雛鳥ちゃんと三人の兄君、或いはジェタークペイル大運動会(中編)
「うん、美味しいな。これは売れるんじゃないか?」
ペイル寮のロビーを訪れたスーツ姿のエランは、学生たちから試食を頼まれて茶色の麵料理を口に運んでいた。
少々食べにくいが学生が好む程度に味付けは濃い。
大昔の地球で『マツリ』の際に好まれていたという料理で『ヤキソバ』というらしい。
もうすでに使われていない古い言葉で『焼いた麺』という意味の名前だそうだ。
テーブルには他にも謎の球形のソースの掛けられた料理や、スパイシーな香りのする細切れ肉を固めて焼いたもの、チョコレートをかけたバナナ、氷水に漬けられたトマトなどが並べられている。
「いや~学園管理者に掛け合って、当日の戦術試験区域の温度を上げてもらうことになってるんですよ!『かき氷』やアイスクリーム、炭酸飲料もかなりの売り上げになると思います!いくら高級とはいえ肉を焼いてるだけのジェタークには負けません!」
どうやら前回の大運動会ではジェターク寮に食品の出店の売り上げを抜かされてしまったのが相当に堪えているらしい。
揃いのエプロンをした学生たちの目には闘志が揺らめいていた。
ペイル社の傘下には食品関係の会社もいくつかある。
そこをバックに持つ学生が調理器具や食材を融通しているそうだ。
MS産業の規模ではジェタークに一歩劣っている分をその他の分野で埋めてやろうと気合が入っているのだろう。
調理班の監督をしている赤いバッジを付けた学生は付箋を大量に貼ったコミック本を手にしていた。
題名は忘れてしまったが、まだ人間が全て地球上に住んでいたころの作品で、とても楽しい学園生活を描いているとスレッタが熱心に読んでいた記憶がある。
それを元にアーカイブを漁ってレシピを復元したのだろう。
わざわざご苦労なことだ。
スレッタが「運動会」をやってみたい、と言い出した時はどうなるかと思ったが、新しい物好きの学園の生徒には意外と好印象に受け取られているようで、回を重ねるごとに研究が進み、どんどん豪華になっていた。
今では出店の売り上げと各メディアからの放映料だけでMS戦に掛かる費用を半分以上賄っているのだから大したものだ。
運動会当日にMSに乗る寮生だけでなく、それぞれの得意なことでペイルの勝利に貢献したいと熱く語る学生たちの話を聞きながら、エランはむぐむぐと細長い麺を口に運んだ。
くそ、口の周りがどうしても汚れるなこれ。
横に立っていた学生がさりげなくティッシュを差し出す。
その胸には赤いバッジが輝いていた。
……異様に気が利くなこいつら
◆ ◆ ◆
「この原稿を読めばいいんだよね?」
「そうです」
天使の君と呼ばれる笑顔のエランは、ペイル寮の一室でマイクに向き合っていた。
こほん、と一つ咳ばらいをして原稿を読み上げる。
「今日は第4回アスティカシア高等専門学園ジェタークペイル大運動会にお越し下さり大変ありがとうございます。観客の皆さまはどうか観客席の安全ロープをお出にならないよう…」
注意事項や見どころなどを紹介するアナウンスを録音するのがエランに割り当てられた仕事だった。
当然だ。あの愛想というものが殆どない二人の兄にはこんな仕事は出来ないだろう。
読み間違えが無いように、聞き取りやすいようにと意識して文章を声に出していく。
何てったってスレッタが直接お願いしてくれたのだ。
…3人の中で一番暇そうに見えたという身も蓋もない理由であったが。
たまには彼女の信頼にきちんと応えて兄らしいところを見せなくてはいけない。
最近、遊んだ女の子からの苦情がスレッタに寄せられたらしく、ちょっと冷たく当たられて悲しいので挽回したいところだ。
反省してますよ、ってちゃんとアピールしなきゃね。
でも、食事くらいならスレッタもとやかく言わないだろう。
「ね、この後一緒にご飯食べに行かない?」
ずっと原稿を進行に合わせて表示してくれていた少女に話しかける。
初めて話した子だ。
耳元で囁くと、意外なことに彼女はとてつもなく嫌そうな顔をした。
あれ、おかしいな、少なくとも初対面で誘いに乗ってこない子はいないはずなのに…と思って改めて彼女を見ると、胸元できらりと赤いバッジが光る。
天使の笑顔を引っ込めておや、と何かに気付いた様子のエランに茶色の髪をした少女は
「私、雛鳥ちゃん一筋なので」
と顔を顰めて言い放った。
「そっか…じゃあスレッタも一緒にどう?」
「いや、お近づきになりたい訳じゃないんで」
