過去編その1

過去編その1





4年前、トレセン学園────


「大丈夫だった?」

「こっちは平気! 壊れてなくてよかった〜」


「うわやばいペンキぶちまけてる!」

「ぇ、うっそ! も〜! マジかよ最悪じゃんか〜!!」


生徒たちが学園のそこかしこでざわめきの声をあげる。

安堵の声もあれば、悲鳴のような声もあり、結構カオスな状態。


その中でもひとり。


「皆さん大丈夫ですか、怪我はされてないですか〜!」


制服にピンクのパーカーを羽織ったウマ娘が、作業中の生徒たちやトレーナーたちに声をかけて回っていた。


手に持ってるのは、救急箱か? 保健委員かなんかだろうか……熱心な子だな。


まあ結構でかい地震だったし慌てるのも無理はないが。


「新海さーん、持ってきましたよー」

「ありが────」


「────いっ、て……!」

「うわ、大丈夫? そんな深く切りました?」

「あー……いや、大丈夫」

「って、大丈夫じゃないですよそれ! めっちゃ血出てますよ、ほら使ってください絆創膏!」

「ああ、ありがとな」


ウマ娘から渡された絆創膏を1枚受け取り、封を開けようとしていると、後ろから声がかかる。

成瀬先生だ。


「その前に消毒液使ったら〜? 持ってきてあげたよ」

「ありがとうございます」


先生から消毒液を受け取り、傷口にぶっかけてから絆創膏を巻いた。


「これでいいか」

「血、止まりそうです?」

「わからん……けどまあ、ほっときゃ治るよ。ありがとう」

「いえいえ〜! 私ミヤコからもらってきただけなんで」

「ミヤコ?」

「あ、まだ名前覚えてくれてないんですか?」

「3日目だしそろそろ全員覚えなきゃなんだけどな……ごめんな」

「あはは、いいですよ〜。結構人数いますしね、成瀬トレーナーのチーム」


「そうだねぇ。そろそろサブトレーナー欲しい時期だったから助かるわ、新海くん」

「……ども」


俺がトレーナーとしてトレセン学園に所属することになる……1週間前の話。


まだ3月末で、俺は学園所属のトレーナーではない。そもそもトレーナーライセンスが有効になるのは4月からで、トレーナーですらない。


そんな俺がなぜトレセン学園で、4月頭に開催されるファン感謝祭の準備を手伝っているのかというと────


「これも徳だと思って頑張りたまえ〜」

「……」


こちらにおわす成瀬サツキ先生のありがたい計らいによるもの。


先生とは地元が同じで、というか俺が小さい頃から世話になっていたヒト。

トレーナーをやっているのは知っていたが、まさかトレセン学園所属だったとは知らず、つい先日着任前の挨拶に来た時に再会したのだった。


で、チームでファン感謝祭の出し物をやるから手伝えと駆り出されたのである。

ええ、無駄な労働をさせられています。


「こっちは私見とくから〜、ワールドはみんなの様子見てきて〜」

「わかりました! それじゃあ新海さん、また」

「ああ、絆創膏ありがとう」


俺の言葉に手を振って、チームの最年長、お姉さん的存在のワールドアイは走っていった。


立ち上がって成瀬先生と横並びになり、ワールドアイの背中を眺めながら気になっていたことを先生に確認。


「生徒たちに怪我はなかったですか?」

「あ〜、だいじょぶだいじょぶ。怪我人は新海くんだけ」

「そりゃよかった」

「まさか神器が壊れちゃうとはねー」

「そっすね」


神器────

なにやら仰々しい名前だが、なんてことはない、三女神様の像を模して作られたバトンのこと。


春のファン感謝祭で行うチーム対抗リレーの練習中に大きな地震があり、三女神像型のバトンが落ちて、パリン。


で、危ないから片付けてと言われてこの有様。

みごと指先をザックリ切ってしまったのだった。


「うちのチームに代々受け継がれてきた神器がねぇ……」

「神器て」

「いいでしょ、三女神様像だよ? なんか御神体っぽいし神器って呼んだ方がご利益ありそ〜」

「神社の巫女さんがそんな雑でいいんすか……」

「今はトレーナーなので関係ないです」

「あ、そ……」


じゃあ神器とか呼ぶなよ……というつっこみは胸の中にしまいつつ。

破片を集めた三女神像だったものを眺めながら、俺はため息をひとつ。


「これ、どうします? 治りますかねこれ」

