逃亡海兵ストロングワールド⑮─3
第十八話 老兵の想い 後編
──決して誰にも言えないことがある。
“お前は強い海兵になるんじゃ!”
自身の孫に対し、ガープはそう言い続けてきた。だが、その言葉を口にしながらも心のどこかでそうならない未来を確信していたのだ。
息子がそうであった。この世界に疑問を抱き、今や革命軍のリーダーになっている。
自分で選んだ道だ。後悔のないように生きればいいと思う。そもそも言って聞くような人間でもない。
誰に似たのかとボヤけば、いつも同期の男に鏡を渡されていた。
──だから、衝撃だったのだ。
“じいちゃん。……海兵になるには、どうしたらいいんだ?”
いつになく真剣な顔でそんなことを言った孫。その姿に、最初は言葉が出なかった。
“海賊になるんじゃなかったのか?”
思わず、といった調子で口からそんな言葉が出てしまった。言った後にしまったと思ってしまうくらいにあの時の自分は動揺していたのだろう。
だが自身の孫は、見たことがないほどに真剣な顔で言ったのだ。
“海賊は……もう、いいよ”
衝撃だった。忌々しいと思っていた赤髪海賊団の影響を受け、海賊を志していたはずの孫がこんなことを言うとは。
……思い当たることは、一つしかない。
少しだけ、嫉妬した。この子にとって、あの少女はそれほどまでに重く、大切な存在なのか。
自分の言葉を受けても何一つ曲げなかったこの子が、あの子のために。
“確かに、海兵になれと言っておったのはわしじゃ。……手続きについては、わしがやろう。海軍は年中人手不足じゃ。特に問題もなかろう”
言うと、孫は首を横に振った。
“おれだけじゃねぇんだ、じいちゃん”
“……あの子もか”
やはり、と思った。
いや、だからこそ、か。
“頼みがあるんだ、じいちゃん”
そして、少年は言う。
自分にこんな真剣な頼み事など、一度もしたことがなかったのに。
“一緒にいたいんだ”
彼の願いは、ただそれだけだった。
──ああ、そうかと。
世界中から“英雄”と呼ばれる男は、その一言で全てを察した。
小さいと、幼いと、守らなければならないと思っていたこの子は。
いつの間にか、一人の“男”になっていた。
嬉しくもあり、寂しくもあり。
複雑ではあったが……誇りに思える、ことではあった。
“わかった。しかしそのためには力が必要じゃ。お前は勿論のこと、あの子もな。……今まで以上に厳しくするが、耐えられるか?”
“うっ……だ、大丈夫だ!”
その言葉に、そうか、と頷いた。
あの時、自分はどんな表情を孫に見せていたのだろうか。
“しかしそれも明日からとしよう。……マキノのところへ行くぞ、ルフィ。今日は好きなものを食わせてやろう。あの子も呼ぶといい”
“え、本当かじいちゃん!?”
“わしが嘘をついたことはないじゃろう?……なんじゃその顔は”
全く、と疑わしげな表情をする孫に対して呆れを向けながら。
しかし、この時“英雄”と呼ばれた男は確かに誓ったのだ。
たとえ、何があっても。
この二人だけは、絶対に。
絶対に──幸せに。
◇◇◇
ガープの強さはただただシンプルな強さだ。
頑強な肉体、それを支える精神、そして長い人生において培われた経験。
その全てが常人のそれを遥かに凌駕しているからこそ、彼は“英雄”と呼ばれている。
「流石でござるなガープ。余力など望むべきではないでござるか」
「当たり前じゃ。貴様はここでわしが叩き潰す」
繰り返された攻防における天秤は、ガープの方へと傾いていた。僅かずつではあるが、ジュウゾウの方が押されている。
(本当にふざけた強さでござるな)
ジュウゾウは内心で呆れを零す。彼の食べた悪魔の実の真骨頂は鬼火を操れることなどでは決してない。あれはあくまでオマケのようなものだ。それだけで人を殺害するくらいなら容易い炎であるが、この海兵には通用しない。
動物系ヒトヒトの実幻獣種、モデル“鬼”。
その真骨頂は純然たる肉体の強化にある。ただでさえ誰一人止めることの叶わなかったジュウゾウの暴力を更に高めたのがこの悪魔の実だ。頑強な肉体は更に硬く、凶悪なまでの筋力は更に強大に。
そこらの海兵であれば拳で風穴を空けることさえ可能なジュウゾウの力と、この海兵は正面から己の肉体のみで渡り合っているのだ。
「シキのところに行っておるのはお主の孫でござろう? これはますます、加勢にいかねばならんでござるな」
この化け物の孫だ。未だ直接見たことはないが、おそらく相応の力を有している。そうでなければガープがシキのところに孫を一人で行かせないだろう。
「そうじゃな。あやつは強い海兵になりおった。あやつはシキを倒すじゃろう」
