魔女に呪われた少年

魔女に呪われた少年



ベネリット王国の王都を囲む3つ街のうちの一つ、ペイル街に1人の心優しい少年がいました。

 少年は幼い頃に父親を事故で亡くし、母親と2人で暮らしていました。

 父親がいない事もあり生活は決して楽ではありませんでしたが、少年は自分を不幸だとは思いません。優しい母と母想いの息子で、支え合って幸せに暮らしていたのです。


 少年があと少しで18歳の誕生日を迎えようとしていた頃、少年は街でとある話を耳にしました。

 なんでも、街一番の権力者であるケレス家が、住み込みの使用人を募集しているというのです。

 しかも採用条件は18歳未満の男というだけで、それさえ満たしていれば身分も関係なく雇って貰えると。

 少年にとって、これはとても美味しい話でした。

 ケレス家は街一番の権力者というだけあり、そのお屋敷はとても大きくて豪華です。そんなお屋敷の持ち主となれば、きっととてもお金持ちなのでしょう。

 そこに住み込みで働くとなれば、沢山のお金が貰えるはずです。少年自身はあまりお金には興味がありませんでしたが、お金があればその分母親に良い生活をさせてあげられます。

 母親と離れて暮らす事になるのは寂しいですが、それで母親が良い暮らしが出来るのなら、少年はその話に乗らない手はありませんでした。


 少年は早速母親にその事を話し、働きに出たいと相談します。

 母親は最初は少年が家を出る事に悲しそうな顔をしていましたが、それでも貴方が決めた事ならと、最後は少年の思いを尊重して笑顔で少年を送り出してくれました。

 こうして、少年はケレス家の使用人として働く事になりました。

 ──それが、悪魔の誘いだという事に気付かずに……。



 まず最初に家主からの挨拶があるからと使用人の女性に言われ広間に通されると、そこには既に6人の少年達がいました。どうやら全員使用人として雇われたようで、少年が1番最後に来たようです。

 もう少し早く来れば良かったかな、と思いながら少年は他の少年達をチラリと見やります。

 自分を含めた全員、髪や目、肌の色も全てバラバラでしたが、心なしか背格好だけは全員似ているような気がします。それに僅かに違和感を感じましたが、同年代の男ばかりなのだしこういう事もあり得るだろうとやや強引に自分を納得させました。

 それから程なくして、部屋に4人の老婆が入ってきました。少年は内心でおや、と首を傾げます。

 確かケレス家は一年ほど前に当主夫妻が急逝し、一人息子であるエラン・ケレスが新たな当主になったと風の噂で聞いた覚えがあります。

 視線を横に移せば、少年以外にも疑問に思った者はいるようで何人かが怪訝な表情を浮かべていました。

 そんな中で、老婆達が口を開きます。


「エラン様は現在体調を崩されていて、私達が代理人を務めております」

「既に承知しているでしょうが、今日から貴方達は使用人としてこの屋敷で住み込みで働いてもらいます」

「その上で、まず最初に貴方達に言っておくべき事が2つあります」

「まず一つは、私達の許可なくこの屋敷から出ない事。そしてもう一つ、エラン様は今絶対安静を言い渡されているため、エラン様の部屋には決して近寄らない事」

「この2つさえ厳守出来れば、あとはある程度自由にして貰っても構いません。それではみなさん、今日からどうぞよろしくお願いしますね」

 

