【風邪の子】

【風邪の子】




カルテ 01 : 星野アクア


今朝起きた時から違和感はあった。だがほんの僅かな倦怠感と肌寒さという軽微なものであった為、朝食を食べて大人しく授業を受けていればその内快復するだろうと思い、放置する事にした。

だがその見通しが甘かった事を数時間後、俺は身をもって知る事になる。


(身体が重いし悪寒も増してる……完全に悪化したなこれは……)


時刻は11時30分、4限目の授業半ばで体調の悪化を実感する。正直まともに授業を受けるのもキツくなってきた。このままだったらマジで倒れかねないと判断した俺は、ちょうど俺達のクラスを受け持つ担任の授業だった為事情を話し、早退する事にした。

今朝の違和感が悪化した症状に加えて、徐々に頭痛も併発し始める。フラフラと覚束無い足取りで家路を辿り、途中目眩のせいで何度か足を止めながらもなんとか自宅まで辿り着いた。


───星野家・リビング


(ハア…ハア…くそっ、時間が経つ毎にダルくなりやがる……)


我が事ながら情けない状態だと思い、乾いた笑いが出てくる。前世で医者をやっていて、しかもその知識が残っているにも関わらずこのザマとはな。医者の不養生とはよく言ったものだと自分を皮肉る。

ピピピピッと音が鳴り、体温計が計測を終了した事を報せた。手に取って見てみると…


「38.7℃…か、ガッツリじゃねえかよ。こりゃキツいわけだ……」


思っていた以上の高体温を示していた体温計の電源を切り、戸棚に入っている救急箱を漁る。症状から見て単なる季節性の風邪だが、この段階から正しい処置をしないと、後々肺炎や気管支炎といった病の発症に繋がる。

だが俺が懸念しているのはそこじゃない。俺1人が苦しむのなら別段構わないが、ルビー達に移すような事態は絶対に阻止しなければならない。


風邪薬と解熱剤を見つけたので必要分だけ取り出し、少なくとも今日1日は部屋に籠って快復に努める事にした。


「ぐっ、また少し熱が上がったか…?頭も痛てえし、薬飲んでさっさと寝るか……」


もはや寝間着に着替える気力すら湧いてこないので、制服のブレザーとネクタイだけを脱いで布団に潜り込む。全身の倦怠感から来る疲労のせいか、目を閉じた俺の意識が手から離れていくまで、時間はそう掛からなかった。


(ん…………)


一眠りして意識が戻ると、どうやら数時間は眠っていたらしく、早退する辺りには真上にあった太陽は水平線の向こうへと沈みかけているようだった。


(……まだ身体はダルいし動かしたくないが、解熱剤のおかげで多少熱は下がったか。そういえば、額が冷たくて気持ち良い……?寝る前に熱冷ましなんか貼ったっけか……?)


「あ、お兄ちゃん起きた?大丈夫?」


覚えの無い熱冷ましを疑問に思っていると、横たわっている俺の隣にはいつの間にかルビーが居た。


「ルビー……!?お前、何で部屋に……うっ……」


「あーもう、無理して起きちゃダメだってば。大人しく寝てっ」


今の俺は妹に力負けする程に弱っているらしい。いきなり起き上がった為に目眩がしたのも手伝って、半ば強制的に横にさせられた。


「今何時だ……?」


「もうちょっとで17時かな。校門でお兄ちゃん待とうと思ったらお昼前に早退したって聞いたんだもん、だから急いで帰って来ちゃった」


「そうか……そういや熱冷まし貼ってくれたの、ルビーなんだろ?ありがとな……」


「…いつもと違ってお兄ちゃんが素直だ」


俺の事を何だと思っているのだろうか。確かに普段が素直じゃないと言われれば100歩譲って認めるが、俺だって礼くらい言うし何なら普段と少し違うのは熱のせいだ。


「……とにかく、俺は大丈夫だから部屋に戻れ。風邪が移るぞ」


「やだ」


「お前な……」


「…そんな事言っても、今大分苦しいんでしょ?お兄ちゃんっていつも1人で抱え込んでばかりだからさ、こんな時くらい妹を頼ってよ。私達、たった2人の兄妹でしょ?」


「!」


……1人で抱え込みがち、か。正直言って耳が痛い話だな。

確かに俺はあまり他人を頼る事をせずに、1人でどうにかしようとするきらいがある。加えて自身の優先順位を下げる傾向が多いのにも自覚はある。それらは全て、あの日の事件に起因するものだ。


