鏡の子花の子

鏡の子花の子



 上がった呼吸を落ち着かせるために肩で息をする。ここに連れてこられてから、思うように体が動かせない。

 体の中でなにかが渦巻くような、溢れてくる水を止められないような。こんな状況では鬼道はまともに使えないし、白打だけでは太刀打ちできない。


 なにせ目の前にいるのは、アタシをさらった奴らの親玉でついこないだの尸魂界での事件の黒幕なのだから。


「未だ始解にすら至れていない浅打で私に挑もうとは、蛮勇と言わざるを得ないな」

「うっるさ、アンタなんか、これでっ、十分や!」

「元気がいいのは結構だが、その様で抜け出そうとするとは行儀が悪い。母親に似たね」

「……っ!アンタがオカンのなにを知っと言うんや!なんも知らんくせに!!」


 苛立ち任せに振り下ろした刀は玩具のようにあしらわれて、たたらを踏んだ体は簡単に足を払われて床に転がる。体が思うように動かないせいでろくに受け身も取れずに、強かに体を打ち付けて痛みに噎せた。

 立ち上がることが出来ずにいると顎をつかまれて顔をあげさせられた。薄く笑っているというのに瞳につまらなそうな色が見えて腹が立つ。誰のせいでこうなってると思っているんだ。


「ウルキオラに連れてこられてから、しばらくは大人しくしていると思ったが……それほどまでに友が心配かい?」

「織姫ちゃんになにした!自分からこんなとこ来るはずないやろ!あの娘をどこやった!!」

「噛みつく元気は残っているようでなによりだ。自分以外の事になると安い挑発でも容易く激昂するのも母譲りだな」


 触れていた手を振り払って、動かない足に無理矢理言うことを聞かせて立ち上がる。構えられずに床に突き立てた斬魄刀は相変わらずただの刀でしかない。当たり前だけど、せめてこれだけでも使えればとぶつけようのない苛立ちが湧いてくる。

 力が足りないことが悔しい、なにもできないことが悔しい、みんなよりも長く生きているのに助けるどころか一人で部屋を出れもしない自分の非力がなによりも恨めしい。


「あなたはもっと憤るべきだ、私でなくあなたでもなく眼の前の全ての元凶に」

「え?」


 耳元で聞こえた声に振り返るとそこにあったのはさっきまでの真っ白な部屋ではなく、替わりにいたのは真っ白なアタシだった。


 小さい頃、熱にうなされて見た夢ではじめて出会った真っ白で真っ黒な色以外はアタシと同じ姿をしたその子は、つまらなそうな顔でこちらを見て「今にも死にそうだね」と言った。

 それを聞いたアタシがなにもわからずポカンとその姿を見上げていると、ふわりと降りてきて頬を撫でるように顔に触ってきた。指がとても冷たかったのを今でも覚えている。


「つらいなら、食べてあげよう」


 そう言われた言葉になんて答えたのか、それは覚えていない。

 ただ怖くて泣いて飛び起きて、心配してくれていた大人たちを更に心配させることになったことは後から聞いて知っている。


 アタシの中には母親のお腹の中、まだ子供のかたちにすらなっていないような時から虚がいる。それを聞いたのは随分と大きくなってからだったけど、それで納得した部分もあった。

 あの夢の中のもう一人のアタシは、アタシと一緒にお腹で育って産まれた虚なんだろう。


「あんたは、悪もんなん?」

「それはあなた次第だ」

「あたしが悪もんって言ったら悪もんになんの?」

「それは短絡的といわざるを得ないね。あなたが刃を悪と断じても、それを人に突き立てるまでは悪とならないのと同じだよ」


 人を小馬鹿にしたような、見下ろすようなそんな目をしているくせにもう一人のアタシはお喋りだった。

 いつもアタシが臥せるたびに出てきては、色々と雲をつかむような話をしてはまたつまらなそうな顔をする。


 しばらくして、もう一人のアタシのことはあまり怖くなくなった。冷たい手で触ってくる以外になにもしないので、怖がる理由がなかったのもある。なによりいつもつまらなそうで、それがなんだか寂しそうな気がして、似すぎているアタシは嫌いになれなかったのだ。

