雪解けて、春。花芽吹く

雪解けて、春。花芽吹く


・カイザーの潔家訪問、優しい潔家、強いカイザー

・ 東風と氷解の後日談です




・宵

「手土産はこういうので良いのか?世一」

「父さん母さんなら喜ぶって。一緒に選んだし」

カイザーと潔世一はオフシーズンに日本にやってきていた。潔世一の帰省にカイザーもくっついてきたのである。

「晩はホテルに帰るので良いのか?折角会えるんだぞ」

「良いって。荷物置くのとか、東京に観光とかで出るのにも便利だし」

「それはそうだな」

カイザーだって重い荷物を持って運ぶのは御免だ。一旦大きな荷物はホテルに預け、最低限の手荷物と土産とサッカーボールだけを持って潔家に向かった。

「父さん、母さん、ただいま」

「お帰り、世一」

「よっちゃん、お帰りなさい」

「こっちが電話で言ってたミヒャエル・カイザー」

「コンニチワ。オセワニナリマス」

「まあ、すっごく美人さんね!いらっしゃい!」

「ミヒャエル君は背が高いなあ。うちの天井に頭をぶつけないか心配だ」

「オジャマシマス」

カイザーはカタコトの日本語は話せるし聞き取れるが、御影イヤホンを耳に付けている。潔世一はドイツ語を話せるので、必要とあれば通訳することで話はついている。

まるで借りてきた猫のように静かなカイザーだったが、潔の両親は何も言わず、ただただ歓迎の意思を示した。

「ミー君に足りるかしら?お味はどう?」

「十分デス。美味シイ」

「ミヒャエル君はお酒は飲めるのかい?」

「イタダキマス」

潔の両親が世話を焼く前に潔世一がカイザーの補助をし、穏やかにゆっくりと会話は進む。夕飯を食べた後は、2人で一緒にホテルに向かった。帰りのタクシーの中で、カイザーは何かを考えるように、耐えるように、咀嚼するように。静かだったし、潔世一も声を掛けなかった。だが、しっかりと互いの手を握っていた。

ホテルの部屋に入ったカイザーはドサッとベッドに倒れ込んだ。潔世一は何も言わず、風呂の準備や明日の用意をしていた。しばらくして、カイザーの中で何かがまとまり切ったのか、潔世一に意識を向けたので声を掛ける。

「ミヒャエル、お疲れ様。父さんと母さん、喜んでた」

「ああ」

「ありがとうな」

「ああ」

しばらく、カイザーは潔世一を正面から抱きしめた。肩に顔をうずめ、その鼓動を確かめるように引き寄せる。数分は経っただろうか、カイザーが呟く。

「お前の家は」

「うん」

「綺麗に掃除されていた」

「うん」

「料理がいっぱい出た」

「うん」

「笑顔がいっぱいだった」

「うん」

「…暖かかった」

「うん。そっか」

どこか、痛みに耐えるような声を、羨むような声を、潔世一は静かに受け入れた。カイザーが感じたこと思ったことはカイザーのモノで、カイザーの大切な感情を、大事な思考を、潔世一は否定しない。そして、カイザーも自分自身の感傷を、静かに受け入れた。

「明日はどうする?ホテルで一緒でもいいし、サッカーボールを蹴りに行っても良い」

「お前にはサッカーしかないのか?買い物はどうした」

「別に通販でも行けるかなって。それに、時間はあるし」

そう、時間はたっぷりある。少しづつ慣れて行けばいい。誰も急かしはしないし、潔の両親もいつだって歓迎するだろう。後2回、このオフシーズンの半ばと終わりに2人は潔家を訪問する予定ではあるが、カイザーの気分が乗らないようなら潔世一だけが行く予定だ。

「ああ。もう寝る」

「ちょ、風呂は良いから歯だけ磨けって!」

「面倒くさい」

「これは譲らねえぞ」

「はあ。世一君は我儘ねえ」

「だ・れ・が・だ」

とは言いつつも、カイザーも歯を磨きに行った。潔世一が風呂に入り歯を磨くと、まだカイザーは起きていた。

「ミヒャエル、寝るぞ」

「ああ」

電気を消して声を掛けると、カイザーが潔世一の手を引いてベッドに引きずり込み、そのまま抱きしめた。潔世一は抵抗しなかった。

「お休み、ミヒャエル」

「…お休み」


 

・暁

カイザーは二度目の訪問も行くと言い、潔世一は分かったとだけ頷いた。二度目の訪問だったが、潔の両親は喜んで2人を迎え入れた。

(温かい)

前回とは異なり、昼頃に来たので夕飯までは時間があった。公園で2人でバッチバチにサッカーをやってきたからだろうか、和らいだ日光が部屋をほのかに照らしているからだろうか、それとも、家に流れる空気がドイツの潔世一の部屋と同じだからだろうか。

「母さん、これは---」

カイザーの耳に響く聞きなれた潔世一の声に、ふっと意識がなくなった。

 

暗くて、汚い部屋だ。ゴミがいっぱい地面に落ちている。何かが破壊される音が聞こえる。どんどんと地面を踏む音が聞こえる。怖いものが、扉の先の暗闇から

 

「ミヒャエル」

潔世一の声に、カイザーは目を覚ました。見慣れない天上と、電球の光。視界が明瞭なった瞬間、ガバッと起きる。とっくに夜の気配が満ちていた。

(寝ていたのか?俺が?)

