逃亡海兵ストロングワールド⑳─2

逃亡海兵ストロングワールド⑳─2



第二十三話 “フーシャ村のウタ” 後編




その呼び出しは唐突なものだった。

海軍に入隊してから毎日のように話題の中心になる二人、ウタとルフィ。この二人は年齢こそ非常に若いがその実力と実績により凄まじい勢いで出世の道を歩んでいた。

聞けば、三等兵から正義のコートを着ることが許されるところまでの出世スピードでは歴代トップ5に入るらしい。

二人にとっては出世スピードなどどうでもいいことではある。しかし、一つの区切りではあった。だがその辞令式の直前、彼らはとある会議室に呼び出しを受けたのだ。

元々問題児コンビ扱いされている二人である。呼び出しはある意味日常茶飯事であったのだが、今回ばかりは心当たりがなかった。


“ちょっとルフィ、今度は何したの?”


呼び出し先の会議室に向かいながら、ウタは隣の幼馴染に言葉を紡ぐ。だがルフィは首を横に振った。


“何もしてねぇよ”

“ホントに?”

“寝る時以外ここのところずっと一緒だったんだからわかるだろ?”

“それはそうだけど“


ここ最近、二人はなんだかんだでずっと一緒に行動していた。それこそ寝る時以外はずっと一緒だ。その間には確かに問題は起こしていない。

流石のルフィも寝ている間に問題を起こすようなことはないだろう。そうなると、本当に心当たりがない。


“まあ怒られてもいつものことだろ?”

“それに慣れちゃいけない気がする”


言っているウタもルフィとの勝負の結果騒ぎを起こして怒られることに慣れつつある。人間はどんなことにも慣れるものなんだなー、と他人事のように思っているぐらいだ。問題児コンビと言われる所以であった。


“とりあえず怒られたら即謝罪でいくよ。いつも通りに”

“おう、いつも通りだな”


会議室の前でうんうんと互いに頷きを返す。初手謝罪は重要だ。経験で学んだ。


“失礼します”


ノックをすると共に部屋に入る。

──そして、そこにいた人物に二人揃って驚愕した。



“おお、来よったか”



海軍本部、最高戦力。

大将、赤犬。

今の二人にとっては雲の上ともいうべき立場の人間が、そこにいた。


“…………”


二人して流石に無言になる。

ウタは彼を遠目にしか見たことがない。入隊式の時に参列していたり、重要な式典の時に遠目に見たことがあるだけだ。非常に厳しい人間であり、掲げる正義は“徹底した正義”。実を言うと、今のウタにとっては共感できる信念であったりするが……あまりにも立場が違い過ぎる。

ルフィの祖父であるガープの存在もあり、“大参謀”と謳われる海軍本部中将つるやガープを慕う海軍本部大将青雉との面識を始め、所謂『お偉いさん』と呼ばれる者たちとの交流が二人にはある。だがそれはガープを通したプライベートなもので、職務上で関わるような立場ではない。


“楽に……は難しいかもしれんが、気を張らんでもええ。聞きたいことがあるだけじゃからのう”


凄まじい威圧感であった。敵と相対しているわけではないのに、足が震える。

同じ人間だとは思えないほどの、絶大なる存在感を放ちながら海軍本部大将が言う。


“順番に……まずはお前じゃのう、ルフィ”

“すみませんでした”

“……何故お前は謝っちょるんじゃ”


若干ではあるが、その会話で空気が和らいだ。ウタは何度もゆっくりと深呼吸をし、気持ちを落ち着ける。少しだけ足の震えが収まった。


“聞きたいことは一つ。……お前はあのドラゴンの息子だそうじゃのう”

“ドラゴン?”


赤犬の言葉に首を傾げるルフィ。赤犬を前にこの余裕の態度、大物なのか馬鹿なのか。多分両方だ。

本気でわかっていない様子の幼馴染に対し、ウタは小声で隣のルフィに言葉を紡ぐ。


“……ガープさんに教えてもらったでしょ。あんたのお父さん”

“おお! 父ちゃんか!”

“まるで他人事のようじゃのう”


ジロリと、赤犬がルフィをまるで見定めるかのように見据える。こちらに視線が向いているわけではないのに、ウタの背筋を冷たい汗が伝った。


“いやだって会ったことねぇし……よくわかんねぇ”

“本当か?”

