飛べない大鴉

飛べない大鴉


「スレッタさん、そういえば貴女の一番上の兄君って経営戦略科なのね。意外だわ」

同学年のメカニック科の少女から言外に投げかけられたどうして? という疑問に談話室で課題に取り組んでいたスレッタは目を瞬かせた。彼女の兄たちは皆有名人だ。決闘委員会に所属する次兄に数多の女子生徒と浮名を流す末兄。どちらも寮の内外を問わず人の口の端にのぼりやすく、とくに次兄のほうはファンクラブが結成されるほどに人気がある。

 しかし女子生徒からの質問が示しているのはそのどちらでもない。経営戦略科の兄、即ち『ペイル寮に棲み憑く妖怪』こと、年の離れた長兄のことである。スレッタは兄が経営戦略科に進むことになった理由───否、MSに乗らなくなるきっかけになった騒動を思い出して小さく笑う。「聞きたい?」と目の前の少女に尋ねると、いつの間にか周りに集まっていた同学年の生徒たちが前のめりになる。その様子にまたくすくすと笑みを零しながらスレッタは話し始めた。


 十四歳をむかえたスレッタの兄、エランが初めてザウォートの実機操縦を行うということで、スレッタはベルメリアに連れられてペイル社所有の訓練場を訪れていた。エランの乗ったザウォートが訓練場に現れると彼女のテンションは上がったが、時間が経つごとに増していく兄の操縦の心許なさに眉根を寄せた。なにせエランはスレッタ程ではないものの、シミュレーターでの成績は平均を大きく上回るのだ。やっぱりシミュレーションと本物は違うのかな。それともお兄ちゃん、具合が悪いのかな。不安と焦燥がちりちりと幼いスレッタの胸を焼く。

 暫くしてザウォートから降りてきたエランを見てスレッタは思わず「お兄ちゃん!」と叫んでいた。白皙の顔は青く褪め、足取りは覚束ない。やっぱりお兄ちゃん、体調悪かったんだ! スレッタがベルメリアの手を振り切るようにして駆け寄ると、エランは妹に誰でもいいからCEOを一人呼んでほしいとか細い声で頼んだ。

「おばあちゃああああぁぁぁぁぁん」とCEOを呼びながら走るスレッタの背後で、どさりと重いものが落ちる音がした。


 その後スレッタに手を引かれて現場に走っていったゴルネリと駐機場に倒れていたエランの間でどういう話し合いが持たれたのかはスレッタには分からない。しかし、この日以降、エランはMSの操縦をすることはなかった。


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 きゃあきゃあと盛り上がる二年生の集団から少し離れたテーブルに、二人の男子生徒が座っていた。

「良かったねぇ、あの後救護室で吐いたこと、スレッタにはばれてないみたいだよ、『お兄ちゃん』♪」

天使のような笑みでこちらを揶揄う弟にエランはうへぇ、と嫌そうな顔を作る。

「なんでお前が知ってるんだよ……」

緘口令を敷いたはずなのに、とぼやきつつ手元のタブレットに資料を呼び出す。寮の運営予算の半期決算報告書用フォーマット。さっさと終わらせないと、今ここにはいないもう一人の弟がブリザードを吹かせてくるな、と思案しながら項目を埋めていく。

 ───あの時、本人の体調と周囲の混乱が落ち着いたあと、エランは様々な検査を受けた。その結果、彼は三半規管が弱く、G耐性もほとんどないため(少なくともペイル社製の機体の)MSパイロットとしての適性がないことが明らかになったのだ。なまじシミュレーションでの成績がよかったためCEOたちは残念がったが、こればかりは仕方がない。コックピットの中でダウンして思わぬ事故を招くよりはずっといい。

 いつか一緒に宙を飛びたい、という妹の願いを叶えてやれないことが口惜しくて仕方ない。悔しさを紛らわせるかのように作業に没頭する。書類はまだ、提出出来そうにない。


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