馬の骨にはまだ早い

馬の骨にはまだ早い



 取り上げた時でもなく、へその緒を切った時でもなく、少し経って目が開いたあの子が小さな紅葉のような手でボクの指を握った時に、泣く資格もないのに涙が出そうになった。

 助けるのを諦めそうになった、産まれてすぐに殺すことも考えたその小さな命はボクの想像を超えて逞しく、そして思いもしないほどにか弱く脆い。


 きっと大人にはなれないに違いない。きっとその内、中にいる虚に負けてしまうに違いない、きっとこの小さな体は自分の霊力に耐えきれないに違いない、それでも。

 あらゆる手を尽くして、そしてこの子が奇跡的に命を繋いだら、万に一つを手にして大人になったなら。その時はボクにも泣く資格があるだろうか、そう祈ったのを昨日のことのように思い出せる。


「浦原さん?聞いとる?」

「えーっとなんでしたっけ?」

「聞いとらんかったん?それとも耳遠なったん?お爺ちゃんになるにはまだ早いで」

「ボーッとしてたッスね」

「もうボケとるやん手遅れや」


 唇を尖らせてげしっとボクを足蹴にしたあの子はあんなにか弱く小さかったのに、キチンと大きく成長した。今でも少し信じられない。

 少し小柄ではあるけれど、あの頃の不安定さや命の灯火が今にも消えてしまいそうな頼りなさを思うと大きくなったと感じる。


「小さい頃はあんなに可愛く喜助って呼んでくれてたのに……」

「いつの話してんの?」

「大きくなったら喜助のお嫁さんになってあげてもええよって言ってくれたのも忘れたんスね……」

「いつの話してんの!やめぇや!」


 げしげしと背中に足を感じるけど、こんなもの照れ隠しの可愛いものだ。もうこの子の脚が岩くらい砕けるようになっていることをよく知っている。

 なにしろ夜一サンがそれはもうドヤ顔で報告をしてくるので。あの人はしがらみのない自分の直弟子が可愛くて仕方がないので、ボクによく自慢してくる。


 確かにあの子が師匠と呼ぶのは他にはいない。鬼道はとにかく霊圧のコントロールを学ばせようと興味をもって楽しいと思わせることを優先したので、そっちを教えた人たちはボクも含めて師匠っぽくないのだろう。

 白打を教えだした時はその教え方に少しだけハラハラしたものだけど、案外と負けず嫌いだったのでうまく噛み合ったようだ。そこも可愛いのかもしれない。


「もー!駄菓子屋の方の話しとるのに、なんも聞かんやん!このひげ帽子!」

「下駄帽子とは言われるんスけど、ひげ帽子は斬新ッスね」

「発注全部鈴カステラにしてよく回る口ん中パッサパサにしたるからな!」

「ええ……品揃え悪いとお客さんからの評判が……」

「評判なんて店主の怪しさで、すでに地面にめり込んどるわ!」


 ヨヨヨとわざとらしい泣き真似をしたら鼻で笑われ、置いてあった段ボールを抱えてどこかに行ってしまった。小さい頃はこれにすら騙されて「喜助泣かないで」と小さい手でよしよししてくれたのに。

 子供の成長って早いもんだなぁと親のようなことを考えながら、よっこらしょと重い腰を持ち上げる。これ以上へそを曲げるとご機嫌取りも大変だ。


 なにせボクたちはみんな、あの子がいっとう可愛いので。もう嫌いなんて言われてしまうのが嫌でついつい甘やかしてしまう。

 それと同じくらいキャンキャン怒るあの子が可愛いので色々とからかってしまうから、結局のところ相殺しあっているのかもしれないけれど。


「ごめんなさい、アタシも手伝うッスよ」

「邪魔やから座っててええのに」

「そんなツレないこと言わずに、それともお茶でも淹れときましょうか?」

「鉄裁さんがお饅頭ある言うてたからお茶淹れといて」


 シッシと手で追い払われたので仕方なくお茶を淹れに向かう。ボクたちはあの子が小さくて中々大きくならない期間のことを知っているから何かにつけて食べさせたがりがちだ。

 そのためバイトに来ているはずなのに、なんだかんだとお菓子やご飯を賄いという枠を超えて与えてしまうのだけれど、特に疑問には思われていないらしい。


 余所で働いている人たちの様子を知っているのに疑問に思わないのは、やっぱりボクたちもあの子にとって身内のようだと思われているからだろうか。

 それがなんだか嬉しいような気持ちとそれを素直に受け取っていいのかまだ悩ましい気持ちが同居している。


「お、茶柱、寝とるけど」

「倒れた茶柱は意味ないッスね」

「ええやん飲んだら一緒やもん。浦原さんええことあるよう飲んどき」

「ありますかねぇ」


 肩に手を置いてひょっこり顔を出す様子から、もう苛ついてたことは忘れてしまったらしい。気持ちの切り替えが早いのだ。

 横にちょこんと座って饅頭の包み紙を開けている姿は、やっぱりまだ小さな子供のようにも見える。


 この子もいずれどこかの誰かと幸せになったりするんだろうか、できることならなって欲しい。ボクにはどこの馬の骨だと言う資格なんてないけれど、飛びきり一流の馬の骨であればいいと思う。

 できることならこの子の全部を理解して、複雑な父親の問題も了承して死神であることもちゃんと認めてくれるような。その上でなにがあっても守れる程度には強くて、けれど私生活でもしっかりして手に職も持ってるような浮気のしない馬の骨がいい。


「…………ボクでこれだと大変ッスねぇ」

「なんか言った?」

「アタシの運がこれで良くなるなら宝くじでもガッポガッポなのにって」

「倒れた茶柱で調子乗ったら折れるんは浦原さんの鼻っ柱や」


 そうッスね、なんて適当な相槌をうちながら、元隊長と副隊長ついでに鬼道衆のツートップが立ちはだかる相手が藍染惣右介以外にいるなんてと、未来のこの子に惚れてしまった男の受難をちょっと憐れんだ

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