“嘘じゃねぇよ。爺ちゃんにも聞いてくれ。……そういや顔も知らねぇや”


腕を組み、彼にしては珍しく困ったような表情で言うルフィ。赤犬はしばらくそんなルフィを見据えていたが、納得したのか葉巻の煙をゆっくりと吐き出した。


“嘘ではなさそうじゃのう。まあ、薄々わかっていたことじゃァ。ただ顔ぐらいは知っておけ。奴は世界政府最大の敵、世界最悪の犯罪者。知らんで済む相手じゃないけぇのう”

“うん。わかった”


頷くルフィ。その彼を何とも言えない表情で赤犬は眺めていたが、まあええ、とルフィから視線を外した。

そして、ウタへと彼の鋭い視線が向く。


“話の流れは理解しちょると思うが。……あの“赤髪”の娘だそうじゃのう?”

“…………ッ”


遂に来たという思いと、できるならば蓋をしておいておきたかったという思い。その二つが同時にウタの胸中に溢れ出す。

ルフィとは違って即座の返答がない彼女に対し、赤犬が言葉を続ける。


“そこのドラゴンの息子はともかく、お前はそれなりの期間船に乗っておったと聞いておる。それが何故海軍におるんじゃ?”

“おっさん! ウタは──”

“──黙れ”


声を上げたルフィを、赤犬はその一言で黙らせた。あのルフィが気圧され、言葉を詰まらせてしまう。


“お前には聞いちょらん。わしが話をしとるのは“赤髪”の娘じゃ”


凄まじい威圧感であった。赤犬は言葉を続ける。


“海賊は狡猾な連中ばかりというのは知っちょるな? 特に“四皇”などと呼ばれる連中はあらゆる手段を使ってきよる。……奴らなら海軍にスパイを送り込もうと考えてもおかしくはないのう”

“私は!”


慟哭のような声が響いた。

そこに込められた感情は、あまりにも複雑で。

あの赤犬ですら、言葉を止めてしまう。


“私は海賊なんかじゃありません!”


かつてはそうだった。赤髪海賊団の音楽家──それが彼女にとっての誇りであり、全てであった。

大好きだった。大切だった。あの日々は、何よりも輝いていた。

──だけど。

その全ては、偽りだったのだ。


“ほう。ならば何故船を降りた”


こちらを睨み据える赤犬。普段なら怯むそれもしかし、心の奥から溢れ出した感情が押し返す。


“あの男は! あいつらは私を置いて行った! 必要なくなったから捨てていった! 振り返りもしなかった!”


涙が溢れた。何もかもが嘘だったのだと、偽りだったのだと叩きつけられた日。

あの人たちは──振り返りもしなかったのだ。

──麦わら帽子を被ったあの人の、大きな背中が好きだった。

けれど、今は。


“ウタ”


優しい声。こちらの手を、彼が優しく握ってくれた。

温もりを感じる。自分にただ一つだけ残った、大切な人。

夢さえも……捨てさせてしまった人。


“私は。だから、私が”


あの日、彼がくれた理由。

それが、今の私にとっての道標。



“赤髪海賊団は、私が捕らえます”



それが、海兵になった理由。

そうしなければ、前に進めないと思ったから。


“……ならば、今のお前は何者だというんじゃ?”


今の私。

ここにいる、この女は。


“私は、フーシャ村のウタです。……それ以上でも、それ以下でもありません”


幼馴染の手を握る力が強くなった。それを彼は、しっかりと握り返してくれて。

──挫けそうになる心を、支えてくれている。


“違うのう”


だが、赤犬はそれを否定した。

彼は葉巻を手に持ち、真剣な表情でこちらを見据える。


“お前は海兵じゃろう。間違えるな”


想定外の言葉に、一瞬呆気に取られて。

しかしすぐに、はい、とウタは頷いた。


“用は終わりじゃ。……時間を取らせたのう”


二人で一礼し、会議室から出ていく。

赤犬との最初の会話は、そんな風にして終わった。

だがこれが縁となり、海軍の最高戦力と二人は妙な交流を持つことになる。



◇◇◇



気配を感知する“見聞色の覇気”というものは万能ではない。むしろこの世に万能の力などないと、そんな風に“毒蛇”の異名を持つ海賊は思う。

気配とは人が発する『生きている証拠』とでもいうべきものだ。カガシャたち暗殺者集団はそういった『生きている』という感覚を消すことについての研鑽を重ねてきた。

それは日常での暗殺という形で絶大な力を発揮した。想像してみるといい。多くの人間が行き交う中、いるのかいないのかわからないほどの薄い気配の人間が一人。それが近づいて来たとして、警戒などするだろうか。おそらく無意識のうちにぶつからないように避けようと思うだけで終わりだ。