彼女はお断りします、と頭を下げて、さっと部屋を出て行ってしまった。
取り付く島もない。
全くあのファンクラブは会長をはじめとしてなんか怖い子しかいないなあ、今度次男に会ったら揶揄ってやろうっと、とエランは誘いに応じてくれそうな女の子の連絡先を端末で探しつつ肩をすくめた。
◆ ◆ ◆
「うん。落丁もないしこれで大丈夫だと思う」
氷の君──もっともこの名前で呼ばれることは最近は少ない──と称されているエランは、一冊の冊子を手に取っていた。
このアド・ステラにおいて紙の冊子を作成するなど狂気の沙汰としか思えないが、これが意外とファン心理を刺激するらしい。
紙の本の良さはエランも知るところだ。
CEOに頼んで印刷を請け負ってくれる会社を探したものの見つからず、ペイル社が直々に印刷事業を始めることになってしまったが、CEO達は喜んでいたので多分大丈夫だろう。
表紙には『スレッタ・マーキュリーの軌跡~決闘全解説&対戦者インタビュー収録!今からでも間に合う!~』とエアリアルに乗った彼女の写真とともに印字されている。
彼女がこれまでに行ってきた決闘の解説本と銘打っているし、中身もそれに恥じない充実したものになっていると思う。
解説も専門家に依頼したし、ハロを総動員して撮影した決闘の様子も綺麗に取れていた。
…若干スレッタ自身の写真の収録量が多いのは気のせいである。
これまでの対戦相手のインタビューを収録するためにわざわざグエル・ジェタークに決闘を挑んで承諾させたのだ。
結果としてファラクトが半壊したが、なんとか無事にグエル・ジェタークからのインタビューを掲載することができた。
何枚か写真も撮らせてもらったのでジェターク寮の学生にも飛ぶように売れるだろう。
そういえばインタビューの後にグエル・ジェタークがちらちらとこっちを見ていると思ったら「一冊くれないか」などと言い出したこともあったっけ。
一冊くらい別にいいかと思うものの、その赤らめた顔が妙に気に障ったことを思い出した。
彼の実力はエランも認めるところではあるが、大切な妹に突如として結婚を迫った挙句、冷静になった途端にそれを撤回し、彼女の純情を弄んだのは許せなかった。
家の事情でペイルの一人娘を嫁に迎えるなんて出来ないと彼自身は思っているようだが、取り巻き共がそれを慮ることなく「ジェターク寮に来てくれ」「一緒に食事をしてやってくれ」だの言って決闘を挑んでくるのも鬱陶しいことこの上ない。
それに、スレッタも今ではなんだかんだ丁度いい練習相手だと思っている節がある。
───グエル・ジェターク、第一級要注意人物だ。
◆ ◆ ◆
「えーと、ベクタードブースターはどうやって起動するんだったかな」
ガチャガチャと手当たり次第にレバーを動かすと、背面に背負った追加ブースターが起動し、乗っていたザウォートがぐらりと傾いた。
慌てて操縦桿を握ってブースターの位置を調整、出力を弱めて態勢を立て直す。
『久しぶりにしてはなかなか筋がいいじゃないか!』
友人は呑気に管制室から野次を飛ばしている。
こっちはお前のせいで大変なのに、どうしてそう他人事なのだろうか。
ペイル寮はジェターク寮と比べてパイロット科の学生の人数が少ない。
集団競技ではパイロットが足りず、こうして経営戦略科やメカニック科の中からもMSに乗る人員を搔き集めて訓練を行っているらしい。
一応パイロット科ではなくてもカリキュラムの一環でMSに乗る実習を全生徒が受けている。
MS実習は一年の時に受けたきりだったが、その成績評価を見た友人が自分を推薦したために、運動会までみっちりとこうして訓練を受ける羽目になってしまった。
パイロット科に入るだけの金も技術もなかったが、それでも戦闘シミュレーターは欠かさず触っていたからある程度の操作はできる。
流石に実戦に出ることは想定していなかったけれど。
メインの加速装置であるトリゴナルスラスターを起動してある程度の高さまで高度を上げると、追加の推力装置であるベクタードブースターの出力を強めていく。
十分に高度を稼いだな、という座標まで機体を進めるとブースターの位置を背面から前面にくるりと移動させ、逆噴射モードに移行した。
ブースターの位置を移動させるときにはどうしても一度出力をゼロにする必要がある。
分かってはいるが出力を弱めたとたんに高度はガクンと下がり、ふわりと内臓が浮き上がる心地がして心臓がバクバクと波打った。
