雅海、ガ・カイ
そこは誰にも知られることがない闇深き場所。
人ならざる気配が満ちた暗黒の世界で、二つの人影が地に這いつくばるように跪いていた。
一人は立ち上がれば身の丈2メートルは優に超えそうな巨漢。
もう一人は対照的に枯れ枝の如き細身の男。
共に闇に溶け込むような漆黒の衣装を纏い、頭を垂れたその先には、玉座に深く腰掛けるもう一人の男の姿があった。
「数年の眠りから覚めてみれば、未だにこの体たらくか」
玉座の男が漏らした深い失望を伴った呟きに、跪いていた巨漢の背中が目に見えて震えた。
男の目がその背中を一瞥し、彼の名を呼んだ。
「ハ・カイ、貴様にろくな知能が無いのは知っていたが、しかし学習能力さえ無いとは思わなかったぞ? 俺が眠りについてからの八年間、力押しの一辺倒とは……莫迦にもほどがある」
「オ…オォ…」
淡々と告げられた叱責に震える巨漢、ハ・カイの隣で、細身の男が額を地面に擦り付けながら、
「畏れながら申し上げまする、ガ・カイさま!」
と声を張り上げた。
「ホ・カイ。許す、申せ」
「有り難き! 我が輩の朋友ハ・カイは確かに力押しに頼り、ガ・カイさまがお眠りになっていた八年の間に大量のメガデリビョーゲンをブラックペッパーめに返り討ちにされたこと、誠に申し開きのしようがござりませぬ!」
「…オ……オウ」
細身の男ホ・カイの言葉に、ハ・カイの大きな背中がガタガタとさらに震え出した。
ハ・カイは伏せた顔のまま横目を仲間に向けながら、「しかしながら!」と叫ぶように言った。
「ハ・カイが送り込みしメガデリビョーゲンは全て、ブラックペッパーのデリシャスフィールドに封印されておりまする! その数、417体!」
その言葉に、ガ・カイは眉を微かに動かした。
「ほう……奴め、殺さずに生け捕りにしていたのか。用済みの器が小賢しいことをする。メガデリビョーゲンをその身に吸収して糧にでもするつもりか」
「畏れながら違うようにござります! ブラックペッパーめはメガデリビョーゲンを吸収せず封印に留め置いております!」
「何故だ。何故メガデリビョーゲンを食い尽くさない。たかが器にすぎないモノが、自分は人間だとでも言うつもりか」
「ガ・カイさまが申されます通り、人間らしさに執着する心がメガデリビョーゲンを封印に留め置いているものかと!」
「で、何が言いたい。ホ・カイ?」
「はっ! ブラックペッパー花寺雅海の中に封印されし417体のメガデリビョーゲン、これをガ・カイさまが取り込まれあそばすれば!」
「俺が完全復活するに足る力を得ることができる……つまり、俺に直接ブラックペッパーを殺しに行けと、そう言いたい訳だな? ホ・カイ。お前たちの失態の尻拭いを俺にしろ、と?」
「仰る通りにござりまする!」
「無礼者めが」
吐き捨てるようなガ・カイの言葉に、ホ・カイが絶叫した。
「ごもっとも、お言葉ごもっともにございます! かくなる上はこのホ・カイ、朋友ハ・カイと共にお命返上してお詫びつかまつるゥゥ!」
言うや否や、ホ・カイは顔を上げてたちあがると、隣に這いつくばっていたハ・カイめがけ腕を振り上げた。
その手の先には、鋭い爪がまるでナイフのように長く伸びていた。
「介錯いたすぞ、ハ・カイ!」
「オ…オオ、オイはハズかしか! イキテはおられんゴォ!」
ハ・カイもまた身を起こし、座り込んだまま自らの上着を脱ぎ捨てその筋肉の鎧のような腹筋に自らの拳を突き立てようとした。
ガ・カイは、部下二人の茶番を、冷たい目で眺めていた。
「オ…オオ…オウ」
「ハ・カイ、早う割腹せぬか!」
「オォ…」
ハ・カイはチラリと主を伺うように目を向けたが、ガ・カイが何の反応も見せないことを知って、絶望と諦めが混じった色を瞳に浮かべた。
「オウオウ…」
「ハ・カイ! やれぃ! 我が輩もすぐに後を追うぞ!」
「ヌオオオオ!」
破れかぶれのような絶叫を上げながら、ハ・カイは己の腹筋に手刀を打ち込んだ。
拳による切腹!
