過去編その8
2ヶ月後────
トレセン学園では、学園をあげて大きなイベントを行うことが多々ある。
そのひとつめが春と秋に行われる、ファン感謝祭。
頭に『春の』とか『秋の』とか銘打たれるその行事は、どちらもチーム単位、クラス単位で出し物や催しを行う点は同じだが、それぞれ春と秋でその毛色が違う。
春のファン感謝祭では文化系の催しも存在するが、メインは体育系のそれだ。
駅伝やマラソンのようなウマ娘らしく“走り”を魅せるものや、バレーボール、バスケ、サッカーやフットサルといった球技など、レース以外で活躍するウマ娘の姿を見られるということで人気を博している。
対して秋のファン感謝祭は、逆に文化系の催しがほとんどだ。
こちらは“聖蹄祭”と呼ばれ、喫茶店のような出店から縁日、屋台などファン参加型のイベントが数多く開催されることで楽しまれている。
要するに、俺たち人間で言う運動会と文化祭だ。
春が運動会で、秋が文化祭。そんな感じ。
次はウマ娘たちにとって、人生を左右するレベルで大切なレースイベント。
前回ノアドパルフェが挑戦し、敗れた選抜レース。
チームに所属していないウマ娘のみが参加できるレースで、年に4回開催される、こちらもトレセン学園きっての一大行事だ。
ウマ娘にとってはここがデビュー前にぶつかるひとつの山場とも言え、ここで実力を示すことで観戦しているトレーナーたちの目に留まることを目指す。
ゆえにパルフェはここで勝利し、トレーナーからスカウトを受けることを目指して、いま、俺たちとトレーニングに励んでいるのだ。
最後に、種目別競技大会。
これは年に2回行われる、レースを前面に押し出したレースイベントである。
トゥインクルシリーズで適用されているすべての距離、すべてのコースが用意されていて、トレセン所属のウマ娘ならば、デビューの有無やチームの所属に関係なく生徒全員が参加資格を与えられている。
それがどういうことかというと、デビュー前のウマ娘がデビュー済みのウマ娘と同じ土俵でぶつかることのできる貴重な機会になるということだ。
これももちろんトレーナーたちは見ているし、ここで活躍してスカウトをされるウマ娘も数多く存在する。
そのため、選抜に次いでウマ娘たちにとって重要視されるイベントなわけで────
「……すごい観客ね」
「そうだね……ちょっと緊張してきちゃった、かも」
当然、パルフェとミヤコも参加するわけで。
ふたりは参加者が集まるテントの前にいた。そろそろふたりが出走するレースの開始時刻だ。
午後の部。
芝・2000・左回り。
GⅠでいうと天皇賞・秋と同じ条件か────このレースに参加するのはミヤコとパルフェ、そして我がチームからワールドアイ。
更にはトゥインクルシリーズで活躍しているウマ娘たちが多数。
正直、かなり無謀なレースになるだろう。
しかしふたりは自分たちからこのレースに出たいと言って来たのだった。
────話は1ヶ月前。クラシックの最終戦、菊花賞を目前にした頃の話。
相談がある、とミヤコから成瀬先生に話を持ちかけてきたのだった。
「トレーナーさん、私、種目別競技大会に出たいです」
「え、ほんとに? あれ、デビュー済みのウマ娘も出たりするんだよ?」
「はい、わかってます。だから、出たいんです」
「そっかそっか〜。まあチームのみんなも出るって言ってるし、私たちに止める権利はないんだけどさ。……ちなみに距離は?」
「……2000です」
「マジで……? デビューしてないのに?」
ウマ娘の身体は本格化が始まってからレースで走るための才能が開花し始め、それに伴って身体も少しずつ出来上がっていく。
その身体がほぼ完成に近づくのは、基本的にはクラシックの秋頃。
身体が出来ていない時期に長い距離を走らせるのは故障につながるということで、デビュー戦は2000m以下と決められている。
その中でも1600……所謂マイルと呼ばれる距離から始めることが多く、デビューもしていないミヤコに2000を走らせるのは難しいのではないか、と成瀬先生は思ったのだった。
しかしミヤコ自身もそれを理解しているようで、
「……友だちが、選抜に出た距離が2000なんです。だから私もそれに挑戦してみたくて」
「う〜ん……でも、私はまだ早いんじゃないかって思うなー。最近のレガリアさんのタイムはどんどん良くなってるし、スタミナもついてきてるけど、2000を走って勝てる水準には達していないと思う」
「……勝てなくても、いいんです」
「そうなの?」
「私はただ、いまの自分がどこまでやれるのかを知りたいだけなんです。自分のいる場所を理解して、デビューに向けて頑張りたいんです」
「……そ、か。ちなみに新海くんにはもう伝えた?」
