逃亡海兵ストロングワールド⑱
第二十一話 “負けるわけがない” 前編
ブルーノやたしぎ、そして同僚の海兵たちと司令室へ踏み込んだオリンが見たのは確かに十数人の非戦闘員と思しき者たちだった。ほぼ全員が白衣を着ており、ルッチが吹き飛ばした扉を見て驚愕している。
「動くな!」
最初に踏み込んだ海兵が銃を構えると共に大声を張り上げた。背後では階下へと落とされたウタと追手との戦闘を始めているルッチの姿がある。
オリンは室内を見渡した。広い部屋だ。更に向かって左側には大きなガラス張りの扉があり、今は閉じられているがその向こうには広いテラスが見える。
(使い方もよくわからないような装置ばかり)
予想していたことだが、オリンはその事実に歯噛みする。この状況で悠長に装置について調べる余裕はない。
(無理矢理にでもやるしかない)
彼女の判断は早い。元々彼女はどちらかというと無鉄砲というか無謀というか、動いてから決めるタイプの人間だ。ただ彼女よりも遥かに動き出しが早いのが上官であるからブレーキ役をやっているだけである。
故に次に起こりそうなことについて彼女は既に思考を巡らせていた。理由は単純だ。
自分ならそうする。それだけの理由。
「両手を上げてこっちに来い! 妙な真似をすれば──」
「──緊急です! 司令室に襲撃者あり! 至急応援を!」
指示を出していた海兵の一人が視線を外した一瞬の間に、白衣を着た男が近くの電伝虫に対してそう叫んだ。その瞬間、オリンは反射的に引き金を引く。
銃声が響き、男の肩が撃ち抜かれた。飛びつくようにして倒れた男の胴へと足を乗せ、オリンは銃口を男へと向ける。
「撃つなら撃ちやがれ! お前らは終わりだ! 今にこの城の海賊が集まってくる!」
「貴様ッ!」
指示を出していた海兵が激昂した声を上げる。そのまま言葉を続けようとした彼を遮るようにして、オリンは男の顔面を掬い上げるようにして蹴り飛ばした。
「だから?」
もう意識がない男に対し、冷たい声を向けるオリン。彼女は周囲に視線を向けると、両手を挙げて状況を見守っていた他の者たちへと言葉を紡いだ。
「ウタ准将はカガシャに勝つ。そしてこの島とマリンフォードにウタ准将の歌が響いた瞬間にこっちの勝ちよ。私たちはそれをできるように準備するのが役目であり、永遠に耐える必要なんてない」
一瞬向こう側へと傾きかけた空気を、文字通り薙ぎ払うような言葉だった。ぶつりという音が響く。おそらく緊急放送が途切れたのだろう。
好都合だ、とオリンは思った。この先は流石にちょっと外に聞かせるには過激に過ぎる。
「終わりなのはあなたたちよ。死にたくないなら余計なことをしないように」
オリンに蹴り飛ばされ、意識を失っている男から足を離すと彼女は近くにいる男に歩み寄る。
「……そこのあなた。聞きたいことがいくつかあるから答えなさい」
「誰が答えるか」
「そう」
直後、銃声が響いた。彼女の短銃に左肩を撃ち抜かれ、男が悲鳴を上げてのたうち回る。その男を踏みつけながらオリンは続ける。
「勘違いしないように。これは命令よ」
ヒッ、という声が周囲から漏れた。
そもそも、である。
ルフィとウタ。その功績こそ比類なき二人であるが、同時に問題児そのものでもあるこのコンビの下に次点の指揮官として配属されている女が大人しいわけがない。大体、親と喧嘩をしたという理由で単身海軍に入った挙句将校になるような人物である。割と大概な人間だ。
「……おっかねぇ」
「……場合によっちゃ二人に説教する人だしな」
「……あの人いないと多分色々グダグダだからなうちの部隊」
ヒソヒソと何事かを囁き合う海兵たち。あなたたち、と振り返らないままオリンが言葉を紡いだ。
「無駄口を叩く暇があるなら動きなさい」
怒鳴るような口調ではなかったが、底冷えするような声だった。了解、と声を張り上げた海兵たちの指示に、シキの配下の者たちも素直に従う。この場にいた非戦闘員と思しき彼らを一箇所に集めていく彼らを一瞥すると、足元で肩を押さえる男に言葉を紡ぐ。
「質問がいくつかあります。答えなさい。……この島全体に声を届かせる手段は?」
