雷撃ちて刃となる 下
吾妻 光それはあたしが小学五年の頃のこと。
毎年何度か行われる、死薙龍家とその分家の親睦会の最中に起きた偶然の出会いだった。
あたしは死薙龍家に「あの子」以外にどんな人がいるのか、どんな成果を上げたのかにまるで興味がなかったから、頃合いを見て会場をこっそり抜け出して、併設されている道場で明かりも付けずに体育座りでボーっとしていた。
うちの人達も、未だに放電をコントロール出来ないあたしを無理に壇上に立たせるほど鬼じゃなかったから簡単に抜け出せるし、この問題行動はちょっとしたルーティーンとなっていた。
────ふと、一つの人影がその静寂を破った
「ん?先客がいたとは…なんだいお嬢ちゃん、お前もサボりか?」
暗い道場に現れたのは、車椅子の老人だった。吾妻家では見た事無いし死薙龍側の人間だろうか?
面倒だな。大人たちに告げ口でもされる前に道に迷っていたとでも誤魔化して退散するか…
「未来のべっぴんさんがそんな顔しなさんなって、別に誰にも言いやしねえよ。…それに、儂も人の多い所は好かねえんだ」
「…どうしてですか」
問いかけが咄嗟に口から漏れる。眼前の老人にあたしを咎める意思がないことを確認できたからか、それとも───────
「斬り殺したくて堪らなくなるからだよ」
本能的にその返答が帰ってくる事を感じ取って、無意識的に親近感が湧いたからか。
「…おいおい眉一つ動かさないじゃねえかよ。爺の冗句には笑って返すのが筋ってもんだぜ」
「とても冗談には聞こえませんでしたが」
「あ、バレた?」
飄々と老人が言葉を返す。
「死薙龍家も、昔とは大きく変わっちまった。莫迦の一つ覚えのように護国の理念を貫いてるような面はしてるが結局は国の狗。時勢の流れには逆らえない」
「だから吾妻みたいな半端な思想が生まれる。殺人剣で悪を挫き、人の命を助けられると本気で信じてる連中が出てくる。それをいくら分家扱いにして膿を出した所で何れ幾らでも湧いてくる」
「そんなものはもう儂の護りたかった国じゃない。だから斬り殺したくて堪らなくなるんだ」
「…わかります」
自分の家をオブラートに包むことなく侮辱されたというのに、彼の見解はとても心地の良いものだった事を今でも覚えている。
「こんな人気の無い所に好き好んで籠る捻くれ娘らしい返しだな。気に入った…そんで、お嬢ちゃんを見込んで頼みがある」
「儂を殺しちゃくれねえか。今、ここで」
その要求には、流石に言葉が詰まった。
だってまるで意味が分からない。なぜ今知り合ったばかりの人間に、何となく親近感の湧いてきた人間を殺さなくてはならないのか。
「……訳が分からないって面してるな。けどこれも結構切実な話でよ」
「儂の人生は、とっくに終わってんだ。足は大昔に動かなくなって久しいし、手の痺れも抑えられなくなってきた。オマケにボケ始めてるのか一週間の内四日間くらいは何してたかまるで思いだせねえ」
「こんな状態で生きてても埒が明かない。だからこそ『とっとと楽にしてくれそうな目をしてる奴』を探してたんだ」
言葉が、出なかった。
「…どうした、そんな莫迦げた頼みは聞けないってか?まあそうだろうなあ」
足が、動かない
『折角のチャンスを無下にするの?』
黙れ。
『これまで散々待っていた絶好の機会じゃん。さっさとこいつ殺して吾妻家とは縁切っちゃおうよ?そうすれば待ち望んでた夢の悠々自適な暮らしが待ってるよ』
己の心の悪鬼が囁く。考え無しにそんなことをしてみろ。
自由どころかすぐに捕まって経歴にもケチがつく。黙れ。黙れ。黙れ。
『いつまでそうやって理由付けていつまでも踏ん切り付けないつもりなのかな?そんなんだからあたしはずっと籠の中の鳥。きっとこのままつまらない人生を過ごして、つまらない終わりを迎える』
黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ
『さっさと楽になっちゃおうよ、このジジイと二人でさ』
「───────なんだ、つまんねえの」
永遠とも思えた刹那を切り裂いたのは『鞘に収まったまま展開されたあたしのイグナイト』ではなく。
老人が呼び出した、禍々しい刀のイグナイトであった。
「なんだお嬢ちゃん、そんな巫山戯た得物で人を殺そうとでも思ってたのか?日本刀は人を斬り殺すもの。それを包む鞘のイグナイトなんぞに殴り殺されたら末代までの恥にしかならねえ」
「…早く死にたいんじゃなかったんですか」
自らのイグナイトを斬られ、大きく吹き飛ばされたあたしが愚痴る。
「死に方を選ばないとは言ってねえ。折角国をぶち壊して自由気ままに人を斬る傑物に逢えたと思ったが大外れか…」
「どういう意味ですか」
分からない。この老人がさっきから一体何を望んで何をあたしにさせたいのか。分からなくなってきた。
「言葉通りだよ。確かにお嬢ちゃんの眼には儂と同じ狂気が視えた…けど、それが全部じゃねえ」
「お前はその狂気のままに生きられる人間じゃねえって事だ。自由になりたくても結局全てを捨てきれねえ。捨てたところでまた何かに縛られる。そしてどの道雁字搦めのまま行く所まで行き着く」
「てんでつまらねえ人間だ。少しでも期待した儂が莫迦だったぜ」
────それはまさしく、雷に打たれたような感覚だった。
この老人は、本気であたしの事を狂気のままに暴れる怪人に仕立て上げたかったのだろう。己の望みを託したかったのだろう。
「やっぱりお嬢ちゃんは吾妻の人間だ。…とっとと会場に戻りな、次は本気で斬るぜ」
ゆっくり立ち上がり、老人に顔を向けることなく…あたしはその場を立ち去った。
それからのあたしは、よく笑うようになったと思う。
これまで適当にこなしてた剣術を嗜んでみることにした。これが意外と奥が深く楽しい。なぜこんなものに今まで興味を示さなかったのかが不思議なくらいだ。
あたしのイグナイトは鞘とのセットだから、居合術なんて覚えてみるのも良さそうだ。
結局のところ、人間真っ当に生きる事が肝要。その中の楽しみにどれだけ気付けるか…あたしはなんだかんだ子供だったから、沢山のものを見落としてたんだと思う。
あの一夜の出来事は傍から見ればろくなものではなかったが…不思議と悪い心地はしなかった。なんだかんだ良いキッカケになったのだろう。
あたしは自由にはなれない。けど…きっとそれで良いのだ。
それこそが…吾妻(ヒーロー)にとって一番大事なものだと思うから。
これがいまのあたしを形作った些細な出来事。「光」となることを望まれ、「剣」になりたいと願った人間が──────寸刻で心を焼く「雷」と出会い、変わった…そんなつまらない話である。