機体が自動的に姿勢制御をしてくれるとはいえ、流石に落下時に掛かるGを防ぐことはできない。
久しぶりの落下体験に肝を冷やしたものの、無事にブースターを逆噴射位置に調整して飛行することができた。
『おいおい、本番では最初から逆噴射モードにしといてくれよな』
言われなくても分かってるよ、と返してそのまま地面すれすれでホバリングを開始、既に整列していた機体の最後尾につく。
「KS032、準備終わりました!」
他の機体はとっくに準備を終えていて、えっちらおっちらと機体の動作を確認している自分を待っていたらしい。
『総員、綱を持て!!!』
指示された通りに地面に置いてある金属製の太いワイヤーをアームで掴む。
直径50cm、長さ何百mは優にありそうなワイヤーは相応の重さがあり、持ち上げると機体の足が地面に沈んだ。
等間隔に並んだ他の機体もワイヤーをそれぞれ掴んでいる。
『み、みなさん!それではよ~い、ドン!』
緊張気味の雛鳥ちゃん──スレッタ・マーキュリー──の掛け声とともに二組に分かれた機体たちがワイヤーを引き合い始めた。
この競技は『綱引き』なる名称だそうで、ワイヤーの中心が一定距離どちらかの陣地に引っ張られたり、規定時間が経過した後にどちらにより移動しているかで勝敗を決定するらしい。
最初は二組の力は拮抗していたものの、徐々にこちらが押され始め、ずるずると前方に引きずられていく。
途端に管制室からスポッターの檄が飛んだ。
『赤組ぃ!!!たるんでっぞ!!!これは模擬訓練ではない、相手をジェタークの奴らだと思え!!』
『ひ、ひい!!あ、赤組さ~ん!!奇数番の人は出力を上げてください!』
大声に驚いたらしいスレッタ・マーキュリーからの命を受けてスポッターが逆噴射させているブースターの出力を徐々に上げろと指示を飛ばす。
その通りに噴射レベルを上げていくと、綱の中心がじりじりとこちら側に戻って来た。
ブースターと機体からの排熱で砂を巻き上げた空気が揺らぐ。
『両軍!!燃料の残量に注意しろよ!!』
『はい!MM029!ブースター出力を35%に変更!!』
『LS017、脚部スラスター出力を10%上げて!』
スポッターからそれぞれの機体に指示が出される。
ペイル社の追加ブースターは強力な分燃費は良くない。
使いどころを見極めないとすぐにすっからかんになってしまうだろう。
つまりはこの競技、いかに燃料の使いどころを探るかが勝敗を分けると言っても良い。
その為に一機毎に一人スポッターが専属で付いて絶えず指示を出し、それを統括して全体の出力を監視する監督役がスポッター全員に指針を示している。
つまりパイロットのすることといえばスポッターから出される指示に従ってブースターとスラスターの出力や位置を調整するだけなのだ。
……碌に戦闘経験がない自分が推薦されるのも納得の競技であった。
◆ ◆ ◆
指示に従って淡々とブースターの出力を弄っていると、突如としてブザーが鳴り響き、天井のパネルが暗くなり二つの名前を映し出した。
名前を見る間もなく演習場の隔壁が轟音とともに開く。
開いた隔壁扉から物凄い勢いでこちらへと突っこんできたのは2機のザウォートだった。
表示された名前はどちらも〈エラン・ケレス〉。
つまりペイル寮筆頭の名物双子──いや実際は三つ子だと聞いた──が何故かはわからないが何の前触れもなく決闘を開始したらしい。
ずっと掴んでいたワイヤーを放して呆然とそれを眺めていると、校内放送がかかった。
『決闘委員会だ。自主練中すまないが、一応これは正式な決闘である』
『…事情はこちらには聞かないでくれ』
妙に疲れた声のグラスレー寮寮長シャディク・ゼネリが決闘の開始を告げる。
放送を聞くとスポッター達は沈黙し、並んだザウォート達もワイヤーを手から放して決闘を静観しはじめた。
『え、えっ!?お兄ちゃん!?!?な、なんで……』
一人だけ戸惑って叫んでいる少女がいた。スレッタ・マーキュリーである。
妹である彼女にも理由が分からないらしい。
ますますこれは何なのだという困惑が強まる。
確かにあの双子は水と油というか…仲が良さそうな雰囲気は全くない。
スレッタ・マーキュリーの兄であるということ以外興味がなさそうな堅物の氷の君に、軟派でいつも女生徒と一緒にいる天使の君。
天使の君が氷の君にちょっかいをかけて怒らせている場面は何度か見たことがあったが、それだけで決闘になるだろうか?
