[追憶、ヤコウ=フーリオの場合]

[追憶、ヤコウ=フーリオの場合]

「ファイトソング」

「みんなお疲れさん、今日は大変だったな」

 アマテラス社保安部室の部長席に腰掛け、ヤコウ=フーリオは大きなため息をつきながら部下を労った。

「……まさかアイドルと野球選手の諍いがあんな血みどろの結末になるとは思ってなかったな」

 ハララもさすがに疲れてしまったのか、椅子に深く腰かけてため息をついた。デスヒコとフブキもぐったりとソファーに腰を下ろす。言うに及ばずヴィヴィアは暖炉に潜り込んだあとはピクリとも動かない。

「今日はお嬢が大活躍だったな。あの血文字がダイイングメッセージじゃなくて携帯の暗証番号だってわかったのはお嬢のおかげだぜ」

「お役に立てたなら良かったです!」

 両手を合わせて喜ぶフブキが、「そうです!」とパッと笑顔でヤコウを見つめる。

「部長、以前頑張ったらご褒美でもあげようか、と仰ってましたよね?」

「あぁ、うん、言ったけど」

「わたくし、ご褒美が欲しいのです!」

「……まぁ、フブキちゃんなら良いか。何が欲しいの?」

 ハララやデスヒコがこんな風に頼み込んできたら何をされるかわかったものじゃないが、フブキならまぁ大丈夫だろう、とフブキの言葉を待つ。

「皆さんと一緒に、『タコパ』がしたいんです!」

「タコパって……あのタコパ? 家でたこ焼き作るやつ?」

「おー! 良いじゃんお嬢!」

「そうと決まれば材料を買いに行くか。部長の家にたこ焼き機はあるのか?」

「……まさか私がタコパをするだなんて、思っていませんでした……」

「みんなさっきまでグッタリしてたのに急に元気になるじゃん」

 しかもオレの家でやることは確定事項なんだ……、と疲れた顔で立ち上がるヤコウ。たこ焼き機なんて持っていないから買わないといけない。なんか予想外の出費になっちゃったな、と思いつつ皆を労うために「仕方がない、買い物に行くか」と声をかけた。

 ——後から振り返ってみれば、その日は朝の五時から突然アマテラス社に呼び出され事件現場に駆り出され午後三時まで働き続けていたため、疲労している時特有のハイテンションで謎の行動力を発揮してしまったのかもしれない。「みんな早出したし今日は早退しちゃおう!」とヤコウがやたら明るい声で言えば部下たちはノリノリで乗っかり、せっかくタコパするんだからタコ以外の変わり種も入れようとはしゃぎながら、他部署に不審な目で見られつつ一斉に退社した。

 たこ焼き機を買うためにまずはヤコウの家の近くにあるホームセンターに向かう。

 アマテラス社近くに建っているショッピングモールを使わなかったのは、ホームセンターで買う方が安いからだ。

 瞳を輝かせながらふらふらとどこかに行ってしまったフブキは彼女を追いかけて行ったデスヒコとハララに任せてヤコウはヴィヴィアとたこ焼き機を探す。

「なぁ、ヴィヴィア。ヴィヴィアはなんか欲しいもんないの?」

「私……ですか?」

 キョトンとした顔で首を傾げるヴィヴィアに笑いかける。

「いや、普段お前欲しいものとか滅多に言わないから、なんかないのかなって」

 ヤコウの言葉を聞いたヴィヴィアは首を傾げたまま立ち止まった。……どうやらずいぶん悩んでいるらしい。無欲なやつだなぁと思いながらヴィヴィアを待っていると、彼の薄い唇が動いた。

「いつか……あのレストランにみんなで行きましょう」

「……レストラン?」

「部長が恋人の方と一緒に行ってた……レストランです」

「あ、ああー……あの……。え、何で知ってるの!? アレッ、オレ喋ったっけ!?」

 ——懐事情が寂しいヤコウは、部下たちに奢る際は学生時代から利用しているリーズナブルな定食屋を利用していたが、恋人と食事に行く際はちょっと、否、かなり見栄を張ってレストランを利用していた。部下にわざわざそんな話をするのも決まりが悪いし黙っていたのだが。

「いえ、部長が喋ったというか……妙に落ち着きがなかったことがあったでしょう? みんな部長の様子が気になって、後をつけたんです……」

「へ、へー……そうなんだ……」

 乾いた笑い声が漏れる。そうだ、彼らは上司であるヤコウがびっくりするほど聡明で、その上世界に名を轟かせる超探偵顔負けの能力を持っている自慢の部下なのだ。どうして隠し事をできると思ったんだろう。

 けど、フブキちゃんにまでバレてたか……そっか……。

「……ま、まぁレストランはそのうちな……。余裕がある時にでも……」

「ふふ……冗談ですよ」

 ヴィヴィアは目を細めて柔和な微笑みを見せる。

「無いものを要求するほど……私は欲深いわけではありませんので……」

「そこまで信頼がないのは逆に悲しいよ!? 良いよ、連れて行くよ、みんなでレストランな! 約束だ!」

 そう言ってしまった後、ふと、気になったことをヴィヴィアに尋ねてみる。

「お前ら、なんでオレの後をわざわざつけたんだ? そんなに暇じゃないだろ?」

 人間なのだから隠し事の一つや二つあれど、別にバレて困るような大層なプライバシーは持ち合わせていない。だから別に、後をつけられることに不快感は覚えないのだが、どうしてわざわざそんな労力を部下たちが払ったのか不思議だった。

