鍵は王子様のキス
「■■■■■! ■■■ー!」(お兄ちゃん! 助けてー!)
「ふぁ……もう朝か…」
「■、■■■■■■■■■。■■、■■■■■■■!」(あ、おはようお兄ちゃん。って、そうじゃなくて!)
「…何かい、る…? ……。…え?」
立香が朝起きると、目の前に何かよく分からないクリオネか妖精的なものがいた。
───
「■■……■■■■■■■■■■…」(うう……どうしてこんなことに…)
「…この可愛らしい妖精っぽいのがイリヤなの?」
困惑の中、合鍵を使い部屋に飛び込んできた美遊達が慌てながらも事情を説明してくれた。
とりあえず、今は全員朝の支度中である。着の身着のままで飛び出して事態を悟られる訳にもいくまい。ふわふわと浮かぶイリヤも多少落ち着いたようだ。
良く見ると、半透明でクリオネっぽい姿をしている他に、所々ルビーっぽい意匠が散見される。これはつまり…。
『はい。例によって例の如く、姉さんの実験によるものです。姉さんは並行世界のイリヤ様から技能を拝借する、カレイドステッキの機能をより先鋭化させる実験をしていたのですが……それに失敗した結果がこの始末です』
『失敬な! 実験自体は成功してますよー!』
「実験自体は成功してる? じゃあなんでイリヤは…」
こんなクリオネ的愉快なサムシングに? と立香が言おうとしたところで、ルビーが解説を挟んだ。
『これはつまり『並行世界のイリヤさんにはこうなる可能性がある』ってことですね。いつどこで何をしたんだか…』
「どうせ、自分を省みず誰かを助けた結果でしょ? そんなところで姉妹って感じ出すんじゃないわよ、全く」
「■■〜!」(クロ〜!)
「…駄目、わたしにもイリヤの言葉が分からない。とりあえずクロに怒ってるのは分かるけど…」
困惑する美遊を横にイリヤをからかうクロ。しかし、ぷりぷりと怒るイリヤに触れる手付きはかなり優しい。分かり辛い姉ムーブであった。
「ルビー、なんとかならないかな? 可愛らしい見た目とはいえずっとこのままだとかわいそうだ」
『元に戻す術式は予め仕込んでるので、戻すだけならめっちゃ簡単なんですが……ふふ、その方法は一日経つまで教えません☆ 鍵はマスターさんとだけ言っておきますけどねー』
「…ルビー、今回は事が事。早く教えてくれないと、あなたは自分の妹の魔力砲を喰らうことになる」
『まあ姉さんに魔力砲を喰らわせること自体は止めませんが、こういう時の姉さんは頑固ですよ美遊様』
「ミユはイリヤ絡み、ルビーは面白そうと判断したら見境なくなるのよね。そんなヤバいのにサンドイッチされてるイリヤにはちょっと同情するわ」
「■■■■■■■■!?」(それどういう意味!?)
───
結局ルビーは口を割らなかったので、立香達が一日イリヤを保護するということで話が纏まった。と言っても、今日はミッションも模擬戦もない半休日状態。そこまで気を張ることもないのだが。
とりあえず、イリヤを調べる以外やることもない(何かやろうとしてダ・ヴィンチちゃんに連絡したら「ワーカホリックも良い加減にしなさいよ!」と割って入ったゴルドルフ新所長に苦言を呈された)のでイリヤを伴い食堂に向かうことにした。おやつを食べるなり話し相手を見つけるなりしたかった。が、そんな考えなしが良くなかった。
「ふーん、それが噂の使い魔?」
(…どうしてこうなった)
アルトリア・キャスターがしげしげとイリヤを覗き込んでいる。イリヤは必死に無言を貫き通したまま慌てふためいていた。
…周囲には今のイリヤを『ルビー製の愛玩用試作使い魔』という触れ込みで通している。キャスターはそれとなく情報を流布している美遊かクロからそれを聞いたのだろう。もしくは人づてか。
…キャスターが妖精眼で真意を察してそれで終わってくれれば良いが、そうでなければ魔猪の氏族として何かしら問題を起こすのは目に見えている。ハワトリアにおいてモードレッド等と交わした、地雷原に平然と突っ込むかのようなバッドコミュニケーションは記憶に新しい。キャスターのほぼ同位体なA・Aや、妖精眼が曇っているモルガンの場合も危険度はほぼ同様だ。いや、むしろあの二人にエンカウントする方が遥かに不味い。
なにせ、ハワトリアでクロが味わった地獄の4割くらいはあの二人のせいと言っても過言ではない(3割A・A、1割モルガン。残りはほぼ全てBB)。A・Aは悪法(byランスロット)を敷いたし、モルガンは悪意なしとはいえ最悪のタイミングで立香とクロを引き離した。『二人共、オレはともかくクロのことはどうでも良いと考えている』『王は人の心がわからない』と警戒しても無理からぬことであろう。そして、クロを馬の骨の外野扱いしていると仮定すれば、その親類縁者であるイリヤと美遊も同じ扱いに違いないのだ。
…そんなだからハワトリアの一件以来、戦闘以外で彼女達をイリヤ達に近づけるのは極力……どころか全力で避けていたのだが、まさかそういう露骨な態度が裏目に出たのか? と立香は思考する。どうあれ、キャスター経由で二人に話が行き、クロのみならずイリヤまで毒牙にかけられるのは断じて御免被る。善意で変なことをされて、イリヤが元に戻れなくなるなんて最悪の事態は起こさせたくない。…しかし、こちらにできるのはキャスターの妖精眼に期待することだけ。実質神頼みである。助けてケルヌンノス、と立香は内心で祈ることしかできなかった。