12年前のあの日。血溜まりに沈んで少しずつ、しかし確実に死へと近付いていく父親の姿。4歳の子供には何も出来ず、自分の無力さを痛感させられた…。

もう2度とあんな思いをしたくない、するわけにはいかない。一種のトラウマとなって俺の中から消えない当時の光景を振り払うように、半ば強迫観念に囚われるかの如く、自身だけで目の前の事をどうにか出来る癖を付けてきた。


しかし、そのせいで今まさに大切な妹に要らない心配をさせているというのだから、笑い種と言う他無い。


「……悪かったな、心配掛けさせて。けどマジで移るかもしれないから早めに戻れよ?」


「大丈夫!その時はその時だよ!それに私殆ど風邪とか引かないもん」


(フラグにしか聞こえないんだよな……)


人は風邪を引いたりして体調を崩した時には、心身のバランスも崩れて不安や寂しさを感じやすい。当然俺も例外ではないようで、決して口には出さないが内心そう思わなくもない。

だからルビーが側に居たのに気付いた時は、少し安心した。


(……また、眠気が襲ってきたな。もう一眠り…する…か……)


安心感を自覚したのと同時に、もう瞼を開けておくのも辛い程強い眠気が来る。この分だと翌日には治っているだろう。ルビーと話をして幾分か気分も楽になった俺は、再び意識を手放す。


その間際にルビーが優しい手付きで俺の頭を撫でていた気もするが、気付かないフリをした。


翌朝になって目を覚ました時には、昨日の不調はほぼ全て快復していた。父さんと母さんも心配していたようでリビングに下りてきた俺を見て安心した表情をしていたが、何やらバタバタとした様子。

俺の懸念は現実になってしまったようで、今度はルビーが風邪を引いてしまった。




カルテ 02 : 星野ルビー


「けほっ…けほっ……」


「ルビー、大丈夫?」


「うーん…流石にちょっと辛いかも……けほっ…」


普段滅多に体調を崩さない私が珍しく風邪を引いた。といっても原因ははっきりしてる。

そう、昨日お兄ちゃんの看病をしてからしっかりと貰ってしまったのだった。


「だから言っただろ、移るから早く部屋に戻れって…。元は俺から移った風邪だし、俺が看病するから2人で学校休ん……」


「アクア、ルビーの看病は僕がするから学校に行ってきなさい。今日はお仕事無いから僕に任せて」


「だけど……」


心配性だなぁお兄ちゃんは。きっと自分のせいだって思ってるんだろう、そんな事ないのにね。

でもこのままだとパパとお兄ちゃんは押し問答を続けるだろうと、ずっと一緒に暮らしてきた私には分かる。だからパパからだけじゃなくて私からも言わなきゃいけない。


「けほっ……ママもお兄ちゃんも、パパが居るから大丈夫だって。早くしないと遅れちゃうよ……?」


「ルビー……」


「お前…………分かった。母さん、ルビー自身がこう言ってるんだ、俺達がいつまでも居たらルビーが逆に心配する。だから父さんに任せよう」


「アクア……うん、分かった。ヒカル、ルビーの事お願いね?なるべく早く撮影終わらせるから!」


あはは……ホントに家族大好きだなーママもお兄ちゃんも。私にとってはそれが嬉しいし、私とパパも2人が大好き。


最後まで心配そうな目をしながらママは事務所へ、お兄ちゃんは学校へとそれぞれ向かって行き、我が家には私とパパの2人だけになった。


「ルビー、食欲はあるかい?」


「んーちょっとなら……何か冷たい物あったっけ…?」


「確か冷蔵庫の中にゼリーがあったと思うから見てくるよ、ちょっと待っててね」


あー言われてみればあった気がする…確かオレンジとグレープ味のやつがあったような。

今はなんとなくグレープの方が良いなとは思うけど、パパはどっちを持って来てくれるかな。

台所に行ってから1分経つかどうかといったところでパパが戻ってきた。


「お待たせルビー。オレンジ味とグレープ味があったんだけど、グレープの方で良かったかな?」


「……すごいねパパ、ママがあれだけ惚れるのも分かる気がする」


「え?何の話?」


「ううん、何でもない。ありがとパパ」


2択とはいえピンポイントじゃん。昔からナチュラルに人の心を察するのが上手いというか、人に寄り添うのが上手いとこがパパにはある。知り合い以外には結構警戒心強めなママを口説き落として(?)、あそこまでメロメロにした秘密の一端なんだろうなと私は本気で思ってる。