ザウォートのスラスターを全開で吹かしながら鍔迫り合っている2機を眺めていると、故意か偶然か、外部回線がONになって兄弟喧嘩を演習場全域に響かせ始めた。
『ファラクトには僕が乗る』
『なんでさ!こないだグエル・ジェタークに挑むとか言ってファラクトを半壊させたのはどこの誰だっけ?お婆ちゃん達もこれ以上壊したら怒ると思うな~!』
『あんたには関係ない』
『僕もファラクトのパイロットなんだけど!?そういうところほんっとに…だからモテないんじゃない!?』
『…相変わらず軽薄だね』
どうやら運動会にてどちらがファラクトに乗るかで揉めているらしい。
なんだかそれ以外のところでも揉めている気がするけれど。
2つの機体はビームサーベルで鍔迫り合っていたかと思うと、氷の君が乗っている機体がパッと離れて空中に舞い上がり、ビームガンを構えた。
連射された光弾が雨のように降り注ぐ。
『ちょっと!コックピット狙うの反則っていうか、何でコックピットに照準合わせられてるの!?もしかして勝手にロック解除した?それルール違反なんじゃないの!タイム!タイム!決闘委員会!!!』
『してない。オートで狙いが逸れる分を計算にいれてそのうえで照準を合わせてるだけだよ』
天使の君は背負っていた盾を前に掲げてビームガンの乱射を防ぐと、空中の敵に接近するべくスラスターの噴射レベルを最大にして高度を上げる。
そのまま引き撃ちに徹する氷の君と、それを盾で防ぎつつ追い縋ってサーベルでの一撃を狙う天使の君の追いかけっこが始まった。
『お~い、外部回線ONになってるけど…』
力のないシャディク・ゼネリの声が響いたが、高速で演習場の上空を駆ける彼らは全く意に介さなかった。
射撃を防ぐことは出来ても、盾の重量分だけ空中戦闘は氷の君に分がある。
1回、2回と肉薄して切りかかるも、ビームガンと反対側の手で抜いたビームサーベルにより軽々と受け止められた天使の君は、このままでは勝機が薄いと感じたのか地上へと身を翻し降下した。
並んだザウォート達を低空飛行で縫うように躱して射線を切ると、最後尾にいた自分のザウォートの後ろに回り込む。
『ごめんね♥』
ドン、と衝撃があり、視界がぐらりと傾く。
一拍遅れて天使の君が操るザウォートが自分のザウォートに飛び蹴りをかましたのだ、と気づいた。
あまりの早業に対応することができず、よろけるようにして前に突き出される。
次の瞬間、上空からビームガンの弾が降り注いだ。
どうやら肉盾にされたらしい。
演習場は運動会の練習のために遮蔽物を全て取っ払っている為、射撃を防ぐには他の機体を利用するしかないのだ。
理解は出来ても、機体のすぐ傍を掠めて飛んでいくそれに、冷や汗がたらりと流れる。
ビームガンの威力は大したことないが、それでも機体のどこかを破壊されてしまえば素人同然の自分には操縦ができなくなるだろう。
壊れたMSの操縦訓練などパイロット科でもあまり行われていない。
撃ち込まれたビームが地面を抉り、砂を巻き上げて盾を持ったザウォートの姿を覆い隠した。
もちろん舞い上がる砂だけではMSのセンサーの感知から逃れることはできない。
天使の君は間髪入れず盾のパーツを外して空中に放り投げる。
投げられたパーツが弾け飛び、コックピット越しの光に目が眩む。
一瞬の閃光と爆音に、スタングレネードに類する何かを盾に隠し持っていたらしいと理解した。
爆発したパーツは白い粉塵のようなものをまき散らし、辺り一面が濃霧に包まれる。
白い粉にはセンサーを阻害する作用があるらしく、ザウォートのモニタに検知低下中と警告が表示された。
彼の狙いは遠距離狙撃の妨害に違いない。
『降りておいでよ!』
『…言われなくても』
