運命ならば
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「傷はどうですか、ガープさん」
「どうもこうもないわい。老いぼれに随分な仕打ちだと思わんか」
堅牢な檻を隔て、クザンはガープを見下ろした。シリュウに貫かれた傷は塞がっているものの、体には幾重にも鎖が巻き付けられている。
「そうでもしなきゃ暴れるでしょアンタ……。傷のためにもじっとしててくださいよ。最悪死ぬことだってあり得る。それに、随分な仕打ちってのはお互い様だと思いますけどね」
「破門のことを言っとるのか? 海軍も抜けて賊についとりゃ当然じゃろ」
「……」
クザンは口を閉ざして黙り込んだ。
言い分は尤もだと思いつつも、そうですねとは言いたくなかった。
「ワシはどうなろうがええんじゃ。コビー達が無事、脱出出来ておれば──」
「あ〜、コビーのことなんですけど。ティーチの奴がもう連れ戻しましたよ」
「なんじゃと!?」
sword隊員達による命からがらの奪還劇の後、コビーはすぐさまハチノスへと連れ戻された。留守中の惨劇に案の定黒ひげが激怒し、オーガーとドクQを連れ立って自ら再び軍艦を襲撃したのだ。 ガープを欠いた手負いの海兵達にはなす術もなく、コビーの身柄はあっけなくハチノスの最奥の部屋へと収められてしまった。
「王妃にするんだとかって。アイツ、Ωでしょう。コビーに子どもを産ませたいんですよ」
「……ふざけたことを吐かしおって」
ガープは怒りに目の色を変え、鎖を軋ませた。
黒ひげがαであることは、言わずとも知れた話だ。Ωを孕ませるにあたっては、番同士である方が着床率は高くなる。出産が目的であるならば、コビーを番とすることも必然であった。
……たとえ、コビーが望んでいなくとも。
「おれならなんとか出来る」
「……何を企んどる、クザン」
「人聞き悪いなァ。信じてくださいよ。一度は認めた一番弟子でしょ」
「……」
怒りを押し殺すように黙ったままのガープを眺め、クザンはサングラスの奥の瞳をスイと細めた。是とも否とも答えない師が恨めしい。
結局は、コビーのことを気にかけているのだ。
未だヒートすら迎えていないあのガキのことを!
例え賊に肩書きが変わろうとも、クザンの志は正義を背負っていた頃のまま、そのつもりだ。だけれども師匠はもう、クザンに見切りをつけ、コビーの方が大事になっているらしい。
「……全部終わったら、ちゃんと話しますよ」
これ以上はとても居られなくて、クザンはガープから逃れるように地下牢を後にした。色々な感情が噴出してきて、まともに話せそうになかった。
石造りの階段を登りながら、海軍大将として在った日を思い返す。
僻地の支部からガープが二名も雑用を連れ帰ってきた日のことだ。野暮ったい丸眼鏡の冴えない少年と対峙したその時、クザンには電撃のようなものが走った。
ああこれが、いやまさか。
半信半疑ではあったものの、この子は“運命の相手”なのだと解った。しかしコビーの方はそんな直感は得られなかったようで、ただクザンに目を輝かせるだけだった。ヒート未体験のΩなのだと理解すると同時に、これは胸の内に秘めておこうと決めた。
この子はきっと、もしかすると、大きくなるのかもしれないと思いながら。
その後クザンが予感した通り、コビーはメキメキと力をつけ昇格し、曹長という下士官の最高官位にまで至っていた。そんな時にガープから「コビーはお前さんに憧れとるらしいぞ」と、ニヤニヤ報告を受けた。
それはきっと“運命”の直感の履き違えだ。
クザンはコビーを哀れにすら思った。真面目なあの子が、怠惰な己に憧れるなどあり得ない。それでも胸の内がくすぐったくなるような嬉しさは本当で、満更でもない返事をした。