けどパパのその特技は、私達家族にとってはプラスにしか働いてないからありがたいんだけどね。


「あー、冷たくて美味しい…」


「ふふ、それなら良かった。それにしても今風邪が流行ってるのかな?事務所でも何人か罹ってる人が出始めてるんだよね…」


「そーなの?」


「うん、季節の変わり目だからかな。社長もスケジュールを再調整しなきゃいけないって嘆いてたよ。ぴえヨンさんは相変わらず元気にブートダンスしてたけど」


わー、簡単に想像出来る…。多分ぴえヨンはウイルスとか全部弾くと思うから心配要らないんじゃないかな。

そんな事を考えていると、穏やかな微笑みでパパがポツリとこぼす。


「……それにしても、こんな風にルビーと2人っきりになるなんていつ振りだろうね。小さい頃にあの大きな公園に行った時以来かな」


「言われてみればそうかも……あの時やっと『パパ』って呼べたんだよね、パパが優しく抱き締めてくれたから勇気を出せたんだよ?改めてありがとう、パパ」


「…僕の方こそありがとう。ルビーのおかげで僕は自分の気持ちに気付けたし、君達双子の父親でいて良いんだって思えた。アイとアクアとルビーと、この先何があっても一緒に居たいって、強く思った」


お互いがあの日の事を思い出しながらお礼を言い合ったけど、なんだかちょっぴり照れくさい。

けど思いも言葉も、相手に発して初めて伝わるものである。その事を私達は痛い程に分かってるからこそ、今ではしっかりと伝えるようにしている。


心の底から、みんなが大好きだから。


「ん…………ちょっと眠くなってきたかも……」


「おや、なら暖かくしてぐっすり寝ようか。早く治ると良いね」ナデナデ


(あ……)


パパが私の頭を撫でてくれる手付きは、昔と何も変わってない。優しくて愛に溢れていて、とても暖かい大きな手。

そういえばあの日の帰りにも、眠そうな私を見て同じように撫でてくれたっけ。


「ありがと…パパ……。おやすみ…なさ…い…………」


「うん、おやすみルビー。良い夢を」


私が寝るまでの間ずっと撫でてくれていたパパのおかげで、最初は久しぶりの風邪で不安だった私の心は暖かい気持ちで満たされていく。

心地良い眠気の波が強くなり、少しずつ意識が遠のいていく。いつの間にか息苦しさや咳も止まり、ぽやーっとした少し高めの体温だけになった私の体調。起きた頃には治っているだろうという確信を得ると同時に、私は夢の中へと旅立った。




カルテ 03 & 04 : カミキヒカル&星野アイ


「ああ、これは完全にやられてしまったね……ゴホッ…」


「う~……辛いよぉ…頭がぼーっとするよぉ……」


ルビーの風邪が治った数日後、今度は父さんと母さんがダウンした。それも同時に。

俺を看病したルビーが風邪を引いたので、そのルビーを看病した父さんの番かと思っていたのだが、何ともなかったので安心していた。

どうやら2人は事務所で流行っている方の風邪を貰ってしまったようで、昨日仕事を終えて帰ってきた時から少し様子がおかしかった。具体的には少し顔が赤く、足取りもどこか覚束無い場面も見られた。だが……


『お仕事で疲れちゃっただけだから大丈夫だよー』


『今日はあちこち走り回ったからね。いつもより疲れただけだから、一晩寝れば大丈夫だよ』


などと言っていた。しかし心配になり翌朝になって見に行くと、2人共顔を真っ赤にして目を回していた。休日日課のジョギングを始める時間になっても起きてこないから「もしや」と思ったが案の定だ。今日は土曜日だから俺とルビーで看病出来るのが唯一の救いか……。


「父さんが38.8℃、母さんが38.1℃か…。こりゃ完全にアウトだな、俺とルビーに続いてだからこれでうちは全滅だな」


「珍しいよね、うちの家族そんな風邪引いたりしないのに。パパもママも大丈夫?」ナデナデ


「ちょっとキツいかな……ゴホッゴホッ…。頭が回らないし視界も揺れてるから……」


「私も無理ぃ……最後に風邪引いたのなんて何時だったかすら覚えてないけど、こんな辛かったっけ……うぅ~……」


つい先日の事だから俺にも覚えがあるが、高熱というのはシンプルだがこれがかなり辛い。体はまともに動かせないし思考もまともに働かない、それが普段滅多に体調を崩さない人が罹ったとなれば余計にでも辛いだろう事は想像に難くない。