「…………ッ」
男は歯を食い縛り、答えるのを拒否しようとする。しかしオリンがその顔面に銃口を向けると観念したように言葉を紡いだ。
「……緊急時に広範囲に連絡するため、『自走式映像転送電伝虫』を介して声を届けることができるようにしてある。この島には凶悪な怪物が多いからな。事故が起こった時用だ」
「あの大きな電伝虫ね」
監視のためにある電伝虫とこの島の住民たちは言っていたが、送信限定ではないということだろう。緊急時にこちらから音声と映像を伝えることができるようにするというのは理にかなっている。
「あいつらは住民だけじゃなく怪物共の監視も兼ねて島中にいる。全域とはいかねぇだろうが大体はカバーできるはずだ」
「そう。ありがとう」
言うと、オリンは銃口を下げた。そのままポケットから応急処置用の布を取り出すと、彼女が撃った男の肩を包むようにして巻く。応急処置だ。
「悪いけど、準備も手伝ってもらうわよ」
「……チッ」
舌打ちを零す男。だが従う意思はあるようだ。頷くオリンだが、そんな彼女にブルーノが声をかけてきた。
「おれは部屋の防衛に回る」
「お願いします。私はこの後の準備を。たしぎさん、手を貸してください」
「は、はい!」
オリンの容赦のない動きに若干引いていたたしぎも再起動する。ブルーノはすぐさま“剃”によって移動すると、部屋の前に出た。
それを一瞥し、あなたたち、とオリンは海兵たちへと声をかける。
「監視のための一人を残して二人は準備を進めて。ありったけの電伝虫をかき集めるのと、一人は本部へ連絡を繋いで。あっちにも声が届かないと何の意味もない。私はこの男から外の電伝虫との接続方法を聞くから。急ぐわよ」
オリンの指示を受け、皆が動き始める。その側で男がよろよろと立ち上がった。
「……勝てると、思ってるのか? 相手は“金獅子のシキ”とその腹心だぞ」
「当たり前。私の上官たちはね、一度どころじゃない。何度何度も色んな国と人を救ってきたの」
頭を抱えることも多いし、悩むことも呆れることもしょっちゅうだけど。
それでもオリンは、あの人たちを誰よりも信頼している。
──故に。
「負けるわけがない。そんなことを考えるだけ時間の無駄よ」
◇◇◇
『ウタ准将はカガシャに勝つ。そしてこの島とマリンフォードにウタ准将の歌が響いた瞬間にこっちの勝ちよ。私たちはそれをできるように準備するのが役目であり、永遠に耐える必要なんてない』
緊急の放送は正門前にも届いていた。おそらく海兵なのであろう女性の声を聞き、ふん、とラウンドが鼻を鳴らす。
「随分と教育が行き届いているようだな」
「お褒めに預かり光栄ね」
応じたのはヒナだ。ラウンドと向かい合うのは彼女とスモーカー。少し離れた場所ではフランケン部隊を差し向け、スーツに内蔵された銃火器で距離を取りながらヴェルゴと戦うレムナントがいる。
更には海兵たちの白兵戦と互いの銃火器による火力戦。人数で押している海賊側が有利であるはずなのだが、士気の差か練度の差か、或いは違う何かか。状況は互角に見えた。
(ドリーマーの敗北が思ったよりも響いているのか)
チラリとラウンドは倒れ伏している海賊を見る。チンピラのような男であったがその実力は確かであった。それが落とされたとなれば動揺するのも致し方ないかもしれない。
(流れを変えるか)
戦場における『流れ』というものは決して軽視していいものではない。それを軽視した結果総崩れになった者たちをラウンドは旅の中で幾度となく見ている。
「──今より私はこの戦場を分断する。向こう側になった者はすぐに司令室へ向かえ」
大声ではないというのによく通る声だった。直後、いかん、と指揮をとっていたドーベルマンが吠える。
「ラウンドを止めろ!」
「遅い」
何かをすると悟ったのだろう。スモーカーとヒナがドーベルマンの声とほぼ同時に動いていたが、それでもラウンドの方が速かった。
「“山津波・絶”」
ずるりと、地面の中へと溶け込むようにして沈み込むラウンド。数瞬の後、スモーカーとヒナのそれぞれの攻撃が空を切る。
