闇黒の夢魔鏡にて
紅い月が照らす、闇の世界。切り立った崖と鋭い岩の突き出た大地は、まるで命の営みを拒んでいるかのようだ。
踏み込んだ足の下は気味悪くぬかるみ、おぞましい夜の獣の遠吠えが耳をつく。
吸い込む空気さえも重く澱んでいて、ひどく息苦しい。
がしゃりと、鎧の関節が音を立てる。分厚く詰め物の入った胴当ての中にまで瘴気が入り込んでくるような気がして、思わず顔をしかめた。
それでも、この闇の中ですら白銀に輝く武具は僕の心を支えてくれるのだ。
腰に下げた剣もまた、その身に纏うものと同じ輝きを放っている。
――白騎士よ。こりもせずに、また来たか。
不意に響いた声に、僕は顔を上げた。
視線を向けた先には、大きな影がある。見上げるほどに大きな、黒い塊だ。
「……閻魔」
呟くように名を呼ぶと、それは僅かに笑ったようだった。
低く地を這うような笑い声は、僕を怯えさせるには十分すぎるほどの迫力を持っていたけれど、同時にどこか軽薄な愉悦も含んでいて。
――何度来ても同じことよ。我を滅ぼすことはできぬ。
言葉とともに吐き出された吐息は、冷たく湿っていた。……そうだね。わかっているんだ。
この世界に生きる者たちの命運を背負った戦いで、僕は何度もお前に立ち向かってきた。そしてそのたびに敗北してきたんだから。
でも、今日こそは。
僕は剣の柄に手をかけると、そっと鞘の中から引き抜いた。……こんなに重かったっけ。いや、いつものことさ。
きっと今宵の僕は、緊張しているんだろうな。
ふぅ、と大きく息をついて呼吸を整えると、僕はゆっくりと腕を持ち上げた。切っ先を向ける先は、目の前にある巨大な黒い影。
――いいだろう。来い、白騎士。我が魂の力を受け止めるがいい!
閻魔の言葉と同時に、凄まじい衝撃波が巻き起こる。吹き飛ばされそうになる身体を必死に抑えながら、僕は手にした剣を振り下ろした。
一閃。
確かな手応えを感じ、しかし次の瞬間には歯噛みする。
閻魔を取り巻く黒が凝縮するように、次々に形を為す闇の使徒たち。今斬ったのはそいつらの一部にすぎない。
「……邪魔だ!」
叫びざまに剣を振るえば、今度は複数の悲鳴が上がる。聖なる加護を受けた白銀の剣は、容易く闇の眷属を退けていく。
そう、これこそが僕の力なんだ。どんな敵だって退けられる。
たとえそれが地獄の王であっても。
再び構えなおし、次なる攻撃に備えるべく身を沈めると……突然、頭上に感じた大きな気配。
反射的に振り仰ぐと、そこには月光を受けて輝く朱の刃があった。
「……っ!?」
咄嵯に身を捻ってかわしたものの、頬を掠める鋭い痛み。焼けるような熱さに慌てて傷口を拭えば、べったりとした赤い血がついた。
感心するような響きの吐息は、けれど決してこちらに対する敬意など込められていないことをはっきりと物語っていて。
キャハハハハハ、と耳障りな甲高い笑い声を上げたのは、巨大な鎌を手にした少女の姿を持つ悪魔だった。
「イケロス!」
その名を叫ぶなり僕は走り出した。素早く間合いを取りつつ、剣を構える。
いけ好かない奴だけど、実力は確かな敵だ。油断はできない。
「いやーん、そんな怖い顔して睨まないでぇ♡」
ケラケラと笑う夢魔の表情は、やはりどこまでもふざけていて――
何だ?心のどこかに違和感を覚えて、僕は眉を寄せた。
僕はこの表情を、知っているような気がする……。そうだ、確かあれは……あぁ、駄目だ。頭がぼうっとしてくる。
いけない、しっかりしろ。今は戦闘中なんだぞ!