さて、今まともに動けるのは俺とルビーの2人だ。そして俺とルビーが使用した為に風邪薬が不足している上に、他の物も買い出しの必要がある。

プランとしては俺が買い物に出てその間2人の事はルビーに看てもらう、これだな。


「2人共、食欲はあるか?それと喉に痛みはあるか?」


「僕は食欲は多少あるけど、咳込んでるせいで喉は痛いかな……ゴホッ……」


「私もちょっとはある…あと喉は痛くないかなぁ……」


ふむ…となると喉が痛む父さんには雑炊、そうでない母さんにはうどん辺りが良いか。あとはヨーグルトやゼリー、擂り下ろす用にリンゴがあれば十分だな。他にはスポーツドリンクと足りない薬と……。


「……よし、必要な物はこんなところか。ルビー、俺はちょっと買い出しに出てくるから少しの間2人を頼むぞ」


「任せて!私が付きっきりで居るから!」フンス


普段なら多少心配になるルビーだが、こと家族が関わってくるとなると途端に頼もしくなる。それだけ大事に思っているのだろう。

2人の事をルビーに任せ、早めに買い出しを済ませるべく足早に家を出た。


─────────。


さて!お兄ちゃんが買い物に行ってくれてる間に、私は私に出来る事をやらなくちゃ。


「パパ、ママ、はいお薬と水。今残ってるのこれで最後だから、お兄ちゃんが新しいの買ってくるって」


「ありがとうルビー…んっ……あ、やっぱりちょっと喉が痛いな……」


「…………」


あれ、ママどうしたんだろう。ずっと渋い顔したまんま薬見て固まってるけど…。


「アイ…?」


「……薬って苦いから苦手なんだよね…」


「えっ」


ママが小さな子供みたいな事を言い出した。粉薬なら私も苦手だから気持ちは分かるけど、今渡したのって錠剤タイプだしなぁ。


「なんか子供みたいで可愛い」


「むぅ…自分の子にそう言われるのって何だか複雑……。可愛いって言ってくれるのは嬉しいけど……」


「ほーら、飲まないと治るものも治らないから。ぐいっと行ったら苦くないよ」


「うぅ……はぁ、んっ…………!」ゴクッ


意を決したママは両目をぎゅっと瞑って薬を水と一緒に口へ放り込む。嚥下音が聞こえたのでしっかり飲んだようだ。偉い偉い。


「うんうん、ちゃんと飲めたね。偉いよママ」ナデナデ


「う~……やっぱり複雑だよぉ……。あ、でもなんだか安心する……」


「あはは…ゴホッ、今だけはルビーの方が母親みたいだね……」


「も~…ヒカルまでぇ……」


「ごめんごめん…」


なんで高熱出てキツいはずなのに、イチャついて更に体温上がるような事してるんだろうこの夫婦……。あーあー、2人して顔真っ赤にしながら目回して倒れちゃった。

可愛いけど世話が焼けるパパとママに若干呆れながらも、それでこそだと思ってる私も相当毒されてるよね。


倒れちゃった2人の額に熱冷ましを貼り、寒くならないように布団を掛け直す。


「……」


思い返せば私とお兄ちゃんが、パパとママに対してこうやってお世話をするのは初めてかもしれない。私達がやってるのは簡単な看病だけど、パパとママは今日までずっと私達の全てのお世話をしてくれているのだ。それがどれだけ大変な事なのか、今の私には想像も出来ない。


私は前世から誰かに与えてもらってばっかりだ。4歳で『退形成性星細胞腫』とか言う病気に罹ってからずーっと病院生活で、誰かに何かをしてあげられた事なんて1度も無い。生まれてから入院生活になるまでもお母さんに与えられてばかり、そんなお母さんが段々会いに来てくれる回数が減っていく中、さりなだった私を支えてくれたせんせにも与えてもらう一方。勿論『B小町・アイ』にだって、生きる希望を……。


『私って何なんだろう───』


そう思った事も1度や2度じゃない。誰かに何かを返してあげれない自分を、何度も疎ましく思った。こんな体で何が出来るんだろう、と……。


そんな私が、今生の両親にようやく少しだけ返せている。ただの自己満足かもしれないけど、それでも良い。

今の私は『天童寺さりな』じゃなく『星野ルビー』。大好きな両親であるカミキヒカルと星野アイの娘で、これまた大好きで私と同じ転生者のお兄ちゃん、星野アクアの妹。それだけでも望外の幸福だ。


だからその幸福に報いるように、これから私は出来る限り全力で返していく。


(…湿っぽい事考えちゃった。そろそろお兄ちゃん帰ってくるかな?)


