鳴動する北海
《お品書き》
「鳴れど狂えど私だけの海」エピローグ
アプホ🥗
両 重 い
グロテスク
精神的な苦痛をもたらす描写
捏造しかない
その他色々
エピローグですが、実質的な後編と言っても差し支えはありません。
音楽が流れている。
「どうして戻ってきたの?」
呆然と立ち尽くすドレークの前で、ホーキンスは死体の顔を持ち上げ、目を閉じて接吻した。ごぼっ、という水音と共に口から溢れる大量の赤黒い血、しかし、彼女は続ける。むしろ顔を押さえつけて、より深く重ねるくらいだった。血のほとんどは合わせた唇の間から飛び散って、床や床に作られた血溜まりに、ぽちゃん、びちゃ、と落ちる。吐血が止まると、ようやく唇を離した。引かれる赤い糸、死体の顔の半分ほどは自分の血に染められ、頬を伝い、ポタ、ポタ、と床へ。ホーキンスは興奮した様子で微笑み、今にも溢れそうな血を指で掬い上げ、その肌に塗りたくっている。
「誰の曲か当ててみて」
「……そいつの、だろう」
ホーキンスは血に染まった口でくすくすと笑う。
「どう、あなたが想像するような結果になった?」
「想像以上だ……何をされた、お前のその怪我はなんだ。一体何がどうなったら、こんな……酷いことに」
ドレークは悔しさを滲ませる。
「何もされていないわ」
「本当なら、こんな事になるはずがない。おれが、見ていれば……せめて、お前だけでも」
「近寄らな……んっぐ」
口から、勢いよく血が大量に出る。
「ホーキンス!!」
「降……魔……の相!!!」
死体を大事そうに抱えながら、巨大な藁人形と化したホーキンスは迷うことなく、釘を刺そうとドレークを襲う。
「ホーキンス、落ち着け!!」
「邪魔をするな裏切り者っ! あなたの陰謀はもう上に通っているのよ!!」
「な、何」
ドレークは反応が少し遅れ、掠った釘で軽く流血する。
「人のことをとやかく言う暇があったら、自分のこれからの身の振り方を考えなさい。まあ、逃げて死ぬか、逃げずに死ぬかしか無いと思うけれど」
ドレークの心臓は早鐘を打ち始める。どうすれば良い、どうすれば……。その時、脇腹を釘が勢いよく貫いた。
「う゛……っ」
「彼を殴った分のお返しよ」
「お前……まさか……コイツを」
しゅるしゅる、と体が戻る。ホーキンスの頬に赤々と血の花が咲いている。目を細め、恍惚とした表情で、彼女はゆっくりと口を開いた。
「ドレーク……話をしましょう。さあ、ここに座って」
内心が固まらないまま、ドレークは彼女の言う通りに大人しく椅子に座った。ホーキンスは地べたに膝をつき死体を抱え込むと、胸の刺し傷に舌を伸ばし舐める。その異様さに吐き気を催したドレークは、目を逸らして頭を抱えた。
「恨んでいたはずだろう」
「ええ、確かにそれも間違いじゃなかった。でも、彼は、最後になって私を地獄から救ってくれたの。見て」
そう言ってさした指の先は、どう見ても地獄絵図だ。形の崩れた人間の体が大量に、無規則に、乱雑に積み重なっている。誰一人として動かない。
「これを……アイツが!?」
自分の見ている光景が夢であったらどれほど良かっただろう。ドレークは頬をつねるが、痛覚という現実を容赦なく突きつけられ、また頭を抱えた。
「一緒にやったの、この手で……」
ホーキンスは、硬直した死体の手に手を重ねてゆっくりと撫でた。
「理解し難いな」
「されたいなんて言っていないわ。彼だって、あなたに理解されることだけは絶対に嫌がるはずよ」
撫で、絡めて、繋いだ。ひんやりと、ごつごつとした感触、ホーキンスは愛おしげに目を細める。
「そうだな……コイツも、おれもお互い嫌い合っていたんだ。理解など、下手にされたところでまるで利が無い」
「だからって、何もしていない内から殴るのは酷いと思わない?」
ドレークは下を向いた。
「ずっと向こうで座り込んで震えていたのよ。扉を叩かれる度に、ビクビクしてて、体を強張らせて」
その言葉で、かつて、父親に呼ばれた時を思い出す。その声が聞こえる度に心臓を強く握られたような恐怖が、自分を襲っていた。