白い霧を裂いて緑色の機体が現れ、ビームサーベルを横薙ぎに払い天使の君の乗る機体のブレードアンテナを切り裂かんとした。
センサーが使えない中の強襲であったにも関わらず、狙われたザウォートはひょいと横に仰け反りそれを回避する。
まるで予測していたかのように鮮やかな動きだ。
自身の策通りに地上へと誘き寄せられた氷の君に、笑顔の天使はけらけらと笑い声と斬撃を浴びせる。
『いつも遠くからちまちま弾撃ってるだけで退屈しないの?』
『勝てれば何でもいいだろう!!』
『あははっ!その点だけは気が合うよね僕たち…!』
ビームサーベル同士が何度も衝突し、光線の残骸が白い霧に拡散されてあたりを照らす。
剣戟では互角と見るや、天使の君はさらなる一手を繰り出した。
『ほんとはもっと大事な時に使いたかったんだけどなあ、仕方ないよね』
ビームサーベルの出力が切り替わる。
緑から赤へ。
それを見た氷の君はその赤い光から距離を取るように、ブースターの逆噴射レベルを最大に引き上げ後退する。
同時に白い霧が薄れてセンサー類が稼働し始めた。
表示された文字は「スタン効果電磁ビームが検出」…?
触れたら電気系統が一時的にストップするようだ。
ペイル社の新技術だろうか。
『君ってほんとに余計な兵装何もつけないよね』
だからこれ、有効だと思ったんだ、と赤い光を閃かせながら笑顔のパイロットは盾を捨て、最大加速に乗って猛然と迫る。
同じ機体、同じスラスターと同じ追加ブースター。
氷の君もベクタードブースターの噴射レベルを最大まで上げて逆噴射し、全速力で後退を続けるが、メインのトリゴナルスラスターと追加のベクタードブースター、2つの推力装置を同方向に使って加速する追手に敵うはずもない。
これまで無表情を保っていた氷のかんばせに苦みが走る。
たちまち追いつかれ、赤いビームサーベルの猛攻を潜り抜けたものの、天使の君の回し蹴りがビームサーベルをその手からあっけなく跳ね飛ばした。
くるくると放物線を描いて地面に落ちていくそれには目もくれず、天使の君は止めと言わんばかりに赤い光を右腕に突き刺す。
持っていたビームガンを取り落としはしなかったが、赤いビームサーベルを受け止めた腕はがくりと重力に従い垂れ下がった。
『これでチェックメイト』
氷の君の武装はビームガンとサーベルのみ。
これで両方が無効化されたことになる。
彼にはもう攻撃手段が残されていない。
しかし。
『20秒』
ゆっくりと顔をあげた薄い黄緑色の瞳は爛々と輝いていた。
ブレードアンテナを折ろうと頭部に伸びる手を躱すと、くるりと向きを変え、2つの推力装置の最大出力で宙へ向かう。
『19…18……17、16…』
兄の思いもよらない行動に呆気にとられた天使の君もそれを追う。
『……諦め、悪すぎじゃない?』
空中だろうと、天使の君の戦術は変わらない。
スタン効果電磁ビームを当てて兄の機動力を奪う。
それからじっくりとブレードアンテナを折れば勝利は確実だ。
機動力は互角、相手はビームを防ぐ術も攻撃する術も持たない。
だが、何を考えているのかわからないその顔からはどこか余裕が感じられた。
『15…14…13…』
眼前に迫る赤い閃光を、氷の君はビームガンを握った腕とは反対の腕で受け止める。
途端に力を失って脱力する腕を無視して、ベクタードブースターの噴射を切って前方へと回転させ、トリゴナルスラスターの出力を0へ変更。
全ての推力を失った機体は無抵抗に重力に従い落下を始めた。
『12…11…10…』
『またお得意の曲芸?』
落下する機体に向かってビームを振るう天使の君の顔にはもう笑みは浮かんでいなかった。
ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべて唇を歪める。
『9…8…7…6…』
