飢饉の名の下に
ぐちゅ、ずちゅ、という濡れた音がぼやけた脳髄に突き刺さって、そのとき初めて現実を意識した。
「ひっ♡、…ぁう♡、やぁ♡♡♡──」
甘く蕩けきった嬌声がどこか遠くから聞こえる。誰の声か、何があったのか、ここがどこで自分が今何をしているのか、何一つわからない。
きもちいい。身体の全部が気持ちいい。ずっとこの感覚に身を委ねていたい。
ただ、それだけ。
「ようやく素直になってくれたね。それでいい。お前は私の大切な息子なのだから。」
柔らかくありながらどこか歪んで冷徹な声が響く。
ドクンと身体の奥深くが軋みを上げた。この声に服従しなければならない。僅かたりとも聞き入れてはならない。
相反する衝動が同時に襲いかかった衝撃でもう一段階現実に押し出される。
「あっ♡っあんっっ♡♡…っは♡、ぁぁ♡♡──」
じゅぷじゅぷ、ぐちゅぐちゅ、どこか下のほうで立てられた水音が顎を伝って脳に響く。身体が揺れている。なぜだろう、わからないが思考するのが酷く恐ろしい。
…何か、深い深い失意があった。そんな気がする。取り返しがつかない失敗をしたような。
それで、全て投げ捨てて現実から目を背けて。黙って蹲って一方的に流し込まれる情報と快楽にキャパオーバーしながらも、抵抗するのが億劫で。自分という存在が貶められて矮小になっていくことにどこか安堵していて。
首筋という急所に歯を立てられた痛みすら、快楽に浸された脳は興奮材料にする。トチュ、クチュ、緩く柔く背骨に走る衝撃。
背後から両腕で拘束されて、支配欲に満ちた囁きを耳元に突き付けられた。
「デリザスタはお前の姿を見ると怯えるようになった。」
「お前が散々私の手を煩わせたせいであの子は消えない傷を負ったんだよ、ファーミン。」
ヒュッと息を吸い込んだ。
同時に奥深くに強く突き立てられて息が詰まる。
「っがはっ!!♡♡、あ゛♡、ぁー♡♡♡」
バチバチ明滅する視界の中で絶望を眺める。
それは、そんなことは。
──確かにあった、事実だ。
…ああそうだ、確かにそうだった。オレはあってはならない罪を犯したのだったな。
勝手にビクビク滑稽なくらい痙攣していた手脚がシーツに沈んでしばらく。
喘鳴も落ち着き、完全に現実に引き戻されてしまった。
「ぁんっ♡やっあっ♡、あ、ふぁ♡♡」
日が暮れてすぐ、マゴル城のお父様の自室のベッドの上。
お父様に首筋を食まれ下の穴を緩く突かれ、口と喉を触手状の何かがくちくちと犯し、甘く媚びた声が唾液と一緒に垂れ流される。歯肉を柔く擦られ舌の腹を突かれて喉がヒクヒク震える。身体が熱くてビリビリしびれて、全部気持ちいい。
でも、足りない。
口に入れられたのはおそらく性的用途の魔法生物。魔法使いから放出される僅かな魔力を餌とし、性感を感知して動き、媚薬成分を含みローションとしても使える粘液を出す触手。
カップルのマンネリ防止から性拷問まで幅広い品種が表裏問わず流通するうちの、おそらく性拷問用の高級品。
与えられる刺激に対して異様なほど激しい性感がある。後孔を軽く一突きされるごとに脳天をハンマーで殴られているような甘い衝撃。触手の粘液だけではなく、他の媚薬やドラッグ、あるいは恋の呪いや魅了魔法も同時投与している可能性が高い。
…拘束から逃れる手段がない以上、快楽を少しでも減らすか逃がすのが正解だ。
オレの固有魔法を最大限活かすのは諜報と暗殺。拷問対処や薬物は一通り修めている。
この状況からもどう立ち回るのが正解かも、ちゃんと知っている。
知ってはいる、が。
ずっとこの快楽に没頭していたい。今はただ、流されるまま快楽に心身の全てを侵食されて破滅したい。
