鳥籠の中でそれでも愛を叫ぶ話

鳥籠の中でそれでも愛を叫ぶ話

ななしのだれか

 目が覚めた瞬間、ローの全身を凄まじい激痛が襲った。

「ぐゔうっ……ふ、ゔっ、っっ!」

 思わずくぐもった悲鳴が漏れる。絶叫しなかった、いやできなかったのは、それを許されていないからだ。

 自分をあちらの世界から連れ戻したドフラミンゴは、余程唾を吐かれ中指を立てられたのが気に食わなかったのだろう。幾万もの糸を束ねた猿轡でローの口を塞ぎ、背に回された腕は太い糸で体に巻き付けて固定され、手はミトンの手袋で指を動かせないようにされていた。

 あのピンク野郎め、気に食わないからってやりすぎだ。自重しろ羽根頭。

 ぎい、ぎいと、放り込まれた鳥籠が揺れる。あちらの世界へ逃げ出す前に押し込められたそれと、今回の鳥籠は趣を変えていた。

 前の鳥籠は上部が丸い円筒型だったが、今の鳥籠は球体型だ。形状故に底面積はごく僅か、尻を乗せるのが精一杯だ。自然、体を横たえることはできず、両足は格子の間からだらりと落ちていた。

 ぽた、ぽたと、爪先から血が滴り落ちる。ご丁寧にスキニーパンツの膝から下を切り落とした上で、両足は糸で切り裂かれた。塞がらない傷口から流れる血は止まらず、鳥籠の下に小さな血溜まりを作っていた。

 両足首に嵌められた海楼石の枷は、太い鎖で繋がれていた。これでは格子から足を引き抜こうにも、鎖に阻まれて抜け出せない。枷か鳥籠を壊すか、ローの足を切り落とす以外、鳥籠から自由になる術は無い。

 やっと速歩きができつつあったのに、アキレス腱をまた切られた。これではリバビリのやり直しだ。ふざけるなあの野郎。

「ふっ……ぐっ……う……」

 横たえることができない為、後ろに倒していた体を起こす。長時間格子が当たった箇所と、下敷きになってた左腕が痛む。乾きかけの傷口が格子から剥がれる痛みを、きつく目を閉じてやり過ごした。

 上半身は衣服の一切を剥ぎ取られてから、余す所無く肌を裂かれた。特に刺青をこれでもかと細切れにしようとする様は、いっそ必死すぎて哀れだった。

 心臓をよこせ、また刺繍してやるとドフラミンゴはうるさく吠えたが、今のローに付き合ってやる義理はないので無言で断った。結果、散々頭を踏みつけられて血が流れたが、思い通りにならなくてイライラと吠えるドフラミンゴは傑作だった。溜飲が下がる。

 痛いのはこちらだというのに、俺の方が痛いみたいなツラをするな。


 思えば、こうしてドフラミンゴに喧嘩を売れるくらい精神を持ち直せたのは、ローを見捨てず助けてくれた、あちらの世界のハートの海賊団や、麦わらの一味のおかげだった。

『やっ、やっだあぁ〜! ローざん、傷全部塞がりまじだよ〜!! ごれで、っぐず、シャワーもお風呂も入り放題でずよぉ〜!! よがっだああ〜〜!!!』

 ぐずぐずと泣いて、全て傷が塞がったことを、当の本人であるローよりも喜んだ、あちらのハートのクルー達。

『トラ男2号! これ、おれが作った「傷跡が薄くなる塗り薬」だ! こっちは痛み止めで、これが鎮静作用のあるお香だ! よかったら使ってくれ!

