陽の神は月を求める
「トラ男~何してんだ?」
「本を読んでる」
「おもしれえのか?」
「勉強になる」
「いやいやいやいや、そうじゃねえだろ!?」
本から視線を外さず応えるローに思わずウソップが突っ込む。
「うるせえぞ鼻屋」
「いきなりどうしたんだウソップ?」
「その体勢はおかしいだろって言ってんだよ!」
びしりと指を差した先、椅子に腰かけて本を読んでいるローには問題はない。
問題はその背後から首と腹に手足を巻き付けてローの手元を覗き込んでいるルフィだ。
「何がおかしいんだ?」
「だから言ってるだろ麦わら屋、他の海賊団の船長に対して無防備すぎるんだ」
「それも違うけど!?」
「落ち着けウソップ、ローはもう慣れちまって疑問にも思ってねえ」
そうサンジがウソップの肩に手を置けばローが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「麦わら屋は言っても聞かねえ、お前らも引き剥がそうとはしねえ、無駄な体力使うより適当に相手してやった方が楽だ」
「なんだよそれー!」
「揺らすな耳元で騒ぐなバラすぞ」
一切ルフィへと関心を向けずチョッパーから借りた医学書を読むローは肝が据わっているのか諦めているのか。
ぶすくれながらローの帽子の上に顎を置いたルフィを眺めていればふとローが顔を上げる。
「ナミ屋、次の島までどれくらいだ?」
「このまま行けば明日の朝に着くわよ」
「そうか。それならトニー屋、薬の仕入れを手伝わせてくれ」
「いいのか?」
「この辺りの薬草は最近成分が変化しているらしい。微量だが鎮痛剤に使う奴だから確認も兼ねて実物を見たい」
「おう!じゃあトラ男と行くぞ!」
丁度読み終わった本を閉じ、ルフィを背負ったまま立ち上がる。
細身に見えてもやはり七武海。大太刀を使うだけの筋力を有しているのだと再認識する。
「トラ男!俺も!俺も一緒にいく!」
「あんたはゾロとブルックと買い出し!」
それに不満そうな顔を見せれば溜息をついたローが鬼哭の柄でルフィの額を突く。
「船長がクルーに迷惑かけんな」
「いやそれトラ男が言う?」
そもそもここに居るのはローの放浪癖のせいで居場所も連絡もとれないからだった筈だがと突っ込めば素知らぬ顔をされる。
「ヨホホ!ルフィさんはトラ男さんがお好きですね~」
「おう!」
「勘弁してくれ…」
屈託のない笑顔で肯定するルフィに疲れた声が漏れる。
「図書室に行くから下りろ」
「俺も行く!」
「扉でつっかえるから行くにしても下りろ」
「わかった!」
手足を巻き取って隣に並び、二人が食堂を出るのを見届けて顔を見合わせた。
「どうなの、あれ」
「トラ男に懐いてるにしても距離がおかしいだろ?」
「誰かしらに引っ付いてる事が多いとはいえここんとこべったりだしなぁ…」
その原因に心当たりのあるゾロとサンジが難しい顔をする。
「ルフィがほっとけないって思う気持ちもわかるけどな」
「ありゃ最終的にトラ男がキレてバラされるかどっか行くかしちまうと思うぞ」
「構いすぎて嫌われるって奴か」
「それは猫じゃのう」
気まぐれで放浪癖があって気を許した相手じゃないとツンとしてると言われれば納得してしまう。
「帽子が無いと兄弟のように見えるけどね」
ローの方が青みがかっているとはいえ二人とも黒髪だ。
跳ね方もそうだし、関係を知らない人から見ればそう見えてもおかしくない。
「でもそれ言ったら絶対『こんな手のかかる弟なんて冗談じゃねえ』とか言うわよ」
「うわ、音声付きで聞こえてきた」
「俺も」
そう笑いあっているのを見ながらゾロは酒を煽る。
「(そういや今日はあの妖刀、やけに静かだったな)」
ローの傍で周りを警戒するように放たれている気が今日は無かった。
それはこの状況でローを傷つける相手がいないと思われているからか、それとも。
「…おいクソコック」
