。デスピアの侵攻で失ったものは大きく、コスモクロアもまた半年後に還った。後継者たるエジルはひたすら泣き腫らした後、次代の氷水帝として皆に協力をこうていた。泣き虫だったエジルが一皮向けたのは、実の娘のように接してきた俺としても嬉しかった。

そして、戦後処理が落ち着いてきた頃合いで、俺は大霊峰を出ることにした。これはネフィとの約束を叶えるためでもある。


「ねぇ龍淵。いつか二人でこの世界しましょう」

 

若き頃、二人で大霊峰の見晴らしの良い場所で寄り添いながらした約束。ネフィの表情は楽しそうで。当時の状況からして困難だとは理解しつつも頷いたのを覚えている。ネフィは還ったが、その残滓が共にある今なら果たせると思ったのだ。


「よいのか?これはお主の妻の…」


「構わない。それはもう必要なくなった」


「そうか…達者でな」


出発する日、俺は承影にネフィの形見である物品を託した。今までは形見放さず持ち歩いていたが、踏ん切りがついた今はその必要もない。承影は何か言いたそうではあったが、俺の意思を尊重して送り出してくれた。


「行っちゃうの?」


「あいさつ回りしてからな。お前ももう氷水帝なのだから、俺などに構っている暇はないだろう」


「龍淵も大切な仲間だから……いつか返ってくるよね?」


「ああ」


エジルの元にも顔を出した。体も一回り大きくなっただろうか。周りの助けもありながら立派に氷水帝をやっている。若い芽も育ってきているし、俺がいなくても十分やれるだろう。


「師匠、出立なさるのですね」


「お前には教えられる事は全て教えた。承影がいるとはいえエジルの奴は未熟だ、支えてやってくれ」


「承知しました。師匠もどうかお元気で」


「分かっている」


見送りには莫邪がやってきた。彼女もまたこの度の戦乱で成長した相剣師だろう。内に秘めた氷水の力を覚醒させ、デスピアの軍勢を退けた。莫邪であれば、今後の脅威にも対応できるだろう。振り返るといつまでも手を振っているので、こちらも見えなくなるまで手を振り返した。困った奴だ。


大霊峰の峰を歩む。傍から見れば一人だが、俺の中にはネフィがいた。先の見えない旅だが、それでも寂しくはない。


「さぁ、ネフィ…何処から行こうか」


二人で、美しいものを見に行こう。


Report Page