──そして、大地が爆ぜた。
文字通り爆発したかのように揺れる大地。その数秒後、何かが地面から噴き出すようにして出現する。
「……ふざけた能力だ」
思わずといった様子でぼやくスモーカー。彼がそう言ってしまうほどに、出現したものは凄まじいものであった。
それは、文字通りの絶壁。ラウンドの立つすぐ背後を境界線とするように戦場を分断する巨大な土の壁が出現していた。
『おいラウンド! テメェ何をしてやがる!?』
自身の退路が断たれたということもあり、レムナントが吠えた。そんな彼に対し、ラウンドは一瞥を返す。
「状況を考えた上でのことだ。文句でも?」
『ぬううう……!』
「幹部の立場であるならば腹を括れ」
土でできた槍を出現させ、それを手に取るとラウンドは改めて前を見た。彼が壁を作ったのは一人の海兵もまだ踏み込めていない場所を境界線とした。その関係か、海賊たちの大部分──特に援護を行っていた者たちの多くが向こう側へと分断されている。援護のための銃火器も同様だ。
故にここから先、海兵側にいる海賊たちは援護なしの白兵戦で海兵たちと相対することになる。その事実に対し、いきなりの状況の変化も相まって何人かの海賊たちも海兵たちと同じように動揺していた。
だが、それもすぐに消える。
「──ここは通さん」
シキの集めた高額の賞金首集団、“七宝剣”。その一角であると共にジュウゾウを除けば最古参の海賊。
部下を持たず、たった一人で“新世界”の海すらも渡っていた男のその言葉で海賊たちも落ち着きを取り戻す。
「侮るなよ。その男はたった一人で我々から逃れ続けた男だ」
そう言ったのは、この場における最高指揮官たるドーベルマン中将だ。ラウンドがそちらへと一瞥を返す。
「よくわかっているなドーベルマン」
「お前を捕らえられなかったことは私の失態だ」
「ものは言いようだな」
──常に迷っていた癖に。
その言葉は彼の名誉のために口には出さなかった。ラウンドとて海賊と呼ばれ、高額の賞金首になっているような男である。許されないことはしてきたし、この手を血に染めてきた。今更自分が善などと名乗るつもりは彼にはない。
最初は世界を見るためだった。大切な人を失い、それを許容する世界とはどういうものかを知ろうとした。その果てがこれだ。
「ドーベルマン。長い付き合いだ。改めて言っておこう」
彼とは敵同士として長い付き合いだ。生い立ちも趣味も好き嫌いも人間関係も何一つ知らないが、その戦闘方法と信念だけは互いによく知っている。
「──私は世界政府を許容しない」
故の海賊。故の大罪人。
その血塗られた両手と在り方は、最早後戻りを許さない。
「不器用な男だ」
「お互い様だ」
言葉を返す。すると、ドーベルマンが自身の刀を構えながら言葉を紡いだ。
「貴様の言う世界政府はか弱き人々の明日を守るためにある。貴様の見てきたものについては理解もするが、海賊を我々は許容できない」
海軍本部大将、赤犬が掲げる“徹底した正義”。ドーベルマンは彼の派閥の人間だ。故にその在り方に過激さはあれど厳格である。その彼がここまで言うのかと一部の海兵たちが驚きの表情を浮かべる。
対し、ラウンドは笑みと共に頷いた。
「知っているとも」
それが開戦の合図だった。槍を持つ右手をラウンドが上げた瞬間、状況を見守っていたスモーカーが彼の拳を飛ばし、動きを牽制する。それを槍の柄で弾く音が響くと共に、海賊たちの叫びが上がる。それはバラバラな声であったが、確かな戦意が宿っていた。
「総員奮起せよ! あの城では我らが戦友たちが戦っている! 遅れをとるな!」
ドーベルマンの号令に対し、海兵たちも応じる声を上げる。
戦争は、終わりに近づいている。
どちらが勝とうが、負けようが。
◇◇◇
その暗殺者たちがいつから存在していたのかについては、最早本人たちでさえわからない。
ただ気付けば彼らは存在していた。そしてその存在をその国の権力者たちは利用し続けてきた。
彼らについての呼び名はいくつもある。
曰く、“闇夜に巣食う者”。
曰く、“音なき死”。
