逃走

逃走



頭を抱えているところを蹴られ、脹相は膝をついた。普段であればびくともしないでいられるような攻撃なのに、立っているだけでも世界が回ってしまうような不安定さが身を襲う。


「はっ……、あ………、」


目の前の泣いている女性が母と重なり、半身である母の呪いが体内で声を響かせている。蹲り、震える身体を抱き締めても何も変わらない。むしろ、女性の悲鳴が母の呪いと共鳴しているようにも感じられた。


「しず、かに…静かに、してくれ…!!」


「はぁ?マジで頭イっちゃってんな…。」


「う、うぅう…!!」


バンッ、と大きな音を立てて男の背後に室外機が落ちた。脹相が血液を高速で飛ばし落としたものだったが、暗い路地のせいもあってか男も女もそれを理解はできなかった。連続して、他の室外機もどんどんと落ちていく。男は恐怖から女を手放し尻もちをつき、解放された女は逃げていったが、脹相の頭の中には未だに母の嘆きが響きわたっていた。


「ひぃ!な、なんだよ、何が起こってんだよ!」


「お前の…お前のようなやつは…人間じゃ、無い…!」


血走った目を見開いた脹相の痣が怒りを表すかのように沸き立ち、男がその異質さに気付いたと同時に頭上で破裂音が響く。男が顔を上げた頃には、室外機は目と鼻の先にあった。


「ッ…なに、してんだ!」


男は衝撃に備えて目を瞑ったが、室外機はすんでのところで軌道を変えて壁に激突していた。

東堂が、直前で室外機を蹴り飛ばしたのだ。男は両手両足を虫のように地面にばたばたとつけて逃げ出した。

路地裏に、二人だけが取り残される。


「お前っ…、人間に、危害を…加えるなって、縛りが、あんだろうが…!」


あれから反省してGPSを頼りに脹相を探したはいいが、暗い路地裏から鳴り響く悲鳴や大きな物音にまさかと走ってきたのが幸いした。東堂が到着するのがあと数秒でも遅ければ、脹相はあの見知らぬ男を殺していたことだろう。


「…、あれは…あれは、人間じゃ、ない……」

「はぁ?何言ってんだ、どっからどう見たって人間だろうが。」

「…あれが、人間ならば、俺は人間になんてなりたくない……!」


様子のおかしい脹相に、東堂は口を噤んだ。何か事情があることは分かれど、それがどうしてこんな状況を産んだのかまでは分からなかった。


「…とりあえず、ここから離れるぞ。…こんなに壊しちまって…下手すりゃもう通報されてる。」

「………」

「…脹相!しっかりしろ!」

「…俺は…、……呪いでしかないのかも、しれない…」


埒が明かないと、東堂は脹相を抱えて走りその場を後にした。元々宿泊する予定だったホテルに向かっていく途中、暴れるかと思われた脹相は全くもって抵抗もせず、それがまた東堂の不安を煽った。

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