「オゴオオオオオ!?」
人間技では到底不可能な荒行にハ・カイが苦悶の絶叫を上げた。
「介錯しもうす!」
ホ・カイが苦しむ朋友の首めがけ、その長く鋭利な爪を振り下ろし──
──振り下ろす前に、ガ・カイが放った光弾がホ・カイに命中し、その体を数メートルほどその場から吹っ飛ばした。
「ぐへ!?」
「茶番はもう結構だ」
玉座に腰掛けたまま、ガ・カイは光弾を放った手を今度はハ・カイに向けた。
その掌に讃えられた光が弾丸となって、ハ・カイの血まみれの腹部に命中する。
「オッ!?ゴゥ!?」
しかしその光弾はハ・カイの肉体を破壊せず、むしろその傷口がみるみると塞がっていった。
「オ……オオ……ガ・カイさま……」
「ハ・カイ、ホ・カイ。品田ゆみを手に入れられなかった貴様らの失態は許しがたいが……しかし貴様らは所詮、俺の分身、責め立てたところで己の無能を棚に上げているようなものだ」
「ガ・カイさま…ッ!」
ハ・カイとホ・カイが改めて跪く前で、ガ・カイは玉座から立ち上がった。
「今から雅海を殺しにゆく。八年前の借りを返すとしよう」
ガ・カイはそう呟きながら、その場所の片隅にある寝台に目を向けた。
「イ・ゼルダ…哀れな我が姪よ。お前を捨てた我が兄弟の首、その枕元に備えてやるから楽しみに待っておれ」
くくく、と低い声で嗤うガ・カイに、寝台に横たわる少女が、やめてと言うように力無く首を横に振っていた……
〜〜〜
「行かないで……」
涙ぐむ彼女・ゆいに縋りつかれ、雅海は息を呑んだ。
「美味しくて、懐かしくて、涙が止まらないの……」
その言葉に、ゆいが記憶を取れ戻したのだと気がついた瞬間、雅海は唇をゆいに奪われた。
「!?……ッ!……ッ!」
雅海にとってそれは初めてのキス。だけどゆいの躊躇いのないその動きは、既に男を知っている女のキスだった。
そして、そのキスで雅海も悟ってしまった。
ゆいが誰を想って涙を流していたのかを。
凍りついたように動けない雅海から、ゆいはゆっくりと唇を離し、取り戻した記憶が導くままにその愛の名を口にした。
「拓海…………」
その名前に、雅海は彼女に一欠片でも自分への愛情が残っていればと縋ったことを激しく後悔した。
「あ、あたし……なんで……」
記憶と感情の混乱に瞳を揺らしながら離れていくゆいを前に、雅海は目を伏せた。
「……記憶が、戻ったんですね」
「あたしは、あたしは……」
「ゆいさん……」
雅海はそっと手を伸ばしかけたが、その手を途中で止めた。そして軽く握りしめると、その手を降ろして立ち上がった。
「雅海くん、待って!」
「俺は、拓海じゃない」
「!?」
「あなたが愛していたのは品田拓海……俺じゃ無いんです」
背を向けて去ろうとする雅海に、ゆいは胸を締め付けられるような気持ちで問いかけた。
「だったら、君は誰なの!?」
愛し続けていた男と生き写しの少年は、少しだけ振り返って、こう答えた。
「俺は花寺のどかの息子……そう、言いましたよね……」
「のどか……ちゃん……?」
立ち上がりかけたゆいは、甦ってしまった記憶に再び膝をついてしまった。
雅海は、ゆいのその様子に、駆け寄りたい気持ちをぐっと堪えて、目を逸らすように背を向けた。
「芦原を連れて一度帰ります」
「待って……待って……」
「落ち着くまで、俺は傍にいない方がいいでしょう。……あなたを惑わせてしまうから」
雅海が小屋に立ち入り、そしてフィールドから出たことを示す虹色の光がそこから瞬いた。
「あ……あたし……あたし……」
残されたゆいは、心の痛みに、涙を溢し続けた。
でも、この心の痛みは誰に向けたもの?
拓海と、雅海。どちらに対するものなの?
そして、何に対する痛みなの?
