陽が沈んでも光は消えず
合流地点となった港に着いたのは夕刻だった。
他の商船に紛れてジョリーロジャーを掲げた船もちらほらと見える中、揃いの白いつなぎを着た集団は随分と目立っていた。
「きゃぷてーん!」
「会いたかった~!」
港に降りた途端にハートのクルー達にもみくちゃにされ、張り詰めていた気がほんの少し緩む。
「変わりはなかったな」
「アイアイ!ベポが船長不足で萎れてるくらいです!」
「ああそれは今実感してる」
「キャプテンー…」
後ろからがっちりと腹に手を回して抱き着いているベポの腕を撫でる。
「大変だったんですよ、俺も麦わらの船行くとか言い出して」
「ちなみに俺らも言いましたけどイッカクに拳骨食らいました」
「だって寂しかったんだもんー!」
ぐりぐりと肩口に擦りつくベポに苦笑する。甘えられるのは嫌いじゃない。
だがまだ後ろには麦わらの一味がいるし、これ以上待たせるわけにはいかないと離れる様に促して向き直る。
「世話になったな」
「気にすんな!でも目的地一緒なんだからそのまま乗ってきゃいいじゃねえか」
「俺の船はポーラータング号だ。他の船に乗るのはどうにも落ち着かねえ」
そう言えば後ろで歓声が上がる。
「そうだそうだ、キャプテンはうちの船長なんだからな!」
「世話になったのは事実だけどそれはちゃんと食料で返してるから!船長はポーラータングに戻るの!」
今度は両脇とシャチとペンギンに固められ、それぞれに腕を取られる。
「お前らなぁ…」
「愛されてんなぁトラ男」
「当たり前じゃん!ね、キャプテン!」
背後からベポが再び抱き着き、それを微笑ましいものとして見られるのは少し恥ずかしいが悪くない。
「よし、再会の宴やるぞー!」
「やらねえよ、俺はこれからやることがある」
そう言えばルフィだけでなくクルー達からも不服の声があがりその大きさに思わず肩が跳ねた。
「やることってなんですか、まさかここからまた単独行動とか言い出す気じゃないでしょうね!?」
「麦わら達との同盟だっていつの間にか組んでてそういうのは前もって言えって言ったの忘れたんですか!?」
「いやそれは」
「折角会えたのにまた離れるの?」
「う…」
ベポのつぶらな瞳に見つめられて視線が泳ぐ。
確かに単独行動が多い事も事後報告の多さも散々言われていたが、こればかりは聞けない。
「航路に関しては前々から伝えてあったはずだ」
「航路に関しては!です!」
「俺たちは当然船長も一緒だと思ってたんです!」
「せめて何するか聞かせてもらいますからね!」
ハートのクルー達だけなら宥めすかして抜け出す事も出来るが、みっともない所を見せてしまった麦わらの一味が居る場所で下手な事を言えばヴェルゴに会った事やジョーカー……ドフラミンゴに狙われている事も話されてしまう。
ヴェルゴはともかく、ドフラミンゴには確実に会う事になる。
その時に自分の『家族』を連れていたなら、ドフラミンゴは絶対に彼らを使ってローを傷つけようとするだろう。
もしもの事を考えれば彼らを連れて行くわけにはいかないのだ。
けれど、ローが狙われていると知って彼らが大人しく聞くわけがない。
「…とある研究所に潜入してぶっ壊すつもりなんだが」
「それこそ俺ら連れてってくださいよ!」
「一人の方が動きやすい」
わざと拗ねたような態度でそっぽを向けばペンギン達が溜息をついた。
こうなったローが梃子でも動かない事はよく知っているから、これで諦めてくれるだろう。
「……はぁ~、わかりました」
よし、と心の中でガッツポーズをしていれば後ろから伸びてきた腕に捕まる。
「大丈夫だ、俺らが一緒にいるからな!」
「は!?」
目を丸くする。確かに提案はしたし承諾も得たが、あくまで彼らは研究所内の陽動を頼んだ筈だ。
目的のものに関しては詳しく言っていないし、『研究所の破壊』に関しては暴れて気を引いてもらっている間にローが最奥へと辿り着ければ事は済む。