「…この子のことはあまり口外しないでね」
「……。…あー、そういう?」
言葉少なに言うと、キャスターが微妙な表情をした。こちらの複雑な感情は丸見えのようだ。そのついでに「頼むからあの二人をイリヤ達に近づけないでね」という思考も読み取ってくれると嬉しいのだが。
「…じゃあ私、妖精國組の方に行くね。リツカが考える相手以外にも、バーヴァン・シーとかがうっかりやらかすかもしれないし」
「…ありがとう」
こちらの意図を汲み取ってくれたのか、申し訳なさそうに席を立ち、食堂を出ていくキャスター。その背を見送りながらほっと息を吐く。キャスターには悪いことをしたが、ともかく当座の危機は去った。
「■■■■■■ー…」(危なかったねー…)
「相変わらず何言ってるか分からないけど、とりあえず窮地を脱したのを喜んでるのは分かるよ」
───
結局、食堂では軽食やおやつのクッキーをもらうに留まった。イリヤがそれらを食べられない状態であることが判明したため、豪華なメニューで行くことが憚られたためだ。
そんなこんなで、今は自室でレポート作成の途中である。
「■■■■■■、■■■■■■■■■■」(マスターさん、ここ一文字抜けてるよ)
「ん? んー、ジェスチャー込みでも分かり辛いな…」
イリヤが身振り手振りで一生懸命何かを伝えようとしてきた。イリヤは無意味に人の邪魔をするような性格ではないため、レポート絡みで何か見つけたのだろうと立香は見当をつけた。
「…うーむ…? …あ、ここ一文字抜けてるってこと?」
「■■■!」(うんっ!)
嬉しそうに頷くイリヤ。えらいえらいと優しく撫でてやると、少しくすぐったそうに身をよじらせた。めちゃくちゃかわいい。
(最初はどうなることかと思ったけど、意外となんとかなるもんだ)
イリヤとも長い付き合いのため、言葉が分からなくとも伝えんとしていることはそれなりに分かる。そのため、イリヤの意図を致命的に読み間違えるということはなかった。立香は、それが無性に嬉しかった。
───
そして夜。レポート完成後も外出機会があったために
『立香の隣に美遊とクロだけなのを怪しまれる(イリヤのことを尋ねられた二人の顔は引きつっていた)』
『イシュタルのちょっかい(エレシュキガルが助け船を出してくれた)』
『アイリやシトナイなど正体を見破れそうな面子とエンカウント(立香もイリヤも大慌てだった)』
などの出来事があったが、とりあえず全てかわして一日を終えることができた。
「とりあえず一日大事にならないで済んだ…」
『ルビーちゃん製の使い魔という触れ込みが人除けになったんですかねー? 釈然としませんが!』
そりゃ嘘だろう割烹着の悪魔よ、きみはその辺りの風評を理解して動いているはずだ……と思いながら入浴のため上着を脱ぐ立香。
…いつもなら、立香の部屋に泊まるイリヤ達のうち誰か(今日の場合イリヤ)がそれを取って片付けてくれるのだが、今のイリヤにそれは無理だった。現に今も、ベッドの上の上着を引っ張ろうとしてカートゥーンのようにコミカルな姿を見せている。
「■■…」(うう…)
「…気持ちは受け取ったよ。ありがとうイリヤ」
立香が半透明の身体を撫でてやると、イリヤはレポート作成の時と同じような動きをした。今日一日散々見た、可愛らしい動きだ。…しかし立香は、そんなイリヤとのやり取りにどこか物足りなさを感じ始めていた。
「……」
「? ■■■■■?」(? どうしたの?)
「───こうやってイリヤと過ごす一日も良かったけどさ。…やっぱりオレ、元のイリヤと過ごす日常が恋しいよ」
寂しげに言う立香が、それを紛らわせるかのように触れるだけのキスを落とす。
…すると、『ポンッ!』と何やらファンシーな音がした。驚いて目を開けると、そこには音と共に出たであろう消えゆく白煙と…。
「…へ?」
「え? イリヤ?」
いつものイリヤがいた。
「え? えっ? も、もしかしてわたし、元に戻れた!? お兄ちゃん、わたし戻れたよー!」
がばっと抱きつくイリヤを抱きとめる立香。混乱の中でも完璧に近い対応は流石と言うべきか。
『ふふ、ようやくしてくれましたか。元に戻るキーである『王子様のキス』を』
「オレが鍵ってそういう……いや、それよりその、イリヤ? 言いにくいんだけど…」
「?」
「服を着てほしい。これ以上はオレが我慢できなくなる…!」
「ほえ? ……。…っっ!!! キャーーーッ!!?!?」
“そういう気分でない時”に裸体を晒したイリヤの絶叫が立香の部屋に響き渡る。
こうして、ちょっとした波乱に満ちた一日は終わりを告げたのだった。
───
後日…。
『立香さん立香さん! イリヤさんの妖精フォームを霊衣の亜種として実装しましたよ! はいこれ妖精語翻訳アプリです! 通常霊衣同様元に戻すのは簡単になってますが、この前同様キスでも戻せますからねー!』
「あれだけお仕置きしたのにまだ懲りてなかったのかルビー!?!?」
「■■■…」(あはは…)