花寺雅海。のどかちゃんの息子。それはつまり、きっと──
「あたし……あたしは……雅海くんを……」
拓海の息子に、恋していた。
自分でもどうしたらいいかわからぬまま泣き続けるゆいの、涙がこぼれ落ちるその足元に……
……一輪の花が、ひっそりと咲いていた。
〜〜〜
デリシャスフィールドの外は夕暮れが近づきつつあった。
ビル影に沈みゆく夕陽を眺めながら、雅海は眠る鈴を背負い、彼女のアパートへと足を進めていた。
アパート、といっても鈴が住んでいるそこは単に建物が2階建てだからそう呼ばれているだけで、外観や内装などは高級マンションと大差がなかった。
広い庭を備えた敷地に足を踏み入れると、そこに三匹の黒い仔犬たちが待ち構えていた。
その内の一匹が雅海を見上げ、口を開いた。
「おかえり雅海。アースラは寝落ちしたのか」
「ああ、今日もたくさん頑張ってくれた。部屋でゆっくり休ませてやってくれ」
雅海の言葉に、その仔犬・ケルルンは左右に佇む己の弟たち──ベルルンとロルスンに向かって顎を軽くしゃくった。
二匹は黙って頷き、そしてその身を淡く光らせた。ベルルンとロルスン、二匹のシルエットが混ざり合い、一頭の大型犬へと変貌する。
いや、一頭ではない。その頭は二つある。
双頭犬オルトロス。
雅海は背負っていた鈴を双頭犬の大きな背中に預けた。オルトロスはそのまま、一階にある彼女の部屋の扉を念力のような力で触れることなく開放し、そのまま室内へと消えて行った。
アパートの外には、雅海とケルルンだけが残っていた。
「雅海、話があるなら聞こう」
「……察しが良くて助かる」
「涙の匂いはわかりやすい」
「俺よりも、もっと泣いている人がいる。……ゆいさんの記憶が戻った」
「それは良かった──わけでも無さそうだな?」
「俺が惑わせてしまったせいだ。彼女が愛しているのは品田拓海だけ。そんなこと最初からわかりきっていたことなのに……」
「記憶がなくとも重ねていた。それを和実ゆい自身が自覚してしまったか」
ケルルンの言葉に、雅海は俯き、歯を食いしばった。
彼はしばらくそうやって、拳を固く握りしめ、肩を震わせていたが……やがて深呼吸をして、その震えを止めた。
「ケルルン、俺はどうでもいいんだ。それより、ゆいさんを慰めてやって欲しい。頼む」
雅海は言いながら、その傍にデリシャスフィールドへと続く小さなオーラを呼び出した。
ケルルンはしばらく黙って雅海を見上げていたが、
「まぁ、良かろう」
そう言ってオーラに向けて脚を進めた。
「ありがとう、この借りはいずれ返す」
「ならばおやつのチュールをもう一本追加だ」
「え? そんなので?」
真面目な口調で告げられた意外とお安い条件に雅海がポカンとしている内に、ケルルンはオーラを潜ってデリシャスフィールドへと進入した。
涙の匂いが、強く漂っていた。それは悲しみの香りだ。
だがその香りに混じって、また別の不思議な花の香りがケルルンの鼻をついた。
(百合にも似たこの香り……はて?)