「何だクソマリモ」
いつも通りに返すサンジにグラスを渡して立ち上がる。
「ルフィの所行ってくる」
「ローじゃなくてか?」
「多分追い出されてるからな」
そう言って食堂を出るゾロに呆れたように呟いた。
「海の上だから流石に船内で済むか…」
ルフィの元に辿り着くまで、さて何時間かかる事やら。
スキンシップが激しいのは何となく判っていたが、再びこの船に乗るようになってからはそれが更に顕著になった。
カルガモのように後ろを着いてくるだけならまだしも伸びる手足で巻き付かれるのだから暑苦しくて仕方ない。
しかしそれ以外にもローには懸念している事があった。
「(…この距離なら僅かに判る、程度だな)」
隣を歩くルフィを横目で見てすぐに逸らす。
何が嬉しいのか鼻歌まで歌いながらローの傍を離れないルフィから感じる言いようのない違和感。
密着されていると強く、離れると弱くなるそれの正体が判らずに困惑する事数日、ルフィ自体にその意識は無いようだし他のクルー達にも何か感じている者はいないようだ。
ならば気のせいかと思いたくともローに近づく度に感じるそれを無視することも出来ず、抱き着くルフィを許容しているのもその違和感をもっとはっきりと感じ取る為だったのだが。
図書室の扉を開ければ紙とインクの香りに心が安らぐ。
借りた本を棚に戻し、鬼哭を壁に立てかけてこの海域の薬草に関連する本を探す。
「麦わら屋、暇なら戻ってていいぞ」
背表紙の文字を辿りながらやけに静かなルフィへと声をかける。
ニュースクーすら読まないらしいルフィには退屈だろうと目的の本を見つけ、それを開きながら返事を待つが数ページ捲っても声がかからない事を訝しんで振り返れば、椅子に腰かけて鼻提灯を膨らませている姿が目に入った。
「……寝入るのが早すぎやしないか?」
確か夜明け前の見張りだったかと思い出し、仮眠用においてあった毛布を持って近づく。
涎も垂れているので既に夢の中で肉でも食っているのだろうか。
毛布を広げてかけてやろうとすればぱちんと鼻提灯が割れ、薄く開いた瞼の隙間から覗く赤に射抜かれる。
「っ!?」
はっきりとした違和感に下がろうとすれば腕を取られてルフィの上に倒れ込む形になり、咄嗟に背もたれに片手をついて体を支える。
「あぶ、ないだろうが!」
「ははっ、わりぃわりぃ」
軽い調子で謝りながらも片腕はとられたまま、見上げる目はやはり光の加減ではなくはっきりと赤い。
睨みつけても気にする様子はないルフィの姿に自然と声が硬くなる。
「誰だお前は。麦わら屋はどうした」
「俺は俺だよ」
「…お前は麦わら屋じゃない」
そう確信を持って言えばにんまりと、決してルフィがしないだろう笑みを浮かべる。
「お前は知ってる」
「何?」
「俺が誰だか、お前は知ってるぞ」
懐かしむように、咎めるように、ルフィの姿をした男が嗤う。
そうだろう、ワーテル
ど、と心臓が跳ねた。
ルフィにフルネームを名乗った覚えはない。
だからローがDの名を持つことも、今口にした忌み名を持つことも知らない筈なのだ。
冷や汗をかくローを見つめ、無意識に震える腕を引き寄せる。
背もたれについた手から力が抜け、ルフィに凭れ掛かるように倒れ込む。
「まだ早いけど、もうすぐだから我慢する」
「なに、が」
「お前が望んだなら今すぐでもいいんだけど」
直ぐ近くにある赤が怪しく光った。
「自由じゃなけりゃつまらないもんな」
俺もお前も、と付け加えられた意味は判らない。
けれどそれが良くない事だというのは本能で理解する。
「だから今日は無かった事にする。寂しいけど」
背に回った手が優しく叩けば急な眠気がローを襲う。
「でもその時が来たら、お前がそれを選んだら」
落ちていく意識の中、嗤う声がした。
「今度こそお前を連れて行くよ、ワーテル」
『そんな事させるかよ』
『絶対にさせない』
遠く、懐かしい声がした気が、する。