ただでさえ今の時点で計画が崩れまくっているのにこれ以上麦わらの一味に掻き回されては四皇どころかその手前までたどり着けるかわからないのだ、頼むから大人しくしていてほしい。無理だろうけど。
「トラ男は俺たちが面倒見る!」
「ふざけんな他はともかくお前は面倒みられる方だろ!」
腹に回った手を外そうと力を込めても伸びるだけで無理だった。
それどころか腕の方に縮んできて足まで回って来る。
「も~…キャプテン、今回は麦わらがこう言うんで仕方ないですけど」
「おい待て俺が面倒みられる方にカウントされてないか?」
「今回はそうです。言っときますけど俺ら怒ってますからね?これで合流地点に来ないとかしたら逆走して来ますから。そんで暫く海楼石の何か着けて船に閉じ込めますよ」
帽子の下から覗く眼光にまざまざと怒りを感じとり冷や汗を垂らす。
「キャプテン」
寄って来たベポが頬に擦り寄る。
「俺、ちゃんと待ってるから。キャプテンもちゃんと帰ってきてね」
「……ああ」
無垢な信頼が眩しくて目を細める。
この十三年、彼らに支えられてきた。
失いたくないと心から思っている、ローの宝物だ。
「麦わら屋、いつまで巻き付いてるんだ」
「ん?」
首を後ろに向ければきょとんとした顔とかち合う。
「ん?じゃなくて離せ」
「やだ」
「はぁ!?」
さっきローがやったように拗ねてそっぽを向く。
他人にやられるとこうも腹立たしいのかと思い、再度掴もうとした腕が不意にローの首元に伸び、空を掴んだ。
「あれ、なんか見えた筈なのに掴めねえ」
不思議そうに開いた掌を見るルフィにローも首を傾げる。
「何がだ、見間違いじゃないのか」
「細っこくて見にくかったけど確かにあったんだよ」
トラ男の首に巻き付こうとした糸みたいなのが、確かに。
そう言った瞬間に顔色の変わったローに驚きながらもルフィは放そうとしない。
今のがロビンとチョッパーが言っていた『ローが警戒するヴェルゴの仲間』に関係するのならローがすることは判り切っている。
「放せ麦わら屋」
「やだ、放したらお前一人でどっか行く気だろ」
「目的地に着いたら合流はする」
「トラ男」
名を呼ばれる。
そこに込められたのは恐らく無意識ではあるが覇王色の覇気だ。
威圧に一瞬体がふらついたが意地で踏みとどまり、背に張りついたままの男を睨む。
「てめぇ、どういうつもりだ」
「行かせねえぞ」
取り付く島もない声に詰まる。
こうなったら譲らないのは短い同行でもわかっているから困ったものだ。
見聞色で探っても他の糸らしきものが無い事は確認出来たから力を抜けばようやく抱き着いていたルフィが離れ、しかし片腕だけ腹にぐるりと巻き付いている。
「おい」
「宴」
「あ?」
「宴するぞぉ!お前らぁ!」
何を言っているのかと怒鳴ろうとすればそれぞれのクルー達がばたばたと動き始める。
麦わらの一味だけならともかくうちのクルーまで、と呆気にとられていればルフィが巻きつけた腕ごとローを肩に担ぐ。
「おい!?」
「お前はそれでいいかもしれねえけど、自分の所のクルーにあんな顔させんな」
そう言われれば返す言葉がない。
ローもわかってはいる。彼らの心配も怒りも、正当なものであるとわかっている。
それでも彼らをドフラミンゴの所へ連れて行く勇気は持てないのだ。
「あとトラ男、あんだけ食ってないんだから少しは食ってかねえといざって時動けねえぞ」
「余計なお世話だ」
体力がものをいう能力だからとどうにか詰め込んでいたおにぎりとほぐした魚、それに果物。
腹が減らないからとゾロと甲板で軽い手合わせをしてルフィのちょっかいを受けてそれだけだ。
流石に目に余るとチョッパーに栄養剤を融通して貰い、サンジから軽く抓めるものを差し入れされてと世話になったのでその辺りは色をつけて返してある。ナミが目をベリーにして喜んでいたので正解だったようだ。