「それは……確かにおれの間違いだ」
「良いのよ、悪いと思わなくても。彼は自分の弱い所を見せたがらないから、だからずっとひとりぼっち。私と同じ」
ホーキンスは死体の手を頬にすり寄せ、唐突に、くら、と倒れる。
「お、おい」
「そう。教えてくれたから、素直になってくれたから、だから私」
少しずつ声が掠れ、ウェーブの髪が長い腕に降りる。
「そんな彼を愛しているの」
「人を呼ぼう……お前だけでも」
「絶対にあなたがやったことにされるから、今まで呼ばなかったんでしょう」
図星だ。
「何をしたってどう足掻いたってもう遅いけれど、ここは監視がいない。黙って静かに立ち去れば、この罪だけはなすりつけられずに済むわ。どう、裏切り者で、その上、猟奇的な殺人鬼に……あなた、なってみる?」
百獣海賊団として身を置いた時、最も危惧すべきで、最も関わりたくない人間はアプーだと、ドレークはかつてそう思っていた。
「全く、気落ちさせられるな」
「ふふっ」
「お前のこともコイツのことも、今すぐにでも忘れてしまいたい」
迂闊に同類と思い近寄ったことが、いけなかったのかもしれない。
「せいぜい足掻いていなさい。きっと、もう手遅れだろうけど」
心の底から自分を嘲るような、誰かの笑顔とよく似た笑い方をされ、ドレークは嫌なものを感じた。
「……その表情も、言動も、おれへの当てつけか」
「敵に対してなら、誰だってそうするでしょう」
ドレークは、壁に拳を叩きつけようとして、やめた。無力感ばかりだ。何も、誰も、守ってやれない。自分すらも、危険に晒されようとしている。だが、
「良い曲だな」
至福に顔を綻ばせる彼女を見ると、少し心持ちが変わった。
「同盟が終わってしまうずっと前のこと……私の好みを考えて作ったんだって、彼は笑ってこれを渡した」
ホーキンスは胸の中に、心臓の音の無い胸に自分の体をしまい込む。
「私への気持ちは何もかも本当だったけれど、もう引き返せなくて、後悔の果てに彼は死を望んだ。全部知っていて私は嘘をついた。あなたを信じられない、と、縋ろうとするのを敢えて突き放してみたの。この日が来るまで、私が生きられなくなるまで、彼には私と同じだけ傷ついて、苦しんでほしかったから」
静かに語る彼女は、骸が自分を護っている、そんな確信を前提にしているかの如き安心を、目を閉じ、無防備な姿勢で表していた。
「それも愛だと言うのか」
「違ったら、彼は私に命を捧げないでしょう?」
ドレークはそういった愛を理解し得ない。気づけば音楽が一周している。その曲に感じたものを一言で表すなら「幽玄」であった。
「彼は私のためにずっと死のうと思って、眠れもせず、ただその望みが叶えられない自分の弱さを嘆き続けた」
「そう……だったのか」
「らしくないって思うでしょ。でもね、そんな彼も、彼……で……」
意識が揺らぐ中、少しずつ話も途切れ途切れになっていく。
『お前の手を汚したくないのに、お前がおれの死を望んでも何もしてやれないんだ、おれ、情けねえだろ。ごめんな……ごめんな……』
「私は、そう言う彼に返した……」
『自分の手が汚れることくらい、私にとってはどうだって良いの。だからもう苦しまないで。自分を責めないで。今まであなたは、よく頑張ったわ』
「だから、私があなたを助けてあげる……って」
「ホーキンス」
「何……」
ドレークは二人の傍らに座り込んだ。
「さっきのことは、忘れてほしい」
「さっき……?」
「お前達を忘れたいと言ったことだ。おれも、自分のことばかりで少し動転していた」
忘れても良いのに、別にあなたが憶えてたって私も彼も嬉しくないのに、と、ホーキンスは思いつつ、眠りに誘われる。恐らくそれが永遠のものであることを悟るが、ドレークがまだ話を続けようとするので、もう少し気力を持っておくことにした。
「コイツがお前を助けていたなど、おれに信じられると思うか?」
「最後に……彼……知る人と……話せて……嬉しいわ」