ふと、ジュウゾウは違和感を覚えた。今のガープの言葉には、かつての彼から感じたことのある感情とは全く違うものを感じたのだ。
喜びでも、怒りでも、哀しみでも、楽しみでもない。もっと別の『何か』。
──彼は知らない。
人はそれを、“誇り”と呼ぶのだということを。
それを誰からも学べなかった怪物が、知るはずもない。
「……羨ましいでござるなぁ」
ガープがここまで言う男。いや、違う。
ここまで言うことができる者がいるという事実が、羨ましかった。
「“鬼”が何を嘆く」
ガープの言葉は冷たい。ジュウゾウは小さく笑った。
「そうでござるな。──では鬼らしくいくとするでござる」
彼の周囲に無数の鬼火が出現した。それらは踊るように宙を舞う。
ようやく本気か、とガープが言う。
それに対し、違うでござるよ、とジュウゾウは応じた。
「これは“必死”でござる」
ガープがこの二十年で得たのは今シキと戦っているという孫だろう。羨ましいことだ。そういう存在を手にできたということが。
ジュウゾウにもきっとそういう存在はいるかもしれない。そういう関係を持ったこともある。だが、情を持てたかというと難しいだろう。
人は己に向けられた感情以外の感情を理解できないのだという。ならば、ジュウゾウに理解できる感情に親子の親愛というものはない。
それがあったら、“鬼”になどなっていない。
「“鬼火纏”」
周囲の炎がジュウゾウの体に収束していく。
文字通り、青き炎を“鬼”は纏う。
──ただ、一つだけ。
ジュウゾウがかつてガープと殺し合った頃と違い、学んだことがある。
己の足を切り落としてでも、戦う力を求めた少女がいた。
その少女の瞳に宿っていたのは、“必死”という感情。
文字通りに命を賭け金とする在り方。
「お主を殺すともなれば、こうでもせねば届かんでござろう。後のことは……まあ、その時考えるでござるよ」
「なるほど、確かに違うようじゃ」
そして、今度はガープが踏み込んだ。
全身に青い炎を纏う“鬼”の姿はある種幻想的であり、見る者に根源的な恐怖を抱かせる。しかし、“英雄”は畏れない。
放たれたのは右の正拳突き。空を裂くような鋭い音ともに放たれたそれをジュウゾウは左腕で受ける。
直撃の轟音と、ガープの拳が焼ける感触。だが彼は止まらない。そのまま右足の蹴り。それをジュウゾウは左足で受け、更に右足で地面を蹴った。
「“鬼火纏・神楽舞”!」
身を捻り、回転を乗せた右拳を叩き込む。それをガープは左腕で防ぐが、直撃の瞬間、炎が彼の眼前に広がった。
「く……!」
視界が奪われる。次の瞬間、彼の右脇腹へジュウゾウの蹴りが直撃した。
堪えきれず吹き飛ばされるガープ。瓦礫へと突っ込んでいった彼に対し、ジュウゾウが炎を展開する。
「“鬼火・征伐”!」
追撃の炎。しかしそれを突き破るようにして瓦礫が飛来する。
「“拳骨隕石”!」
ただの腕力で砲弾を投げるガープの得意技だ。……技と言ってもいいのかはわからないが、普通に砲撃するよりも遥かに高い速度と威力で突っ込んでくるそれは、砲弾ではなく瓦礫であっても脅威である。
身を屈めてそれを避けるジュウゾウ。その眼前にガープが迫る。瓦礫を投げることで直線コースの障害を排除したのだ。そのまま加速を乗せた拳がジュウゾウに迫る。
──しかし。
「焦ったでござるな」
その拳は、虚しく宙を──否、炎の幻影を貫いている。
「“鬼火・泡沫”」
炎による分身を作る技だ。“見聞色の覇気”を使えば──否、目を凝らせば気付けるレベルの分身ではあるが、一瞬の密度があまりにも高い二人の攻防内であればこそ有効に作用する。
吹き飛び、一度ガープが姿を見失った時点で仕込みは終わっていたのだ。炎の幻影の背後。身を縮めていたジュウゾウがガープの懐に潜り込む。
避けることも、防ぐこともできない。隙だらけだ。
「“鬼火纏・金色夜叉”!!」
拳ではなく、貫手。その絶大なる膂力を込めた炎を纏う一撃が、ガープを深々と貫いた。
◇◇◇
本当のことを言えば、ルフィに行かせるつもりはなかった。
大海賊にしてかつての四皇“金獅子のシキ”。その強さと厄介さをガープはよく知っている。故にシキとは自分が戦うつもりだった。
だが、あの時。
あの道化を殴り飛ばし、シキと相対する背中を見て。
──任せよう。
自然と、そう思った。思わせてくれた。
それほどまでに、自らの孫は成長していたのだ。
ならば己のすべきことは、そこに横槍を入れさせないこと。
ルフィは勝つだろう。あまりにも未熟で、手段についても思いは及ばないが。
それでもきっと。
孫は、勝つはずだ。
“一緒にいたいんだ”
あの日、そう願って。
そして、その通りに生きてきた男を。
そのために命を懸け続けてきた男を。
──信じぬ理由が、どこにある?