与えられる快感を少しも逃さずもろに受け取って無抵抗に揺さぶられる。
「随分と従順になったものだ。いい子だねファーミン」
長時間快楽漬けにされ続けて身体に力が入らない。全身くたくたでシーツにしがみつくどころか軽く指を引っ掛ける程度が限界だ。股間は壊れた蛇口みたいに液体を絶えず垂れ流している。腕も脚も投げ出されたままびくびく震えるだけ。長いこと穿たれて立派な性器として完成してしまった後孔だけが元気にお父様のものを美味そうにぐぽぐぽ音を立ててしゃぶっている。もうなにをされても気持ちいい。イキすぎて辛いなんて段階はとっくのとうに越した。
それでも、足りない。
「あの愚かな息子達は、お前が存在するだけで害悪だと思い知ったろうな?」
「お前の存在を許す者は、もう父親である私しかいない」
オレが兄弟を傷つけた。
それは、あってはならない現実だ。そのはずだ。オレは兄だから弟は守るものなんだ。兄弟とセルだけがオレの全てなのに。
何も、何ひとつ否定できる材料を思いつけない。
兄弟たちからもセルからも見放されて現実で生きるなんてできないんだ。
別に、いいでしょう?従わないオレを自分好みの従順な肉人形にしたいんですよね、お父様?
ならいいじゃないか。もっと完膚なきまでに犯して、こんな無価値な自我も記憶も吹っ飛ぶくらい壊し尽くしてくれよ。
兄弟たち…特に2つ下のデリザスタが嬲られ痛めつけられる一番の原因が自分の反抗なのは、紛れもない事実だった。
だって、そうじゃないと生きていかれない。感情は習慣によって形成される。無駄だと分かっていてもお父様に抗い続けていなければオレはいつか諦念に呑まれて従順な傀儡に堕ちてしまう。
そのためだけに兄弟たちに苦痛を強いてきた最低最悪のクズがオレだ。
よかれと行動するとデリザが貶められる。血に塗れ身体のあちこちに痣や深い傷を作り組み敷かれ嘲笑らわれて玩具のように鳴かされる。怪我で熱を出して放心して横たわり包帯とガーゼに覆われて、…そして、オレの顔を見るといつも通りにヘラヘラ笑ってみせる。
あの子はまだ細くて折れそうな子供なのに。背骨の奥底に刻み込まれるような恐怖にも、地の底に引き摺り込まれるような無力感にも、慣れてしまっている。
大好きな弟のハズなんだ。
しばらく前まで末っ子だった、真面目クンで甘ったれで弱くてかわいい弟。
オレが殴って犯してぐちゃぐちゃのボロボロに傷つけた、大事なはずの弟。
…最後に会ったときのデリザスタは、正気に戻ったオレが血塗れの手を腫れ上がった頬に伸ばすと、顔を背けて歯を食いしばって涙の滲んだ目をギュッと瞑った。
それが、答えだった。
「この魔法生物を付けてやろう。特に大きく育った個体だ、私がいない間遊んでいるといい。」
そう言い残したお父様は肉体の定着のため部屋を去っていった。
また戻ってくるまでにどれだけの時間が経つだろうか。このままずっと放置され続けることも十分にあり得る。
一抱えほどある触手がオレの全身に腕を伸ばしくまなく這いまわる。熟れきった粘膜を擦り、耳をしゃぶり、内腿を愛撫する。
ボロボロ零れ落ちる涙は細い触手に舐め取られ、嬌声は喉の奥に突き込まれた一際太い触手に飲み込まれた。
残る力を振り絞ってどこかへ伸ばそうとほんの少し動かした手はすぐさま絡め取られて指先や手のひらを弄ばれる。
頭の中が毎秒毎瞬ずっとスパークし続けているみたいだ。
全部、ずっと、気持ちいい。
それしかもう分からない。分かりたくも、ない。
呼吸も限界ギリギリだし疲労感で腕も脚もほとんど動かない。それが心地いい。自分が何もできない状況にあることに深い深い安堵を覚える。