「ミヒャエル、もうすぐ夕飯だけど、食べれるか?」

「ん、ああ。問題ない。食べる」

はらりと、自分の体から毛布が落ちた。寝落ちたときにはなかったはずだと持ち上げると、潔世一がそれに目をやって口を開いた。

「ああ、母さんがミヒャエルが寝ているようだからって毛布を掛けたんだよ。熱くなかった?」

「ああ、問題ない」

潔世一に手を引かれて、カイザーは夕食の席に着いた。潔夫妻も待っていて、一緒に食前の挨拶をする。カイザーも、潔世一とご飯を食べるときの挨拶は覚えているし、一緒に食事をとるときは行っているので、自然と手を合わせる。

「イタダキマス」

「頂きます」

「たくさん食べてね~」

「お代わりもあるからな!」

「オイシイ。モウフ、アリガトウ」

「あら!うふふ、どういたしまして」

「気持ちよさそうに寝ててくれて、嬉しかったんだよ」

「ウレシカッタ?ナゼ」

「だって、ミヒャエル君がうちに馴染んでくれてるってことだもの。嬉しいわ」

「そうだぞ。折角来てくれたんだ、ミヒャエル君が安らいでくれることが嬉しい」

「…アリガトウ」

カイザーは少々びっくりしたように小さく目を見張って、そして、数秒目を閉じた。眼を開いたときは口元に小さな笑みを浮かべていた。

「本当に良いの?ミヒャエル」

「ああ。問題ない」

うたたねをしたカイザーが疲れていると思ったのか、夜は遅いものの潔世一はホテルに帰るかどうかを提案したが、カイザーは首を振って潔家に泊まる意を示した。

潔世一も自分の部屋のベッドではなく、傍で寝ることにしたようで、カイザーの布団の側に自分の布団を敷いた。

「お休み、ミヒャエル」

「お休み、世一」

電球が落とされる。宵闇は静かで、潔世一の呼吸の音を聞いていると、すぐにカイザーの瞼も下がった。

 

暗くて、汚い部屋だ。ゴミがいっぱい地面に落ちている。何かが破壊される音が聞こえる。どんどんと地面を踏む音が聞こえる。怖いものが、扉の先の暗闇から

『ミヒャエル』

破壊される音も、地面を踏み荒らす音も消えた。扉はいつの間にやら変わっていた。少し小さくて、見慣れなくて、でも、温かい。

『ミヒャエル』

自分を呼ぶ声が聞こえる。あれだけ怖かったはずの扉が、何故か怖くない。近寄って、扉を少し開けて、中を覗く。

『ミヒャエル』

潔世一がこっちに向かって手を振っている。その先には、潔世一の父母が同じくこっちに向かって手を振っていた。潔世一がこっちにやって来て、手を伸ばした。

『ミヒャエル、こっち』

差し出されたその手を、小さな自分の手が掴んだ。一緒に、潔世一の父母の場所まで歩いていく。2人の所まで到着すると、頭を撫でられて、抱きしめられる。おずおずと手を伸ばすと、2人は喜んでカイザーの手を取った。

 

柔らかな日光に、目を覚ます。いつもは中々起きれないのに、妙に心地よく、頭がすっきりとしていて、眠気はない。隣では、珍しくまだ潔世一が眠っていた。

(暖かい)

カイザーにとって見慣れない異国の家、ドイツとは異なる気温や匂い。なのに、不思議と違和感は薄く、居心地が良かった。すっと、心が落ち着く。

朝ご飯を食べた後は、用事があるのでカイザーと潔世一は共に潔家を出た。1度目の訪問とは違い、時間帯が朝だからだろうか、景色が良く視える。カイザーにとって日本は見慣れないモノが多く、潔世一と共にあれこれと話し合いながら、共に歩いて行った。

 


 