そしてその擦れ違う瞬間にはもう、暗殺は終わっている。

対象を一撃の元に暗殺し、後は当たり前のようにその場から立ち去る。カガシャの場合そこに『音を消す』という力まで加わる。悲鳴さえあげることができなければ、助けも遅れる。そしてその遅れが致命傷だ。

故の“毒蛇”。

突然の死を見舞う、日常に潜む音なき暗殺者。


「──溺れる者は藁をも掴む」


脇腹を切り裂いたことによって付着した血を拭いながら、カガシャは言った。彼女の視線の先には血を流して倒れ伏すウタの姿がある。


「強者というのは、強者であることが弱点じゃ」


背を向ける。相変わらずウタの周囲、そして彼女自身からは音が出ないようしてある。後はもう、何も言わずに死んでいくだろう。

ウタを沈めたのは、カガシャの切り札の一つだ。

一言でいうならフェイントである。本来のそれは打つとみせかけるというものであるが、カガシャのそれはもう一段深い。

音もなく、気配も薄い敵対者を前にした者はまずカガシャの存在を捉え続けることに全身全霊の力を注ぐ。それができなければ死ぬだけであるし、実際カガシャに何もできないまま死んでいった敵対者は非常に多い。

だが、今回のウタのように“見聞色の覇気”を一定以上の練度で使いこなす相手ならばカガシャを見失わずに戦うことができる。そうなると集中力と体力の持久力勝負だ。カガシャの持つナギナギの実の能力は強力ではあるが直接的な攻撃力を持たない。故にもう一手、そういった強者のための技術があった。

──それが、フェイント。

こちらを捉えようと集中している相手に対し、少しだけ気配を強くする。それは文字通りのフェイクであるが、それによって相手の動きを誘導するのだ。少しだけというのがポイントである。あまりに強くし過ぎると相手も違和感を持つ。

攻防の最中、相手はようやくこちらを捉えたと錯覚する。次に来る一手を読み切ったと。だがそれは“死”への道標だ。

捉えたと思ったそこにカガシャはおらず、その結果として隙を晒せば。その瞬間、彼女は相手の命を刈り取っている。


──“溺れる者は藁をも掴む”。


彼女自身はこの技の名など付けていない。ただの技術であり、そこに名前など必要なかったからだ。だが彼女の部下の一人がそのように評し、それを彼女の中でだけ技の名とした。

普段とは全く違う環境下での戦闘。ストレスが過剰になるその戦いの中で目の前に垂らされた一縷の望み。『相手を捉えた』という感覚に縋る者を、この暗殺者は容赦なく殺戮してみせる。

己の力に対して信を置き、そして実際にその力を持つ者ほど彼女のこの技術を前になす術なく倒れてしまう。

強者というのは強者であることこそが弱点だ。故にこそこういう結果になる。

弱者の天敵は強者であるが、強者の天敵もまた弱者──よく言ったものだ。


(お主らの希望はここで終わりじゃ)


