逃亡海兵ストロングワールド⑲
第二十二話 “負けるわけがない” 後編
防衛戦はロブ・ルッチやブルーノにとっては専門外である。
彼らは存在しないはずの世界政府の闇、CP9の諜報員だ。その本領は諜報活動であり情報戦。CP9の場合は必要に応じた『暗殺』という汚れ仕事も負うことになるが、基本的に彼らの任務は闇の中で行われるものである。
故に本来、今回のような状況は例外中の例外だった。海賊たちとの戦争に参戦し、挙句戦争終結のために最前線で戦うなど。
「“嵐脚・乱”!」
ルッチが足を振るい、前方の海賊たちへと斬撃を放つ。だが、続々と集まってくる海賊たちは一定以上の距離をとっているせいで届くまでに間がある。
「身を伏せろ!」
「距離をとって撃ち続けろ!」
「相手は二人だ!」
人獣型になっているルッチの“嵐脚”は威力も速度も凄まじいものである。それこそまともに当たれば軍艦さえも切断するほどだ。
しかし、距離があれば避けることも可能である。現に今も、海賊たちは身を伏せたり距離を取ることによって直撃を避けている。何人かには当たったが、それ以上の数が次々とこちらには迫ってきていた。
「“鉄塊”!」
一斉に放たれる銃火器による攻撃を、ルッチの前に出たブルーノが受けた。銃弾に混じって砲弾も放たれ、ブルーノが爆発に巻き込まれる。
だが、彼も満身創痍とはいえCP9の一角。容易くは倒れない。しかし、永遠に立ち続けることができるわけではない。
「“指銃”!」
ブルーノの背後から飛び上がったルッチは、こちらへと飛び込んできた暗殺者たちへ応じるための攻撃を放った。当たれば絶命は不可避の一撃も、暗殺者たちは即座に引き下がることでルッチの攻撃圏内から離れる。
舌打ちを零し、ルッチは着地した。カガシャの部下であろう彼ら暗殺者はこうして隙があればルッチとブルーノの壁を抜けようとしている。狙いは二人ではなくその奥なのだろう。
司令室の前、廊下の半ばで二人が陣取っているのには理由がいくつかある。一つはあまりに扉に近いとオリンやたしぎたちを狙われてしまうことだ。彼女たちはこの後の準備がある。危険に晒すわけにはいかない。
もう一つは二人の背後、少し離れた場所に空いた穴である。その穴はカガシャが空けたものであり、その下ではウタとカガシャが戦闘中だ。音がなく、また、ウタはともかくカガシャの気配が捉え辛いせいで戦況は不明。ただわかっているのはそこに乱入者など入れてはならないということ。
「……ままらなんな」
思わずルッチが呟く。すると、貫かれた腹の傷が開いたのだろう。そこを押さえているブルーノが言葉を紡いだ。
「慣れないことはするものじゃないと身に染みている」
「それを言えるならまだ大丈夫そうだな」
今回の任務は特殊だ。緊急の案件として二人ともう一人がここへと回された。二人は本来、別の任務中である。そこで慣れないことをしているブルーノがこんな言葉を吐けるのであればまだ大丈夫だ。
(一人一人は雑魚だ。だが、思ったよりもあの人魚との戦いが響いている)
勝利はした。だが無傷とはいかなかったというのが実情だ。
様々な要素がルッチの動きを鈍らせている。
(前に出るか? いや、取り逃せばそこで終わりかねない)
状況は明らかにこちらが不利であり、この場所における戦いの趨勢は向こう側に傾きつつある。
何か、一手。状況を変える何かがあれば。
だが既にこちらの手札は出尽くしている。あるとすれば正門前の海兵たちがここに到達するくらいだが、それを望むには時間がかかり過ぎる。
一か八か。賭けに出るか──そう決断しようとしたルッチの耳に、その声が届いた。
「“嵐脚・群狼連星”!!」
突如、海賊たちの背後から狼の形をした“嵐脚”が出現した。それらは文字通り食い破るようにして海賊たちを貫いていく。
「ぎゃあ!?」
「うわあ!」
「なんだあの巨大な狼は!?」
背後からの奇襲を受け、海賊たちに動揺が走る。通路の奥──海賊たちが固まるその場所の更に奥に、その狼がいた。
「ぎゃはははははっ! どうしたルッチ! ブルーノ! こんな雑魚ども相手に随分と苦戦してるようじゃねぇか!?」
そこにいたのは、“闇の正義”を担うCP9の一人。
狼の力をその身に宿した諜報員──ジャブラだ。ふん、と遠くで笑う狼に対してルッチが鼻を鳴らす。