 もっと元気になるといいな、トラ男2号!』

 小さな体に蓄えた知識と技能で、ローの為に無償で薬を調合してくれた、あちらのトニー屋。

『ぜってーその、えっと何だっけ? まあその色んな世界に行ける道具を見つけてやるよ! トラ男2号が戻りたくねえならあっちのドフラミンゴをブッ飛ばしてやるし、戻りてえなら手伝ってやる!!』

 そう言って、別の世界の自分が殺されたことよりも、ローの為を思い動いてくれた、あちらの麦わら屋。

 再びの同盟結成を受け入れた他の麦わらの一味も、入れ代わり立ち代わり訪れた麦わら大船団も、途中立ち寄ったドレスローザの面々も、何も言わずに「もう一人のトラファルガー・ロー」である自分を受け入れ、身を案じ親身になってくれた。

 そして、何より。

 目を閉じて思い出す。あの日の通信を。




 その日は、どうにも胸がざわざわして、落ち着かなくて、だからいつもはリバビリ疲れで昼寝をしてしまう時間になっても、ローの意識はバッチリ冴えていた。

 とこ、とこ。かつん、かつん。

 用意してもらった杖を支えに、ローは艦内を歩いていた。ゆっくりとした歩みだが、痛むことなく進めることは奇跡のようで、けれどローとハートのクルーでリバビリを積み重ねた成果であった。

 ひら、ひら、と、歩みに合わせて右袖が揺れる。今日の服装は、白いカットソーにモスグリーンのスキニーパンツ、その上からグレーのカーディガンを羽織っている。今のローには艦の空調は少々冷える。この格好で丁度いいくらいだ。

 服装は、三日前から自分で全部選んで決めている。最初に全部一人で決めた日は、見守っていたシャチ達が号泣し、ジャンバールは背を向けて目頭を押さえていた。ジャンバール、お前存外涙もろいのか。知らなかった。向こうで知りたかった。

 とこ、かつん、かん。

 辿り着いたのは操舵室の前。艦の中枢であり、作戦会議や航路の決定など重要なことはここで行われる。

 中にこちらのローがいることは、見聞色を使わずとも何となく分かる。扉にピタリと耳をつけて、中の音を探る。後で怒られるのは承知の上だ。

『「おかき」』

「「あられ」」

 扉の向こう、電伝虫からの音声に、こちらのローが返事をする。そのやり取りと相手の声に、ローは固まった。

 そんな、まさか。

 息を殺して、聞き耳を立てる。

『久しぶりだな』

「ああ。悪いな、引退したアンタにこんなこと頼んじまって」

『気にするな。別の世界の存在だろうと、あの糸クズが何かをやらかすと言うなら、私は当然動く』

 ばくばくと、心臓が早鐘を打つ。

 仏の、センゴク。

 元海軍元帥にして、コラさんの、海兵ドンキホーテ・ロシナンテの育て親だった男。ローはハートの海賊団を立ち上げてから、コラさんとセンゴクの関係を調べ上げたが、こちらの世界の二人は、一体どうして通信する仲になっているのだろう。

「それでどうだ、そっちは」

『現在、インペルダウンに収容されたドフラミンゴファミリーに不穏な動きは無い』

「隠蔽されてねぇだろうな」

『そこは断言できる。各地の情報でも、今のところ「もう一人のドンキホーテ・ドフラミンゴ」らしき者は確認されていない』

「ということは、今のところ奴はちょっかいを出してきてないワケだ」

『ああ。だが油断はできない。今お前の船にいる「もう一人のトラファルガー・ロー」の存在を知られれば、真っ先に狙われるのはお前達だぞ。誰よりも「もう一人のお前」が危険に晒される』

「だからこうして深海を航行している。ここなら奴も簡単には来れねえよ」

 話を聞きながら、頭の中で整理する。

 こちらのローとセンゴクは、別世界から来た自分と、これから来るかもしれないドフラミンゴのことで内密に手を組んでいる。少なくとも今ドフラミンゴはこの世界に侵入しておらず、この世界のドフラミンゴ達もインペルダウンから脱獄していない。

 冷静に整理する側で、衝動がぐるぐると渦巻いていく。

 海軍と海賊。コラさんを育ててくれた人と、コラさんの命を奪ってしまった自分。対立し殺し合う間なのに、何故、センゴクはこちらのローと手を組み、その上狙われると身を案じてくれるのだろうか。

