逃亡海兵ストロングワールド⑮─1
第十七話 憧れの向こう側
元々、Drインディゴは戦闘要員ではない。彼の役職は科学者だ。シキの計画において彼の研究による動植物の強制進化は非常に重要であり、長い付き合いであることもあって重用されている。
だが、シキの言う『かつての時代』を漫然と生き残ってきたわけではない。それなりの戦闘能力はあるし、だからこそ最前線とも言えるマリンフォードに怪物共を指揮できるスカーレットと共に降りてきたのだ。
そこには知的好奇心が大いに含まれてはいるが、同時に自分の腕に対する自信も込められている。
「ピ〜ロピロピロピロ! 誰が来るか楽しみだ!」
「ウホ?」
こちらの笑い声に対し、ゴリラ──スカーレットが首を傾げる。その彼に対し、インディゴは肩を竦めた。
「まあ、お前の言う通りだ。ここまで来るだけで何人死ぬか。よっぽどの奴じゃなけりゃ辿り着くことさえできねぇだろうなァ」
怪物たちはただ愚直に本部へと向かっているわけではない。一定の数の怪物たちはこの周囲を守るようにして配置されているし、種類によっては集団で襲いかかるようにという指示も出している。
個体によっては海軍本部の左官クラスでも容易く命を落としかねない怪物たちだ。人同士の戦いとは違うということもあり、海兵たちは相当苦戦しているはず。
しばらくは退屈だな、とそんな風に思うインディゴ。その彼の視界が、一つの影を捉えた。
──直後。
「へぇ」
インディゴの右側斜め後ろ。人体の構造、目の位置の関係上どうしても死角となる場所から放たれた蹴りを彼は屈んで避けた。
「随分と若いのが来たみたいだな!」
そのまま彼は振り抜かれた相手の足──随分と若い海兵の足を掴もうと手を伸ばす。しかし、その背後から影が差した。
空を斬る音が響いた。二本のククリ刀を持つ、サングラスをした海兵がこちらへ向けて手に持った得物を振るったのだ。思わず口笛を鳴らす。
「二段構えか。それにしては足りないもんが多過ぎるな」
大柄な男であるインディゴが持っても見劣りしない大剣の柄に手をかけながら、彼は言う。彼を挟み込むようにして立つ二人の若い海兵は一拍の間を置くと即座に動いた。
まず動いたのは、桃色の髪の海兵だ。“六式”の一つである“剃”で距離を詰め、こちらへと拳を叩き込もうとしてくる。
外見から窺える年齢からすれば、この歳で“六式”を扱えるのは大したものだとインディゴは思う。だが、駄目だ。
──この場所に来るには、あまりにも弱過ぎる。
「遅い」
つまらなさそうに呟くと、インディゴは左腕で若き海兵を殴り飛ばした。
呆気なく、堪える様子もなく吹き飛ばされる海兵。だが、彼は血が混じった声で叫ぶ。
「ヘルメッポさん!」
「おうよ!」
そして、それに応じる声。インディゴは息を吐くと、背後から振り下ろされた二本のククリ刀を大剣で簡単に受け止めた。
鈍い金属音が響く。インディゴの視線の先には、歯を食いしばるサングラスをした海兵の姿。
その彼に対し、インディゴが言う。
「二対二だ」
「ウホッ!」
直後、背後からククリ刀を持った海兵が殴り飛ばされた。スカーレットの剛腕をまともに受け、ヘルメッポと呼ばれた海兵が吹き飛ぶ。
ククリ刀が宙を舞う中、先ほどインディゴが殴り飛ばした海兵が彼を受け止めた。大した反射神経と速度だ。
だが、それだけである。
「燃え尽きちまいな」
最後までつまらなさそうな表情のまま、インディゴは薬品を投げつけた。着弾すれば即座に爆発する危険な薬品だ。それを一つ、わざわざ一塊になってくれた海兵へと投げつけた。
退屈だと、インディゴは思う。
どこぞの狂人のように強者と殺し合いたいわけではない。どちらかというと戦闘は管轄外だ。だが、ここまで手応えがないと流石に興醒めである。
着弾の直前に視線を切るインディゴ。故に彼は気付かなかった。
──直撃の瞬間に、一つの影が割って入ったことに。
◇◇◇
絶望の前に現れたのは、“正義”の文字だった。
何度も見続けてきた背中だ。ヘルメッポと自分を鍛えてくれている上官の一人。
「無事か?」
正義のコートをはためかせながら、ガープの部下でありコビーの上官である剣士──ボガードはそう問いかけてきた。振り返らないままの彼に対し、コビーはすみません、と言葉を紡ぐ。
「僕は、何も……!」
「すみません……!」
ヘルメッポもまた、同じように言葉を紡ぐ。