「さあどうだろね〜。紙粘土でくっつけとけばいい気がするけど」

「リレーのバトンでしょ? 紙粘土なんかで補修したらすぐ壊れそうですけど」

「その時はその時かな〜って」

「……まあ、いいですけど」


ほんと適当というか、いい加減というか。

昔から全然変わってなくて嬉しい限りだよ。


「さて、新海くん」

「はい?」

「今日はもう帰っていいよ〜。ちょっと呼び出しくらって相手できそうにないし」

「いいんですか?」

「さっきの地震で多分、今日は練習とか出し物の用意とかやってる余裕なさそうだし」

「じゃあ、帰れるなら帰りますけど。俺も家心配だし」

「いいよいいよ。どうせ新海くん、まだここのトレーナーじゃないしね〜」

「なら、まあ……そうします。あ、みんなに挨拶だけしとかないと」

「私から言っといてあげる。新海くんは怪我して泣きながら帰りました〜、って」

「わかりやすく誤解される言い方しないでもらっていいですか?」

「はい、すみません。あ、レガリアさんも早く帰ってこいって言わないと」

「レガリア?」

「新海くんも見たでしょ、さっき救急箱抱えて走ってたウマ娘」

「……すいません、まだ名前と顔が一致してなくて」

「真面目な子でねぇ……怪我してるヒトがいないか見てくる、って走ってっちゃった」

「ふーん」


「ほらあの子、ミヤコレガリア。うちのチームにいるけど、まだ本格化来てなくてデビュー出来てないんだよね」

「ああ……まあ、ウマ娘の本格化はヒトそれぞれですからね。早い子は中等部でデビューしてるけど、遅かったら高等部でもまだなんてよくある話って聞きました」

「そうそう、そうなんだよね〜。ソラちゃんもまだなんでしょ?」

「ああ、ソラですか。去年帰った時は、まだっぽかったですね。中学に上がるときにトレセン来る予定だったらしいっすけど」

「あら、それは残念。来てたら兄妹まとめてうちで面倒見てあげられたのに」

「3年後に期待っすね」

「流石にそんな時まで新海くんをサブトレーナーで置いとく予定はないけど」

「えっ」

「1年で自立しなさい。頑張りたまえ、若人」

「マジっすか……」

「その代わり、1年で叩き込んであげるから〜。のんびりゆっくり仕込んであげるから〜」

「1年で足りんのかな……」

「あとはアドリブで頑張って」

「適当すぎでしょそれは」

「自立した後でも相談乗ってあげるから〜」

「頼みますよほんと……じゃ、そろそろ帰ります」

「はいは〜い、気をつけてね〜」


先生が俺から離れ、チームメンバーたちのもとへと向かっていく。

俺もさっさと帰ってゆっくりしよう、怪我のせいでやる気がなくなった。


……あ、やべ。


「血まみれかよ」


指先というか、絆創膏が血で真っ赤に染まり切っていた。

ずっと血出てたのか……確かに相当切ったらしい。


かといってカバンに絆創膏の予備はないし、家にもそんなの常備していない。


「帰りのコンビニで買うか……」


誰にともなく呟いてから、カバンを肩に引っ掛けてグラウンドから出る。

階段を降りて校舎を突っ切ったらようやく校門か……マジでデケェなこの学校。

東京ドーム何個分だよってくらいだ。


「おっと」

「ぁ、ご、ごめんなさいっ」


……と、同じタイミングで階段を登ってくるヒト影。

制服にピンクのパーカー……ぁ、ええと、ミヤコレガリアだったか、確かそんな名前のウマ娘。


いつもなら練習終わりまで居る俺が帰るのを疑問に思ったのか、ウマ娘、ミヤコレガリアは首を傾げた。


「……帰られるんですか?」

「ああ、成瀬先生から帰れって言われて。ほら」


言いながら真っ赤に染まった手を見せる。それを目にしたミヤコレガリアがギョッとさせて、俺の手を掴んだ。


「えっ!」

「す、すごい血じゃないですか! ちょっと、こっちに来てください!」

「ぅお、ちょっ……力強っ……!?」


手を引かれて、グラウンドを出ようとしたのに俺は逆戻り。

近場の水道まで連れて行かれた。


「絆創膏、変えないと」


ミヤコレガリアは蛇口を捻って水を流し始めると、俺の手を引っ張って傷口を流水に当てた。


「い、って」

「ちょっとだけ我慢してください」

「ぉ、おう」


なぜか強引に手当てをされる。