 どうして、「もう一人のトラファルガー・ロー」を、自分を気にかけてくれるのだろうか。

 コラさんの命を奪い、ドレスローザを滅びに導いたような奴なのに、どうして。

 からん。手から杖が滑り落ちる。衝動のままにドアノブを回し、全体重を掛けて扉を押して、ローは操舵室に踏み込んだ。

「えっ、ローさん!?」

「なっ、おいこらバカ、いつから聞いていやがった!」

 こちらのローと、ベポ達クルーが振り返る。電伝虫がぱち、ぱち、と驚いたようにまばたきをした。

「ったく、おいシャチ、ペンギン! このバカをとっととつまみだ――」

『いや、構わん。そちらの彼も相席させてやりなさい。おいで』

 退室させようとするこちらのローを止めたのはセンゴクだった。穏やかにローを招く声に、ローは震えながらゆっくりと歩を進めた。

 やれやれと頭を抱えて電伝虫の前からどいたこちらのローに、その後ろでわたわたと焦るクルー達。電伝虫の前ですう、と息を吸い込んで、でも何を言えばいいのか。

 咄嗟に出てきたのは、合言葉だった。

「あ、あられ」

 数拍置いて、電伝虫から元気な笑い声が響き渡った。先程までの重たい空気が一気に吹き飛ぶ。

『いや、すまないな。そうか、お前が「もう一人のトラファルガー・ロー」か。はじめましてだな』

「は、はじめまして……」

『うんうん、思っていたより元気そうだな。

 どうだ、調子は? こちらのお前から保護した当初はそれはもうひどい有様だったと聞いて気を揉んでいてな。今はどうだ?』

「……今、は、どこも痛くない。傷も塞がったし、一人で歩ける」

『そうかそうか、それは良かった』

 なんだ、なんだこれは。

 ぐるりと視線を巡らせれば、こちらのローはポカンと開いた口が塞がらず、クルー達は生温かい目線で微笑みながら見守っていた。なんだこれ、とてもむず痒くて、恥ずかしさに顔が赤くなりそうだ。

 おかしくないか。仏のセンゴクと恐れられた男が、これではまるで孫の友達を気にかける好々爺だ。こんなにも海賊に対し当たりが優しいなど、どう考えてもおかしい。

 目が合ったもう一人の自分も同意見なのだろう、うんうんと頷いていた。その横で腹を抱えて笑いを堪えるクルー達には、後で拳骨の一つでもお見舞いしてやろうか。

 いたたまれなくて、何か言おうと、口を開いて、

『……随分と驚いたようだな、私がお前を気にかけたことに』

 先手を打たれた。

 どうしよう、ますます何と返せば良いか分からなくなった。何かうまく、取り繕わないと、でも何も思いつかなくて。

「……どうして、そんな、笑って、俺のことを気にかけたりできる。

 あちらの世界で何があったか、知らないのか。知ってて言ってるのか」

 結局、出てきたのはそんな言葉だった。

 ローには分からない。この世界のローならまだしも、ドレスローザが壮絶な滅亡を遂げたあの世界から来た自分を、この世界のセンゴクがこんなにも身を案じる理由なんて無い。知ってるにせよ知らないにせよ、センゴクがそこまで気を揉む相手などではないはずだ。

 ならなぜ、この人は、自分を心配、そうだ、心配してくれるのだろうか。

 電伝虫の向こうで、男がまた、今度は少し困ったように笑う。

『私とロシナンテの関係を、お前はどこまで知っている?』

「……育て親、だったんだろう」

『ああそうだ。部下であり、それ以上に息子のような、特別な存在だった』

「なら……ならどうして!

 その息子を死に追いやった上に、本懐を果たせなかったような奴に、どうして、こんなにも優しくしてくれるんだよ!」

 ずっと、ずっと、胸の内に抑えていた思いを、ぶつけるべきではない相手に、ローは叫んでいた。

 だって、コラさんが死んだのはローが原因だ。手を下したのはドフラミンゴでも、追いやったのはローなのだ。大事な息子を奪われたのに、優しくされるなんて、赦されない。

 違う世界の人間だと、分かっていて、それでもローは衝動を止められなかった。

 でも、この男は仏だった。

『馬鹿なことを言うんじゃない。

 可愛い息子が全てに嘘をついてまで愛した相手を、全くどうして、気に留めないことができると言うんだ』

 …………コラさん。

 思わず、胸元を握りしめた。

“おいロー 愛してるぜ!!”