今や遠い過去のさりな時代の事を思い返していたら、玄関の鍵が開く音がした。お兄ちゃんが帰ってきたみたい、30分って徒歩で出たにしては結構早いんじゃない?


「お兄ちゃんお帰り!」


「ただいま。悪い、遅くなった」


え、これで遅いの?陸上選手にでもなるつもり?


「俺は今から2人の飯作るから、ルビーはゼリーとかを冷蔵庫に入れてくれ」


「分かった。このリンゴはどうする?擂り下ろしとく?」


「いや、擂り下ろすのはもう少し後だ。リンゴの果肉は空気中に晒されると成分が酸化して茶色くなる、食えないワケじゃないが見映えが悪いからな」


「へー、やっぱ物知りだね」


相変わらずお兄ちゃんの知識量は豊富で、私達一家の知恵袋的な一面を密かに担っている。

そういえば未だに、お互いの前世について深掘りした事は無い。まあ今の人生を生きる上では特に必要でもないしね。


いつか話しても良いって日が来たら、その時は軽く話したいかな?


「あれ?LINEだ」


ポケットのスマホがメッセージの着信を知らせる。相手は……先輩?うえっ!?


「なんでこんな時にー!」


「どうした?」


「今先輩からLINE来てさ、新生『B小町』の事で相談があるから事務所に来れないかって……」


もー、なんでパパとママが大変な時に限ってそうなるのかなぁ!?でもわざわざ呼び出すって事は結構大事な話なのかな…。

どうしたら良いのか悶々としていると、お兄ちゃんが声を掛けてきた。


「行ってこいよ、大事な話だったら困るだろ?お前が夢見てたアイドルの今後に関わる可能性だってあるんだから」


「でも……」


「2人には飯食わせたらゆっくり寝てもらうから。だからこっちの事は任せとけ」


「お兄ちゃん……分かった、じゃあちょっとだけ出てくるね」


そうだ、頼りになるお兄ちゃんが付いてるから多分大丈夫。そう信じた私は早めに用を済ませて戻れるよう、さっき買い物に出たお兄ちゃん同様足早に家を出た。


─────────。


「ほら、2人共飯出来たぞ。起きれるか?」


「うん、ルビーが看病してくれたからちょっと楽になったよ…」


「あれ……すごく良い匂い。わ、これアクアが作ったの?」


どうやら少しだけ体調は良くなっているようで安心した。何かを食べて栄養を摂らないと治るものも治らないが、かといって無理をして食べても戻してしまい、脱水症状になる危険性もあるからだ。


父さんには味噌と出汁で味を整えた雑炊を、母さんにはあっさりとしたシンプルなきつねうどんを用意した。追加で両方とも溶き卵で軽く閉じ、栄養価を底上げした。

ゴロー時代の自炊経験がこんな場面で役立つとはな。


「いただきます、あむっ……うん、すごく美味しいよアクア。喉が痛くても食べやすいし、味がしっかり付いてる」


「じゃあ私もいただきまーす……ん~、うどん美味し~。ツルツルして食べやすいしあっさりしたお出汁が沁みる……。ありがとアクア」


「…レシピ通りに作っただけだから味は保証されてる。それより食欲はしっかりあるみたいで良かったよ」


「レシピ通りだとしても、アクアが僕達の為に作ってくれた事が嬉しいんだ」


「そうそう。今朝起きた時はご飯食べる元気なんて無かったけど、アクアが用意してくれたんだって分かってからは食べたい!ってすっごく思ったもん」


「「だから…ありがとう、アクア」」ニコッ


「っ!!」


発熱で顔が紅潮していつもよりポヤポヤしているせいか、破壊力が何倍にも膨れ上がった笑顔を向けられた。不意にされると心臓に悪いな……決して悪い気はしないが。


「た、食べ終わったら置いといてくれ。リンゴ擂り下ろしてくる」


赤くなった顔を見られないよう、そしてそれを悟られないよう、俺は逃げるようにしてキッチンへと向かう。



(くっ、反則だろあの笑顔……)シャリシャリ


買ってきたリンゴを擂り下ろしながら顔の火照りを冷ます。2人の、特に母さんの笑顔に俺は未だに弱い。なんたって俺は今でも、筋金入りのアイのファンだから。


擂り終わったリンゴを器に盛りつけ、2人が待つ部屋へと持っていく。ドアノブに手を掛けて開けようとしたところで、中から2人の会話が聞こえてきた。


「ご飯食べたらなんだか楽になってきた気がする……美味しかったねヒカル」


「うん、アクアがあんなに料理が上手だなんて知らなかったよ。それに僕達それぞれに合わせて食べやすさも味も調整して、更に栄養もある感じがしたね。まるで病院の先生…みたいな……」


