逃亡海兵ストロングワールド⑮─2

逃亡海兵ストロングワールド⑮─2




第十八話 老兵の想い 前編




その男には、大層な何かはない。

あれをやろう、これをやろう。

あれが欲しい、これが欲しい。

そんな欲求を持っているだけの男だ。ただその欲求の叶え方が世間一般で言うところの“常識”から外れていて。

そして、それを通せるだけの力を持ってしまっていたというだけの。

──故に、怪物。故の、化生。

とある国に伝わる“鬼”の名を異名としたその男は、己を指してこう笑う。


“どうしようもない存在というのは、確かにいるのでござるよ”


その真意はわからない。だが世界政府は、罪なき市民は、確かにその被害を受け続けた。

だからこそ、その怪物は恐れられている。

あまりに身勝手。

あまりに最悪。

数多の憎悪を受けてなお笑うその姿は、まさしく“鬼”であったという。



◇◇◇



長い海兵としての人生の中で後悔がなかったと言えば嘘になる。

ああすればよかった、こうしていればよかったなどというのは常のことで。救えなかった、守れなかった命に対しての謝罪など何度繰り返したかわからない程だ。

だが、この後悔はそれらとは異なる意味がある。


「貴様を野放しにし続けた事実は、わしにとっての後悔じゃ」


人を殺す鬼。故に“殺人鬼”。そう呼ばれた男と向かい合いながら、ガープは言う。


「手厳しいでござるな」


相対する鬼──ジュウゾウは笑うだけだ。


「しかしまあ、某としても捕まるのはごめん被るのもまた事実。逃げる方がいいなら逃げるのは当然でござるよ」

「その割にはわしから逃げず、むしろ戦う気のようじゃが」


ウタの海楼石の錠の鍵まで見せておいて逃げる気などないだろう。ガープのその言葉を聞き、ジュウゾウは笑みを浮かべたまま頷く。


「強者との戦いを望むのもまた事実でござるよ。酒も飲んだことでござるし、飲酒後の運動は死にかけるほどの殺し合いが一番でござる」


そこには何の嘘もない。ただの事実を話しているだけであることがよくわかった。


(相変わらず不気味な男じゃ)


内心でガープは呟く。その言動に嘘がないというのに、どうにも理解ができない。

彼は海賊というものに対して複雑な感情を抱いている。大体が碌でもない奴らばかりであるが、それこそロジャーのように最後まで敵同士ではあったが妙な信頼を抱くようなこともあった。

だが、目の前の男については。

そもそも、理解ができない。


「しかし、因果なものでござるな。某としては酒と食事があればある程度は満足するのでござるが」

「ならば隠居しておれ」

「そうはいかんのでござるよガープ。某が酒を飲みたいと思い、店に行って頼んでも貰えぬことがある。ならば奪うしかなかろう? 後腐れもないようにとなれば、まあ、殺すしかないのでござる」


肩を竦めるジュウゾウ。やはり、とガープは思った。


(この男の論理が理解できん)


言葉は通じる。会話のキャッチボールもできる。だが、相互理解に至らない。

無法者であっても彼らなりの信念や思考が必ず存在している。故にガープはそういった部分で図らずも相互理解に至ることはあった。それこそシキとさえも互いの思想や在り方については一定の納得を得たのだ。その上でぶつかるしかないだけで。

だが、この男は違う。

この“鬼”の論理を、ガープは理解できた試しがない。


「その果てに……どれほど殺してきた」

「覚えているわけがないでござろう。お主とてそうであろう? 今まで殺した生物の数をいちいち覚えてなどおらぬであろうに」


お主らの悪いところでござるよ、とジュウゾウは告げる。


「人だけが特別ということはないでござる。皆生物は平等。その死に等しく価値はないのでござる。人の死を特別に扱うのは少々驕りが過ぎるのでござるよ」


その言葉に、ふん、とガープが鼻を鳴らす。


「シキにでも教わったか?」

「ふむ、流石に乱せぬようでござるな」


あっさりとジュウゾウは持論を引っ込めた。肩を竦め、言葉を続ける。


「若い海兵であれば動揺することもあるのでござるが。……ただ、ガープ。某にはどうしても理解できぬことがあるのでござるよ」


なんじゃ、とガープは視線で問いかけた。眼前の狂人は笑みと共に言葉を紡ぐ。


「“法”とは、なんでござるか?」


わからぬのでござるよ、とジュウゾウは続ける。


「人を殺すと罪であり、罰を受けるべきであるというが。それはお主ら世界政府が勝手に決めたルールでござろう? 某はそれをはいそうですかと受け入れた記憶がないのでござる」