流水で血を洗い流し、ハンカチで水気を切って新しい絆創膏をきれいに貼ってくれた。


さっき消毒液かけたんだけど……とは、流石に言えなかった。


「これで大丈夫、だと思うんですけど……また血が出てきたら大変ですから、新しい絆創膏、これ、どうぞ」

「ありがとう。わざわざ悪いな」

「いえ、そんな! すごい、血が出てましたから……」

「助かったよ、ありがとう」

「はいっ」

「それじゃあ今日は悪いけど、先に帰らせてもらうよ。また明日」

「ぁ、はい……また、明日」


ミヤコレガリアに手を振って、俺は今度こそグラウンドを後にした。


おかしい。

最後の春休みのはずなのに、俺、もう仕事してる……しかも無償で。おかしい……。

いや、まあ……世話になってるヒトから毎日来いって呼ばれてるし、仕方ないのかもしれんが。


・・・


途中のコンビニで飲み物や追加の絆創膏を買ったりしていたせいで、マンションが見えてくる頃には日が傾き始めていた。


立ち読みなんかするんじゃなかったか……思ったよりも遅くなってしまった。


トレセン学園から自宅までは歩いて数分の距離。

所属のトレーナーには寮があてがわれるらしいが、俺はなんとなく嫌で自分でマンションを借りた。


後から申請すれば寮ほどではないが多少の手当は付くらしいのでそれでいいか、という適当な考えである。


学園の、感謝祭のあれこれもそろそろ終わっている頃だろう。

トレーナーや教員たちの臨時会議はどうなのかは、わからんけど。


それよりも俺は自宅の様子が心配だ。

あの地震でめちゃくちゃになっていなきゃいいが……というか、それなら立ち読みなんかするなって話だ。


足早にエントランスへ駆け込み、自分の部屋へと急いだ。


自宅────


「ただいま、って……マジかよ」


心配をよそに、部屋の中は驚くほど無事だった。

もっとも、壊れて困るようなものはないしそもそも部屋には物自体が少ないわけで。


テレビすらない。

大事なものといえば、ネット用のノートPCくらいか。


成瀬先生からテレビくらいは買っといた方がいいとか言われてたっけ。

トゥインクルシリーズの中継を見るならPCの小さい画面よりそっちの方が断然いいとかどうとか。


全然俺は構わないんだが……まあ、考えておこう。


「……はぁ」


ため息を吐き、カバンをベッドに放り投げてPCの電源ボタンを押す。

立ち上がるまでのあいだに私服に着替えておく。


大学在学中にトレーナー試験に合格し、今月頭に卒業した俺はほとんどその勢いで実家から出て、トレセン学園のある府中で一人暮らしを始めた。


トレセン学園入学を夢見るウマ娘の妹が駄々こねまくるのを無理やり跳ね除けて引っ越してきたわけだが……。


引っ越してまだ2週間程度だが、もうすでに実家よりここの方が居心地がいい。


食事やら洗濯やらを自分でやらなければならないという問題はあるが、まあ、そこは適当に。


アイロンは諦めたが洗濯はちゃんとやってるし、掃除もそれなり……いや、めちゃくちゃ適当です。


一人暮らしをしたら始めようとやる気になっていた料理も、3日で心折れた。


だから食事は基本的にコンビニ弁当かスーパーのお惣菜、もしくは────


「……」


PCの前に座り、立ち上がった画面を操作しながら時計を見る。


今日も今日とて疲れた。

普通なら最後の春休みを楽しんでる頃だというのに、俺は成瀬先生のコマ使いとしてボランティア。

やっぱり腑に落ちないよなぁ……まじで。


ともかく今は休憩。

時間になるまでネットサーフィンをしながらのんびりと過ごした。


・・・


すっかり日が落ちて、空腹を感じ始めた頃合いを見て部屋を出る。


目的地は、料理に心折れた俺が見つけたお気に入りの店。

ここ1週間はほぼ毎日通うくらいには気に入っている。


『喫茶ナインボール』


喫茶店ではあるが、飲食物のメニューが豊富で安くてしかも量が多い。


トレセン学園関係者の利用客も多く、平日でも学校終わりの夕方はウマ娘たちで賑わっていることも多そうだ。


が、トレセン学園は寮のある学校で、ほとんどの生徒はその寮で暮らしている。

それゆえ、夕食の時間帯になれば客は少なくなり、ゆっくりと利用することができる。

この時間ならもう大丈夫だろう。