曰く、“暗闇の住民たち”。
暗い夜の向こうより現れる者たちとされる彼らはしかし、何も闇夜にのみ暗殺を決行するわけではない。必要とあれば白昼堂々暗殺を行うこともある。
とある王国では護衛部隊に囲まれた王を護衛部隊を含めた51人、全員白昼堂々皆殺してみせたことさえ記録に残されている。下手人は僅か三人。その時に暗殺者たちもまた命を落としたが、その死体からは何の情報も得られなかった。
何処の出身か、目的は何か、依頼者がいるのであれば誰か。
その存在は噂でのみ語られるというのに、その成果という名の死だけが積み上がっていく。本拠が存在するとされる、とある非加盟国の権力者たちは彼らの存在を笑って否定するだけだった。いるのかいないのかそれさえもわからない。
寝物語の脅し文句にも使われる彼らの運命が変わったのは、とある王が誕生したことだ。
非常に好戦的で、そして狡猾な王であった。彼は自国の闇そのもである暗殺集団を徹底的に利用して周辺国の有力者を次々と暗殺。混乱に見舞われる国々に間を置かず侵攻を開始し、次々と併合していく。
その攻め落とした国の中には加盟国も存在していた。故に世界政府も動くが、その王は既に手を打っていたのだ。
“我々は一つの国家として世界政府に加わる”
彼は既にいくつかの有力な加盟国に対してそう根回しを行っていたのだ。
世界政府とは何も一枚岩の組織ではない。170を超える加盟国によって成り立つ組織だ。そこには様々な思惑があり、より強大な力を持つその国が加盟国に加わるならばと納得する者もいた。無論、その逆も。
世界政府の意見も割れることにはなったが、その間にもその国は周辺の国々を飲み込んでいく。最終的に世界政府は彼らの加入を認めたが、一つの条件が提示された。
──伝説の暗殺者集団の殲滅。
世間においてはおとぎ話であったその存在を世界政府は把握していたのだ。王は悩んだが、受け入れることを決める。
切れ過ぎる刃物は、いつか自分自身さえも傷つける。王はそれをよくわかっていた。故に目標としていた最後の国を攻め落とした後、暗殺者たちを消すことを決める。
彼らの本拠についてはこの国の有力者たちでも知る者は限られていたが、王は知っていた。砂嵐が止むことなき砂漠の中。巨大な岩の立ち並ぶその場所に彼らは住んでいる。
そこへ攻め込むと決め、一部の事情を知る者たちへと指示を出す王。しかし、それが彼の生きている最後の姿となった。
翌日。出発の日。
玉座とその周囲には、今回の件における裏を知る者たち全員の首が並べられていたのだ。
強力な王を失い、有力な貴族や軍人を一夜にして失った国は荒れていくことになる。併合した国々も再び独立を宣言し、彼らは今なお戦争を続けている。
──故に、知らない。
暴虐なる王が暗殺されたその日に、海へと出た複数の船があったことを。
そこに、後に“毒蛇”と呼ばれる暗殺者がいたことを。
『ウタ准将はカガシャに勝つ。そしてこの島とマリンフォードにウタ准将の歌が響いた瞬間にこっちの勝ちよ。私たちはそれをできるように準備するのが役目であり、永遠に耐える必要なんてない』
その声は二人がいる場所にも届いた。眼前の海賊が呆れたように言う。
「随分と教育が行き届いておるようじゃ」
左右それぞれにナイフを持つ踊り子のような格好をした海賊、“毒蛇のカガシャ”。周囲には彼女以外には倒れた海賊しかいない。
右手に銃。そして左手に刀を構えつつ、ウタは思考を巡らせる。今の彼女は周囲に音を届けることができない。何をするにしてもカガシャの打倒は絶対条件だ。そもそもこの女がいる限り、ウタの能力は完全に封じ込められてしまう。
『自慢の部下だからね』
音にならないことはわかっていたが、それでもウタはそう言葉を紡いだ。どうもカガシャは読唇術を習得しているらしく、この状況でも言葉は伝わる。
それにしても、とウタは思った。対面しているというのにこの海賊はその気配がとてつもなく薄い。視界の外に移動した瞬間に見失ってしまうのではないかというくらいに。
(能力か技術のどっちかなんだろうけど。……多分技術かな?)
