雲壌月鼈、夏炉冬扇。狷介孤高の己を放て
「お前が条件を飲めば、心臓を治し生き返らせてやる」
「………」
妙だ。
生得領域に招き入れられてから、一度も声を発する事なくぼんやりしている虎杖を見て、両面宿儺は訝しむ。
自身の身体を乗っ取られ、心臓を抉られ凄惨に死んだ筈が未だ意識がある。そんな異常事態に巻き込まれているにも関わらず、微動だにせず遠い目をする虎杖の姿は、流石の宿儺も予想外であった。
否、ただ呆けているわけではない。むしろその逆、まるで宿儺の事すら意識に入れることなく自己に埋没しているようで───
(それにあの小僧の言葉…)
"お前がそう言うならそうなんじゃねえの"
"まあ長生きしろよ"
違和感
(あの言葉には何も籠もっていなかった)
感傷に浸っていた伏黒は気づかなかったが宿儺は見抜いた。僅かな時間ながら観察した虎杖"らしくない"言葉の熱に。
まるであれは、伏黒恵の事などどうでも良いと言いたげな─────
「よしっ」
「む?」
声が聞こえた方に意識を戻せば、ようやく再起動したのか虎杖がストレッチを行っていた。
まともに意識を動かしてなお動揺が見られない事に更に疑問を持ちつつ、これで本題に入れると宿儺は話を続ける。
「漸く話を聞く気になったか。生き返らせる条件は2つ、一つは俺が契闊と唱えたら一分間───」
「身体を渡せって言うんだろ?良いよ全然。てか一分って短いな、そんなんで良いの?」
「……何?」
違和感なんてものでは済まない発言に思わず宿儺は虎杖を見る。その真意を探ろうと瞳を覗き観た所で気づく。
何もない事に
怒りも、悲しみも、恨みも、恐怖も、本来宿儺に向く筈の一切の感情が虎杖には無いことに。
取り繕いでも、誤魔化しでもなく、心の底から虎杖悠仁は先の言葉を述べている。
「それはいいけどさ、身体貸すならこっちからも頼みがあるんだけど」
「何だ。言ってみろ」
ただ一つ、虎杖の瞳から読み取れる感情があった。まさかと思い、宿儺は緩む口元を堪えながら早く話せと先を促す。
それは──────
「身体貸してる間、お前がやる事間近で見たいからさ」
「下にあるほうの眼を貸してほしいんだけど、そういうのってできるもんなの?」
好奇心
「ケヒッ」
ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ
笑う。嗤う。嘲笑う。虎杖のあんまりな発言に嗤う。純粋な好奇心しか宿さぬ瞳を見て笑う。その本性を見抜けなかった自身の節穴に、伏黒恵や五条悟の間抜けさ、愚かさ、滑稽さを呵々大笑に嘲笑う。
「なんだ小僧!それが貴様か!それこそが真の性か!!随分とまあ分厚い化けの皮を脱いだものだなぁ!!!」
「笑うなよひっどいなぁー。まさかあんな死刑アンド死刑を突きつけといてマジで杜撰な管理してただけとか思わねーよ」
「命の危機になった時どうなるかのテストだと思ってなるがままにしてた俺の気持ちわかる??」
「ケヒッ。それはそれは…」
受肉した直後は現代最強(五条悟)との突発的戦闘に意識を向けた。先の入れ替わりでは伏黒恵との戯れと述式に興味を引かれた。
日々を過ごす虎杖に多少意識を割いても、出てくるものは面白みもない甘言ばかり。自らを封ずる檻という特異性とうっとおしさが相まって、虎杖悠仁の在り方に特別意識を割くことは無かった。
故に、受肉前後の把握で済ませていた記憶の読み取りを再実行する。
遡り、遡り、もはや意識下にある記憶のみならず無意識に沈んだ記録すらも読み取って、ようやく宿儺は虎杖悠仁の在り方を理解した。
「異端視されぬため自己を取り繕い続けたか。ただ息をするに等しい事を称賛されるのはさぞ滑稽だろうよ」
「ほんとにな」
記録の底の底に朧げにあった母方の額に、縫い目跡らしきものがあるように見えた事に心の中で二度見をしつつ棚に上げ、宿儺は虎杖が抱えるモノを理解する
「俺ができて当然の事が、他の奴らはどれだけ本気になってもまるでできない」
"あいつ50メートル3秒で走るらしいぞ"
「それを持て囃すだけならともかく余計な茶々を入れてくる奴ばかり」
"全国制覇にはオマエが必要だ"
"運動部の方が才能発揮できるんじゃない?"
「しまいにはやりたくもねーことを遺言として押し付けられるだの」
"お前は強いから人を助けろ"
「うざったくてしょうがねえよ」
退屈
ただ普通にやってるだけでなぜ称賛する。息を吸うだけの事を褒めるとか馬鹿にしてんのか。なんでどいつもこいつもこうまで張り合いがないんだ
邪魔、うっとおしい、煩い、目障りだ。退屈、退屈、退屈退屈退屈退屈─────
「家を飛び出しても身分がないんじゃまともにやれる気しねーし、テキトーにバカ(不良)をボコる程度で誤魔化して、成人するまではおとなしくするつもりだった」
善人を取り繕ったのは、ただその方が利があるから。未成年という檻を脱するまでの退屈な戯れ、それ以上の意味はない
「だからあの呪霊と戦って、指を呑んで、死刑宣告は予想外だったけど、高専に行くことになった時は期待してたんだ。体制側ってのも、まあ得だしな」
ようやくこの退屈が裏返る、そんな期待が
それなのに───
「こんな適当な扱いして千年に一度の器をドブに捨てるんじゃ、たかがしれるだろ」
雲壌月鼈───虎杖の心に善悪の秤は存在しない。あるのはただ、快・不快の指針のみ。
五条悟への、呪術界という未知の世界への期待が薄れる。流れに乗ってれば愉しめるという甘い考えが萎びていく
「一応生活の世話されてたし、遺言くらいはまもってやろうと思ってたけど」
"お前は大勢にかこまれて死ね"
「もう一度死んだもんだし、義理は果たしたな」
夏炉冬扇───祖父の遺言(親心)を、感慨もなく切り捨てる
「つまんねーやつらの言いなりになって死ぬなんて馬鹿だし、自分の命くらい好きに使わねーと」
狷介孤高───虎杖悠仁を縛る"普通"の枷が、消えていく
「ああ…良いぞ小僧。今の貴様は、面白い」
「そりゃどうも。んじゃさっきの話について詰めてこーぜ」
ゲラゲラゲラ
ゲラゲラゲラ
呪いの如き悪意が交錯する。誰も気づくことなく、知られることなく。
人は、見たいようにしか見れぬのだから。