 そう言うなり、老婆達は部屋から出ていきます。どうやら挨拶は終わったようです。

 4人の老婆に言いようのない薄気味悪さを感じながらも、少年の使用人としての生活が始まりました。


 慣れない暮らしの中で仕事を覚えるのは大変でしたが、母にいい暮らしをさせてあげたい一心で少年は真面目に仕事をこなす日々を送っていました。

 そしてそんな生活を始めて半年ほど経った頃、少年の元にある報せが届きます。


 その報せは、少年の母が流行病で亡くなったというものでした。


 突然告げられた母親の死に少年は呆然とし、そして泣き崩れました。

 誰もいない家で誰かに看取られる事もなく1人で息を引き取ったであろう母を想い、少年はただただ涙を流し続けます。

 こんな事ならば、働きに出たいなどと言わずに母の側にいてあげるべきだった。そう何度も後悔して、母親を1人にする選択をした自分を責めました。


 そうやってひとしきり泣いた後、少年は使用人の中で1番偉い立場であるベルメリアに「母の弔いをしたいから、1日だけでいいので実家に帰りたい」と申し出ました。

 しかし、ベルメリアは首を横に振ります。

 曰く、当主であるエランの代理人を務めている老婆達の許可なく外出する事は許されない。もし無断で出ていこうとすれば何をされるか分かった事ではないと。

 ならばその老婆様に許可を貰えるよう進言してほしいと食い下がりましたが、彼女らは基本的にどんな理由であれど使用人の私的な理由での外出を許可した事はないので、きっと今回も例外ではないだろうと聞き入れて貰えませんでした。


 たった1人の家族の弔いすら許されないだなんて、そんな馬鹿な話があるだろうか?少年は憤慨し、いっその事自分から当主であるエランに直談判してやろうと決意します。

 病人の部屋に押し入る事に多少の罪悪感はありますが、ここで引き下がるわけにもいきません。

 この屋敷の主であるエランから許可が貰えれば老婆達も許可する他ないでしょう。それでも駄目だと言われれば、その場で仕事を辞めてやるまでだと意気込んで少年はエランの部屋を目指します。

