運命《デッドライン》

運命《デッドライン》


スコープネコ


 世界の広さを身体で体感したのは狭っ苦しいバ群の中。もし、日本総大将と世界の怪鳥の二人によって"慣らされて"いなければと考えたら身体の熱に反して冷や汗が滲む。先頭から最後方まで塊になった大混戦、重のバ場を踏み荒らす行進の中団の後方にゲートから飛び出した私は入り込んだ。

 立ち上がりはベスト。極限の集中と共に飛び出した私は間違いなく最良最高のスタートを切った。だがそれは出走したウマ娘ほぼ全員に言えること。手に持ってて当然のカードを切っただけじゃ良し悪しは出ないし賭けに使える程のチップにもならない。

 だが、間違いなくテーブルには着いた。この時点でスタートの不利を悟った数名が私含めた勝負の席に着いた奴らを引き摺り下ろそうとしてるがそれで素直に落とされるほど優しくは無い。団子の中でもサイアクの位置に押し込まれた奴らに出来るのはその力で最善の道をこじ開けるか、誰かが使い古した次善の位置を譲り受けるか。

 そして、この場に一人として乞食は居ない。私の後ろからその『マシ』な席を寄越せと殺意に匹敵する威圧感が押し寄せる。序盤の序盤に出すような圧じゃねぇ、日本なら後半で出すような圧だ。けど────そんなんで落ちる程私の脚はヤワじゃねェ!


(お返しだ、受け取っとけ!)


 コーナーに差し掛かる寸前、後ろを確認するついでに目線で威圧を返す。ハハッ、極東の田舎者からのお礼に御満足頂けたみてぇだな。コーナーに入った瞬間に威圧感は更に後ろへと落ち込んで行き別の娘がそのサイアクの席を奪い取った。サイアクでも席に着けねぇよりはマシだもんな? けどそっから私らに勝負を仕掛けられるだけの賭けが出来るのか……楽しみだ。


(けど悪いな、私はそっちに構ってる暇は……ねェッ!)


 一瞬生まれた隙間に身体を捩じ込みながら前に進出する。罷り通っても経済コースは奪えないが……この席は充分なチップになる、次の席を奪うならこっちの方が都合が良い!

 コーナーを進みながら行われる席の奪い合いは其々の考え、思惑を元に静かに激しさを増す。外からこれが分かるのはレースに出た事がある奴か相当の目利きだけだろうな……!

 ────あぁ、窮屈な事この上ねェ……! 物理的にも心理的にも心底狭っ苦しい! けど、これだ! この感覚だ! 心臓が高鳴る、全身の血管が破裂しそうなほど血が駆け巡る! 過去最高に身体が熱を帯びている……煮え滾った血が全身を焼き尽くすと感じる程に!


「────ああ、私は、今……!」


 生きている。見えているか先生……私のこの姿が。走りが。昂りが。そして……この高揚に吊り上げられた口角が!

 偽りの直線が迫る。勝負を仕掛けるのはまだ。仕掛けるべきは真の最終直線。私の脚なら充分全員を離せ────



 ────本当か?



 疑う余地は無い。けれど私の本能が疼いた。本当にそれで良いのか、と。心臓の底で何かが叫んでいる。充分? それじゃあ足りないだろう? と……


(……ッ!)


 "偽りの直線では仕掛けない"

 誰もが知っている常識で、ロンシャンの定石だ。何度も何度もレースを走ってきたウマ娘の身体に染み付いた本能。そいつが思わずスパートに入りかけるコースの構造により生まれた偽りの直線。私達に求められるのはその本能を御して脚を残すことで……


 その瞬間、過ったのは。


 去年の二月に見た、あの悪夢。


 そして────



『それが地獄に続く一本道でも』


 私達が『賭ける』と決めた……


『一緒に行くよ』


 あの、夜。


「……ハッ、やめだ。安牌なんざに流されて……堪るかッ!」


 ここまで賭けに賭けて来て、最後の最後で誰もがやる充分なだけの選択肢を取り掛けた。バカが、それで足りるんなら既に凱旋門の頂は怪鳥が獲ってる。

「────っあああああ!」


 見誤るな、私のスタミナは偽りの直線全部を駆け抜けるスパートを仕掛けられる程じゃねェ! だが……"半ば"だ。半ばからなら、賭けるに値する! この賭けがどっちに転ぶのか決めるのは────私の気力だ!

 私の賭けに周りのウマ娘は目を開いた。そうだ、私を見ろ! そしてお前らも賭けろ! 私が持つか、持たないか! ドン底の奴らだって悩め! お前らにとって私の賭けで流れが変われば都合が良いだろう?

 ……私に、賭けた奴は────!


「────ハッ、そう来なくっちゃ……なぁぁぁぁッ!」


 私に賭けたたった一人。本場のダービーを勝ち抜いた英国のウマ娘! ならここからは一対一の賭け……世界を互いにフルベットした、世界一危険な賭けだ!

 愚かに賭けに乗った二人揃って最後の直線に踏み込む。賢く賭けから降りた十八人が二呼吸遅れて続く。最終直線にもならば私達の賭けに驚いた観客の騒めきが良く伝わる。

 だが、一箇所。驚きも無く、ただ納得して信じている奴らが見えた気がした。

 ……先生、トレーナー。私は今……世界の頂で、生きているよ。だから、さ。


「最後まで、目を離すんじゃねェ……ぞォ!!」


 脚が芝を穿つ。水を含んだ土を抉り、けれど撒き散らさない。撒き散らすような無駄な力は生まれない。一歩一歩が穴を作る。

 私が前に出る。ダービーウマ娘がより深く踏み込み私を差す。後ろはもう完全に賭けの席から外れ、私達だけのテーブルとなった。

 燃える。燃える。視界が焼けつく。世界が沸る。差せば差される。ひたすらに前に前にと脚を投げ出してやがて辿り着く限界の死線────躊躇う必要も、理性も今は無い。

 アァ、去年見たあの夢。敗北の夢。二着の夢……あれは、三女神様が見せた運命だとでも言うのか?

 "面白ぇ"、トレーナーと先生に見せるついでだ! 三女神様もどうぞ御覧じろ! くだらない運命を一世一代の大博打で覆す、最高の大バカを!


 ラスト、10m。最早何方が前に居たかの認識なんてしていない状態でゴールを駆け抜けた。けれど、私の奥底で。魂と呼ぶべき物が震えていた。喜び、悦び、歓び。私の中に存在する喜怒哀楽を全て塗りつぶすほどの、歓喜が。何か決定的な物を乗り越えたような感覚に、細胞の端から端全てに満ちるような歓喜が、私の底から溢れている。


「────総取りだ」


 着順確定、結果────ハナ差、一着。



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