しかし今になって思う。
そいつは自分から全てを奪い去る、悪魔の実の能力者よりもよっぽど悪魔のような男だと。この因果も、忌々しさしかない。
でも全てを丸く収めるため、師からの信用を取り戻すため。天から与えられた特権を使わなければ。
コビーが囚われている部屋に辿り着くと、扉を守る二人の見張り役が会釈をしてきた。騙す台詞を考えるのも面倒だと、半ば八つ当たりのように氷漬けにして、鍵を奪って入室する。
存外、コビーは丁重に扱われているらしかった。
部屋の殆どを覆う大きな寝台で、彼は青い顔で丸くなって眠っていた。左足首に枷が嵌められてはいるものの、それ以外に外傷は見当たらない。フェロモンのの仄かに甘い香りがクザンにも感知出来ることから、未だ項は噛まれていないままだということが知れた。
恐らくヒートの来ていない体を慮ってのことだろう。未発達の体には、番関係を結ぶことも苦痛を伴う行為になる。黒ひげのコビーへの配慮が、クザンには気味が悪く思われた。
ギシ、とベッドに乗り上げる。
眠っている今なら都合が良い。
運命の相手であるクザンが項を噛んでしまえば、他のαの何者にも番関係は覆せなくなる。たとえ番関係を無視して子種が注がれようと、Ωの防衛が働いて妊娠する確率は圧倒的に低くなる。
これで。
これで良いはずだ。
コビーの襟足を持ち上げて、歯を剥いた口をその首筋に近付ける。
「……ッ!?」
パシ、と。
項が手に塞がれて、クザンは顔を上げた。
項を覆い隠したのはコビー本人で、驚きと困惑に目を見開いてこちらを振り返っていた。
「く……クザン、さん?」
「確認しただけだ。ティーチとはまだ番ってねェんだな」
「ま、まさか。海賊と番うなんて、しませんよ」
クザンは咄嗟に嘘をついた。我ながら白々しいと自嘲しつつも、勝手に口を突いて出ていた。
そんな嘘に気がついているのかいないのか、コビーは片手で項を覆ったまま、クザンとは目も合わせられずに愛想笑いを浮かべている。
その態度が、どうにもクザンの神経を逆撫でする。
クザンは項を覆うコビーの腕を掴み、顔を突き合わせた。
「なら番っちまうか。ここで」
「え……?」
目を白黒させているコビーをうつ伏せに引き倒し、両腕を後ろ手にひとまとめにして凍てつかせた。尚も振り返ろうとする頭を押さえつけて、クザンは項に顔を寄せる。
「ま、待ってください!!貴方だって海賊になったんでしょう!?」
懸命に声を上げるコビーを、ジロリと睨め付ける。
テメェもガープさんと同じ事を言うんだな。
膨れ上がる怒気がそのまま凍てつくように、コビーの体を凍りつかせていく。
「だめです、だめっ……やめ、て……」
焦る声が涙に濡れ始めるのを、他人事のように聞く。
ついに歯を突き立てようとしたその刹那、部屋の扉が木端となって吹き飛んだ。
「……おれたちゃ仲良しクラブじゃねェ。最初に言ったはずだぜ、クザン」
珍しいほどの怒り様で、黒ひげが乗り込んできた。互いのやることには不干渉、という契約を反故にしたと思われたのだろう。
七面倒なことになった、と思ったのだが。
コビーがてぃーち、と安堵の滲む声で呼ばうのが聞こえてきて。
途端に、白けたような気になった。
凍り付かせたのを解いて、クザンは何食わぬ顔で部屋を出ていく。それを咎めるでもなくすれ違い、黒ひげはコビーの側へと向かっている。
コビーをそれは大事そうに抱き上げるのが目の端に見えて、クザンは舌打ちをした。
こんなはずじゃなかったんだけどな。
────何が?
自問しても答えは得られないまま、クザンは冷えた廊下を後にした。師と弟弟子の責める声が、いつまでも脳裏に反響している気がした。