魔女になるには

魔女になるには




 ランプの芯がジジッと音を立て、内職をするスレッタの手元がわずかに陰った。

油が少なくなったのかもしれない。


(もう終わりにして寝ようかな。油切れしたら片付けだってできないし)


 小さな机の上には針仕事の道具と繕い物、編みかけのレース飾りなどが広げられている。

 今のスレッタは狭い屋根裏部屋を間借りして、これらの内職と、さらに階下の食堂で下拵えの仕事を請け負うことで細々と暮らしていた。

 見習い魔女だったときには考えられない生活だ。


 商売道具を片付けてランプを消すと、部屋は自分の手さえボンヤリするほど暗くなり、スレッタはようやく月明かりがないことに気づいた。

月齢を数えれば今宵はーーー・・・


(今日って新月だったんだ。そういえば昨日は明け方に三日月が出てたっけ)


 昔は新月の日が待ち遠しくて、あの三日月を見ては小躍りしてはしゃいだけど。

 街で暮らすようになって、すっかり月の満ち欠けに無頓着になった。天気にも季節の移ろいにも疎くなった。

こんなところでも変わってしまった自分を実感して辛くなる。


(もう私は、あの頃のわたしじゃない)


 街は夜更けでも明るい。屋根裏部屋の小さな窓からは、暗くなりきらない空に星たちが弱々しくまたたいているのが見える。

 かつて見上げた満天の星空とは違うのに、つい昔に思いを馳せてしまった。

浮かぶのは、まだ夢を見ていた幼い頃に大切な人と過ごした幸せな時間。


「大きくなったらわたしは立派な魔女に、エラン君は偉大な魔法使いになる」

「うん。夢を叶えて、大人になったらまた会おう・・・必ず。約束だよ」


 星降る夜に、賑やかに騒ぐ大人達の輪の外で、あの子と交わした約束。

今となっては叶わない夢だ。



 スレッタの夢は立派な魔女になることだった。

魔法を使いこなし薬の知識でみんなを助け、惑う人には魔法の言葉で元気を与える。

母プロスペラみたいに立派な魔女になりたいと、ずっとずっと夢見ていた。

 振り返れば一番幸せな時だったと思う。魔法の修練と勉強で四苦八苦しても、母が側にいて同じ夢を持つ男の子が支えてくれて、見習い魔女として仕事を任されてーーー17歳で成人したら魔女になれると疑ってなかった。


 現実は残酷だ。

 今年17歳になったスレッタは魔女になるどころか、何もかも失くしてしまっていた。

夢も希望も残っておらず、ただ生きてるだけ。


(こんな私を見たら、エラン君はどう思うかな・・・)


 脳裏をよぎる大切な男の子との記憶。

 スレッタがかつて月に一度の新月を心待ちにしていたのは、その日に彼と会えるからだった。

彼の名はエラン。母に連れられ初めて参加したサバトで出会った、ひとつ年上の見習い魔法使いだった。

エランは優しくて物静かで、他の誰とも違っていて・・・すぐにスレッタの特別になった。


(エラン君どうしてるだろう。私と違って頭が良くて難しい魔法も使えてたから、もう魔法使いになれたよね。

きっとみんなに頼りにされる凄い人になってる)


 エランとは何年も前にお別れしたきりだ。

プロスペラが遠い国の仕事を請けて、幼いスレッタも生まれ育った地を離れることになって。引っ越す直前にサバトで会ったのが最後。

 その夜の約束が、立派な魔女になって再会しようというものだった。


 だからスレッタは寂しいのを我慢して、一層修行を頑張った・・・はずだ。

 はず、と言うのはスレッタの記憶に、ごっそり抜け落ちた部分があるから。

落ち着いて整理してみると、遠い国で暮らし始めてからの出来事が曖昧で、そこがどんな場所でどんな人と出会ったか、プロスペラとどう生活していたかも全てあやふやになってしまっていた。

 唯一はっきり思い出せるのはーーー・・・


「やだぁあ止めてっお願い返してぇ!

わたしの魔力取らないで!返してぇえー!!」


 自分の泣き叫ぶ声と、身体から中身を吸い出されるみたいな気持ち悪さ。

何年経ってもゾッとするあの感覚だけは覚えているけど、なぜそんなことになったのかは分からない。

意識を取り戻すと知らないベッドの上で、心配顔のプロスペラに付き添われていたのだから。

教えられなければ、未だに自分の身に起きた異変さえ正しく理解できてなかっただろう。


 目覚めた数日後に、母が苦渋を滲ませながら切り出したのは、スレッタが魔力を根こそぎ奪われてしまったこと、この状態では魔女になれないということだった。

記憶障害については、おそらく魔力消失のショックでそれに関連する記憶が飛んだらしいと説明された。

 スレッタは混乱して何があったか尋ねようとして、怒りを抑えきれない様子の母を見て思いとどまった。

優しい母が聞かせたくないと思うほど、ろくでもない事があったと予想できたので。

それに、あえて語らなかった経緯を聞くのが恐ろしくもあった。




 起きてからの日々は、まるで悪夢だった。

魔力は一滴も回復せず、体内は枯れ野のまま。

 魔女を魔女たらしめる根源が失われるということはつまり、魔女になる資格を失うということ。

膝を抱えて滂沱の涙を流し、本当に夢ならよかったのに、と何度も考えた。


 しかし、傷ついたスレッタを時間も状況も待ってくれない。

茫然自失の体でさらに数日ベッドで過ごす間に、プロスペラは大きな決断をしたらしかった。

「もっと遠く離れた所に移動しましょう」と言った母の手で、されるがまま旅支度をしたスレッタは、別の国の大きな街に連れて来られて・・・・・・置いていかれた。

 母は気持ちが追いつかず縋りついたスレッタに、いずれ迎えに来ると言ってくれたけど、魔女になれない者が魔女と暮らすのは難しい。

 わかってしまったから、追いかけたいのを堪えて独り街に残るしかなかった。

それが11歳のとき。


 母が信用できる預け先としてこの食堂を選んでくれたおかげで、悪い人間に騙されたことこそ無いが、生活はけっして楽じゃない。

 何年も身寄りのない街娘として生きていれば色々と諦めもついた。

せいぜい、ふとした瞬間にプロスペラや・・・ーーエランのことを懐かしむだけ。

 彼らに会いに行く術はないし、方法があったとしても・・・どんな顔で会えばいいというのか。

今のスレッタには、すでに彼らと再会する気はなかった。



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