もっと辱めて、堕として、取り返しがつかないところまで破滅させてほしい。
怖かったよな、デリザ。
オレのこと信じてくれてたのに、こんな酷いことされて。
ごめんな。
どれだけ時が経ったか。
何時間、何日、下手したら何週間?昼も夜もわからないまま、ずっと触手にされるがまま啼かされている。
記憶は頻繁に飛んでいる。お父様はきっとオレが完全に発狂するか死ぬまでこのままベッドに飾っておくのだろう。
……本当に、早く、狂い果てたい。
触手の体液の一つである回復液を上下の口から注がれるから、適度に体力は回復させられている。
肢体を貪る触手は数時間前から大人しくなった。太いものを何本も咥えさせられて膨らんだ腹の中で蠢くイけそうでイけないギリギリの快感。ずっと弱火で炙られるのは快楽に堕ちきった身体には酷く堪えた。
泣き叫んで陵辱を求めても、触手はよしよしとあやすように下腹部を撫でながら媚毒を口に流し込み、零れる涙を啜るだけ。
発情しきっているのに満たされないままの身体が辛い。
突然ガチャリ、と扉が開く音。
衝動のまま叫ぶ。
ひさしぶりに出したまともな意味のある言葉にしてはあまりにも情けない、媚びた嬌声だった。
「お♡、おとうさまぁっ!♡♡おかして♡♡♡、はやくぅっっ♡♡♡きもちいいの♡、くらさい!♡♡♡おねがいします♡♡」
「オレの、あな♡、つかって、ぇ!♡♡♡めいれい、ぜんぶ♡♡きくからぁっ♡♡いれて、♡くらさいぃ!!♡♡おとうさまっ♡♡♡」
またはじまるのか。うれしい。もっときもちいいのがほしい。おれのさびしいところをついて。おおきくてふといのをちょうだい。なかにだして。からだがあつくて、うめてほしくてたまらない。
もうぜんぶいらないから、ぜんぶわすれさせて。
…近づく気配はお父様のものとは違った。
速く軽い足音。
「…兄者、話があるんだ。」
「ぇ♡?…デぃ♡、ざ、スタ?♡♡」
快感に茹だっていた脳が一瞬で冷やされる。
身体は快楽に侵されたまま、思考が臨戦態勢に切り替わった。
守るべき、弟。
なぜここに、お前がいる。
お父様はどこに行った。
オレだけじゃなく、デリザまで壊されるのか?
〜〜説得された〜〜
「オレら全員、兄者がいねーとその場で詰むから。」
憎悪に呑まれ、お前が受ける仕置きの大半の元凶になり、今度は快楽にまで染まったのに。
こんなにも弱く無様で兄弟たちの足を引っ張り続けているのに。
俺がいないと生きていけないとまで、言ってくれるのか。
デリザスタの手が雁字搦めに拘束されたオレの身体に伸びる。
媚毒と体液でぐずぐずになった肌に、祈るように優しく触れた細い子どもの手。
快感の拾い方を徹底的に教え込まれた挙句に散々焦らされた身体は新たな刺激にビクリと震える。
もっと犯してほしい、そんなんじゃ足りない、もっと敏感な部分を強く強く穿って。
浅ましい欲望が表出した嬌声を気合いで止める。
今そんな『くだらない』空気にしてたまるか。
…お父様に逆らうのは無理だ。オレはもうこんなに堕とされたんだよ、デリザ。
そんな戯けたことを抜かす諦めの早い理性の声を呑み下し、頭の中でボコボコにする。
分を弁えるなんてやれるだけやった後だ。まだ手も足もちゃんとついている。魔力も吸われたり消されたりはしていない。
この世界の上澄み中の上澄みである兄や自分であってもどうしようもないほど偉大なお父様だ。
その目的に屈して、存在の全てを搾取され尽くす結末さえ受け入れてしまえば、まぁ捨てられるまではそれなりに幸福に生きられるだろう。
その道から顔を背け、折れられない地獄をデリザはまだ続ける気でいるらしい。