店先にあるボードで日替わりセットを確認してから、レトロな雰囲気のある扉を開けた。


「いらっしゃいませ〜」


奥から店員の声。

すぐさま席の案内にやってくる。


「おひとり様ですか?」

「はい」

「お好きな席へどうぞ」


予想通り、店内はガラガラ。

窓際のお気に入りの席を陣取り、メニューを取って眺める。


「お水をどうぞ。お決まりになりましたらお呼びください」

「はい」


グラスを置いて、店員のウマ娘が立ち去った。

来るたびにあの店員がいるけど、見た感じ学生だ。

この辺りに住むウマ娘といえばトレセン学園関係者がほとんどだが、あの子はどうなんだろう。


髪をツインテールにして赤い眼鏡をかけた、可愛らしいウマ娘。


ふと急に見覚えのある気がしてちらりと店員へ視線を送ろうとするが……やめておいた。

客からジロジロと見られても気持ち悪いだろうし、俺も変質者だとは思われたくない。


どうせ毎日見かけているから、変な既視感を覚えただけなのだろう。


「すいませ〜ん」

「あ、は〜い」


早々にメニューを決め、軽く手をあげて店員を呼ぶ。

パタパタと小走りにやってきたウマ娘。レースをしていないウマ娘でも走ればかなり速いのだろうな……なんて思ってしまうのは、もうトレーナーぶってるとかだろうか。


浮かれてんな、俺。


「お伺いします」

「ビーフカツレツのセットを、ライスで」

「はい、ビーフカツレツのセットを、ライスで。以上でよろしいですか?」

「はい」

「かしこまりました」


さくっと注文完了。

いつもはハンバーグセットにするが、今日は趣向を変えてみた。

たまには新規開拓しないとだ。


「少々お待ちくださいませ」


店員はそう告げ、厨房の奥へと消えていく。

それを見送ってから、俺はスマホをいじって時間を潰す。


店内は空いているし、それほど時間もかからないだろう。


いつも遊んでいるスマホゲームを起動し、スタミナを適当に消費。

ひと区切りついたところでちょうどヒトの気配がして、顔を上げる。


「お待たせしました。ビーフカツレツセットです」


テーブルに料理が並ぶ。

めちゃくちゃうまそうだし、しかもこれでワンコイン。

こんなに盛りだくさんで儲けがあるのかと不安になるが、就職前の貧乏人にはありがたい。


「ごゆっくりどうぞ」


トレイを抱えてペコリと頭を下げ、店員は立ち去っていった。


「いただきます」


手を合わせて、食事を開始。

予想通りビーフカツレツはめちゃくちゃうまかった。

今後の注文リストに見事ランクイン、暫定2位の大健闘。


まあ、ハンバーグしか食ったことがなかったから当然なんだけど。


・・・


うまい飯を食ってお腹も膨れ、大満足。

さっさと帰って風呂に入って、ネットでも見るか……などと思いながら会計に向かう。


普段ならこのまま金を払って店を出るだけなのだが、今日はどうやらそうもいかず────


「ごちそうさまでした」

「ありがとうございます。お会計は────」


表示された金額を見て、財布からぴったり取り出して受け渡しトレイに乗せる。


店員がトレイから金を取りながら、俺に声をかけた。


「傷はもう痛みませんか?」

「え?」


傷。


なんのことだろう……と思いかけて、そういえば指先を怪我していたことを思い出す。

金を取り出したのもその手で、いまだに指先には巻いてもらった絆創膏があって────


「……ぁ」


顔を見上げて、ようやく気がついた。


「こんばんは。新海さん」


にこっと笑って挨拶する、店員のウマ娘。

しっかりと顔を見たことで、ようやく理解した。


脳裏にあった面影と、結びついた。


どうりで見覚えがあるように感じていたのだった。

既視感は間違いではなかった。


「ミヤコ、レガリア?」

「ふふ、はい。そうです」


そう、ミヤコレガリアだ。

成瀬先生のチームに所属するウマ娘で、今日、俺の怪我を手当てしてくれた……あのウマ娘。


「バイト、してたの?」

「そうなんです。実はここ、私のお爺様のお店で」

「そうだったのか……いつもありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそいつも来てくれてありがとうございます」