とは言っても、本当のところ話し相手は誰でも良かった。そもそもホーキンスは彼の心臓を自分の体を使って刺したあの時に、一緒に死んでいる。三度目の死であり、本当の死で、今の自分は肉体のある亡霊のようなものだ。刺した刃は亡霊となることの拒否、それだけである。
「そういえばお前は、アイツのことになるといつも何かが違っていたな……生命力を感じさせた、怖いくらいに」
「……服……袖の下、見て……」
「コイツの?」
ホーキンスは頷く。ドレークは袖を捲り、はっと息を飲んだ。
「ぜん……ぶ……お揃い……私……してあげ……た……」
言葉が出ない。どんな言葉をかけて良いのか全く分からない。何も言ってやらないのが正解か。ホーキンスがした、と言うなら、それは本人の同意があった、そう考えるのが自然だ。つまり、これが彼からホーキンスに捧げた「愛」のひとつである、と。偽りもない、裏切りもない、大量の傷跡は言うならば純粋でさえあった。
「もう……眠って……良い……よね……ああ……ドレーク……そうね……あなたなら……」
ホーキンスは震える手で、鍵を渡した。
「これは」
「彼の部屋の鍵……扉が開いてる部屋に……行ってあげて……」
ドレークは受け取る。
「音楽……一緒に作ったの……彼が言った……から」
『ここは濃く、それでもうひとつ線を縦に……上手いな!』
「さあ……早く……あなたの動きに……誰も気づかない内に……早く……」
扉が閉まる。
『これは、あなたのこと。意味はね……不安の解消、夜明けの訪れ、希望』
『え〜おれそんな綺麗なもんじゃねえよ……それこそ、逆じゃねえか?』
「私にとっては……あなたは、そうだったのよ……アプー……」
物言わぬ救いの手を受け止めて、さらに近くに抱き寄せる。
「たくさん……わがまま……言ったのに……こんなに弱い……私の……ためを……思……っ……て……」
閉じた目の闇の奥に優しく光が差す。彼女は胎内へと還ってゆく。
「愛してるわ……」
一息、ゆっくりと吐く。
死体だけが横たわる部屋で、音楽だけが鳴り続ける。
防音室の扉は、開いていた。これもまた、異様な光景が広がっていた。そうだ、部屋に入った時から何もかもがおかしかった。二人は、恐らく入るまでは裸足だった。入ってから靴を履いた。何よりの証拠が、彼の部屋から防音室の中まで続く、まだ乾き切ってない血に塗れた靴跡だ。ドレークは入るのを躊躇ったが、彼女の頼みだから、仕方なく入ってやることにしたのだ。無数の荒い文字で埋め尽くされた壁の中、ひとつだけ、一見すると何も書かれていないが、何かの血が染み込んで明らかに他よりも茶色く濁っている五線紙が貼ってあった。あの人間達の返り血が垂れたのだろう。近づけば、五線譜の上に小さく、丁寧に書かれた曲名、作曲者名と思われる文字の存在を認めた。曲名は「逆位置の月」作曲者名は「クロユリ」……無名の作曲家クロユリは、この世に生まれて最初で最後の作品を完成させていた。
「これが……お前の見せたかったものか」
筆跡は、どう見ても他の紙の字とは別人のもの。
「……ん?」
机に、音貝が置いてある。
「聴いて……みるか」
「これじゃあ、いつになっても曲は弾けなさそうね」
船内の小さなホールで、ホーキンスはピアノの前に座り、溜め息をついた。オンエア海賊団の船員達は、初々しい彼女の姿にどっと笑い、
「ホーキンスさん、アンタでも練習すればいつかは弾けるようになるよ」
と、気遣うように話した。
「いつか、って、いつ?」
「まあ、その様子じゃあ半年くらいはかかるな」
アプーは、至極真面目に答えた。
「アプー……もうちょっと加減してやれよ。彼女、まだ初心者なんだろう」
「あめぇなぁ〜〜! 初心者ってのは大概、下手に夢見せると後で文句言ってくる連中だってお前らもよく知ってるだろ? 今だってコイツ、何も弾けなくて拗ねてるじゃねえか」
「す、拗ねてないわ! ちょっと悔しいだけ」
「それが拗ねてるってことだろうが!」
笑い声がまた響く。
「今弾けないのは誰でもそうだ。おれだって最初は……あー……物心つく前だから覚えてねえな! でも多分、碌に弾けてなかったはずだぜ、気にする必要はねぇよ」
アプーは、ホーキンスの頭に優しく手を置き、