自分に言い聞かせながらも、僕は再び剣を構え直した。女の子の姿をしていても、こいつは強敵だ。気を引き締めなければ。
「ねぇ、遊ぼぉ?」
甘い声で囁きながら、悪魔の少女がくるりとその場で回る。その動作に合わせるように、大鎌もまたぐるりと回り、扇情的な衣装が翻る。
誘うように伸ばされた腕に、ぞくりと背筋が粟立った。まずい、と思う間もなく、一気に距離を詰めてきたイケロスが目の前に迫ってくる。
咄嵯に身を屈めれば、頭上すれすれを通り過ぎる死の風圧。思わず目を見張っているうちに、今度は背後から殺気を感じる。
「……っく!」
横薙ぎの一閃を辛うじて受け止めたものの、あまりの衝撃に膝が崩れかける。そこへすかさず放たれた追撃を受け流すことは叶わず、身体ごと吹き飛ばされてしまう。
背中をしたたかに打ち付け、一瞬止まる呼吸。苦痛の声を上げる暇もなく、更なる斬撃が迫ってきて……
ガキィンッ!! 激しい金属音と共に、振り下ろされかけた鎌と白銀の剣が交錯した。ギリギリとせめぎ合うふたつの武器。その向こうには、無邪気に微笑む少女の顔がある。
「……やめろっ!」
思わず叫んだ僕を、けれどイケロスは無言で見つめ返すだけだ。
その瞳に浮かぶのは、ぞっとするほどの色香。口元に浮かんだ笑みは、淫蕩そのもので――
「っ!?」
瞬間、僕は全身の血が沸騰するような感覚を覚えた。
「やめて、くれ……」
喉の奥から絞り出すようにして呟いた言葉は、自分にも聞き取れないほどに弱々しいものだった。こんな感情は知らない。知りたくもない。
なのに、僕の意思とは関係なく勝手に動き出そうとしている身体を止めることができない。
「あはっ♪」
どこか陶然とした様子のイケロスが、ゆっくりと唇を動かす。そこから漏れるのは、甘美な誘惑の言葉。
「ねぇ、一緒に遊ぼう?あなただって本当はそうしたいんでしょ?」
……ちがう、僕は……!
否定しようとしても、うまく舌が回らない。まるで脳まで痺れてしまったかのようだ。
「ほら、気持ちいいよ……ね?」
そう言ってイケロスが身を捩った途端、身体がびくりと跳ねた。……何だ、これは?
艶っぽい吐息とともに、少女の身体が密着してくる。柔らかな肌が擦れる感触が、どうしようもなく心地いい。
ダメだ、このままでは……。
必死になって理性を保とうとする僕の耳元へ、イケロスがそっと顔を近づけた。熱い吐息が耳にかかる。
そして彼女は、甘く優しく囁くのだ。
「……お兄ちゃん♡」
瞬間、何かが弾けた。
視界が真っ赤に染まる。頭の奥で鳴り響く警鐘は、もはや意味を成さない。
「……うぁ」
ため息のように吐き出された声は、自分のものとは思えないくらいに低く掠れて。
本能のままに、僕は目の前の少女を抱き寄せた。そのまま強引にキスをする。貪るように、何度も角度を変えて。
やがてどちらともわからない唾液の糸を引きながら離れた時には、すでに僕の心の中にはひとつの欲求しかなかった。
欲しい。彼女が、欲しくてたまらない。
「アハハ!やっぱりそうなんだぁ!素直じゃないんだからぁ!」
甲高い笑い声を上げながら、夢魔の少女は楽しげに僕の頬を撫でる。
「ねぇ、もっと見せて?あなたの本当の姿を」
その囁きに導かれるように、僕の意識は闇へと沈んでいく。
あぁ、そうさ。もう我慢なんてできない。
だって、お前が悪いんじゃないか。
いつもは子供みたいに純粋ぶっておきながら、時々あんな風に誘ってくるから。
だから僕は、こうして自分を抑えられなくなってしまったんだよ。
そうだろ、イケロス。
僕は彼女を地面に押し倒すと、その細い首筋に噛み付いた。
「ん……ふぅ」