謎に頭を下げ合う店員と客。

店内に他に客がいなくてよかった。見られてたらちょっと恥ずかしい。


「もう怪我は大丈夫そうですか?」

「ああ、おかげさまで」

「よかった……かなり血が出ていたので、少し心配だったんです」

「そんな大袈裟なもんじゃないよ。ちょっと切っただけだし、手当てしてくれたし」

「ふふ、ほんとによかった。……それにしても、いま気付いたんですね?」

「ぁ……ぁ〜、……面目ない」


くすりと笑うミヤコレガリアに頭を下げる。


どうやら俺は興味のないことにはとことん関心を示さないタイプなようで、本当に気づいていなかった。


おそらく今日声をかけられなかったら、ずっと気づかないままだっただろう。

それくらいには周りを見ていないのである。


まぁ……髪型が違うし、眼鏡もかけてるし、学園で顔を合わせた時とかなり雰囲気が違っていたから許してほしい。


「……私のこと、あんまりちゃんと覚えていなかったでしょう?」

「えっ!? そ、そんなことは……」

「そうですか〜?」

「ぁ〜……、……はい、すみません」

「やっぱりそうだったんですね」


その通り、いま名前を思い出すのもちょっと苦労した。

マジでそろそろ名前と顔を覚えないとやばいな。


「ほんと、悪い」

「大丈夫ですよ。人数多いですし、私なんてまだ……デビューもしてないですから」

「でも走るところは何度も見てる。綺麗な走りをする子だな、って思ってたよ」

「それ、フォローのつもりです?」

「ぇ……なってません、でしたかね……」

「ふふ、とっても嬉しいです」

「……そ、か。はは、よかった……」

「だったら、なおさら覚えていてほしかったけれど……」

「申し訳ない……」

「……ふふ、冗談です。すみません、トレーナーさんにこんな言い方しちゃって」

「ああ、いや、気にしないでくれ。俺、まだトレーナーじゃないし」

「でも数日後には、トレーナーさんですし」

「まだトレーナーじゃないよ。それまでは気楽に接してくれたら、俺も嬉しい」

「では、お言葉に甘えちゃいますね」

「よろしく頼むよ」


少し意外だな、と思った。

今日、地震があったあとに走り回る彼女を見たときはお堅いイメージを少し抱いたのだが……。

意外と話しやすいというか、気さくというか。


話していて心地いい相手だな、と、そんな風に感じた。


「じゃあ、そろそろ帰るよ」

「あ、はい。ありがとうございました」


あんまり店員と客が会話しているものよくないだろう。適当なところで切り上げ、店を後にする。


そういやミヤコレガリアは寮暮らしじゃないんだろうか。


トレセン学園の寮の門限は22時とかだったような気がするからまだ時間はあるが……たしか、夕飯の時間も決まってた気がする。


バイトの日は賄いがあるからとか?