オレにまで手酷く犯されたというのに。
…だからまぁ、仕方ないんだ。
オレはデリザスタの兄で、弟より強いから。
もっと貪欲に強欲に、全てを望まなければ。
そう、全てを。
…全て、か。
思いつく限り最も幸福な幻想を想い描く。
お父様の器という役割も、これまでに叩き込まれた生き方も、積み重ねてきた罪も、全てを無視した幼い夢。
名前すら付けられなかった末弟とお互い無事に再会できる未来。
自分たちから引き離して洗脳されようとしているドミナとまた一緒に過ごせる未来。
どこまで傷ついても無力感に押し潰されても笑ってくれるデリザが周囲を気にせず力を抜ける未来。
辛い現実から逃げて守ってばかりのエピデムに、そんな必要がないくらい優しい選択肢が与えられる未来。
オレたちの強さに期待できず鍛錬に没頭していく兄者が菓子作りにも力を注げるような、そんな未来。
…本当に、そんな無謀な期待をし続けていいのか?
まだ幼児のドミナ以外、とっくの昔に兄弟全員人殺しだ。お父様の下から逃れたところでどう考えても死刑。他の真っ当に生きるための術も知らない。これからも更なる罪を重ねることになるはず。
そんな実現できない未来に縋る人生なんて。
無意味に抗っても器として使い捨てられる末路は変わらない、のでは。
お父様に忠誠を誓うべきではないのか。
他人から奪うのも殺すのもお父様が望む以上仕方ないことだと受け入れてしまえば。
…しま、えば。
兄弟たちが切り捨てられる側になるのも、いつかきっと仕方ないと思うようになる日が、必ず来てしまう、はずだ。
それは、そんなのは、オレは。
オレは。
デリザに、ドミナに、死んでほしくない。
決して得られないモノを追い続けるのは飢えて乾いて、辛い。
でもそれを兄弟がオレに望んでいる、らしい。
ああ。
…いいな、それ。
到底楽しいとは言えない道だろう。
手近な雑魚を嬲ることも殺しを愉しむことも封じられる。
まともな娯楽も自由も与えられていない弄ばれ続けるだけの日々なのに、無駄な目標のために努力し続けるなんて。
それでも、兄弟の願いに応えられるのならば、そんなことはオレにとっては些事にすぎない。
まだ、やれる。
まだ俺はこの渇望を諦められずにいられる。
全身が快楽を求めて疼く。こんなんじゃ誰もオレを戦闘員ではなく抱き人形だと思うだろう。多量の薬で頭痛も酷い。抱くだけ無意味な憎悪と殺意にそれ以外の感情全てが塗り潰されるみたいだ。
心身共に絶不調。でも、それでも動ける。
こんな壊れかけた俺を大事な弟が必要としてくれているんだから。
けほ、と咳き込みながら言葉を発する。手酷く嬲られていた唇と舌はぽってりと腫れている。息をするだけの僅かな刺激でも気持ちいい。ずっとずっと酷使し続けていた喉から出た声は掠れきっていた。
「…わかった。いいぞ、デリザ。」
「オレも、もうすこしだけがんばってみよう。」
そんな一言だけでパァッと顔を明るくしてしまう愚弟を見ると、本当にどこまでもやれる気がしてくるから不思議だ。
なにがあっても、どんなことをしてでも、お父様を受け入れない。
兄弟のためだけに生きてやる。
そのためなら、狂った道化に徹してやるとも。
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マッシュ・バーンデッドがイーストン魔法学校に入学し史上初めて魔法不全者でありながら神覚者となるまで、あと十数年。
彼の活躍によって壊滅することとなる犯罪組織『無邪気な淵源(イノセント・ゼロ)』の暗殺や諜報を担う幹部ファーミン。
その少年期の記憶である。