「……」


2人に味わってもらった料理の感想が聞こえたと思ったら、突然2人共黙り込んでしまった。


「……センセー、今どこに居るんだろうね」


「分からない……。あの夜、外に出てから僕達が東京に戻るまでずっと帰って来なかったけど、あの人は理由も無く突然失踪するような人じゃない」


「分かってる、分かってるけど……」


(………………)


俺は両親に対して2つの秘密がある。1つは、この『星野アクア』という人間は2人の純粋な子供ではなく、他人の魂が入った混ざりものだという事。

もう1つは、その魂の元々の持ち主は未だに待ち続けている『雨宮吾郎』その人だという事。


雨宮吾郎は既にこの世には居ない。あの夜、アイとヒカルが居た病院の近くで足下が崩れて滑落し、おそらく頭を強打したのだろう。驚く程呆気なく、そして突然死んだ。

2人の子供を安全に、確実に生ませると約束したのに、それを果たしてやれぬまま。


『俺は何のために───』


そんな風に思った事が幾度かある。さりなちゃんも救えず、2人と交わした約束も破り、父親となったヒカルも満足に助けれない俺は何の為に医者になったのか、何の為に今一度の人生を与えられたのか……。


この自己問答に対する解は、未だに得られていない。いっそアイとヒカルに『雨宮吾郎はここに居る』と言えば楽になれるかもしれないが、それは2人の待つゴローが既にこの世を去っていると裏付ける事になる。

その時、2人は事実を受け止められるだろうか。幸せだと感じているこの関係が、音を立てて崩れてしまうのではないか。そう考えてしまい、言い出す事が出来ない。


だからこそ俺はこの真実を奥底に隠し、嘘を吐き続ける。


嘘は、とびきりの愛だから───


(……くだらない感傷に浸ったな)


先ほどまでの思考を振り払い、吐き捨てる。今は2人の看病を続ける方が余程大切だ。

2人の話など聞こえなかったような素振りをしながら、俺は部屋をノックする。


「入るぞ」


「あ、うん。いいよアクア」


ガチャッ


「リンゴ擂ってきたぞ、風邪の時はこれが効果的だ。冷たいし水分補給にもなるから食べてくれ」


「はーい、いただきまーす。…おー、初めて食べたけどシャリシャリしててちょっとトロッとしてる?ひんやりしてて美味しい……」


「あ、少しハチミツが混ぜられてるかな?」


「気付いたか、正解だ父さん。ハチミツには抗菌作用と抗炎症作用があるから喉の痛みに良いんだよ。この後悪化しないとも限らないし、予防も兼ねてな」


「息子の心遣いが沁みる……」


「かわいい我が子の愛情が嬉しいよ~」


分かった分かった。感謝と愛情を伝えてくれるのは嬉しいから、食べ終わったらそろそろ寝てくれ。結局、睡眠に勝る風邪の治療は無いんだからな。


「洗い物終えたら戻ってくる。眠くなったら寝てて良いから」


「「分かった/はーい」」


洗い物を終えて部屋に戻ると、穏やかな寝息が聞こえる。腹が膨れたのも手伝って、眠気が一気に来たのかもしれないな。

それにしても……


「……ふっ」


2人の寝顔を見て、思わず笑みが溢れた。

間違いなく立派な大人になった、間違いなく立派な親になった。しかし先ほどの感傷のせいか、その寝顔に初めて出会った時のまだ幼い2人の面影が見えた。

気が付けば静かに寝ている2人の頭を、無意識に撫でていた。


父さんも母さんも、今日までずっとありがとな。それと……


(ヒカル、アイ、あの日の約束守れなくてごめんな。待たせ続けてしまってごめんな。勝手に死んで、ごめんな……)


俺はもうゴロー本人ではないかもしれないけれど、2人の苦労も努力もずっと傍で見てきたし、これからもアクアとして、ルビーと一緒に傍に居るから。


だから今はゆっくり休んでほしい。

お大事に…良い夢を……。



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