「……随分と来るのが遅い」
「ジャブラか」
思わずといった調子でブルーノも彼の名を呼ぶ。その声色には僅かに安堵が含まれていた。
「悪かったな。ちょっと道案内をしてたもんでよ」
笑みと共に言うジャブラ。彼に向かって銃口が向けられた瞬間、そこに一筋の閃光が走った。
「一刀居合──“断割”!!」
文字通りの、閃光の一撃。数人の海賊が倒れ伏す。
放ったのは海軍本部中将──モモンガだ。彼もまた満身創痍と言ってもいい状態だが、その一撃の威力は凄まじい。
「──私が相手だ海賊共」
周囲を睨みつけるモモンガ。その身は既にボロボロだというのに、その眼光と気迫に衰えは微塵もなかった。周囲の海賊たちがその身を竦ませ、後ずさる。
だが、彼らもまた“金獅子のシキ”の傘下に入った海賊たちである。おそらく一海賊団の船長なのであろう男が声を張り上げた。
「怯むな! 海軍本部の中将だろうがこの数に勝てるわけがねぇ! それに見ろ! 今にも死にそうなくらいボロボロじゃねぇか!」
その言葉を受け、海賊たちの士気が僅かに戻る。
だが、もう一人。それを打ち砕くような老兵がいた。
「ぬうェい!!」
ただの拳。されどそれは英雄の一撃。
運悪くその拳を受けた海賊は周囲の海賊を十人近く巻き込みながら吹き飛ばされた。モモンガとは反対側に現れたその海兵の姿を見、海賊たちも驚愕する。
「“英雄”ガープ……!?」
口々に皆その老兵の名を呼んだ。ふふん、とその“英雄”は笑う。
「すまんのう。危うく遅れるところじゃった。この城ごと吹き飛ばすのも考えたのじゃが」
「いやそれすると全部後破産だろ」
「ぶわっはっは! その通りじゃ! いや助かったぞ!」
一見すれば腹から血を流した老兵だ。しかし、その気配には些かの衰えもない。老境に差し掛かり、全盛期は遠い過去であろうとも。その存在と力は間違いなく“伝説”である。
海賊たちが無意識のうちに後退りする。だが、一部の海賊はその恐慌を打ち消すために怒鳴り声をあげた。
「名前に踊らされるな! 所詮ただの老兵だ! 討ち取って名をあげろォ!!」
二十年近く表舞台から姿を消していたシキは、その計画を実行するために傘下の海賊を集めた。だがそれは誰でもよかったわけではない。“七宝剣”を筆頭とした海賊たちは相応の実力を持つ者たちだ。
なればこそマリンフォード襲撃という大事件において逃げる者がいなかった。そんな彼らにとってガープという存在は畏怖を抱く相手ではあるが何もせずに膝を折るような相手でもない。
「思う存分相手をしてやるぞ。──小僧共」
指を鳴らしながら言うガープ。海賊たちの応じるような咆哮の如き声が響き渡る。
──だが、どこまでいこうと援軍はたったの三人だ。
その三人は確かに一騎当千、強力な力を持つ猛者である。しかし個人で無限に戦うことができる者などこの世に存在しないし、この場で海賊たちと戦うのは援軍たる三人を含めても僅かに五人。あまりにも少ない数だ。
更に言えば満身創痍である者がほとんど。長くは持たない。海賊たちも状況については理解しているし、全力で司令室の奪還を目指している。
故にここから先は消耗戦だ。どこまで耐えられるかという、先の見えないマラソンである。
(急げ“歌姫”)
ルッチは内心で呟く。この三人がこの場に来た以上、最早更なる援軍など望めない。ならばもう、たった五人で背後の司令室を守り切るしかないのだ。
そして司令室を守り切っても“歌姫”が敗北し、殺害されればそれで終了。この場の者たちはいずれすり潰されることになる。
分の悪い賭けだ。普段のルッチなら絶対にしないことである。
だが、やるしかない。そこに乗ったのが自分の選択だ。
「消されたい奴から消してやる」
応答は銃声だった。
司令室、廊下前。
──僅か五人の防衛戦が、始まった。
◇◇◇
マリンフォードに用意された司令室。前線で姿を晒す海軍本部元帥センゴクに代わって後方での情報処理と状況把握、それに伴う指揮を執るのは海軍本部中将つるだ。
大参謀とも呼ばれる彼女の肉体は既に全盛期を過ぎているが、それでもその名は今もなお海賊たちに恐れられている。
彼女が責任者として指示を出している部屋は多くの海兵が走り回り、血が流れないだけの戦場と化していた。彼女もまた矢継ぎ早に送られてくる連絡を前に思考を巡らせている。