蛮勇だった。軽率だった。愚かだった。
敵わないとわかっていたのに。あの人たちのようにやれると、そんな風に思い上がった。
だが、そんな二人に対して何を謝る、とボガードは言葉を紡いだ。
「敵の指揮官を見つけただろう。十分な戦果だ」
爆発によって発生した煙が晴れていく。その向こうで、インディゴが笑った。
「人材不足のようだなァ、海軍も」
「貴様らと一緒にするな」
切り捨てるようにして言い放つボガード。そうか、とインディゴは特に気にした様子もなく頷く。
「だがまあ、一人増えたからってなんだってんだ?──“ケミカル・ジャグリング”!」
すると、彼の右掌から無数の火の玉のような薬品が出現した。彼が言うジャグリングのように自在にそれを操る彼は、そのままこちらを見据える。
「燃え尽きなァ!!」
連続して放たれる薬品。それが着弾する瞬間、ボガードはその手に持った刀でそれを順に全て斬り落としていく。
「中々やるな! だが逃げられもしない状態でどこまで耐えられる!?」
薬品の供給速度と射出の速度が上がった。だが、ボガードは退かない。いや、退けないのだ。
背後にいるコビーとヘルメッポ。その二人を守るため、彼は退けない。
(何をしてるんだ、僕は)
思わず拳を握り締める。向こう見ずに突っ込んで、一蹴されて。
挙句、上官の足を引っ張っている。
(どうにか)
ボガードが動ける状況を作らなければ。そう思い、足に力を入れた瞬間。
「動くな!!」
一喝により、動きを止めさせられた。直後、ボガードが捌き切れずに直撃を貰う。
複数の爆発が彼を包んだ。インディゴの笑い声が響く。
「ピ〜ロピロピロピロ! 馬鹿な野郎だ! 足手纏いなんて放っておけばいいものを!」
「……見捨てるものか」
声が響く。
爆炎の中心。そこでは爆発によって傷つきながら、しかし、確かに両の足で立つボガードの姿があった。
その背に宿る“正義”には、微塵の揺らぎもない。
「彼らは大切な私の部下だ」
「随分甘っちょろいな海軍! だったらその部下と一緒に消えちまいな!」
両手を広げるインディゴ。その両手から、先ほどの数倍の数の薬品が出現する。それらは彼の頭上に集まり、巨大な塊となった。
マズい、とコビーは思う。一発だけでもその見た目からは想像できない威力を持つのだ。それをあの大きさともなれば、とれほどの威力になるのか。
「“マスジャグリン”!!」
笑みと共にそれをこちらへと放とうとするインディゴ。思わず身構えるコビーとヘルメッポに、背を向けたままボガードが告げた。
「安心しろ」
その声色には、怯えも、躊躇も、何一つない。
あるのは。
「私は防御役だ」
──信頼。
「跡形もなく燃え尽きちまいなァ!」
必殺の一撃が放たれる。その瞬間。
「悪いね兄ちゃん。そいつはいけねぇや」
この場に似つかわしくない、そんな声が響くと共に。
インディゴの眼前に、突然男が一人、現れた。
「なんだ──」
「──ほらよ」
その人が何をしたのか、コビーにはわからなかった。
ただ、気付いた時にはインディゴが頭から地面に叩きつけられていて。
「あーあ」
それを成したのであろう男は、一瞬でボガードの近くにまで移動していた。
爆発。
インディゴ自身が用意した薬品による爆発が彼を襲う。頭から地面に叩きつけられ、状況もわからないままに自分自身の必殺の一撃を受けたインディゴが呻き声を上げる。
「因果応報だねぇ」
笑うその人物を、コビーは知っている。いや、海軍内で知らない者の方が少ないだろう。
名を、トキカケ。
通り名として“茶豚”の名を持つ海軍本部中将だ。
通常とは違う、白生地に茶色格子柄の描かれたデザインのコートを着たその人物は海軍内では誰もが知る実力者である。
「……すか……れっ……何、して……」
倒れ込み、朦朧とした意識の中で近くにいるはずのゴリラの名を呼ぶインディゴ。よう兄ちゃん、とトキカケがそんな彼の下に歩み寄りながら言葉を紡いだ。
「そいつはもしかして、あいつのことかい?」
しゃがみ込み、親指である方向を指し示すトキカケ。その先では、一人の美女が巨大なゴリラ──スカーレットを音もなく切り伏せていた。
ゆっくりと仰向けに倒れていくスカーレット。その体が地面に倒れる音が切欠か。インディゴの意識もまた、そこで途切れる。
「おいおいお姉ちゃん、容赦がなさ過ぎねぇかい?」
「女の扱いをわかっていないようだったもの」