・曙

オフシーズンの終わり、ドイツに帰国する前に、3度目の潔家も訪問は実行された。潔世一はカイザーに潔家に泊まるかどうかを聞かなかった。

「よっちゃん、ミー君お帰り~」

「世一、ミヒャエル君、お帰り」

「ただいま、父さん、母さん」

「タダイマ」

「あら!うふふ、お帰りなさい!」

「嬉しいなあ!お帰り!」

潔夫妻の破顔に、カイザーも自然と笑顔がこぼれる。潔夫婦は何時だってカイザーを歓迎してくれている。

「オテツダイ、スル」

「あら、じゃあ、これを、こうやってもらって良い?」

「ワカッタ」

自分でやる方がよっぽど早いだろうに、幼子のように手伝いを申し出るカイザーを、潔母は邪険にせず、喜んでやり方を教え、出来に関わらずカイザーを褒めた。

「デキタ」

「おお、ミヒャエル君は凄いなあ!ありがとう、助かったよ!」

カイザーの体格を活かして物を運んでもらったときは、潔父は助かったと喜びと感謝の意を示した。

「ミヒャエル、風呂どうする?」

「譲れ。俺が先だ」

「ジャンケンで勝った方が先な!」

潔世一との遠慮のないやり取りに、潔夫妻は微笑ましそうに笑って2人を見守る。もはや最初の借りてきた猫のようなカイザーの姿はどこにもなかった。

「コレハ?」

「あら。よっちゃんの小さい頃の写真ね」

潔世一が風呂に入っているときに、カイザーは幼少期の潔世一が映った写真を見つけた。カイザーが興味を持ったと分かったのだろう、潔母が潔世一のアルバムを持ってくる。

「ナイテル」

「よっちゃん、泣き虫だったのよ」

「ナキムシ」

スマホで単語を翻訳しつつ、カイザーはアルバムを追う。小さな潔世一がゆっくりとカイザーの中で成長していく。

「ここまでね」

「アリガトウ」

「この次は、ミー君も一緒の写真ね」

「イッショ?」

「そうよ?ミー君の写真も、アルバムも作るの。いいかしら?」

「イッショ。アルバム。…ウレシイ」

「そう!よかったわ!じゃあ、明日家の前で4人で写真を撮りましょう!」

「お!いいな母さん!家族写真だ!」

「カゾクシャシン。イッショ」

「どしたの母さん、父さん、ミヒャエル…ってギャー!それ!」

「世一、ナキムシ」

「あーーー!!」

幼少期の自分の写真だと気付いた潔世一が顔を真っ赤にして、取り戻そうとするが、カイザーは余裕綽々の笑みで写真を掲げて潔夫妻の後ろに逃げる。潔夫妻も和やかに笑い、わいわいと団らんが続いた。

 

『世一また泣いているのか』

『ミヒャエル!』

ピーピーと泣く小さい潔世一に、同じく小さいカイザーが声を掛ける。すると、潔世一は涙目のまま、カイザーの名前を読んで、抱き着いた。

『抱きしめてやるから、泣き止め』

『ギューして!』

『分かった分かった』

温かい体温が伝わってくる。小さい潔世一の体はカイザーの体の中にすっぽりと収まる。ギュッと抱きしめると、背中に手を回される。

『頭を撫でて!』

『ハイハイ』

『もっと!』

『いくらでも』

いつの間にか、幼いカイザーが同じく幼い潔世一を抱きしめて頭を撫でていたはずなのに、潔世一が幼いカイザーを抱きしめて、頭を撫でていた。

 『ミヒャエル』

潔世一が自身の名前を呼ぶ声が聞こえる。優しい手が、傷つけない手が幼いミヒャエル・カイザーの頭を撫でる。

(温かい)

 



「はい、チーズ!」

「よし、世一とミヒャエル君の写真は取れたな。次はタイマーで家族写真だ!」

「ミー君とよっちゃんは真ん中ね!」

はしゃぐ父母に、潔世一は苦笑する。別に嫌ではないどころか、嬉しい。けれど、はしゃぎ過ぎではないかとも思う。

「じゃあ、母さん、父さん、また次のオフに帰ってくるね」

「ああ、世一もミヒャエル君も頑張れよ!応援しているからな!」

「怪我したり、疲れたときは帰ってくるのよ?いつでも歓迎するから」

「うん、ありがとう」

「ワカッタ」

「いってらっしゃい、よっちゃん、ミー君」

「いってらっしゃい」

「行ってきます!」

「イッテキマス」

2人で駅までの道を歩く。互いに余韻を噛み締めているのか無言ではあるが、心地の良い空間だった。

「ミヒャエル、次はいつ帰る?」

「愚問。オフになったら帰る。俺だけでもいいぞ。次は日本の桜を見る」

「俺も帰るに決まってんだろ」

ドイツについたときに、潔世一は親からメールが届いているのが分かった。カイザーにも同じメールが届いているのだろう。開けて、添付された写真を見て、思わず笑みがこぼれた。

「めっちゃいい笑顔じゃん」

バスタード・ミュンヘンのミヒャエル・カイザーではない。雑誌やテレビで見るミヒャエル・カイザーでもない。そこには、何の気負いもない、気取ったところも、衒ったところもない、ただのミヒャエル・カイザーがいた。

口元に自然な笑みを浮かべて、家族の一員として、笑っていた。

 

 



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