(攻撃方法については想定内だけど、その規模が想定を上回ってるね。元とはいえ“四皇”は伊達ではないと)
怪物たちの存在については事前に報告を受けていた。想定よりも凶悪な怪物たちであるが、対処し切れない相手ではない。隕石についてもだ。元々“金獅子のシキ”の操る力の規模は凄まじいものであった。センゴクとガープという二人の怪物を相手に回してマリンフォードを壊滅させたのは純粋な力によるものだ。
問題なのは想定よりも規模が大きいことと、何よりもその持続性だ。隕石と共に現れる怪物たちはその司令官とも思しき者たちを討ち取ったことで統率の取れた動きはしなくなったが、その凶暴性が収まったわけではない。むしろ戦場の空気に当てられたのか手当たり次第に暴れ回るようになっている。
このままでは危険だ、とつるは思っていた。海兵たちは疲弊する。今は抑え込んでいるが、どこかが崩れた瞬間に雪崩の如く全てが崩壊するのが見えている。
(しかしこちら側からの状況打開は難しい。ガープの奴はどうしてるのか)
孫があそこで戦っているからという理由であの最前線へ乗り込んでいった“海軍の英雄”のことを思う。私情が混ざっていることは確かであるが、その判断自体はつるも正しいと思っている。相手はあのシキだ。生半可な戦力で勝てるような相手ではない。
それに、と歴戦の老兵は思う。
(予想が正しければ、シキには『最後の切り札』がある)
いやむしろ、この状況下でそれを想定していない方がおかしい。他の者たちはあの大海賊の能力の規模の大きさや状況の変化に圧倒されてそこまで思考が回っていない者が大半のようであるが、冷静に考えれば気付くはずだ。
故にそうなる前に決着をつけなければならない。そしてそれができるのはガープだけだとつるは思っていた。
……ただ、伝え聞く状況は予想から大きく外れた状況となっているようだが。
「大参謀! 緊急の電伝虫です!」
「誰からだい?」
「メルヴィユからです! 相手側はたしぎ少尉! 敵陣の中心からこちらへ通信を繋いだ模様です!」
その報告でつるは思考を高速で回転させ始めた。指で合図を送り、こちらの机に電伝虫を持って来させる。
「こちら海軍本部中将、つる。……状況の説明を」
『は、はい! こちら海軍本部少尉たしぎです! 現在我々はシキの居城の司令室にいます! お願いします! 本部の電伝虫をありったけ繋いでください!』
「たしぎ……スモーカーのところの子だね。少し落ち着きな」
一息。コツコツと指で机を叩きながらつるは言葉を紡ぐ。
「司令室ってことは敵の中枢だね? しかも後ろから聞こえる音から察するに籠城に近い状態と見える。どういうつもりだい? お前たちはそちらに乗り込んでる部隊との合流が最優先事項のはずだろう?」
『この戦争を終わらせるためです!』
言ったのはたしぎではなかった。少し声が遠いところから察するに、離れた場所からの声だろう。
ガープを筆頭とした先遣隊の名を思い浮かべる。女性は囚われの身であったウタを除けば二人。つまり、あの二人の部下である女性海兵──オリンか。
色々と噂は聞いている。その気の強さやあの二人の陰に隠れた問題児だということ等、色々と。
「なるほど。どうやって?」
『今この島全域に声を届ける準備をしています! ウタ准将の歌声でこの戦争を終わらせます! だからマリンフォードも!』
その言葉を受け、一度つるは目を閉じた。そしてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「冷静に。……その准将は今どうしてる?」
『敵幹部と戦闘中です』
「相手は?」
『カガシャです。海賊、“毒蛇のカガシャ”です』
そう答えたのはたしぎだった。彼女の後ろでは微かにオリンが何かの指示を出している声が聞こえている。
──“毒蛇のカガシャ”。その名を聞き、なるほどとつるは思った。
その海賊だけは確かに倒しておかなければならない存在だ。そいつがいる限り、“歌姫”の能力は発揮できない。
「一人でかい?」
『はい。……中は任せると、准将は』
あの子らしいね、とつるは内心で思った。ガープの孫もそうだが、どうしても自分が前線に立たなければ気が済まない性質をしている。
“おつるさーん!”