上にいる者たちの気配を確認しようとするカガシャ。後は上にいる者たちを擦り潰し、それで終いだ。だが彼女の“見聞色の覇気”がそれを捉えた。


「……浅かったか?」


振り返る。音もなく、“歌姫”が立ち上がっていた。

確かに手応えは完璧ではなかったようには感じていた。踏み込みが甘かったか──いや、そんなことはない。あの一瞬で身を捻り、致命傷を避けたのだろう。

大した反射神経だと思う。“麦わら”の方ばかりがその戦闘能力について話題になるが、こちらも大概なのではないだろうか。


「苦しませているのは暗殺者としての落ち度じゃな。──次はきっちり殺してやろう」


直後、カガシャ地面を蹴った。無音の移動術。心得がない者であれば捉えることさえもできない歩法術。

対し、ウタは刀を手放していた。銃を支えのようにして立ち上がっている。音は聞こえないが、その呼吸は荒い。

──喉を裂く。

それが一番確実だとカガシャは思った。命を絶つという意味でも、“歌姫”の存在を終わらせるという意味でも。

喉を目掛けて振るわれるナイフ。しかし、それは空を切った。


『“紙絵”』


文字通りの紙一重。正しく最小限の動きで、ウタはナイフを避けた。ピクリとカガシャの眉が跳ねる。ナイフを何度か振るうが、その全てを最小限の動きで避けられた。

動きが読まれているような感覚に、カガシャが違和感を覚える。目の前にいるのは死にかけの半死人のはずなのに。

一度距離を取ろうと後方へと飛ぼうとするカガシャ。彼女が地面を蹴ったその瞬間、狙い澄ましたように一筋の斬撃が放たれた。


『“嵐脚”』


それは先程までの薙ぐような一撃ではなく、威力も範囲も狭い一撃だった。

しかし──避けられない。


「…………ッ」


弾くが、僅かに足を掠めた。薄く血が流れる。

ダメージは軽微だ。だが、理解ができない。まるでこちらが何をするかを完全に読んでいたかのような一撃だった。だから避けきれなかった。

──何が起こっている?


(偶然か? いやどちらにせよ同じじゃ)


先程と同じ方法で確実に殺す。それで終わりだ。

ナイフを構え、一息。直後、その姿が消えた。


「“静音暗殺”」


音もなく、気配もなく。最速の速度を持って移動する技術だ。かつてシキと共にウタの軍艦を襲撃した際にも見せた技。

言ってしまえばただの歩法術であり、移動技術だ。“剃”とも似ているがあちらと違って速度よりも相手の虚をつくことを最優先としている。

狙うは喉。やり方は同じだ。

──“溺れる者は藁をも掴む”。

気配の虚像を放ち、その隙を穿つ技。この絶技でその命を断ち切る。


『…………』


ウタが銃を持ち上げた。変わらず音はないままに、しかし、荒い息を吐いている彼女はその肩を上下させている。

既に体力は限界のはず。いやそもそも立てたことがおかしいのだ。

腹を貫かれた傷と、致命傷は避けたとはいえ切り裂かれた脇腹。さらに海楼石の錠に繋がれながらの逃亡劇。ここまで命を繋いでいることを評価するべきでさえある。

だが油断はしない。虚像で釣り、確実にその喉を裂く。

フェイクの虚像は左脇腹を狙うもの。そこに気を取られた一瞬の隙に踏み込もうとカガシャが地面を蹴った。

ウタの銃を持つ手が動く。だが、その手は。


「────!?」


何の迷いもなく、ウタの喉元を狙うカガシャを捉えていた。

まるで──そこに来ることがわかっていたかのように。


銃声は響かない。

しかし、弾丸は吐き出される。


カガシャの左肩を、凄まじい衝撃が貫いた。



◇◆◇



ぼんやりと月が浮かぶその闇夜に、小さな歌声が響いていた。

時間は既に深夜。穏やかなその歌声はまるで子守唄のようで、その歌声以外には風の音しかしない。

歌声が響くのは訓練場だった。ほんのつい先程まで色々な者たちが集まり、一つの戦場と化していた場所だ。それを見渡せるベンチの上で一人の“歌姫”が歌っている。


“────”


誰かに聴かせるための歌ではない。強いていうなら膝の上で眠っている幼馴染に聴かせるためのものだ。片付けやら何やらを終えた後、電池が切れたように眠ってしまった彼。その寝顔は非常に穏やかだ。

変わらないなぁ、とそんな風に歌声の主──ウタは思う。彼にとって大切な、ウタにとっても大切だった麦わら帽子を被る彼女は膝の上で眠る幼馴染の髪を撫でる。

その間も、静かに歌声が響いていた。深夜とはいえ屋外だ。周囲に小動物の類がいるはずであるが、彼らの声は聞こえない。彼らもまた聴き入っているのだ。

かつて、とある島で教えられたことがある。


“男女も、年齢も、人種も、思想も、信念も、罪悪も、貧富も、文化も……或いは、言葉さえも違っても。キミの歌は届く。そこには平和と平等がある。それができるからこそ我々は『音楽』と呼ぶんだ”


それはウタの根幹にあるものだった。

この歌声を届ける。それだけじゃない。歌声と共に、平和も。

だからこその──“平和を届ける正義”なのだ。


“────…………”


子守唄のようなその歌が、終わりを迎えた。優しく幼馴染の髪を撫でる。相変わらずの穏やかな顔だ。ほんの少し前、あのクロコダイルと戦った後などは文字通り死んだように眠っていたのに。