どこか覚えがあるものの、しかしそれを思い出すより先に、その注意は焚き火の前で泣き崩れていた少女へと惹きつけられた。
和実ゆい。
拓海への想い、雅海への想い、その二つの狭間に心を引き裂かれて咽び泣くゆいの膝に、ケルルンはそっと前足を置いた。
「!?」
「驚かせてしまったか? すまぬ」
「えと、ケルベロス…さん?」
「今はか弱い仔犬だ。ケルルンと呼んでくれ……ケル」
可愛い外見の仔犬から響く低音ボイス、でも取り繕うように妖精口調になったケルルンの様子に、ゆいは一瞬、悲しみを忘れた。
ケルルンはその内心を匂いで察して、
「クゥーン」
とあざとく首を傾げながら鼻を鳴らした。
「あ…」
ゆいの手が無意識に伸びてケルルンの小さな頭を撫でた。
掌にすっぱり収まる小さな、丸い頭。
その手触りに、ゆいの全身から悲しみが抜け始めた。
ケルルンは撫でられながら口を開いた。
「落ち着いたケル?」
「うん……ありがと」
「もっと撫でても構わん…撫でてもいいケルよ」
意識的に声を高くして、忘れがちになる口調を慌てて付け直しながらケルルンはゆいの膝の上に登り、座り込んだ。
こんな姿、鈴や雅海が見たら笑うか、それともドン引きするかのどちらかだろうな、とケルルンは内心思いながら、ゆいの手に体を任せた。
「ケルルンの毛並み……ふわふわで気持ちいいね……」
「毎日お風呂に入れられてるケル。あんまり好きじゃないケルが、ゆみが我と──ケルルンと一緒にお風呂入りたいとわがまま言うから仕方なく付き合っているケル」
「ゆみ……ちゃん……あたしの…娘…だよね…」
「そうケル。君がこの先、品田拓海との間に設ける一人娘ケル。心持ちの良い真っ直ぐな少女だ。君によく似ている……しかし、君はそれを誰かから教えられたケル? それとも推察して気がついたケル?」
ケルルンの問いかけに、ゆいは首を横に振った。
「違うよ。これも思い出しんたんだ」
「君にとっては未来の出来事のはずケル」
「あたし、その未来をもう見ていたの」
ゆいはスカイランドを襲った厄災との最終決戦の後、このデリシャスフィールドに流れ着くまでの間に己の未来を垣間見たことをケルルンに語った。
厄災の出現と消失に連動するように体調を崩していた幼い雅海のこと。
それがきっかけで雅海が厄災の元凶かつカイゼルデリビョーゲンが遺した器だと知られてしまい、花寺親子たちの逃避行が始まったこと。
雅海を殺すためにヒーリングガーデンからアスミが送り込まれたこと。
そのアスミが使命に背きヒーリングガーデンを裏切ったこと。
そして……
「雅海くんが……拓海を……ッ」
その先はもう言葉にならなかった。ケルルンは背中に置かれたゆいの手が震えているのを感じながら、言った。
「雅海はデリアンダーズによって種子を植え付けられ、怪物と化していたケル。品田拓海を殺したのは奴の意思じゃないケル」
「わかってる! わかってるよ、そんなこと!」
ゆいの叫びが、涙と共に膝の上のケルルンに降り注いだ。
「拓海だって、わかってた。わかってたから、抵抗も、反撃もしなかった! 全部、受け入れちゃったんだ!」
ゆいは、その瞬間も時空の狭間から目撃していた。
殺してくれと泣き叫びながら暴走する怪物化した雅海の攻撃を、彼は無防備に受け入れ、そのまま抱きしめていた。
拓海は、己が胸に秘めていた後悔と、罪悪感と、そして息子への謝罪と愛情を込めて、その命と引き換えに雅海を救おうとしていた。
その光景を、ゆいは見てしまった。
「拓海をあそこまで追い込んじゃったのは、あたしだ。雅海くんがのどかちゃんと共に苦しんでいたのも、あたしが拓海を束縛しちゃったからだ。あたしが……あたしが拓海を失いたくないって、ずっと縋って……縛って……だから、こんな未来になっちゃうんだ!」
なのに……なのに、あたしは……と、ゆいは嗚咽を漏らした。
「あたし…そんなことも知らないで……雅海くんに、拓海を重ねてた……雅海くんを傷つけた……最低だよ、あたし」
「それが、奴の背負った業ケル。君のせいではないケル。自分が品田拓海を殺し、その上、容姿が瓜二つであることを自覚していながら君の側に居続けた。花寺雅海のその弱さ、甘さが、君を惑わせたのだ」
「違う、それは優しさだよ!」
「優しさは、人ならざる怪物が与えて良いものではない」
「怪物…?」