胴体を狙って放たれた閃光を右脚で受ける。
そのまま最大出力でベクタードブースターと左脚部のスラスターにより逆噴射を開始、とてつもない速さで真っ逆さまに地面へと落下していく。
あのスピードのまま地面にぶつかれば、パイロットは無事では済まないだろう。
『5…4…3…2…1…』
ベクタードブースターを射抜こうと飛来する赤い光を最後に残った左脚で受け止める。
これで氷の君の乗るザウォートの四肢は全てスタンしてしまった。
脚部のスラスターが止まるが、機体の落下速度はぐんぐんと上がっていく。
落ちる───誰もがそう思った。
ブレードアンテナを折られるまでもなく、地面に叩きつけられた機体は粉々になる。
『0』
だが、永遠にも思える緊迫した状況を打ち破ったのは氷の君のビームガンから放たれた緑色の閃光だった。
余りにも鮮やかな一撃。
たった一発だけ放たれた光弾が的確に天使の君が乗るザウォートのブレードアンテナを撃ち抜いていた。
スタンから回復した右腕がビームガンを掲げている。
他の手足を全て犠牲にしてまで右腕を再度電磁ビームが当たらないように立ち回っていたのは、武器を全て失ったと見せかけて最後に奇襲を掛ける為だったらしい。
氷の君は天井のパネルに表示された勝利の文字にちらりと目をやると、地面すれすれで再度スラスターを起動して危なげなく着地した。
滑らかな動作に見えるが、相当なGがかかっていたはずである。
ザウォートを停止させ、コックピットから出てきた青年は心なしか青い顔をしていた。
落下からの急ブレーキ着陸をやらかしたのだ、内臓が搔き混ぜられるような気分を味わっているに違いない。
もう一機のザウォートも上空から降り立ち、つまらなさそうな顔をした天使の君がコックピットハッチを開けて出てきた。
「性格悪すぎ!あ~あ!盾捨てなきゃ良かった!」
「…そっくりそのまま返す。本社から勝手にサーベル持ち出しただろう」
「それくらいいいじゃん!結局負けちゃったし!!」
喧々諤々言い合う双子の前に、猛スピードで土煙をあげながらハロ搭載バイクが突っこんできた。
白い制服にきっちり編み込まれた赤い髪。スレッタ・マーキュリーだ。
「お、おっお、お兄ちゃん!な、なんで急に決闘なんか…!」
みんなも困ってるよ!と演習場で戦闘に巻き込まれないよう端っこに集まっているザウォート達を指し示す。
決闘に見惚れている間に、自分以外のザウォートは避難していたようだ。
「とにかく、当日は僕がファラクトに乗る」
「ファラクトにどっちが乗るかで喧嘩してたんですか?お、お婆ちゃん達は喧嘩はだめだって…」
「スレッタ、喧嘩はダメだけど、決闘はいいんだよ♥」
「え、ええ……」
「いや~だって、ペイル寮の女の子とはほとんど遊んじゃったんだもん。運動会でカッコよく活躍したら他の寮の子からも連絡先教えてもらえるかなって」
なんだか途轍もなくしょうもない理由を聞いた気がする。
雛鳥ちゃんも呆れとも困惑ともつかない顔で固まっている。
「スレッタ、これの話は聞かなくていい」
氷の君は天使の笑顔から放たれる軽薄な言葉を遮ると、スレッタに帰るよう促した。
しかし彼女は兄の顔色を見たとたん血相を変えて慌てだす。
もともと血色の良い方ではない顔色は、紙のように真っ白になっていた。
「た、たいへん…!ザウォートは後で私が取りに来ますから、救護室に行きましょう!」
「大丈夫だよ」
口では否定したものの、彼はされるがままにバイクの荷台に座らされてベルトを回され、固定されたまま大人しく搬送されていく。
1人残された天使の君はぼそりと
「命削りすぎでしょ……怖…」と呟いた。
兄弟喧嘩のしょうもなさと、ペイル寮で一番危ないのは誰なのかを、はっきりと記憶に刻み付けたまま最初の訓練はお開きとなった。
つづく。