「ぇ、いえ、まだです、けど……」
「じゃあ新海くんにも伝えなさい。もう、そのつもりなんでしょう?」
「……トレーナー、さん」
「頑張ってね、レガリアさん」
「っ……はい、ありがとうございます」
……というやりとりがあったことを、パルフェと3人で集まった時に聞かされた。
「レガリアさんが出るなら、私も出る」
となると当然、パルフェもそう来るわけで。
「ミヤコとパルフェが2000……なぁ」
「いつもトレーニングで走っているし、走り切るスタミナはあると思うけれど」
「いや、それはそうだけどさ。レースとなるとさ、話は別じゃん?」
「私も勝てるとは思っていない」
「……おぅ」
「まずあなたのチームのワールドアイは皐月賞を勝っている。あのウマ娘に勝てる要素など、今の私たちには存在しない」
「……」
「そう、だね。ワールド先輩は今も現役で走るウマ娘……勝てるとは、思えない」
「レガリアさんはそれでも、その距離に挑むの?」
「うん、挑みたい」
「理由を聞いても?」
「だな。俺も理由が知りたい。どうして2000なんだ?」
「……私はずっと、このチームにいる資格がないと、思っていました」
「資格がない……?」
「私がトレーナーさんにスカウトされた経緯は、前に話しましたよね?」
「……ああ」
酔っ払ったサツキちゃんを介抱したら、お礼にスカウトされたって話だ。
「……だから自分もここにいていいんだ、って……自分で思えるような、経験が必要だと思ったんです」
「経験?」
「レースで走る経験が」
「……」
「私は、選抜レースも種目別競技大会も、春の感謝祭も、走ったことはありません」
「どれも本格化がきているからこそ走れる場所だったから、そうでない私には、走る資格がなかった」
「それなのにトレーナーさんに契約してもらって、チームで面倒を見てもらっていたのが……私は、申し訳なく感じていました」
「だから、だから今の実力を、このレースで確かめたいんです。楽をしてチームに入れてもらったままでは、私は私を許せない」
納得した。
ミヤコは他のチームメンバーとは違って、選抜に出たりして成瀬先生の目に留まったわけではない。
良く言えば、運がよかった。
悪く言えば、成り行き。
そんな目があったから、なんて理由でスカウトされ、チームに所属していることにずっと罪悪感を覚えていたのだ。
ミヤコはとても真面目で、清らかだ。
だからこそ自分の恵まれた境遇が、許せなかったのだろう。
努力なく優遇されているのが、認められなかったのだろう。
誰かにそう言われたわけではない、彼女自身がずっとそう思い続けていたのだ。
なら、俺だって拒む理由はない。
「……わかった」
「! 新海さん……!」
「じゃあ出よう。成瀬先生には俺から改めて伝えとくから」
「ぁ、ありがとうございますっ!」
ミヤコが自分を許せるのなら、拒む理由なんてないに決まってる。
それに……その、友だちだって。
「あなたには正しい心がある。それでこそヴァルハラ・ソサイエティの一員ね」
「ぇ、あ……うん、ありがとう」
「私は勝ちに行くつもりで出る。だからレガリアさんも、そのつもりで出てほしい」
「……勝つ……?」
「勝てるわけがないのは理解している。それでも、勝つつもりでないとレースに出る意味がない。負けるつもりで出るくらいなら、出ないほうがマシ」
「……うん、わかった。私、勝てるように頑張るよ」
「ええ、それでいい。それでこそ私の仲間にしてライバルね」
「……らい、ばる……?」
「不服?」
「ぇ、ちがっ……! むしろその、いいの……? 私がライバルで……」
「当然でしょう。私が1番走っている相手はあなたなんだから」
「……じゃあ、がんばらないと。私もライバルに、負けないように」
「……!」
ぴくりとパルフェの耳が動く。
尻尾もばさばさと動いて、落ち着きがない。
多分喜んでるな、ライバルって呼んでもらって。
「……。構わない、全力でぶつかるだけ」
「うん、私も全力でぶつかる。ワールド先輩にも、負けないように……頑張らないと」
「そうね。出るならそれなりに、実力は示さなくてはいけないから」
「特にパルフェはここで実力を示せば、次の選抜を待たずにトレーナーゲットのチャンスだしな」
「……そうね。でも私はこれでスカウトをされても、受けるつもりはない」
「え、なんで?」
「私はあくまで選抜で勝ってスカウトされたい」
「だから、なんで?」
「……そう決めたから」
「……そ、か。なら仕方ないな」
「ええ、そうね。仕方ない」
「よし! じゃあミヤコもパルフェも、これからは種目別に向けてトレーニングしてくからな!」
「はい、よろしくお願いします!」
「よろしく頼むわ、新海トレーナー」