鬼方カヨコのUnhappy Birthday
「アルちゃん……アルちゃん……戻って来てよぉ……」
「ムツキ室長、だ、大丈夫ですか……?」
「……はあ」
熱にうなされて眠り続けるムツキの汗を拭いながら、ハルカが心配そうに声を掛ける。
返事は返ってくることはなく、アルの名前をうわ言で繰り返し呼んでいる。
どうにもならない現状に、カヨコは深くため息を吐いた。
少し前の事だ。
アビドスと反アビドス連合の一大決戦が繰り広げられた。
砂糖という麻薬を広めキヴォトスを混乱に陥れた集団に対し、怒りと憎悪で持って誰もかれもが銃を取った。
誰もが勝てると信じていた。
多くの人員を引き抜いて作られたアビドスの勢力はつぎはぎだらけで、その内実は砂糖による中毒者ばかりなのだ。
そんな奴らを相手に連合まで組んで対峙したのに、蓋を開けてみればアビドスの勝利で終わっていた。
砂漠という立地は本拠地は遠いのにろくに隠れる場所もなく、攻め込む上で守ることが難しい天然の要塞だった。
おまけにその砂は加熱するだけで砂糖に変換される悪魔の物質であり、吸わないように気を付けるなら酸素ボンベを背負わなくてはならなかった。
それだけならともかく、アビドス側は砂糖を注射や銃弾に加工して攻撃してくる。
キヴォトスで銃弾を食らっても大した問題にはならないことから、それら全てを避けたり防いだりすることは、少女たちにとって未知の戦いを強いられることと同義だった。
リミッターの外れた戦士となったアビドスにとっては気化した砂糖はバフでしかなく、それに反比例して反アビドス連合はどこまでいってもデバフを掛け続けられる戦いだった。
終わってみれば、勝負になっていたのが奇跡というレベルの愚行だったのだ。
何よりも気炎を上げていたミレニアムは真っ先に潰され、砂漠に呑まれた。
殲滅を主導していたセミナーは音信不通となり、生徒たちは散り散りになった。
治療薬を研究していたチームは救護騎士団や救急医学部に吸収される形で陰に隠れたというが、未だに治療薬ができていないことを考えると期待は薄い。
便利屋68の社長である陸八魔アルは、砂糖に侵されアビドスへ行ってしまった。
当然認められるものではない。
残された3人は反アビドス連合に協力して、アルを取り戻そうと動いた。
しかし結果は敗北だった。
アルは狙撃手だ。
いくら下っ端を倒そうともアル自身が前線に出てくることはなく、強化された弾丸を防ぐので精一杯で、這う這うの体で逃げ出すことしかできなかった。
次こそはアルを取り戻すと決意して、虎視眈々とアビドスの情報を集めて様子を伺っていた時、この場にいないアルの誕生日を迎えた。
アルを中毒者にされたことに誰よりも怒っていたムツキは、どんなお仕置きをしようかと考える余裕は残っていた。
アビドスに連れ去られて苦しい思いをしているなら絶対に許さないと感情を露わにしていた。
けれど各地に仕掛けたカメラやドローンで収集した情報で、アルは笑っていたと知ってしまった。
何の不満も心配もないかのように幸せそうに笑っている姿を見て、自分たちがその笑顔に何の貢献もしていないと気付いて、ムツキの精神は限界を迎えたのだった。
「ハルカ、ムツキの体調は?」
「ね、熱は少し下がりました。でも目を開けてくれません……」
「そう……」
倒れたムツキの焦燥具合は酷いもので、いつもなら真っ先に暴走して突撃するはずのハルカでさえ心配が勝るほどだった。
アルという大黒柱に寄りかかっていた便利屋は、アルがいなくなったことでバラバラに崩れ落ちてしまった。
ここにいるのは意味のなくなった便利屋の名前にしがみ付いて沈んでいく子供でしかない。
「潮時かな」
「え、カヨコ課長? 潮時ってどういう……?」
「もう終わりってことだよ。便利屋は解散だ」
「そんな……」
薄々思っていたことをカヨコに突き付けられ、ハルカが肩を落とす。
元々アルがいるから付いてきたのだ。
そのアルがいない今、まともな仕事すらなく、便利屋を名乗って良いのかすら疑問であった。
「このままいたって泥舟で沈むだけ。賢い選択とは言えないね」
「カヨコ課長……」
「その課長っての、止めてくれる? もうそんな肩書何の意味もないでしょ」
「う、うう……」
ハルカが反論しようとしても、言葉が嗄れたように喉から出てくるのは呻きだけだった。
煮え切らないハルカの態度に呆れたのか、カヨコは懐からあるものを取り出した。
「これ、何かわかる?」
「そ、それは!?」