わからんが……まあ、詮索するのもな。


膨れた腹を軽くさすりながら、俺は帰路をのんびりと歩いて帰った。


数日後────


4月を迎え、俺は晴れて正式にトレセン学園所属のトレーナーとなった。

そして成瀬先生の根回しのおかげ……という暗躍により、そのままサブトレーナーとして就任。


ていのいい雑用係として、こき使われる毎日を過ごしていた。


成瀬トレーナーのチームは中堅と呼ばれるぐらいの立ち位置で、所属するウマ娘もそれなりにいる。

デビュー済みのウマ娘ももちろん、デビュー前の子だって当然。


先日の一件から話すようになったミヤコレガリアもデビュー前のウマ娘であり、チームの中では下っ端扱い。


基本的にはデビュー済みのウマ娘たちのサポートをしつつ、空き時間に自分のトレーニングを見てもらう……そんなシステム。


ただそのやり方では、デビュー前のウマ娘たちからも苦情が出てくる。


そのためにサブトレーナーがいるわけで。


デビュー前のウマ娘たちを指導するのが俺の1番の仕事ということになる。

まあ……まだまだ知識も経験も未熟すぎる俺は、結局雑用をこなしつつ成瀬先生から色々教えてもらってるわけなんだけど。


「よい、せっ……と」


スポドリの入ったタンクをベンチに置き、息を吐いた。

グラウンドでは色々なチームのウマ娘やトレーナーが自身のトレーニングに励んでいる。


俺のいるチームの子たちも成瀬先生指導のもと、走り込みをしており……俺とデビュー前のウマ娘はドリンクの用意をしたり、洗い終わったタオルを干したりなどして雑用作業。


これが終わったら俺への教育&デビュー前の子たちの指導の時間が始まるわけだが……。


「新海さん、こっち終わりました〜」

「ああ、ありがとう」


レガリアが空になったタンクを手にこちらへ歩いてくる。


「先生、もう終わりそうって?」

「はい。10分休憩したらデビュー組は自主トレで、次は私たちを見てくれる、って」

「そ、か……このやり方、色々まずそうな気がするけどみんなよく不満言わずにやってるよな」

「少なからず思うところはあるみたいだけれどね……」

「だよなぁ」

「私はまだ本格化も完全じゃないですし……それでもチームに入れてもらえて、鍛えてもらっているだけでも満足なんです」

「レガリアはいい子だな」

「ぇ、そ、そんなこと……」

「謙遜すんなよ。聖人君子か、ってたまに思うし」

「ぇ、ぇ、ぇ」

「優しくて健気で気配りもできるんだ。間違いなくいい子だろ」

「い、いぇ、そんな、あの」

「照れることじゃないだろ」

「ぁ、ご、ごめんなさい……その、あんまり、そういうこと言われたことなくて」

「それはうそつけ」

「ほっ、本当ですよ……!」


「はいはい。そろそろ自分の準備しといで、あとは俺やっとく」

「ぁ、そんな、一緒にやりましょう。私、ウマ娘だから力も強いですし」

「気にしなくていいの。雑用は俺に任せて」

「で、でも」

「いいから」

「……わかりました、ごめんなさい」

「またあとで」

「はい、またあとで」


軽快な脚音を立ててレガリアは荷物を取りに向かった。

俺は引き続き雑用。あと少しで終わるし、先生がこっちに来る頃には完了してるはず。


……それにしても。


この数日でレガリアとはずいぶん仲良くなった気がする。

よく話しかけてくれるようになったし、こちらから話しかける機会も増えた。


サブトレーナーとして、デビュー前のウマ娘たちと共に時間を過ごすことが増えたのもその一因だろう。


彼女以外にも複数のウマ娘から声をかけられるようになって、ようやくトレーナーになった実感が湧き始めていたところだ。


そういう目的があったとかじゃないが、やっぱり可愛いウマ娘と話したりできるのはトレーナーの役得だな、と思ってしまう。


「お〜い新海くんや〜い」

「はーい」


かけられる、間延びした声。

そちらを顔を向けると、成瀬先生がゆったりとこちらへを手振っているところだった。


手を振り返すと、これまたのんびりした動作で近づいてきた。


「ちゃんとやってる?」

「やってますよ。ドリンクの用意も終わってます」

「いい仕事っぷりだね〜。これは名トレーナーの道も早いかもしれませんな」

「なに言ってんすか……」

「力仕事できるやつがいると助かるわ〜。私、か弱い乙女なので色々と困ってたんだよね」

「ウマ娘たちに手伝わせてたんでしょ? みんなが言ってましたよ」

「……」

「舌打ちはやめましょう。あとその顔やばい、周りに見せたらあかんやつです」

「あとで全員スパルタに決定です。全て新海サブトレの責任ってことで」

「え、嘘だろ!?」

「なーんで嘘つく必要あるのー? 私は事実を口にしただけですけどー」

「……」

「さ、みんな集めるよ。新海くんに教育的指導もしなくちゃいけないしー」

「……うす」


未デビュー組全員に号令をかけて集め、成瀬サツキトレーナーによる指導が始まる。

公平になるようにそれぞれ2時間ずつ。

レース前とかはデビュー組が優先されるが、それはまあ、仕方ないだろう。


去年デビューしたウマ娘のクラシックはもうすでに始まっている。

4月に入ったことで皐月賞や桜花賞といった三冠レースも目前で、ますます未デビュー組を見ている時間は無くなるだろう。


そんな彼女たちをサポートするのはサブトレーナーである俺の仕事だ。


頑張らないと。


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