(一瞬、意識が飛んでおったか)
深々と貫かれた肉体。貫通はしていないようだが、体の内側を焼かれている感覚があった。
どんな強者でも内臓までは鍛えられない。そこはいつだって人体の急所だ。
だが、“英雄”は止まらない。
「いい、一撃じゃ」
絞り出すような声と共に、ガープは自身を貫く腕を掴んだ。掴んだ左腕が炎で焼かれる。
自身の体から腕を抜くためか?──否だ。
逃さないために、掴んだのだ。
「ぬ、この」
「ぬうェい!!」
全力の、何もかもを貫くような拳が放たれた。ジュウゾウの顔面を貫いた一撃は、確かに彼の脳天を貫くような衝撃を与えた。
顔を仰け反らせ、そして衝撃によって後退するジュウゾウ。それにより、ガープの体を貫いていた腕も抜けた。
「まだ、まだ……!」
頭が吹き飛んでいてもおかしくない渾身の一撃を受けてなお、ジュウゾウは倒れなかった。身を戻し、ガープを見据える。
青き炎が、その感情を映すかのように燃え上がる。
「“鬼火纏・祭囃子”!!」
それは拳の連打であった。しかもいくつかの拳は炎によって形作られたものであり、それを受け止めれば恐らく身は焼かれ、燃え尽きる。
だが、彼は退かない。
「────!!」
喉元まで迫り上がってきた血を吐きながら、“海軍の英雄”は吠えた。
放たれる拳と炎の全てを、真っ向からガープは受けてたつ。
轟音と、炎を裂く音と。
まるで久遠のように長い時間、双方の間に幾度も衝突が起こった。だが、徐々に。本当に、少しずつ。
「ぬ、う、あ、ああっ!!」
ガープが、押し始める。
ジュウゾウには理解できない。普通の拳と炎の拳。手数ではこちらが上。渾身の一撃こそ貰ったが、それでも体を貫かれ、内部を焼かれた男よりは軽傷だ。
更に、ガープは打ち合えば打ち合うほどにその身が炎に焼かれていく。
なのに。
拳が、“鬼”へと迫る。
「ぬ、あ」
一撃が、ジュウゾウの腹部へと炸裂した。
そう、炸裂。まるで爆発でもしたかのような衝撃が彼を襲い、一瞬、動きを止める。
「が、は」
そしてそうなればもう、その拳を止める手段はない。
それを拳による一撃と呼んでもいいのか。まるで爆弾の炸裂──いや、それ以上か。
ジュウゾウの膝が折れる。その顔面に、叩きつけつような一撃が放たれた。
「“拳骨”」
静かな、しかし、絶望の宣告だった。
地面が割れ、砕けるような衝撃。
大地が揺れるのではないかと思えるほどの渾身の一撃を受け、“鬼”が倒れる。何かの言葉を発することさえも許されなかった。
──立っているのは、火傷まみれの“英雄”だけ。
「言ったじゃろう」
倒れ伏した“鬼”を見下ろし、彼は言った。
「わしが、お前の“罰”じゃと」
シキの居城一階、“海軍の英雄”ガープVS“殺人鬼”ジュウゾウ。
勝者──ガープ。
◇◆◇
“ほう、拳骨でござるか。それが罰であったと?”
“私の両親は争いを嫌う人でありましたが。……私が悪さをすると、拳骨を落とされました”
いつかの記憶。とある酒の席での見知らぬ男との会話。
“しかしそうか、拳骨とは”
そういう罰もあるのかと、男は笑った。
“某はそういった経験がないでござるからなぁ”
酒を煽りながら、男は笑う。
笑って、いた。
それは最早、遠い記憶の彼方。
その“鬼”にその“罰”が届くのは……ずっとずっと、先の未来。
◇◇◇
ジュウゾウの懐から鍵を取り出したガープは、思わずその場に膝をついた。思った以上にダメージは深刻だ。少し休まなければならないだろう。
衰えたと、そう思う。かつての己であれば、こんな深手を負うことはなかっただろうに。
「時代に決着を、か。……そうじゃな、頃合いかもしれん」
この戦争の結末によっては、一つの決断をする必要もあるかもしれない。
(何、心配なかろう)
この戦争が勝利で終わるのであれば。
きっと、未来は明るい。
「……ん、おお」
気配を感じ、振り返る。そこには、あの子を助け出してくれたCPの男がいた。
「あの子の錠の鍵じゃ」
投げ渡すと、それを男は右手で受け取った。
「……いいので?」
「わしはちと休む。流石に歳じゃ」
ふう、と息を吐くガープ。すまんな、と彼は男──ロブ・ルッチに言葉を紡いだ。
「お前さんも随分疲れておるじゃろうに」
「この程度」
言い切ると、失礼します、という言葉と共にルッチが移動する。
見事なもんじゃ、とガープは小さく笑った。
そして、一息。
かつてならば見えた“未来”も、衰えと共に見れなくなった。だが、いい。
見えなくなったなら、信じれば。
「ルフィ。お前は、強い海兵になった」
なって、くれた。
だから、それだけでいい。
あとはもう、信じるだけで。