「手本見せてやる」
ピアノの前に座り、楽譜も無いのに曲を弾き始めた。自分のものとは比べ物にならない、まるで別の楽器みたいに大きくて綺麗な音、そして、
「この曲……ビンクスの酒でしょう!」
嬉しそうな彼女に目を合わせ、
「歌うか?」
「もちろん」
その間も、指は全く狂わない。
「よぉしお前ら、始めるぞ!!」
喧騒の中、彼らは自らの専門か、または周囲の様子から編成を汲んで楽器を出してピッチを合わせたり、相談の元で指揮棒を構えたり、ドアを開けて外で声出しをしたり、そんな風にバタバタとしていたが、頃合いを見たコンダクターが指揮棒を上げたその時、唐突に喧騒は止んだ。皆、揃って構えの姿勢をとる。
「……すごい」
数人が奏でるヴァイオリンの音、即興とは信じられないくらいに、一人の演奏では、と錯覚するくらいに息の合った調子で、自然にピアノと調和していく。皆、完璧に見え、あまりにも完璧だから緊張感さえあった。そんな中で自分が入っても良いのか、戸惑っていると、指揮を振る人間がホーキンスの方を振り向き、ニコリと笑って、歌が入るよ、と目配せをした。彼女は、おそるおそる、けれど安心して、その曲の一部となった。
曲の途中、誰かが号令をかける。
「さあ、次は船長とのSoliだぞー! やりたい奴、手を挙げろ……って言っても、ここはやっぱり……そうだろう皆!!」
視線が一気にホーキンスに注がれた。
「デュエットだー!!」
「待ってました!!!」
演奏をしながら囃し立てる弦楽器の面々、ホーキンスは赤くなってピアノの方に向いた。
「お前の好きにすりゃいいだろ」
アプーは、少し照れくさそうにしながら笑って言った。
「じゃ、じゃあ一緒に」
どっと歓声、拍手が湧き、皆、少しずつテンポを遅くして、そして、楽器を下ろし、指揮さえも止まった。
静寂の中で旋律はゆっくりと進む。慎ましやかで寂しげに鳴るピアノ、ピアノの音に調和した優しく柔らかな響きのテノール、少し自信なさげにテノールをなぞるアルト、ある船員は目を閉じ、ある船員は腕を組んで聴き入った。咳払いひとつなく、その空間は二人だけのもの。別れの唄が響く。昼下がりだというのに、ホールの中に星空が、月が見える気さえする、そんな、ロマンチックな小夜曲を、二人は奏でた。
騒がしく流れる行く船の旋律、ドレークは目頭を抑え、大粒の涙を流しながら呟いた。
「昔から、お前の音楽だけは嫌いになれなかった……!!」
アドリブを入れて荒ぶる楽器達、混声合唱の中に入るおどけた合いの手、何かを壊す音、貝の中の幸せが、幸せであればあるほど、嗚咽が止まらなくなる。
「アプー……好きだったなら……おれの前でどうしてあんな風に言ったんだ……どうして、この日々を続けようとしなかったんだ……分かってる……仕事だったんだろう……弱みを見せたくないのも分かる……分かるが……憎いな……憎くてたまらないんだおれは……」
ドレークは堪えきれずに叫んだ。
「お前をずっと知った気でいた、おれ自身が!!!」
そんなドレークを無視し、華やかな後奏が響く。
「辛かったな……アプー……もっと早く、気づくべきだった……」
演奏が終わった、と思ったら、余韻を待たずに各々がわいわいと喋り出した。
『ごめん皆ァー調弦、全然間に合ってなかったー!!』
『あちゃー、メンテをサボったせいでネジがゆるゆる!』
『コンマスおいー調子悪かったろー』
『ひぃぃやめてくださーい!!』
『うーん、もう少し吹き込む必要があるみたいだ』
『はぁ……そのメーカー元から暗いんだから、試奏したいからってビンクスは無い無い!』
『このスティック、イイな!』
『毛替えさせておいて良かった〜』
『久しぶりのトロンボーンで腕攣りそうぅ』
『バリトンパートはアンタがいないとやっぱキツいよぉ!』
『へへへぇ〜、だってこれのコンバス好きだも〜ん』
『犯人探し始まる前にすみませーん、ユニゾンで出だし遅れたの私ですぅ』
『珍しいじゃん、スランプかい?』
『そうっぽいかもお、頼りないリーダーですみませえん』