カヨコがハルカに見せたのは何の変哲もない飴玉。
だがアビドスのマークが入ったそれが何の意味を持つのか、分からないものはいない。
「アビドスシュガー……」
「泥舟は嫌だって言ったでしょ。私はアルみたいにアビドスに行く。ハルカ、あんたも来る?」
「……いや、です。行きたくありません」
「ふうん? アビドスには大好きなアルがいるのに?」
「私が行ったら、ムツキ室長が独りぼっちになっちゃいます……独りは、それだけはダメです」
かつていじめを受けて孤独だったハルカを救ってくれたのはアルだった。
アルによってハルカは孤独から抜け出せたのだ。
そのハルカにとって、自身の行いで誰かを一人ぼっちにさせてしまうことは到底受け入れられるものではなかった。
「なら飴玉をムツキの口ん中に放り込んで、一緒に連れて行けばいいじゃん。それで解決」
「違います! それは、違うんです……」
「何が?」
「私はバカだからうまく言葉にできないです。でも、それはもう便利屋じゃないです。アル様が好きだって言ってくれた便利屋じゃなくなっちゃうのは嫌です。私はアル様の便利屋を守りたいんです」
「……バカだね。それも特大の」
「エ、エヘヘ……バカなのにデカい口叩いてすいません」
「好きにすれば? 私は何も言わない。じゃあね」
ヒラヒラと手を振って、カヨコはその場をあとにした。
カヨコと便利屋は袂を別ったのだ。
これ以上この場にいる理由は無い。
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「ハルカ、成長したね……見せたかったな。あんなに良い子の成長を見逃すだなんて、社長は損してるよ」
周囲に誰もいない夜の街を歩きながら、カヨコは独り言ちた。
誰も聞いていないのだから、恨み言の一つや二つ言っても構わないだろう。
「今からアビドスに向かうとして時間は……あ」
既に深夜だ。
スマホの明かりを頼りに時刻を見ると、日付が変わろうとしている時間。
その日にちを見て、カヨコは明日が何の日だったのかを思い出した。
「誰にも祝われない一日か……ま、裏切者の私には相応しいね」
手の中で転がしていた飴玉を見やる。
アビドスに侵入した時に倒した下っ端から巻き上げたものだ。
間違いなく砂糖の麻薬である。
これを食べるという事がどういうことなのか、カヨコは既に十分理解していた。
けれど食べないという選択肢はカヨコにはない。
「近づくなら、私自身が中毒者じゃないといけないからね」
幹部待遇の者はアビドス中央の本拠地に居ることが多い。
しかし砂糖の非摂取者が、砂糖を摂取した中毒者に易々と近づくことはできない。
ならば自身で摂取してしまえばいい。
アビドスは砂糖を摂取していない物には厳しいが、摂取した者は快く受け入れる。
アビドスに潜入して活動するなら、自らも砂糖中毒になればいいだけなのだ。
だがそれがどんな危険性を孕んでいるかなど明白だ。
ミイラ取りがミイラになることなんて、日の目を見るより明らかだった。
だから便利屋は止めた。
「アビドスは上から下まで全員中毒者だ。それなのに統率が取れすぎている」
普通ならジャンキーなどまともに扱えず弱体化するしかない
けれどアビドス上層部は弱体化することもなく、逆に強化がなされていることを考えると、何か裏があるのだとカヨコは確信していた。
「砂糖で負の感情は長続きしない。快楽は慣れるからより摂取量が増える。必要なのは揺るがない目的意識」
――必ずアルを取り戻す――
そこに自身の進退は考慮されない。
目的意識を濁らせる余分でしかないからだ。
カヨコは躊躇いなく飴玉を口に入れた。
「……甘い。でも、おいしくない」
寒空の下一人飴玉を舐める姿は滑稽だろう。
いかなアビドスシュガーとて、心に吹く風を止めることはできない。
元々の純度が低かったのか、飴玉から押し寄せる快楽、多幸感すらそんなものと切って捨てて、カヨコはアビドスへと足を向けた。
ハルカは1人はダメだと言っていたが、生憎カヨコは1人の方が動きやすい。
スマホの時計が零時を告げて、日付が変わる。
「ハッピーバースデイ、大人の私。さようなら、子供の私」
この行為が正しいことかは分からない。
けれどカヨコは、もう19歳になる。
先生の庇護を受けるだけの子供ではなくなったのなら、今度は自分があの先生のように自らを擲ってでも目的を成し遂げる覚悟を持とう。
それがきっと、大人としての責任だと思うから。