 エランの部屋は、屋敷の最上階にあると先輩の使用人から聞いたことがあります。

 先輩曰く、エランが病床に伏すようになってから使用人はエランの部屋に近寄る事を禁止され、さらにはその階に立ち入る事すら許されなくなったと。

 唯一、エランの看病を担当しているベルメリアだけは許されているようですが、あくまで例外です。

 他の使用人達の目を盗み、少年はこっそりと最上階に続く階段を登りました。

 そして着いた最上階は、不気味なほどに静まり返っていました。

 静まり返った空間で音を立てるのはなんだか憚られて、少年は足音を立てないように気をつけながら歩みを進めていきます。

 少年が知っているのはエランの部屋が最上階にある、という情報のみで、最上階のどの部屋が彼の自室なのかまでは知りません。

 その中で、廊下に立ち並ぶ扉の中で一際豪華な装飾が施された扉を見つけて少年は立ち止まりました。

 ここだろうか?そう思ってノックしようとしたその時、部屋の中から微かに老婆達の声が聴こえて少年は扉を叩こうとした手を止めました。

 今思うと、それは本能の一種だったのかもしれません。少年は息を潜め、ドア越しに聞こえる老婆達の話し声に耳をそばだてます。


 老婆達の話は、とても恐ろしいものでした。


 4人の老婆の正体は悪い魔女である事。

 エランの病気は魔女達が彼を病床に伏せさせる事でケレス家の実権を握る為にかけた呪いであった事。

 そして少年を含む新たに集められた使用人達は、もしエランが死んでしまった時に魔法で顔と記憶を書き換えて新しい『エラン・ケレス』にして傀儡にする為の候補達である事。


 それらをクスクスと笑いながら話す魔女達の声に、少年は体を震わせました。

 ──逃げなければ。

 少年の直感がそう叫びます。しかし少年が踵を返すよりも先に魔女の声がハッキリと耳に届きます。


「…そこにいるのは誰です?」


 まずい!そう思いましたが、足がまるで縛られたかのように動きません。魔女が魔法をかけたのです。

 そうして動けない少年の周りを4人の魔女があっという間に取り囲みます。


「困った使用人ですね。エラン様の部屋に近付いてはいけないと最初に忠告したでしょう」

「何はともあれ、今の話を聞かれてしまった以上このまま帰すわけにはいきません」

「せっかく用意したスペアが一つ減るのは少し惜しいですが、仕方ありませんね。替わりはまだいますし」

「ついでに言いつけを破った罰として、記憶もいくつか奪ってしまいましょうか」


 そう言い終わると、老婆の1人が少年の目の前に手をかざします。

 するとその瞬間禍々しい光が少年を包み込み、全身に激痛が走りました。

 あまりの痛みに叫び声をあげる少年の体がみるみるうちに変化していき、少年は醜いカラスへと姿を変えられてしまいました。


 老婆はぐったりとしたカラスを鍵付きの小さな檻に入れると、その檻を薄暗く埃っぽい部屋──物置でしょうか──に投げ入れ、その固く重い扉を閉ざしました。

 朦朧とする意識の中で、カラスは直感します。自分はここで死ぬまで放置されるのだと。



 この部屋に閉じ込められて一体何日が経過したのか、カラスには分かりませんでした。

 ただ、食事も水も与えられず自身の体が日に日に衰弱していくのを感じながら、ぼんやりと空虚な時間を過ごすのにもすっかり慣れてしまいました。

 呪いをかけられた時、魔女は「記憶もいくつか奪っておこう」と言っていました。

 その言葉は本当だったようで、カラスは自分の本当の名前や大好きだったはずの母の顔を思い出せません。

 他にも、好きだった食べ物や一緒に遊んだ友達、自分達親子に良くしてくれた人達など、大切な思い出はほとんど奪われてしまい、優しい少年だったはずのカラスの心にはポッカリと大きな穴が空いてしまったようでした。


 冷たい檻の床に体を横たえて、母を一人で死なせてしまった無力感に苛まれながら、そう遠くないうちに訪れるであろう終わりの時をカラスは無感情にじっと待ち続けました。


 そんなとある日の夜明け前の事です。

 不意に扉の開く音がして、カラスは視線だけをそちらに向けます。

 開いた扉の向こうに立っていたのは、真っ黒なローブを頭から被ったベルメリアでした。

 部屋に入ってきたベルメリアは檻の中で力無く横たわるカラスを見て悲しそうに表情を歪めましたが、すぐさま何かを決意したような顔つきになり、後ろ手で扉を閉めると足早に檻に近づき、膝をつきます。

 カチャカチャと小さな金属音がしたかと思えば、キィと音を立てて檻の扉が開かれます。どうやらベルメリアが鍵を開けたようです。

 そっと自分を抱えて檻から出すベルメリアに一体何のつもりだ、と目線で訴えると、彼女はまた悲しそうに顔を歪めてごめんなさい、と呟きました。


「貴方にかけられた呪いはとても強力で、今の私じゃどうする事も出来ないの。……でも、まだ希望はあるわ」


 ベルメリアはそう言って、カラスの右足に細く折り畳まれた紙を結びつけます。


「王都に行ってプロスペラ・マーキュリーに会いなさい。王家に仕える彼女に会うのは簡単ではないでしょうけど、それでも──先輩なら、きっと貴方の呪いを解ける」


 ベルメリアが部屋の窓を大きく開け放ちました。

 夜明け前の冷えた空気が部屋に入り込み、カラスの羽毛を揺らします。


「さあ行って。あの人達には貴方は死んだと報告しておくわ。もう貴方への関心は完全に失っているから、生死を疑って追っ手を寄越すような事はしないはずよ。……行きなさい!早く!」


 彼女の鋭い声に驚いて、カラスは反射的に窓から飛び立ちました。ボロボロの体に鞭を打ち、痛みに耐えながら羽を動かします。


 王都のある方角の空へと消えていくカラスを見つめながら、ベルメリアは祈るように呟きました。


 「お願い……どうか、生きて」



 それから時間が経ち、すっかり陽も登り切った頃。

 王都に向かって飛び続けていたカラスでしたが、とうとう体力の限界が来て、地面へと落下してしまいました。

 地面に叩きつけられるように落下した衝撃で、カラスの口からギャッという小さな鳴き声が漏れます。

 落ちた場所はどうやら公園のようでした。小さなベンチが一つ、カラスのすぐそばに設置されています。


(……どこまでも惨めだな、僕は)


 限界を迎えたのは、体力だけではありませんでした。

 自分の事もろくに思い出せないし、心の支えだった母ももういません。

 生きる意味を完全に見失ってしまったカラスに、再び起き上がる気力は残っていませんでした。


(……もう、どうでもいい。もう疲れた)


 母を1人で死なせてしまった親不孝者には、これくらい惨めな最期がお似合いだ。

 そう思いながら目を閉じて、カラスは再び終わりの時を待ちます。

 そして、


「た、大変…!大丈夫!?」


ふわりと、柔らかく暖かい何かに包まれたような感覚を最後に、カラスは意識を手放しました。


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