“はよう寝ておかんと明日に響くぞ”


見計らったように──実際に見計らっていたのだろう──そんな声が響いた。振り返ると、そこにいたのは海軍本部大将、赤犬だった。だが彼はいつものスーツも正義のコートも着ておらず、ラフな格好である。確か……甚平、とかいっただろうか。


“お疲れ様です”

“ああ。……まあ、今のわしは見ての通りプライベートじゃからのう。楽にせい”


言うと、赤犬は少し離れた場所のベンチに座った。ウタの膝の上で眠るルフィを見て息を吐く。


“呑気な顔じゃのう。……これがあのクロコダイルを討ち取ったとは”

“ルフィはいつもこんな感じですよ”

“どこまでが本気かわからん男じゃのう、そいつも。まあ、全てが本気なのかもしれんがなァ”


ルフィとウタ。そして赤犬の最初の出会いこそ互いにいい印象ではないものであったが、様々な事件によって互いの認識が正されていったように思う。

ただまあ、ルフィに対しての認識は一貫している気もするが。


“しかし、随分荒れとるのう”


眼前に広がる訓練場を見て赤犬は言う。道具は片付けたし、地面の整備もしたが規模が規模だったせいであちこちに巨大なクレーターができてしまっていた。こちらについてはどうしようもないため、後日業者による整備の申請を出している。


“明日がオフなので、久し振りにしっかり訓練しようってルフィと決めたんです。そしたら私の部下が集まってきて、そこから人が増えて……”


いつものことといえばいつものことである。自分の部下は勿論、知り合いの将校も来たし何なら将官クラスの海兵まできたぐらいだ。

数百人単位で訓練ができるこの場所が少し手狭になりそうなくらい、入れ替わり立ち替わりで人が集まっていた。


“最終的にガープさんが『わしが全員の稽古をつけてやる』って出てきて”

“何しちょるんじゃあの人は”


流石の赤犬も呆れた様子だ。そもそもガープは書類仕事を放り出してここに来たらしく、片付けの後に連行されていった。本当に何をしているのか。

ちなみにであるが、現在救護室は戦争状態である。いい機会として挑んだ若手が軒並み救護室送りにされたためだ。

ため息を零す赤犬。そして彼はウタの方へと視線を送った。


“その割には軽傷じゃなァ”

“ルフィが守ってくれたので”


そう、ガープは久々の稽古として真っ先にルフィとウタを狙ったのだ。相変わらず理不尽な戦闘能力をしていたが、ルフィとの連携で切り抜けた。

ちなみにウタは守られたと言っているが、どちらかというとガープがそもそもルフィをメインに狙っていたというのが大きい。終始ガープはいい笑顔だった。ルフィとは対照的に。


“……その辺りは流石というべきかもしれんが”

“はい。どんどん先に行ってしまうので、置いて行かれないように必死です”


ルフィの顔を見る。彼の隣に在り続けると決めてから死に物狂いで鍛錬してきた。この幼馴染は誰よりも強いから。だからこそ必死だった。

幼い頃は肩を並べて歩いていたのに。いつの間にか彼の背中を見るばかりなってしまった。


“わしにゃあそうは見えんがのう”

“え?”

“いや。……お前は、“見聞色の覇気”の先を知っちょるか?”


突然の問いかけだった。いえ、とウタが首を振ると赤犬が言葉を続ける。


“相手の気配を感知し、相手を読む力。その力の先には『未来』がある”

“未来、ですか?”

“十年後、二十年後の未来など誰にもわからんじゃろう。しかし僅か数秒先であれば『視る』ことは可能。それが“見聞色の覇気”が行き着く先”


未来を視る力。それこそが“見聞色の覇気”が辿り着く果てなのだという。


“あの日わしに対して切った啖呵は今も覚えちょるぞ。もしその目的が変わっておらんと言うのなら、それは必要な力じゃ。……わしからすりゃあ、どちらもまだまだひよっ子。焦る必要はないじゃろう”


赤犬が立ち上がる。


“邪魔をしたのう”


そして立ち去ろうとする彼はしかし、ふと思い出したように言葉を紡いだ。


“今のお前は間違いなく海兵じゃァ。しかし、いつか戻れるとええのう”


──フーシャ村の、ウタとルフィに。

それがきっと、平和の果てじゃ。


呟くように言い残して、赤犬は立ち去っていく。その背を眺めながら、ウタは思う。

あの時に口にした、“フーシャ村のウタ”という言葉。きっとあれは、間違いなく本心で。


“フーシャ村の、ウタとルフィ”


