酒は飲んでも
飲酒はほどほどにたしなむ、それがグレゴールという男だ。飲むには飲むがむしろタバコのほうを好む彼は、たまに開かれる飲み会に参加しても話に相槌をうちながらちびちびと楽しむのが常だった。酔ったところで泣き上戸になるのがオチだから、とは本人の言である。
さて、今宵はどうかというと。
「あ〜、シンクレアはほんとにいい子だなあ、いっつも頑張ってるなあ〜!」
「わっ、わあ…!?」
「よーしよし、ほらヒースもこっちこい、よしよし…」
「おいやめっ…はあ、どんだけ飲んだんだよくそっ」
酔っていた。しこたま。気分がよかったのか、ヤケ酒をしたかったのか、珍しく上等な物でも入手してせっかくだしと思ったのか。今となってはわからない。ただ、近くにいる者全員を撫でくりまわし褒めそやしニコニコしているめんどくさいオッサンが爆誕しているのみである。現在は水を飲みにきたシンクレアとツマミを補充しようと席を立ったヒースクリフが犠牲となっている。
「わあ、あんなに積極的なグレッグって珍しくない?」
「泥酔していると考えられる。これ以上の飲酒は明日の業務に支障をきたす可能性があり、控えさせるべきだろう」
「んもう、そうじゃなくて。まあそろそろ止めたほうがよさそうね、明日羞恥で死んじゃうかもだし」
慈悲心で立ち上がったロージャは、いい子いい子〜とニコニコしながらヒースクリフの頭を掻きまわすグレゴールに近づいた。
「はあいグレッグ、そろそろヒースが顔真っ赤にしちゃうからそのへんにしとかない?」
「誰が真っ赤にするかよ」
「………」
ロージャの声に動きを止めたグレゴールが、じっと彼女を見上げる。表情が消えたその顔に一瞬不穏なものを感じ取り身構えそうになるが、グレゴールはふらりと立ち上がって左腕で器用に彼女に抱きついた。
「あら?」
「ん〜…ろーじゃあ」
「ふふ、眠くなっちゃった?」
とろとろとした声色に吹き出しながら身体を支えようとしたロージャの耳に、甘ったるい音が飛び込んでくる。
「…かわいい」
「ふぇ?」
「かわいい、かわいいなあ、ろーじゃ、ろじおん」
「え、ええ?ちょ、グレッグ、どしたの?」
「かわいい、ろじおん、かわいい。ふふ…まいはにー、かわいい、ぞ。あはは」
なにが楽しいのやら、ふんにゃりと人懐こい笑みを浮かべて、グレゴールのカサついた手が優しく頬を撫ぜる。かわいい、かわいいと繰り返しながら、髪先をくるくる弄り、ちょっと腕を伸ばして頭に手を乗せる。そのまま撫でようとしてバランスを崩した身体を慌ててロージャが受け止めた。
「きゃあっ!?ま、まって、危ないから、ね?」
「わあ…あはは、かわいい、かっこいいなあ、ろじおん。うん、かわいい…かわいいなあ。えらいえらい、よしよし」
舌足らずになりかけの口調でひたすら続けながら、グレゴールの手が耳の辺りを優しくくすぐる。カッとロージャの顔が熱くなった。
こんっと硬質な、グラスがテーブルを叩く音。良秀が顎で食堂の扉を示す。
「イ・へ」
「は、は〜い!ほらグレッグ、行こっ…!」
「ん〜…かわいい、えらいなあろーじゃ、んへへぇ…」
半ば引きずるようにして食堂を出たロージャは、散々迷った末に自分の部屋の扉へ手をかけた。部屋を満たす寒々とした空気に一瞬身体を震わせながら足を踏み入れ、グレゴールをベッドに寝かせる。
「んー…?」
「はいはい、とっとと寝ちゃって。私のことは気にしなくていいから」
「ろーじゃあ…かわいいなあ、かわいい」
「んもう」
きっと酔っ払って頭がはたらいていないだけだ、と冷静になろうとする彼女の心を読んだかのようにグレゴールが動く。ロージャの右手をするりと撫で、指を搦めて、持ち上げる。チュッというリップ音が、口元まで導かれた手から響いた。
「ほんと、だぞ?」
「……ッ!?」
彼らしからぬ大胆で、ストレートで、キザで、色気と雄らしさを孕んだ仕草。ロージャの体温がアルコールでないもので上がる。ドキドキ、心臓が爆ぜるように高鳴る。
「あ……ぐれ、グレッグ…わ、私…」
「……すぅ…」
「え」
いいところだというのに、小さく立てられる寝息。限界だったのだろう、グレゴールは速やかに夢の世界に旅立っていった。モヤモヤとしたものを抱えた女を一人残して。
「…………」
さて。賢明な読者であれば、後日グレゴールがどんな目にあったか。説明する必要もないであろう。