 思い出す。最期の言葉。

 笑顔で別れを告げた、俺の大好きなひと。

『世界が違えど、お前はロシナンテが愛し守った子供だ。その子供が、よりにもよってロシナンテの仇に全てを奪われ凄惨な目に遭わされ続けていたと聞いて、私も流石に血の気が引いたぞ。

 よく、ここまで逃げ、生き延びた』

 ああ……ああ、コラさん。

 あんたはすごいよ。何年経っても、世界すら違えても、あんたの愛が、今でも俺を守り、支えてくれるだなんて。違う世界の育て親――元海軍元帥でさえ、動かすのだから。

 目が熱い。溢れ出る涙が頬を伝う。片方だけ残った腕で、ぐい、と目を擦る。

「……センゴク、さん」

 いつの間にか、ローの背をもう一人の自分が支えていた。

 彼も、もう一人の自分も、俺なのだからそうなのだろう。コラさんの愛に、守られて、支えられて、生かされた。

 俺達は、コラさんのおかげでここにいる。そのコラさんがいてくれたのは、センゴクのおかげた。

 受け継がれた愛のおかげで、ローは、自分はまだ、生きている。

『……まずいな、そろそろ人が来る。ここで切らせてもらうぞ』

「ああ、こっちはこっちでどうにかするから気にするな。そっちも頼んだぞ」

「まっ、て、くれ……」

 焦りを含んだ電伝虫越しの声に、通信を切られる前に声をかける。

 どうしても、言わなければならない。

 溢れそうな涙をこらえて、ローは言葉を伝える。

「……ひどいこと言って、ごめんなさい。

 それと、ありがとう。アンタがコラさんを愛してくれたから、俺はまだ生きている。

 助けてくれて、ありがとう」

 電伝虫が黙る。返事が無いのが不安で、空の右袖を握りしめてしまう。だが、フッと穏やかに、電伝虫が笑った。

『ありがとう、か……。

 叶うなら、それはお前の世界の私に言ってやれ。そうだ、何かあったらそちらの私を頼りなさい。私であるなら必ず力になる。

 無理はするんじゃないぞ。元気でな』

 それきり、通信は終わった。

 我慢していた涙が、ぼろぼろぼろぼろと溢れて落ちる。でも痛みや苦しみにのたうち回って流す涙ではなく、不思議と心の澱みが流れ落ちて行くような気分だった。ベポ達クルーもグズグズと涙を拭っている。

 わしゃわしゃと、もう一人の自分が、ローの頭を撫でる。

「さすがコラさんの育て親だな、あのジジイ」

「お前、センゴクさんにジジイはないだろ」

「お前こそ色々素直に出しすぎだ。相手は海軍だぞ、もう少し隠せ」

「隠して何も伝えられないまま終わりたくねえんだよ、俺は。お前こそ素直になれ」

「お前なあ……! ったく、そういう所は俺なのに全然一緒じゃねえ」

「お前も恥ずかしいんだか何だか知らないが、カッコつけすぎだ。俺と全然違う」

「よし、表出ろ。そもそも勝手に盗み聞きするわ押し入るわお前……!」

「仕方ないだろ、お前の落ち着かないのが全部伝わってきたんだ。恨むなら緊張を隠せなかった自分を恨め」




 ああ、そんな他愛もない、喧嘩のような言い合いを誰かとしたのも、本当に久しぶりのことだった。

(センゴクさん……コラさん……もう一人の、俺……)

 受け継がれて、重ねられて、その愛でローを救ってくれた、大切な人達。

 思い出した。俺は、コラさんの愛に報いたかった。その本懐を果たしたかった。

 敗れ、滅ぼされ、失って、奪われて。

 それでもまだ、ローは、恩人に、仲間に、戦友に、もう一人の自分に愛されたが故に、果たさなければならないことがある。

(絶対……絶対、お前を倒して止めてやるよ、ドフラミンゴ)

 あの男を止めなければならない。奪われてしまった多くの命を、無意味な死に、犬死にのままにさせておけるものか。

 俺が払える犠牲なら、幾らでも駄賃に持っていけ。

 もう俺は立ち止まらない。折れはしない。

 絶対に、ドフラミンゴを倒す。




 鳥籠の奥で煌めく瞳。

 その輝きは、愛の光であった。


 嵐が、巻き起こる。


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