逆転

逆転


 最近のおれはおかしいと思う。

 きっと人に話しても「いつもじゃないっすか」と笑って流されそうだが、本当におかしいのだ。煙草に火を点けるときに肩を燃やすだとか、何でもないところで足を滑らせて転ぶだとか、お茶が熱すぎて噴き出すだとかそういうのはおれにとっては日常だ。人から見ればおかしいことかもしれないが、何もおかしなことじゃない。

 おかしいのはおれの心の動きのことだ。ある女性の前だと元々持っていなかったはずの欲求がむくむくと湧き出て、それを満たすためならなんだってしてしまいそうになる。おかしなことだと分かっていても抗えずに、おれは受け入れてしまう。

「あら?」

 頭上から声がした。見上げると潜水艇の狭い階段から華奢なシルエットがこちらを伺っていた。

「コラさん煙草はもういいの?しばらくは潜りっぱなしだけど?」

「あ~、掃除の邪魔だって追い出されちまった」

「ふうん」

 おれの乗っている潜水艇は原則禁煙だ。潜水中に内部の空気を汚すのは死活問題なため、どれだけ煙草を吸いたくても許可が下りるのは海面へ浮上したときの甲板の上でのみだ。ヘビースモーカーであるおれにとって浮上中の今は至福の時間であるはずだったが、掃除をしたいクルーに灰が邪魔だと締め出されたのだ。一服もそこそこに船内に引っ込んだのは嘘ではないのに、何故か目が泳いだ。

 コンコン、と階段を降りる硬質な音がする。数段を残してまだおれを見下ろせる位置で丁寧に磨かれたブーツは止まった。右へ左へと目配せする。誰かに見られていないか気配を確認する癖は元々あったが、最近のおれはその頻度が多くなった。

「じゃあちょっと欲求不満かしら?」

「い、いやそういうわけじゃ」

「また夜に、楽しいことしましょ」

「……っ!」

 鈴の鳴るような声が耳に吹き込まれる。同時に尻を撫でられて体ががちりと緊張した。

「じゃあね」

 残りの階段を降りて廊下を歩く姿を見送る。自分より二周りほど小さいはずなのに、終始挙動不審になってしまう不思議な圧がある女性だ。おれがおかしくなる原因は全てこの女性、トラファルガー・ローにある。

「夜、夜かぁ……」

 これからローは航路の相談や潜水前の最終チェックをしなければいけない。その後は長期間の潜水前に必ず行うクルーの健康診断だ。ゆっくり顔を合わせられるのは言葉通り夜になるだろう。

 体の緊張が上手く解けない。こんな風に強張ってしまうのも、耳から広がるように顔が火照るのも、期待で胸がドキドキするのも今までなかったことだ。

 最近のおれはおかしいと思う。

 でも本当のところ、そのおかしなことがちっとも嫌じゃないから困るのだ。




「今日はこれね」

 にっこり笑ったローが器具を差し出す。親指に蔓が生えたようなと言えばいいのだろうか、何とも言い表しにくい独特の形状をしたものだった。

「これで気持ちよくなれるようになりましょ」

 うっ、と言葉に詰まりながらも抗うことなくおれはおずおずと股を開く。

 ここはベッドで、おれもローも一糸まとわぬ姿だ。そんな状態でやることなんて一つだろうに、最近はそのやることが特殊な方向に尖り始めている。

 きっかけは何だっただろうか。いつもベッドの上では可愛く鳴いていたローに「今日は私が気持ちよくしてあげたい」と意気込まれ、好きにさせてみようと思ったあたりだったと思う。

 恋人のおねだりを聞いたつもりが、気がつけばおれは身も世もなく喘ぎまくってベッドの上に転がされていた。

 他人の体を一方的に気持ちよくする技術と性欲に頭を支配されない訓練を叩き込まれていたはずなのに、人間の生理現象を知り尽くしたローの手はそれらを塗り潰すかのようにどっぷりと快楽を塗り込んでいった。

 ただでさえおれはローを前にすると自制のきかないときがあるのに、気持ちのいいことばかりされて抑えられるわけがない。いつもローの体の負担を考えてやっと抑えているのだ。ローの体に無理強いしないやり方でローを求めてもいいなら願ったり叶ったりだと自制も焼き切れる。

 与えられる快感に夢中で腰を振り、他人に触らせたことのない部分をこね回されて気持ち悪いくらい高い声で喘いだ。おれの体を好き勝手しながらローが浮かべる蠱惑的な笑みすら刺激になって、背筋にぞくぞくとした痺れが走った。

 あのときのおれはほとんど動物だったと思う。ローを楽しませるためだけに生まれた四足歩行の動物だ。犬のように腹を見せて服従し、猫のように頭を寄せて懐いて見せる。腰を振る姿はさながら発情した馬のようだったろう。女性器を模した器具でローに性器を扱かれるだけでとんでもなく気持ちがよかった。ローが見ているというだけで興奮が止まらなくて、無機物の中に引くほどぶちまけた。

「いっぱい気持ちよくなってるコラさん、可愛い」

 語尾にハートマークが付きそうな甘ったるい声と共に頭を抱き込まれて撫でられてしまえば、なけなしのプライドも理性もどろどろに溶かされてしまう。

 質量のある柔らかい胸に顔を突っ込んで可愛いだなんて吹き込まれたら、遠い昔の何も不安なんてなかった頃の記憶の蓋が開いてしまう。懐かしさと深い安堵で心が満たされてしまって、体も快楽で充足してしまったせいで、何でもいいやと思考が投げやりになる。

 そんな夜をおれは知ってしまった。

 恋人との情事なんて誰しも秘中の秘だが、これは本当に誰にも言えない。おれはローにめちゃくちゃにされる悦びを知ってしまった。だからもうローの求めるままに受け入れてしまう。

 渡された器具を掴んで股の間に差し入れる。ローが教えてくれた快楽の中には、おれの後ろの穴を使う行為もあった。まだここだけで喘ぎまくるということはなかったが、今日は開発の続きをするつもりなのだろう。

「んぅ……」

 直腸内に器具を突っ込んでいくおれをローはにこにこと見ている。その顔がすごく可愛くて前がずくりと持ち上がった。


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