「そうだ。君も自ら見知ったではないか。花寺雅海は、カイゼルの申し子、スカイランドの厄災の元凶だと。かつてカイゼルの手によって品田拓海に植え付けられた種子が花寺のどかに宿り、その身体に遺されていたナノビョーゲンの因子と結びついて産まれた宿命の器。それが花寺雅海だ」
「器…それって、カイゼルの…?」
「浄化されずに微かに残っていたカイゼルの残滓が憑代とするための器だ。カイゼルの残滓は数年をかけてアンダーグエナジーを取り込み、雅海の体を支配しようとした」
しかしその試みは、母のどかと、その協力者であるさあやとトラウムによって阻まれた。
雅海を完全に支配できなかったカイゼルの力はアンダーグエナジーの暴走によって制御を失い、近くにあったおいしーなタウン、ソラシド市に襲いかかった。
「それが厄災事件の発端だったの…?」
「うむ。しかし雅海の支配を阻止できたものの、完全に切り離すことはできなかった。君たちが戦った厄災はいわばカイゼルの影。本体は雅海の体内にあり、力だけが外に投影されていたのだ。故に君たちがいくら戦い続けようとも、その存在を浄化し切ることは不可能だった」
厄災を完全に消し去るには、雅海ごと本体を浄化するしかもう方法はなかった。
世界を救うために我が子の命を奪うか。
それとも我が子の命と引き換えに世界を滅ぼすか。
のどかはその決断を迫られていた。
「しかし、その決断が下される前に、事態は好転した……君の自己犠牲のおかげで」
ケルルンは、ゆいを見上げた。
「君が世界を……雅海を救ったんだ。その果てにここへ流れ着いた。その因果が何を意味するのか、我にはわからん。しかし、こんな悲しみをもたらすためではないと我は信じたい」
「ケルルン…」
「和実ゆい。胸を張って顔をあげろ。君は誰にも恥じることのないプリキュアだ。品田拓海との愛と絆をもって世界と雅海を救ったプリキュアだ。だからこそ雅海と真っ直ぐ向き合って欲しい」
「あたしが…雅海くんと…?」
「人ならざる怪物が人として生きられるのか。君にその可能性を賭けてみたいのだ」
「……ッ!」
ケルルンの言葉に、ゆいの瞳が揺れ動いた。
ケルルンはゆいの心が動いたことを察し、内心で自虐的なため息をこぼした。
我ながら心にもないことをよくぞ言ったものだ、と。
ゆいが雅海に心を傾けて深く結ばれる関係になれば、それはそれで良し。ゆいが待つプリキュアの力が雅海のデリアンダーズ因子を抑え込み、厄災の再来を防ぐ要素となり得るだろうという目論見だった。
しかしそうならなかったら?
その時は当初の計画どおり雅海を殺すだけだ。ゆいはいずれなんらかの事象によってデリシャスフィールドから現世に呼び戻されるだろうから、その後に始末すれば良い。
ただ問題は、このデリシャスフィールドにはまだ推定三百体以上のメガデリビョーゲンが封印されたままということだ。これを浄化し切るのにキュアプレシャスにはもう少し頑張ってもらう必要がある。ならば雅海云々に関わらず取り敢えず元気になってもらわなければ困る。
ケルルンの言葉は、そんな打算によって吐き出されたその場しのぎの言葉だった。
阿漕な真似よ、と内心で苦笑するケルルンに、ゆいは言った。
「ケルルン…ありがとう。あたし、やってみるよ」
ゆいが涙を拭いながら、無理やり笑顔を浮かべようとしていた。
「あたし、ちゃんと雅海くんと向き合ってみる!」
「うむ、頼むぞ」
己の言葉がゆいに多少なりとも影響を与えた手応えを感じて、ケルルンが内心でほくそ笑んだ──
──その時だった。
突如として森の外で爆音が鳴り響き、さらに微かな地揺れを足元に感じた。
「何が起きたの!?」
立ち上がったゆいの膝からケルルンが飛び降り、すかさず辺りに漂う匂いを嗅いだ。
「この匂い、まさか!?」
「ケルルン!? 待って、あたしも行く!」
だっ、と森の外へ駆け出したケルルンを追って、ゆいもまた走り出す。
森から出て、その先に広がる荒野でゆいとケルルンが目にしたもの。
それは……
大地に穿たれたクレーターから立ち昇る土煙と、その中からよろめき立ちあがろうとするブラックペッパー・雅海の姿と……
「久しぶりだなぁ、雅海ぃ」
デリシャスフィールドの虚空に亜空間の穴を広げて侵入したきた漆黒の衣装……それはブラックペッパーと酷似していた……を纏った男の姿だった。
立ち上がったブラックペッパー雅海が殺意を込めた目でその男を睨みつけ、その喉奥から憎悪を込めた声でその名を叫んだ。
「今度こそ……今度こそ貴様を殺す! ガ・カイ!!」
その宣言にガ・カイは高らかな嘲笑で返した。
荒野に、殺意と憎悪の風が吹き荒れた。