『まあまあ、そんなどうでもいいことより、アプーお前ー!!!』
『おれ達の言いたいこと分かるよなアプーさぁん!?』
『な、なんだよ』
『カッコつけやがってこの船長はぁー!!!』
どっと笑い声がホール中に反響する。
『なんだよあの低音、アプーさんらしくないぞ!!』
『女連れてきたと思ったらこれだ!! 惚気じゃねえか船長ォ!!!」
『っるせぇなあ歌い方ちょっと変えたくらいで』
『ちょっと?』
一人の声で一瞬静まり返ると、ホールはまた爆笑の渦になった。
『じゃあ今度もあんな感じで歌ってくれ!!』
『船長かっちょいい〜』
『惚れ直したよー!』
『全く……好き勝手言いやがるぜ』
声が少しずつ近づく。
『……皆、演技うめぇな』
寂しそうな声が、音貝の前に立つ。
『コイツら見て、おれもちゃんと勉強しよう』
声は震えている。
『どうせ割り切れねぇんだ……せめて、ちゃんと……隠し通せよ。わかったなクソ野郎』
そう言うと、しばらく悲痛な呻き声が上がる。喧騒は遠い、孤独なものだった。
『出来ないとか言ったらっお゛れ゛……お前を絶対、許さねえからなっ……』
ガチャン、激しい音と共に録音は終わった。ドレークは知る。それが彼女以外には出来ていたことを、彼女にだけは出来なかったことを、彼の決意を……そして、この幸せそうな光景は、あの頃のホーキンスはともかく、船員達にとってもアプーにとっても精巧な作り物でしかなかったということを。ドレークは泣き崩れ、そして、気づく。
「お前は……救われていたんだな」
彼の、本当の幸せに。
扉を閉め、中で拾った鍵をかける。部屋を見回すと、血痕以外は何も問題がないように、とても綺麗に整頓されて見えた。防音室の狭さ、汚さが嘘のように。
「隠し通す、か」
ドレークはふう、とため息をついた。
「こういうところは、お前を見習うべきだな」
裏切りが露呈している今、最早何をやっても手遅れだ。恐らくホーキンスの死もアプーの死も、この部屋に入らなかったところで、どの道疑いはこちらにかかる。これからどうするべきか考える時間が与えられているだけでも、まだ運が良いと言えるだろう。
「希望なら……おれにもまだ、ある」
『ルフィさんには人を引き寄せる力があるから』
コビーの言葉を思い出しながら、部屋を後にする。トラファルガー、そして、麦わら……この同盟にどうにか取り入ることが出来るなら、そう考える。
「ホーキンス、お前の手土産は可能な限り活かそう」
討ち入りは、目前に迫っている。
数時間前のこと、二人は楽譜を完成させた後、音貝を聴いていた。
「アプーは歌も上手いのね」
「自分の声だって楽器のひとつだ、上手くなけりゃおかしいだろぉ」
「覚えてるわ。すごくびっくりしたのよ。あんまり綺麗な声だったから、一緒に歌っているのがなんだか恥ずかしくなるくらいで……カッコよかったわ、船長さん」
「そ、そういう歌い方が合っているからそうしただけだよ。感動は作るモンだからな!」
真っ赤な顔、煙が出てきそうだ、とホーキンスは笑った。
「本当は?」
「嬉しかったからに決まってんじゃねえか……!」
音貝の録音が切れる。
「いつも、こうして言い聞かせていたのね」
「ああ」
ホーキンスは、アプーに身を寄せる。
「今まで、本当にお疲れ様」
「お前がな?」
「いいえ、私とあなたはひとつなんだから、お互いに言ったのよ」
腕からひょこ、と藁人形が顔を出した。
「そうだった」
天井を見上げ、アプーは何気なく呟く。
「上にまで貼る羽目にならなくて……良かったよ」
「あなたが私を肩車すれば?」
「アッパッパ! なんだそりゃ、そうまでしてやりたかねー!」
二人は苦痛も悲しみも、何もかも全て洗い流された顔で微笑む。
「……あの時は貼るなって言ったけれど、今こうして見て、どう?」
終止線までの無に耳を傾けながら、
「とても、良い曲になった」
その口調は落ち着いていて、しかし、お茶を濁しているわけでもない。
「ありがとう」
音楽家としての最大の褒め言葉、
「どういたしまして」
ホーキンスは、それを最大の名誉として受け取るのだった。
終