そのまま宴の準備に入るクルー達を見ながら用意された席にローを座らせ、巻き付けていた腕を解く。
「俺はお前が誰を警戒してるかわからねえし、そいつがお前に何したかも知らねえけど」
それでもroomを張ったらすぐ抑えられるように横に座ったまま、ルフィはローを覗き込む。
「あいつらの事を想うならちゃんと話しといた方がいいぞ」
「…それこそ大きなお世話だ」
そんな事言われるまでもなく、話しておかねばならないとは思っている。
きっと彼らはローを心配して怒って、それで泣いて抱き着かれるのだろう。
視線の先で麦わらのクルー達と笑いながら宴の準備をする彼らは弱くなどない。
だからこそ言えない事だってあるのだ。
「麦わら屋、さっき見えたという糸はどんな糸だった」
「どんなって言われても普通の糸だったぞ?めちゃくちゃ細くて見えにくかっただけで」
「それが俺の首に伸びてきたと?」
「おう、すげー嫌な感じしたから掴んだ筈だったんだけどなー」
「…それを察知出来るだけ凄い事だと理解しろ」
そっと首元に手を当てる。
ここに巻き付こうとしたいう糸は間違いなくドフラミンゴのものだ。
彼の糸が伸びてきたという事はローの居場所はバレているし、今離れたとして彼らに危害が加えられないという保障もないという警告だ。
いつも通り憮然とした顔をしているのに隣からは刺さる様な視線が注がれる。
「何だ」
「変な顔してんな」
突然の罵倒である。
反論しようとすれば伸ばされた両手で頬を挟まれ、至近距離で顔を突き合わされる。
間近から注がれる視線に耐えられずに逃げようとすれば一瞬その黒い目の奥から何かがこちらを見た気がして、ローの肌がぞわりと粟立った。
「トラ男は色々抱え込みすぎなんだよな」
そう頬を膨らませるルフィの目はいつも通り。錯覚だろうか。
「同盟組んでるんだから少しくらい『それ』、分けてくれてもいいのによ」
「…同盟だからこそ線引きは必要だ。あくまで手を組んだだけなんだからな。あと近い」
顔を掴んで押しのけてやれば笑いながら手を放す。
年下に良い様にされている事が腹立たしく、それに心地良さを覚えてしまった事に困惑する。
適度な賑やかさと丁度いい暖かさにつられて欠伸が零れた。
「トラ男?」
丁度いい枕もある、と眠気で回らない頭で至近距離にあったルフィの肩に凭れ掛かれば不思議そうな声が上から降ってくる。
「寝る…宴の準備が終わったら起こせ」
「は?寝る?」
鬼哭を抱えて腕を組み、目を閉じる。
どこか懐かしいような暖かさに寝不足だった意識は呆気なく落ちた。
「ホントに寝た…」
呆然と呟くルフィに気付いたのは料理を運んでいたペンギンだった。
「え、キャプテン寝たの?こんな所で?」
潜めた声に頷けばぽかんと口を開け、じわじわと笑みを形作っていく。
「そっかぁ、寝てるのか」
料理を卓に置き、そっと近づいてしゃがむ。
人の気配に聡い筈のローは反応せず、静かに眠ったままだ。
その寝顔を見て安心したように笑うペンギンがふとルフィの方を向く。
「…キャプテン、無茶ばっかりするから俺ら心配してたんだ」
「割と血の気多いよな、トラ男」
「そうなんだ。きっと俺らが居ない所で色々やらかすと思うからさ、この人の事頼むよ」
「おう、任せとけ」
そう言って他の料理を運ぶために去る背中を見送り、肩の重みにルフィも笑った。
ほんの少しだけ歩み寄ってくれたという事だろうか。
なんだか懐かない猫が気まぐれで寄って来たような嬉しさにそっと手を伸ばし。
「…トラ男にちょっかい出すなら俺も手ぇ出すぞ」
その右手に這い寄ったものを握り潰す。
覇気を纏って黒く染まった手を開けば数本の糸が力無く落ちて消えていく。
それを見降ろすルフィの目は、既に沈んだ筈の夕陽のように赤く輝いていた。