飼い主と猟犬

飼い主と猟犬


 コードネームc4-621。

 それが強化人間としての彼が自らの名を捨ててまで得た「名前」だった。

 名前がない状態について何かを思うわけでもなく、さらに言うと彼にとって名前など正直どうでも良い話だった。

 彼が今、感じれるものは包帯越しに感じる空気の纏う冷たさ、それが連想させる自身を覆う暗闇、こんな状態のモノには似合わないほんのりとした自身の体温だけだ。

 彼は今、もうどうしようもなく詰んでいた。

 自身の身に起きた「何か」による体の機能の消失、それによる自身の記憶の消耗。

 そんな己の置かれた状態にすら何かにさえ何故かと怒りは湧きやしない。

 その理由は彼の強化手術による影響なのだが、それを知らない彼にとってそれを自身の「生」への諦めと認識するのは至極当然当たり前の話だった。

 ……だからというか、

「機能以外は死んでいるものと……」

「御宅はいい、起動しろ。」

 ……彼はその出会いを、

「621……」

……何者でも無かった自身に

「お前に意味を与えてやる」

……己に意味を与えてくれた人を、

「仕事の時間だ」

生涯で忘れることは無いのだろう。




 ハンドラーウォルター。

 自身の担当医?との話で彼はそう呼ばれていた。

 案外その会話に慣れてそうだったあたり、何度もこういったことをしてきたのかもしれない。

 そう思わずにはいられない冷静さと老いの迫力のようなものを、彼は感じずにはいられなかった。

 ……その割には、

「621、問題は無いな」

 なんというか、

「621、お前の状態はacに乗るパイロットとしては特殊なものだ。何かあるなら言え、調整する。」

……そんざいにしてこないな、と感じた。

 別に優しくしてもらいたい訳ではない。ただ、困惑したのだ。

 ac乗りというものは基本「傭兵」という分類の仕事だ。

 汚れ仕事に属するものである以上進んでなりたい者は多くは居ないし、むしろ雑に扱っても構わないモノとして扱われるのが世の常だ。

 だというのに、目の前の男はこちらの状態の把握を欠かさず行ってくる。

 仕事だから、で済めばそれまでだが、だとしても珍しいものだと、彼は感じた。

 ……同情でもしているのだろうか?だとしてたら一定の納得もできる。なんせ体は包帯に飲み込まれ、歩くことすら時間を要する体だ。彼は杖を持って歩かなければならないほど老いているし、そんな人間からすれば思うことが……

「621、お前は人生を買い戻せるなら、どうしたい?」

……人生をかいもどせるなら?

「驚くのも無理はないか。

 無論、冗談のつもりでは……あぁ、すまん。俺の目的を、まだ話していなかったな。」

「俺の目的は惑星ルビコンという星に眠っている、莫大なコーラルを見つけ出すことだ。」

 人生を、買い戻す。 

 ……意味を、名前を、持つ。

「コーラルはアイビスの火で消えた筈だった……だが、それは全てでは無い。惑星ルビコンにて再発見され、既に多くの企業がそれらに手を伸ばしている。」

彼の頭の中で意味という言葉が木霊する。

……今の彼に価値や意味というものは、認識しきれていないものだった。

 今の不便な体とはできればお別れしたいとは思っても、買い直した人生で何をすればいいか、目的が、「意味」が、産まれ直った直後に等しい記憶と何も出来ない体では、わからなかったのだ。

「とはいえ、コーラルがまだその争奪戦の最中である以上、それには莫大な価値が付いている。その鉱床を見つけ出せばどんなものでも買うことのできる大金が手に入るだろう。」

「それを手に入れることが俺の目的だ。

 ……621お前にはその手伝いをして貰う。」

……なら、これからの事は一種のデモンストレーションだと、彼は感じた。

 自分の与えられた意味から、自分を知り、自らの意味を感じるのだ。

「……それが、お前の「仕事」だ。」

「仕事」、案外、悪く無い響きだと、感情のない筈の強化人間は感じた。

 これは、大きな「仕事」だ。

 きっとこれは大きな波乱を、自身の変化を促す程に大きな出来事を、起こしてくれるものなのだと、彼はそう思わずにはいられなかった。

 ……ただ、

「それで……そうだ、お前はそれで人生を買い戻してやりたいことはあるか?」

 満足に動けない自分と、それを逐一気にするウォルター、という関係は、

「……『わからない』か……大丈夫だ、621。全てが終わった時に、考えればいい。」

…… まるで、犬と飼い主みたいだな、と彼は感じるのだった。

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