反論するのは容易い。だが無駄だ、とガープは理解している。

ジュウゾウとてシキの片腕として生き残ってきた海賊だ。その彼が法というルールについて知らないはずがないし、社会における規範というものがわからないはずがない。

ただ、理解はできても納得ができていない。

だからこそこの“鬼”はそれを軽視する。


「シキが投獄されたのはつまりその行いが罪であり、故に罰を受けたということでござろう? お主らに敗北して投獄されるという罰。故にこそマリンフォード襲撃は罪であったと」


論理が逆転している、とガープは思った。因果関係が逆だ。

法とは、ルールとは罰ありきではない。人が共同体の中で生きる上で守るべきルールを定めたことが始まりだ。その過程で共同体を破壊しかねないような行いには罰を設け、ルールに強制力を作った。

故に、法とは人が人と共に生きていくために必要なものなのだ。……この“鬼”にそれが理解できることはないのだろうが。


「ガープ。海軍の英雄。某にはわからぬことが一つあるのでござる」


一息。


「──某は、一度も罰を受けておらぬでござる」


故に己に罪はない。

この狂人は、そう言い切った。


(その辺のゴロツキなら詭弁と一蹴するが)


内心で息を吐く。この男の論理は破綻している。だが彼に罰を与えることができた者がいないのもまた事実。

故に、ガープは告げる。


「安心せい」


これは、ガープの罪で。

同時に、彼の負うべき罰でもある。

この“鬼”を野放しにし続けた、“英雄”と呼ばれる男の。



「──わしが、貴様への“罰”そのものじゃ」



その言葉に、“鬼”は笑った。


「ウハハハハ! そうでござるか! そうか、それはつまり!」


腕を解き、構える狂人。


「お主を殺せば! 某に罪はないということか!」


どこまでも身勝手で。

そして、最悪。


「随分多くを殺し、長くを生きてきたでござる! 丁度いいでござるな! お主の言った通りでござる! 時代に決着をつけるでござるよ!」


返答は拳だった。

轟音と共に、二つの力が衝突する。



◇◆◇



欲しいものがあった。

──だから頼んだ。

金がいると言われた。

──金などなかった。

無理だと言われた。

──どうしても欲しかった。


だから奪った。喚くので、喋れないようにした。


大勢の人間がこちらを責め立てた。罪人だと、罰を受けろと。

その全てを黙らせた。この両手に奴らの言うところの罰の象徴である錠がかけられることは、終ぞないままに時が過ぎる。


奪い、殺め、壊し、生きた。


いつしか、奪う前に差し出されるようになる。

悪くはない気分だった。そもそも欲しいから奪ったのだ。奪う前から渡されるのであれば、それで満足していた。


国から出ていけと、そう言われた。

出る理由が、見つからなかった。


いつしか、誰もが遠巻きに己を見るようになっていた。

相変わらず、己を罰することのできる者は現れない。


外の世界には、もっと多くがあると知った。

故に出ることに決めた。

波に揺られ、風に吹かれて。


外の世界は広く、しかし、それでも罰はなかった。

罪人と呼ばれながら。

それでも、誰も己を罰することはできないままだ。


様々な人間に出会った。あの男に会ったのは偶然だ。おそらく向こうは違うのだろうが。


“ジハハハハ! おれと共に来い!”


酒を片手に、そう言われた。

生きることが、楽になった。

彼の下にいれば、わざわざ取りに行かなくても食事ができた。


己が罪人であることはわかっている。

だが、未だ実感はない。


罪も、罰も。

敗者の戯言ではないのか?


“おれはこの海を支配する!”


