酒ッ!
からん、とドアベルが鳴る。
開店こそしているがまだまだ日は高く、とはいえ昼飯時という程早くもない。酒場を利用する客の少ない時間帯である。来るのは昼間から飲んだくれる酒飲みか、突然の用事がある人間くらいのもの。
グラスを拭いていた手を止めて音の方を見れば、そこにはこの数年間で馴染みとなった男と彼に腕を掴まれ引き摺られる青年がいた。
「いらっしゃい、パウリー」
「おー!邪魔するぜ、ブルーノ!」
今回の来客は前者であったらしい。随分と気分の良さそうなパウリーは勝手知ったる様子でカウンター席に腰掛け、隣に連れを押し込む。眼鏡の青年はどこか戸惑った様子で視線を彷徨わせたが、促されるままに着席した。
「今日は随分と機嫌がいいようで」
「おっ分かるか?実はなァ、ひっさしぶりに賭けで大勝ちしてよ!!」
「へェ……そりゃあ珍しいこともあったもんだ、明日は傘が要るな」
「んだと!?おれだって勝つときは勝つっての!!」
食ってかかるパウリーをまあまあと宥めつつ、ブルーノはそわそわと落ち着かない様子の青年の様子を窺う。どこかで見たことがあるような、と思いながらもその既視感の正体には辿り着けず眉を寄せた。
「あー……パウリー、そういえばそっちのお客さんは友人かい?見ない顔のような気がするが」
「ん、こいつか?アイスバーグさんが拾ってきた!!」
「ぼく犬猫みたいな扱いされてないかなァ!?」
パウリーの物言いに思わずといった様子で声を上げた青年は店内を見回し、すぐにハッとしたように口を閉ざす。片手の指で数えられるほどの客しかいない店内の迷惑を考えたらしい。
「……そうだ、ご注文は?」
「ビール2つ!!」
「ちょ、あの」
「あいよ」
「あの、ちょっと待ってってパウリーさん!?」
青年は慌てたように手をわちゃわちゃと動かす。アイスバーグが拾ってきたということはガレーラの社員なのだろうが、それにしてはここに連れて来ることにちゃんと了承を得ていたようには見えない。
注文は一時保留として様子を見ることにした。ブルーノは気遣いのできる酒場の店主である。
「なんだよー遠慮すんなって!このおれの奢りなんてめちゃくちゃレアだぜ!?」
パウリーはそんな青年の言動を遠慮していると取ったらしい。ばしばしと背中を叩きながらけらけら笑っている。手加減しているだろうとはいえ、海賊すら倒せるような男から叩かれるというのは少し可哀想だ。
……先程から少し思っていたが、パウリーは既に酔っていないだろうか、これ。普段より陽気さと強引さが過ぎるように見える。
「そういうことじゃなくて!……あの、ぼくお酒はちょっと……」
「ならジュースとか軽食もあるが、どうだい?」
ブルーノの提案に救いの手!と言わんばかりにほっとした表情を浮かべる青年。横のパウリーは若干不服そうだが、嫌がる相手に無理に飲ませようとするほど非道な人間ではない。
「えっと、それじゃあオレンジジュースと……サンドイッチで」
「あいよ。ビール、オレンジジュース、サンドイッチ一つづつ」
ブルーノは料理を作る傍らカウンター越しにパウリー達の様子を観察する。
「ヒョウ太飲まないのかよー、おれが誘ったときは乗り気だったってのに」
「うぐ。だってパウリーさん、美味いとこ奢ってやるとしか言わなかったし……酒場って聞いてたらぼくだって断ってたよぉ~」
青年の名前はヒョウ太というらしい。ブルーノの記憶にはない名前で、先程の既視感は所謂デジャブというやつだったのだろうかと首を傾げた。
「まァいいや、好きに飲めヒョウ太!歓迎会だ!んでもっておれも好きに飲む!」
「結局自分が飲みたいだけじゃんか~~!」
「ブル~ノ~~おんなじやつもう1杯おかわり~!」
酔っ払いここに極まれり、といった様相で顔を真っ赤にしながら愛想笑いが引き攣っているヒョウ太の肩に手を回しているパウリー。彼にとっては残念な話だが、めんどくさい状態のパウリーを押し退けてまで助け舟を出すような優しさはこの場にいる誰も持っていなかった。