 それも体調が安定してからはいつの間にか見ることがなくなった。浦原さんから義骸をもらって、外に出られるようになってからは一度も夢で会ったことはない。


 それが今、眼の前にいる。


「あなたはこの不自由な体に憤りを感じないのか?恐ろしく無責任な存在によって与えられた力に不満を持つことは?どうしてそれを全ての元凶に向けずに内に向けるという不毛な行為に耽溺しようとする?」

「いややって思っても、どうにもならんのは慣れてる……ずっとそうや」

「……それで全てを取り落としたいというのなら、私にも愚か者に付き合う義理はない」


 飛んできた拳をすんでの所で受けて、しびれる腕に歯を食いしばる。想定外の攻撃に瞠目するアタシの前には相変わらずつまらなそうな目をしたもう一人のアタシが立っている。


「そんな、なんでや!」

「なんで?私の方が聞きたいくらいだ、あの男の都合で苦しむことを受け入れると?そんな愚かな魂を映しとる斬魄刀を哀れとは思わないのか?そんなものを振るった所で、あなたの身すら守れはしない!!」


 吹き飛ばされた体で見る景色は全てがゆっくりに見える。ここに連れてこられるときも散々だったけど、連れてこられてからも散々だ。どうにもならないことには慣れているけど、それは自分の体の事や心配してくれる周りあってのことでこんな理不尽なんて本当は泣きわめいたって拒絶したい。

 そもそもこんな大変なのになんでアタシの中にいるやつにまでぶん殴られなあかんのや。まとわりつくような体調の悪さがなくなったせいか、ふつふつと怒りが湧いてくる。アタシのこと知ってるくせに!


「アタシにどうしろって言うんや!!体もろくに動かん!斬魄刀の名前も知らん!あいつにキレてどうにかなるならキレてんねん!!アンタまでわけわからんこと言わんで!アタシがなにした!!」

「……その通りだ、あなたは何もしていない」

 

 憤るに任せて吐き出した言葉に、あまりにも静かな返事が返ってきて拍子抜けした気分になる。音もなく近づいてきた姿と伸びてきた手に身構えたけど、いつも通りに頬を撫でられただけだった。


「あなたに必要なのはそれだ、外に対する強い憤り、理不尽を打倒せんとする戦いへの意思……"私はなにも悪くない"と臆面もなく言ってのけるような、力を振るう己への圧倒的な信頼」

「アタシに、必要なもの?」

「信じることだ、あなたを。そして私を。それこそが正しいと、己を信じるように私を頼るといい。あなたには生まれた時からそれが許されている」


 花が散るように白いアタシの姿が小さな花びらみたいに砕けて舞っていく。咄嗟に伸ばした手が繋がれて、冷たい指がアタシの指と絡む。無いはずの温度を感じて初めて温かいと思った。


「私はあなたの力そのもの、そしてこの言葉を信じるかどうかも………全てはあなたの思うままだ」

「…………アタシがアタシを信じんで、誰が信じるんや」


 アタシの言葉を聞いて浮かべた微笑みは今まで見たことのない顔で、でもそれをしっかり見るには白が眩しくて目が開けていられない。閉じた視界すら白く染まっているような気がして強く目をつむった。


「さあ、目を開けて。藍に染まった世界を、花で染め直すように」 


 視界が急に開けるような、なにもかもが鮮明に見えるような、かかっていた薄絹が取り払われたような。言うことを聞かなかった体が急に自分の手元に戻ってきたような気持ちになる。

 パリンと割れた音がして、文字通り視界が開けた。割れたなにかが音を立てて床に落ちて硬い音を立てる。一際大きな音を立てたのは、見たこともない仮面だった。


『おはよう、撫子』


 かすかに耳の奥で聞こえた白いアタシの声と同じ言葉を言った男は、どこか彼女と同じ目をしているように見えた。

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