少女の小さな口から零れた吐息は、しかし快楽に濡れているように聞こえたのはきっと気のせいではないだろう。
びちゃりと、黒い地面に溜まった汚水が音を立てる。
閻魔はどうなった?僕は誰だ?そんな疑問すらも、今となっては遠い過去のことのようで。
僕は夢中で彼女の服を脱がせていくと、露わになった裸身に指先を這わせた。
「あ……あぁんっ♡」
敏感に反応して震えた身体は、驚くほどに柔らかくて。僕はますます興奮して、艶を放つ滑らかな肌を味わい続けた。
「や、やぁ……っ」
少女は拒むような言葉を漏らすけれど、その表情は明らかに悦んでいるように見える。
その証拠に、小さな胸の膨らみはツンと尖り、下腹部はしっとりとした湿りを帯びていた。
あぁ、可愛い。可愛くて仕方がない。
「ねぇ、イケロス……」
呼びかければ、潤んだ瞳がこちらを見上げる。
「好きだよ」
そう囁けば、少女の顔に歓喜の色が浮かぶ。それは僕がよく知っている表情だった。僕だけに向けられる笑顔。
そのことにひどく満足しながら、なぜか恐ろしいほどの罪悪感に魂を鷲掴みにされるようで。
相反する感情に混乱する僕を嘲るかのように、少女が三日月のような口で笑う。
「あたしも大好きだよぉ、お兄ちゃん♪」
「……うん、知ってるよ」
僕もまた笑ってみせると、再びその唇を奪った。この子は、僕だけのものだ。誰にも渡したりしない。
「……んっ……ちゅっ……ぷあっ!」
呼吸を奪うように深く口づけてから解放すると、少女は荒い呼吸を繰り返しながら、熱に浮かされた瞳で僕を見た。その視線だけでぞくりと背筋が粟立つ。
イケロスは、僕のことが好きなんだ。僕だけを愛してくれてるんだ。
ならば、何も問題はないじゃないか。
僕は彼女に覆い被さると、欲望のままにその身体を求めた。
柔らかな太腿を押し開き、そこに顔を埋める。
舌先で触れたそこは、既に充分すぎるほどに蕩けていて。僕は迷わず中へ侵入した。
「あぁっ!やっ……ああんっ!」
甘い悲鳴を聞きながら、夢中でそこを舐め回す。溢れてくる蜜は、まるで媚薬のように僕の思考を奪っていった。
もっと、欲しい。
「……あんっ、だめぇ!これ以上したらっ……♡」
懇願するようなイケロスの声を無視して、僕は更に奥まで舌を差し入れた。そのままぐるりと掻き混ぜるように動かすと、ビクビクッと腰が跳ね上がる。
その反応に気分をよくした僕は、より激しく攻め立てた。同時に親指で花芽を刺激してやる。
途端に少女の口から漏れるのは、一際大きな喘ぎ声で。
絶頂が近いことを察した僕は、とどめとばかりに最も感じる場所を強く吸い上げた。次の瞬間――
「あああぁぁぁーーっ!!!」
少女は全身を痙攣させながら達していた。
ガクリと脱力し、ぐったりとしているその姿に、言いようのない征服欲が満たされていく。
僕は満足げに微笑むと、ゆっくりと身を起こした。
目の前には、乱れた衣服を纏ったままの美少女の姿がある。その光景に、僕の心は充足感でいっぱいになっていた。
これでいい。このままでいい。
ずっとこうやってふたりで幸せに暮らしていけるんだ。
「……ねぇ、イケロス」
僕の呼び掛けに、彼女は虚ろな目を向ける。まだ少し焦点が合っていないようだが、それもすぐに治まるだろう。
「もう、離さないからね」
囁く声に、少女は笑った。笑い続けた。淫らな顔で。妖艶な仕草で。
そして、甘く誘うのだ。
「うん、一緒に気持ちよくなろう?……お兄ちゃん♡」
……あぁ、そうしよう。
僕はうっとりと呟くと、少女の上に覆い被さっていった。
鎧の重さはもう感じない。
だって、僕はもう自由なんだから。
月光の下、ふたつの影がひとつに溶け合う。
絡み合いながら揺れるシルエットは、やがて闇に呑まれて消えていった。