何となくだが、悪魔の実の能力ではない気がする。だが、だからこそウタはわからない。
あの一瞬。ルッチの頭上から彼女が来た時、ウタの“見聞色の覇気”は彼女の存在を見落としていた。それはルッチもそうであったのだろう。直後の反応を見ればわかる。
しかし、ウタには見えた。
──ルッチの頭上に迫る刃。その光景が確かに見えたのだ。
見えた時には反射的に行動していた。その結果が今だ。
(一瞬見えたアレは何?)
わからない。だが、今はそれを考えている暇はない。
眼前、カガシャが息を吐いた。どこか呆れたように。
「難儀じゃな。つまりこういうことであろう? ここでお主が勝ち、司令室を数人で守り切り、マリンフォードと連絡をとり、更にはあの小僧が親分に勝つ。一体幾つのハードルを越える気じゃ」
『越えるよ』
即答した。音にならぬとはわかっていても、それでも彼女は口にした。
『負けるわけがない』
そのためにここにいるのだから。
「若く、無謀。……お主のような小娘を見ると苛立ちが募る」
『随分饒舌だね』
銃口をカガシャに向ける。ここで時間をかけるわけにはいかないのだ。可能な限りの最速でこの海賊を倒し、合流しなければ。
そのためか、ウタは敢えて挑発の言葉を口にする。
『本当は怖いんじゃない? 負けるのが』
「──口を慎め」
直後、カガシャが動いた。“剃”と思しき移動術による一瞬の移動。しかし音はなく、響くのは彼女の声だけだ。
ウタは冷静に待ち構える体勢をとる。そして、刀を自身の左側に突き立てた。
刀に何かがぶつかる感覚。薙ぐようにして振るわれたカガシャのナイフを受け止めたのだ。しかし変わらず無音。互いの戦闘行為によって出る音が一切ない。
受け止めたのはカガシャの右手のナイフだ。カガシャは左手のナイフを手の中で回転させて持ち替えると、それを突き出してきた。それを紙一重で頭を下げて避けると、同時に右手の銃をカガシャに向ける。
銃声は響かなかったが、銃弾は吐き出された。しかしそれはギリギリで避けられてしまう。
「ふっ」
ウタの側に音が出せない以上、その息継ぎはカガシャのものだ。彼女は更に蹴りを放ってくるが、ウタはそれを冷静に見極める。
『“紙絵”』
まるで空を舞う紙のようにカガシャの攻撃を躱すウタ。そのままウタは左逆手で刀を振り抜いた。
だがそれは二本のナイフによって受け止められる。その衝撃を利用して後方へと下がったカガシャが息を吐いた。
「“歌姫”らしく踊りはそれなりにこなせるようじゃな」
『お陰様でね』
広報役として、“歌姫”としての立場のイメージが強いウタはどうしてもその戦闘能力の部分で侮られることが多い。彼女の隣には常に“麦わらのルフィ”という怪物がいるのもまたその根拠となっていた。彼女を守るためにモンキー・D・ルフィがいるのだと。
だがそれは事実であるが真実ではない。そもそもその“麦わらのルフィ”と共に厳しい訓練を積み、また、彼と共にあるために修練を続けたのがウタという海兵だ。
──海軍本部准将。
それはただ歌って踊れるだけの“歌姫”に与えられる肩書きではない。“正義”を背負い、“悪”を倒す者だからこそ許される肩書きであり地位なのだ。
「非礼を詫びよう。お主を侮った」
カガシャがナイフを手の中で回転させ、逆手に構え直す。
「我が名、我が誇りにかけて。──お主はここで“暗殺”する」
静謐な殺意であった。確実にこちらを殺そうという意思が伝わってくるのに、しかし、その気配は変わらず薄い。
『悪いけど』
足でリズムを取りながらウタは応じる。変わらず音はしないが、しかし、意味のない行動ではない。
音がなくても、体が、心が、魂が覚えている。
刻みつけた音楽が、彼女の戦いを支えているのだ。
『この帽子を被っておいて、負けるわけにはいかない』
誰よりも強い、私の英雄。
あの人の誇りを、汚すわけにはいかないから。
隣に立ち続けると、そう決めたのだから。