肩を竦める美女は、そう言って刀を鞘に収めた。
その人物もまた、コビーは知っている。
名を、ギオン。
通り名として“桃兎”の名を持つ海兵であり、あの大参謀つるの妹分としても知られる人物だ。
「ありがとうございます」
刀を鞘に収めつつ、ボガードが二人へと礼を言った。いやいや、とトキカケが笑う。
「礼を言うのはこっちもだよ。なかなか見つからねぇから苦労してたんだ」
「ええ。見つけたのはそちらの二人? 確か、ガープちゃんのところの子よね?」
海軍本部中将。実働部隊における最高位たる二人の視線がコビーとヘルメッポに向く。いえ、とコビーは首を横に振った。
「見つけた、だけです。僕は、何も」
「……コビー」
ヘルメッポがこちらを見、呟く。だが、その言葉にも悔しさが滲んでいた。
憧れがあった。夢があった。願いがあった。……自惚れ、ていた。
あの二人のようになりたいと願って。その結果が、この様だ。
(なんて、弱さ)
何が、認めてくれるだ。
何が、あの二人は逃げないだ。
自分は、触れることさえできなかった。
「お前たちは多くを望み過ぎだ」
悔しさで拳を握る二人に対し、ボガードが言葉を紡ぐ。
「お前たちの成長速度は十分脅威的と言っていいほどだ。それ以上は望み過ぎだぞ」
「……はい」
わかっている。わかっているのだ、そんなことは。
聞けば、あの二人は幼少の頃より過酷な環境で生きてきたのだとガープから教えられた。憧れるだけで何もしてこなかった自分がたった数ヶ月訓練しただけで追いつくなんてあまりにも傲慢な話だ。
でも、それでも。
憧れたから。
願ったから。
夢を、見てしまったから。
──いつか、あの人たちの隣に胸を張って立てる日を。
「……コビー、ヘルメッポ。お前たちはあの日、あの二人に何と宣言した?」
えっ、と声が漏れた。
ガープに拾われ、訓練を経て。“新時代の英雄”と呼ばれるまでになった二人と、コビーとヘルメッポは再会した。
あの時、自分は何を誓った?
「あれは、その」
「この程度で挫けるような想いか?」
ボガードの問い。その言葉にすぐに反応したのはコビーではなく、ヘルメッポだ。
「違う!──違い、ます。おれは、おれたちは」
あの時、あまりにも無謀な夢を。
この友達は、何と言って受け止めてくれた?
“奇遇だなコビー。おれの目標も同じだ”
それはきっと、虚勢だったのだと思う。
自分と同じで、どんどんと先へ行ってしまう二人に対して彼もまた焦りがあったのだ。
“いいねぇ。じゃあ、お前らとも勝負だな”
けれどあの人は、こんな夢想を笑わなかった。
“私たちも勝負してるの。今は私が一番先頭だね”
あの人は、認めてくれた。
そして、彼らは言ったのだ。
──それでも勝つのは自分だ、と。
侮りではない。
嘲りでは決してない。
ただ彼らは、真っ直ぐに自分達を見てそう言ってくれた。
「僕は」
あの日の誓いは、きっとその場の勢いで口にした言葉だ。
けれど。
嘘ではない。
「僕は、“大将”になります!!」
その夢は、嘘なんかじゃない。
「おれだって!!」
叫ぶような言葉だった。何かを確認するような、そんな気持ちが込められている。
──いいねぇ、と。
海軍本部中将が、笑みを浮かべる。
「楽しみだ」
「ええ。期待してる」
その笑みは、嘲笑ではない。何か、遠い過去を思い出しているかのような笑み。
「笑わないんですか?」
「何を笑うってんだい?」
しゃがみ込み、座り込むこちらに目線を合わせながら。
海軍本部“大将”に最も近い海兵の一人が、そう言葉を紡ぐ。
「おれだって、昔は無謀なだけの若造だったんだ」
その言葉は非常にあっさりしたものであった。だが、確かに二人は感じた。
あまりにも重い、背負ってきたものを。
そうね、とギオンが頷く。
「あのガープちゃんだって、ただの若者だった時代があるんだから」
「……いやァ、どうかねぇ」
「水を差さない」
ギオンにピシャリと頭を叩かれるトキカケ。その二人を見て、改めて思う。
──憧れは、遥かに遠い。どうしようもないほどに遠くて、心が折れそうだ。
けれど、諦めない。
諦めたくない。
「頑張ります」
今は、そう呟くことが精一杯だ。
でも、いつか。
いつか、必ず。
“先に大将になるのはおれだ!”
麦わら帽子の、あの人に。
──いいえ、僕です。
そう、胸を張って言えるように。
だから、今日の悔しさを忘れない。
忘れない。──絶対に。