いつか、そう……いつか。

そんな未来が来たらいいと、そんな風に思った。



◇◇◇



痛い、という感覚と体が焼けるような感覚。だが音はしない。

いや──一つだけ、音がある。


──ドクン、という心臓の音が響いている。


自分の音ではない。ならばこれは。

きっと、あの海賊の心音。


(この感覚は覚えがある)


死の一歩手前。ギリギリの戦いの中で一度だけこんなことがあった。

世界が静かになり、自分の存在と敵の存在だけがやけに強く感じられる。


(だけど)


それだけではない。あの時、彼女には確かに見えたのだ。

──“未来”が。

僅か数秒後に起こる光景が、確かに。


(これが、“見聞色の覇気”の先の領域)


数秒後の未来を視る力。

積み上げてきた努力により磨き上げられた才能が、ここにきて開花する。


「……ッ、お主」


絞り出すような声が聞こえてきた。見れば、左肩を撃ち抜かれたカガシャがその肩を押さえている。

その表情には、先程まであった氷のような冷徹さはもう宿っていなかった。憤怒と困惑。しかしそれを制御しようとする冷静さ。

手に取るようにしてわかる。彼女の音が伝えてくれる。


『ようやく表情が変わったね』


銃を構える。この銃の取り扱いだって、必死になって覚えた。刀もそうだ。体術もそうだ。

ウタはいつだって、必死に努力をし続けた。

──彼女の才能と修練は、既にその領域へ手を届かせる領域に至っていたのだ。

だが、切欠がなかった。しかし奇しくもこの戦争で彼女が置かれた状況がその切欠を作ることになる。

能力者の力を封じる海楼石の錠。非力な能力者であれば満足に動くことさえできなくなるはずの状態でありながらも、彼女は常に“見聞色の覇気”を使い続けた。枷がある状態でありながらも近場の敵の位置の把握をし、この逃亡劇を乗り切ってきたのだ。

その錠が外された時、蓋をされていた力が解放された。更には死の間際という極限状態であるが故にこそ、その才覚が花開いたのだ。


「……何が起こったかはわからぬが。所詮は半死人」


直後、カガシャが跳ねるようにして飛んだ。一直線にこちらを狙ってくる。どこを走ってくるのかも、何もかもが“視えて”いた。

──口から、血が溢れ出す。

だが、視えていたところでこの体が限界寸前であるのも事実であった。おそらく長くは動けない。


(ここで決着だね)


そして気付く。視えた未来では弾切れになっていた。故に銃を投げ捨てる。

カガシャの眉が跳ねた。しかし彼女も止まらない。動かぬ左腕を無視し、最短距離でウタに迫る。

だが大丈夫だ。銃も、刀もなくても。

──彼と同じ、拳がある。



暗殺者の刃が『何か』を貫き。

鮮血が、宙を舞う。



その刃はしかし、“歌姫”の喉ではなく。

左掌を、貫いていた。


『捕まえた』


最早追うだけの体力もない。ウタは身を捻り、右の拳を作る。

その動きは、彼女にとって誰よりも大切な人と同じもの。



“相変わらず銃が下手だねルフィ。私の勝ち〜”

“うるせぇ! いいんだよ俺のパンチは銃よりも強ぇんだから!”

“出た、負け惜しみ〜”



それは、とある日常の記憶。

彼の強さを、私は誰よりも知っている。信じている。

だけど。



『────!!』



それは、音にならぬ絶叫であり絶唱。

渾身の右拳が、カガシャの顔面を捉え。


──地面へと、暗殺者は叩きつけられた。


その瞬間の音はなかった。だが、しかし。


「……ッ、ああッ、ぐ……!」


左掌を貫いていたナイフを抜く。思わず漏れた悲鳴が、音が戻ったことを教えてくれた。

倒れ伏し、完全に沈黙しているカガシャ。その姿を一瞥し、ウタは倒れた際に落ちてしまった麦わら帽子を拾い上げる。


「言ってなかったね」


大切な麦わら帽子を被り直しながら、ウタは倒れ伏す暗殺者へと静かに告げた。



「──私のパンチも、銃より強いって」




シキの居城、司令室階下。

海軍本部准将“歌姫”ウタVS“毒蛇のカガシャ”。

勝者──ウタ。





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