かつて共に来いと言った男は、そう宣言した。

丁度いい、とそんな風に思った。

この海を、彼が支配できるのならば。


この世界には罪などなく。

それは人が生み出した妄想なのだと。

そう、証明ができる気がした。




◇◇◇




ただの海賊が、その数十年において一度も捕まらないということなどあり得ない。

その海賊は正しく“伝説”であり、怪物であるのだ。

──ヒトヒトの実幻獣種、モデル“鬼”。

現時点において長き歴史においても一例しか確認されぬ、妖の能力。

故にその男は、今日この時まで生きてきている。


「お主相手に手加減できると思うほど、某は自惚れておらぬでござる」


筋肉が肥大化し、その体が巨大化する。肌の色も浅黒くなり、額には二本の角が出現した。

その姿は、まさしく伝承における“鬼”そのもの。

普通ならばその姿に対して恐怖を覚えるか、或いは対抗するために身構えるか。何かしらの動きを見せるものであるがガープにそんな気配はない。


「刀はどうした?」

「ああ、どうにも肌に合わぬので弟子に渡したでござる。レイリーの強さを知ろうと思ったのでござるが、どうにも上手くいかぬものでござるなぁ」


まるで世間話でもするかのような会話。だが、直後。

互いの右拳が、衝突した。


「それにまあ、なんというか。──結局某は素手の時が一番強いでござるよ」

「ふん」


拳同士がぶつかる音の中、しかし、互いの表情には余裕がある。

衝撃によって周囲の瓦礫が吹き飛ぶが、その中心の二人には欠片のダメージすらもないのではないかと思わせるほどにその動きには揺らぎがない。

右拳。

左拳。

右足。

左拳。

そして──右拳。

まるで示し合わせたような攻防。互いの一撃は並の海賊、或いは海賊ならば耐えることさえ許されないほどの力を持つ。

互いに、“伝説”。

流れた年月の果て、全盛期の力と比べれば衰えは確かにある。だがそれでも、ここにいるのは間違いなく世界の頂点で戦い続けてきた者たちだった。


「埒が明かぬでござるな」


呟くと、ジュウゾウが後ろへ飛んだ。距離を空ける。


「某としてはさっさとシキのところへ行かねばならぬのでござるが」

「貴様に忠誠心などというものがあるとはのう」

「忠誠とは違うでござるな。これはただの……お主らの言葉でいうところの契約関係でござる」


ジュウゾウが両手を広げた。掌を上に向け、何かを始めようとする。

彼が何をしようとしているのかをガープは知っている。その上で受けて立つと決めた。


「奴がおらぬ時は某が指揮をとる。昔からの契約であり、約束でござるよ」


そして、ジュウゾウが動いた。その両手を中心として、幾つもの青白い炎が出現する。


「“鬼火”」


古来より、強大な力を持つ鬼は様々な自然現象を操るとも謳われている。そしてジュウゾウが操るのは人類の文明における根源たる存在、『火』だ。

それは人の文明を進化させてきた力であると同時に、最も恐怖された概念でもある。

故に“鬼”はそれを操るのだ。

彼らは畏れそのものであるが故に。


「“征伐”」


数にして二十ぐらいか。拳大──それでも彼の拳のサイズを考えれば巨大な炎がガープを目掛けて放たれる。

地を這うようにして飛来する炎。それを冷静に見極め、ガープは前に出た。一発も掠ることさえない。

ガープに当たらなかった炎が彼の背後に着弾した。爆発はない。しかし、着弾した場所が一気に燃え上がる。

しかし、その炎は持続しない。一瞬で燃やし尽くし、元が無くなれば青い炎は消えてしまう。


「隙ありでござる」


炎のことなど互いに既に思考の外だ。元より当たらないとは思っていた攻撃によってガープの進行方向を限定していたジュウゾウが、その先で待ち構えている。

だが、その程度のことはガープも織り込み済みだ。

叩きつけるような踵落としを、ガープは左腕で受け止めた。鈍い音と共にガープの体が床に沈む。

だが、彼はそのまま右拳を振り抜いた。打ち上げるような一撃をしかし、ジュウゾウが肘で受ける。


「────!」


視線の交錯は一瞬だ。ジュウゾウが受け止められた右足を支点に空へと跳ね上がる。そのまま彼は空中を蹴った。“月歩”の技術など、このレベルになれば実戦の中で必要に応じて習得している。

空中を蹴り飛ばし、凄まじい速度で突撃するジュウゾウ。それを迎え撃つガープ。

交錯は一瞬だった。しかし、その瞬間に互いの接触はない。

音が遅れて響く。地面を叩き割ったジュウゾウの一撃を、紙一重でガープは避けた。


「ぬん!」


ジュウゾウが地面を割ったのは左腕だ。彼の左側に回ったガープが人の身を捻り、左腕の裏拳を叩き込む。だがそれを右掌でジュウゾウは受け止めた。

接触から周囲に音が響くまでに間がある。それほどまでに、二人の攻防の密度が高いのだ。

そして、次の一撃も同時だった。

ガープの右拳の振り下ろしと、ジュウゾウの左拳のアッパー。交錯するそれらはぶつかることなく、互いの頭部を捉えた。

衝撃と、轟音。

二人の体が吹き飛び、瓦礫へと叩き込まれる。


「いやぁ、楽しいでござる」

「ほざけ」


共に、ダメージは軽微。

すぐに立ち上がると、互いの敵を見据えて構えをとる。

今の攻防を、どれだけの人間が追うことができるのだろうか。

周囲には誰もいないその戦場で、“伝説”は殺し合っている。




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