ふと、こちらに笑顔で駆け寄ってくる彼女の姿を幻視した。深い憎悪を抱えながら、それでも“歌姫”として平和を願う彼女をつるは孫娘のように可愛がっている。
「司令室にいると言ったね?」
『はい。現在外ではガープ中将たちが海賊たちを迎え撃ってくれています。相手にもこちらの狙いがバレたようで、続々と援軍が』
「……ガープが?」
カガシャと相対するのではなく、司令室の防衛にガープが回っている。その男は別の場所にいるからこそカガシャとウタが相対しているのだと理解していたつるは一瞬思考が止まった。
スモーカーが派遣された部隊と合流したことにより、先遣隊が相対した海賊たちについての情報も届いていた。それによるとガープはシキを自身の孫に任せ、あの“殺人鬼”と相対していたという。司令室近くにいるということはあの“鬼”を討伐したということだろうが、その後にカガシャと相対するウタ、或いはシキと相対する自身の孫のところのどちらにも行かないということは。
(ガープ。これはつまり、そういうことだね?)
おそらく向こうの状況はこちらの想像以上に切羽詰まっているのだろう。故にガープが司令室の防衛戦に参加するような状況になり、“新時代の英雄”二人はそれぞれ単独で怪物と相対する形になっている。
だが、それでも介入しようと思えばあの男ならできるはずだ。それをしていないということは、つまり。
──賭けたのか。
未だ十代の若き新世代に。この戦争の趨勢を。
(馬鹿な男だとは思っていたが……まあ、いい)
つるは一度息を吐いた。この状況から推察できるのは、“海軍の英雄”が一つの賭けに出ているということ。
その根拠はわからない。もしかしたらどうしようもなかったのかもしれない。何も考えていない可能性も大いにある。
だが、現実として彼は二人の戦いに介入していない。
──その賭け、乗ってやろうじゃないかガープ。
長い付き合いだ。この鉄火場で勝算のないようなことをする男ではないことはよく知っている。
彼は──“海軍の英雄”は、信じたのだ。
新たな時代を担う者たちの──勝利を。
「状況は理解した。こちらも即座に動く。この通信は繋いだままに。──話は聞こえたね? すぐに通信部に動くように指示を」
近くにいた海兵たちに指示を出す。彼らがバタバタと動き出したのを見届けると、つるは向こうに対して言葉を紡いだ。
「これは賭けだ。それはわかってるね?」
『賭けではありません』
言い切ったのはオリンだった。彼女の言葉には強い意志が込められている。
『准将も大佐も負けません』
思わず笑みが溢れた。これほどまでにあの二人は己の部下に信じられているのか。信じさせるだけのことをしてきたのか。
その事実に、小さく笑みが溢れた。
「なら私も信じてみようかねぇ」
どの道こうするしかない、とつるは思った。
こちらの想定通りの『切り札』をシキが持っていると仮定した場合、時間はもうほとんどないといってもいい。あの地で戦う者たちが敗北した瞬間、このマリンフォードは終わる。
「センゴクに連絡を」
指示を出しながら、つるは思う。
あのガープが、新たな世代に任せるという選択をした。あの男にそう思わせるだけのことがあったのだ。
──時代が、変わるのかもしれない。
そんな、ことを。
戦争は、最終局面へ。