とはいえ先程からちらちらとブルーノを眼鏡越しに見ている目が切実な感情を訴えかけてきているのだ。溜め息を吐き、軽く諌める。
「あァ構わんが……もうそろそろやめといた方がいいんじゃないか?」
「いいやおれァまだ酔ってないね!こんなに気分よく飲める酒は久しぶりだぜ~~!」
完全に出来上がっているパウリーに呆れつつも言われた通りに追加の酒を用意する。見捨てられた!と言わんばかりにこちらを見るヒョウ太は心が痛みそうなので視界から外した。
「なーこれ美味いぞヒョウ太~!一口くらい飲んでみろって!」
「うぇえ、でも、」
この短時間で何度も見た、助けを求めるような視線をちらりと向けられる。……何故だろうか、この目には弱い気がする。
「パウリー、強要してやるんじゃない」
「でもよォブルーノ、これジュースみてェなもんだろ?度数も低いし!」
「ン、まあそうだが……」
確かに彼が手に持っているのは度数の低い甘めの酒だ。酒に弱かろうと滅多に酔えるようなものではない。
「ほーらな!下戸でも大丈夫だって!!」
「…………そういう問題じゃ、なくってぇ……」
そう呟いてヒョウ太は肩身が狭そうに縮こまる。あー、とかうーとか意味のない言葉を繰り返してから、何かを決意したようにパウリーに向き合った。
「ぼく、ホントにお酒飲めないんだわ!未成年なんだから!!」
「そーかそーか未成年、未成ね…………は?」
予想外の発言にぽかんと口を開けたまま固まるパウリー。お前のところは社員の年齢も聞かないのか?とは思った、思ったがあの社長ならばありえない話ではない。
そして成人と勘違いしていたことは……失礼な話だが、気持ちはとてもよく分かる。上背があること、ふわふわとしているようでどこか芯が落ち着いたものを感じさせるからだろう。未成年の可能性は考えすらしていなかった。
「…………見えねェ、な」
「ええええええ!?お前成人してねえの!?おれと同じかもうちょい下くらいだと思ってたんだけど!?」
「してない!パウリーさん20代前半でしょ?それよりずっと下!……うう、言いたくなかったよこれェ……」
思いがけない衝撃に酔いは覚めたようで、驚きの声を上げ上から下までまじまじと見つめてくるパウリーから、ヒョウ太は居心地悪そうに目を逸らした。
「……じゃあ、お前いくつなの?」
「……14歳」
「じゅうよん!!?」
これにはブルーノも驚いた。若いどころか幼いという域を脱したばかりではないか。
「なんで早く言わねェんだそれ!んな子どもに酒勧めてんの、おれめちゃめちゃダメな大人じゃねーか!!」
「えェ~~……言うつもりなかったから……14って素直に言ったらガレーラで働かせてくれるか分かんなかったし……」
しどろもどろになりながら弁明するヒョウ太。彼の言うことは正しいのだろう。アイスバーグはまともな大人、いくら訳ありそうだといえど子どもを造船所という危険な現場に働き手として出すはずがない。
「そりゃそうだが!……んん、ほんっとごめんなァヒョウ太、酒場に付き合わせちまってよ」
「ぬはは、いいよォ言わなかったぼくが悪いんだし。でも、このことはアイスバーグさんには言わないでね?」
しゅんとして謝るパウリーとそれに苦笑しながらシレッと交渉を通そうとするヒョウ太を見て、どちらが上なのかわからんな、と呟く。実年齢を知った今でも、ふとしたときに未成年であるという事実がすっぽ抜けてしまいそうだ。
「年齢のことか?黙ってるくらいならいいぜ、なあブルーノ」
「おれに振るのか。……あー言わねェ言わねェ、その目やめてくれ」
それを聞いてほっとしたようなヒョウ太の顔。
知らない名前、それどころかこの年代の子どもの知り合いすらいないというのに。ブルーノはやはり、彼に既視感を覚えていた。