鬼堕ち恋柱と鉄珍様
「……蜜璃ちゃん……な……なんで鬼になってしもたんや……?」
刀鍛冶の里の各所から火の手が上がり、時折遠くから悲鳴も聴こえる。
崩れた建物の瓦礫に寄りかかり、血反吐を吐きながら
里長の鉄珍は目の前に立つ存在を見上げていた。
──三つ編みに結われた桃色の長髪
──鬼殺隊が着る黒い詰襟の隊服と、その上から纏った白無地の羽織
──右手に握られた、刀身が薄い布の如くしなる奇怪な刀
そして、
──指の先に生える尖った"爪"と、口元から見え隠れする鋭い"牙"
唯の人間には絶対にある筈がない身体的特徴。
鬼殺隊の柱、『甘露寺蜜璃』は鬼になっていた。
ついこの間まで柱であった彼女が
いつ、如何にして鬼に降ったのかは鉄珍には見当もつかない。
ただ一つ分かるのは……彼女は最早人間ではなく、
人を喰らう怪物だという事だけだ。
何の前触れもなく、里を襲撃した彼女。
常駐していた隊士達や里の者が応戦したが、
瞬きする間もなく一瞬の内に全滅した。
唸りを上げながら縦横無尽に振るわれる、長大かつ薄い刀。
一振りすれば十の者が細切れになり
二振りすれば家屋が斬り刻まれる。
瞬く間に地獄絵図に塗り替えられた里。
気がつけば周りには、鉄珍を除いて生者は一人として遺されていなかった。
「じゃあ……じゃあもう食べちゃいますけど、いいですよねッ!?」
甘露寺の口からは夥しい涎がポタポタを垂れ落ち、
肩が激しく上下する程に息も乱れている。
周囲に漂う人の血の匂いは甘露寺の空腹感を刺激し、
相当限界が近かったようだ。
「大丈夫ですよ鉄珍様!ちゃんと……ちゃんと苦しまない様に、頭を叩き潰してから食べますから!」
喰われる側からすれば何一つとして安心出来ない処刑宣告。
「……」
鉄珍は何も言わない。
ただ黙って、鬼に成り果てた元柱の少女を見据えるだけである。
……そんな鉄珍の態度に痺れを切らした甘露寺は
刀を握っていない方の手を強く握り、拳を高々と振り上げ……
「……さ…最期に教えてくれへんか…?」
「それじゃあいただき……へ?まだ何か言い遺す事でもあるんですか?」
さぁ拳が振り下ろされようか、という直前で
死に体ながらも鉄珍はようやく口を開いた。
「ワシの…ハァ…ワシが打った……ハァ…ハァ…」
「あの刀は…どないなったんや?……やっぱり……折れたんか?」
命乞いでもなければ、今際の際の怨嗟でもない。
鉄珍が口にしたのは、かつて自分が鍛え、甘露寺に贈った刀の事であった。
「えっ!?鉄珍様、これが"前の刀"と違うって分かるんですか!?」
「そ……そないな事くらい一目見りゃ分かる……」
「銘が無いのもそうやが……な、なにより………
……振るった時の"しなり"が前と少し違うんや」
確かに、刀身の根本辺りに刻まれていた『悪鬼滅殺』の文字は
甘露寺が今握っている刀には見受けられない。
しかし、鉄珍の慧眼は銘以外の刀の差異すらも見抜いてみせていた。
「……」
この状況下でまさか、刀についてや、その違い云々の話題を振られるとは
思ってもいなかった甘露寺。
視線を伏せたり、口元に手を当てて色々と思案した後
鉄珍の問いに返答する。
「……前の刀は」
握り拳を解き、振り上げた腕をゆっくり降ろした甘露寺は喋り出した。
「以前の刀はとっても使い勝手が良かったんですけれど、鬼になった時に落としてしまい……」
「拾いに行こうか迷いもしましたが、"あの方"に『日輪刀など持つな』と言われちゃって……」
「ですから、今は"こうやって"私の血肉を変化させて造った刀を使ってます」
「なるべく鉄珍様の刀に近づけてはみたんですけれど、…………やっぱり打った本人にはバレちゃうものなんですね!」
刀は折れなかった。
それを聴いた途端に、鉄珍は大きく息を吐き出し
どこか安心したようである。
「そ、そうか……ワシの刀は………最後まで折れへんかったか」
「はい!あんな素晴らしい刀を打って下さった鉄珍様には感謝してもしきれないくらい………あ!」
何か思いついた甘露寺は瞳孔を大きく開き、
手をポンと叩く。
「そうだ!何なら鉄珍様も鬼になりませんか?」
「鉄珍様には柱だった頃からすっごくお世話になりましたので!!私から"あの方"に頼んでみたら、この場ですぐに鬼にできますよ!!」
「鬼になれば一杯ご飯も食べられてッ!!あ、あと!若い肉体に戻れますし……それに、"永遠に"刀を打つ事だって……ッ!」
「いや……それはええわ」
身振り手振りを交えて鬼の利点を語り出した甘露寺を
鉄珍はピシャリと遮った。
「へ?……い、いいんですか!?鬼になってからも楽しい事はいっぱい……」
「ワシはこの里の長や……永遠に刀打てるいうんは、確かに魅力的やが……ハァ…」
「鬼狩りの為の刀打ってきたのに、今更……鬼になってまで生き永らえようとは思わん」
「……そ、それに」
「この老いた身体には……何十年も刀を造ってきた"経験"が蓄積されとるのや……付け焼き刃で若返ったとて……ハァ…ハァ…感覚が益々鈍るだけや」
呼吸を荒げながらも、己の内にあった言いたい事を全て吐露した鉄珍。
最後まで言い切ると、張り詰めていた糸が切れた様に
瓦礫を背にしていた鉄珍の老体がズルズルっと傾き、
地面に倒れ伏す。
「……鉄珍様?」
突如倒れた鉄珍に不安そうに声を掛ける甘露寺。
面を被っていて、その顔は一切が窺えないが……
……鉄珍の心臓はその鼓動を止めていた。
里長、鉄地河原鉄珍の命の灯は今尽きた。
「て、鉄珍様……ッ!」
最後まで心を強く持ち、鬼になる誘惑すら突っぱねた、小さくも偉大な老人の死に
甘露寺は顔を手で覆いながら落涙する。
一頻り泣いた後、甘露寺は涙を拭った。
「鉄珍様……ッ!あなたのその心の強さ、私は決して忘れませんッ!!」
……そして、下がっていた口角は持ち上がり、鋭い牙は剥き出され
哀しみに満ちた顔をゆっくりと歪ませていく。
一呼吸もしない内に、"ご馳走"を前にした満面の笑みに移り変わった甘露寺は
死屍累々の里の中で高らかに叫んだ。
「いただきます!!」