「……」

 ヴィヴィアは複雑な表情を浮かべ、徐に口を開いた。

「部長は……探偵には、向いていませんね……」

「え……何でこの流れで貶されたんだ……?」

 ——結局フブキが見つけた大人数用のたこ焼き機を購入し、続いて材料を購入するためにスーパーへと向かう。

「わたくし、ついにスーパーに来てしまいました……! 大いなる冒険の第一歩が今から始まるのですね!」

 硬く両手を握り、決死の表情でフブキがドアを開けようとしたが、当然自動ドアだったためにフブキの手がドアに触れる前に微かな音を立てて開き、一行を迎えた。

 自分の手を見つめながら、フブキが唇を震わせる。

「も、もしかして……聖なる力に目覚めてしまったのでしょうか……!」

「よし、聖なる力に目覚めたところで、行こうか!」

 じいっと両手を見つめるフブキの背中を押してスーパーの中に入る。

 ヴィヴィアは店内に入る前に寝そべって本を読み始めてしまった。仕方が無いのでたこ焼き機を持ってもらい、待機してもらう。

「たこ焼き作るのに必要なのってなんだ?」

 粉買えば良いのか? 粉だけでいいの? タコの他にネギとか入れる必要があるんだっけ? そもそも、たこ焼きの中にタコ以外なんか入ってたっけ? それだけじゃない、鰹節とかたこ焼きのソースとか家に置いてあるわけないし。と言うか家に何があるのか曖昧だ。

 とりあえずたこ焼き粉は買っておこう、と粉もののコーナーを彷徨いていると。

「部長。飴を買っておくぞ」

 いつの間に持ってきていたのか、ハララが買い物かごに一掴み分の飴を入れた。ハララが不機嫌な時に食べている甘いものの他にもヤコウが煙草を吸おうか悩んでいる時に口に突っ込まれる薄荷味のものもある。

「遠慮無いなぁ……まぁ良いけどさ」

 飴を見ていると、ハララと初めて会った時のことを思い出す。あの時はまさかこんなに長い付き合いになるとは思ってもいなかった。

「しかしハララってスーパー似合わないな……」

「どう言う意味だそれは?」

 不満げに眉を寄せるハララに笑みを見せる。

「褒め言葉だって、多分。あ、そうだ。ハララはなんか欲しいもんあるか?」

 ハララにも欲しいものを訊ねると、ふむ、と優雅に口元に手をやりしばし思案した後、「……ミルク」と呟いた。

「前、部長のミルクを持っていっただろう。あの分が欲しい」

「おー、了解」

 あれ? 元々オレのミルクをハララが勝手に持っていって、それをオレが買い直すのってなんかおかしくないか? と思ったが、聞いたのは自分だからな、と頷く。その様子を見つめていたハララがふっと笑った。

「……部長が素直に禁煙してくれて助かったよ」

 煙草を吸おうもんならハララから飴だのキャラメルだのを押し付けられ、最近はヴィヴィアも加勢するようになったうえ、恋人ができた影響もあってめっきり吸う機会が減っていた。

「どうした急に。ていうかそれならむしろ礼を言うのはオレの方じゃない?」

「……そうだな。部長、僕に対するねぎらいはないのか? 千シエンからで良いぞ」

「金取るのはなんか違うだろ! しかもオークションみたいな形式!?」

「あぁ、そうだ。精肉コーナーの方でフブキが実演販売員と大盛り上がりしてるぞ」

「えっ、何してんのフブキちゃん……」

 ハララの言葉を確かめるために精肉コーナーへと向かうと(ハララは乳製品のコーナーに行った)、新商品を実際に焼いて試食を提供している店員の隣で、フブキが瞳を輝かせながらプレートを見つめていた。

「素晴らしいです! 焼くとウィンナーがタコさんになるだなんて! それに、中にチーズまで入っているのですか!? これがたったの三百シエンとは思えません!」

 サクラか何か? と首を傾げてしまいそうなほどのセールストークである。可憐なフブキの容貌とテンション高めのセールストークによって、周囲の人々の注目を集めていた。

 幸いにも周囲の人々ははしゃいでいるフブキを微笑ましく見守っているが、ヤコウとしては頭を抱えそうになってしまう。

 慌ててフブキの元に駆け寄る。

「フブキちゃん、何してるの?」

「部長! 見てくださいこのタコさんウィンナーを! 焼くだけでこんなに可愛らしいタコさんに! お肉がお魚になるなんて、不思議ですね!」

「タコさんウィンナーはタコじゃないよ!」

 正確にはタコは魚でもないのだが、それについては割愛させていただく。

「ええっ!? ですけれど……どう見てもタコですよ!?」

 ウィンナーとヤコウの顔を交互に見比べるフブキに苦笑いを浮かべる。

 店員からは「お嬢さんのおかげで沢山売れましたよー」と感謝されてしまった。フブキはニコニコと手を振りながらヤコウとともにその場を離れる。

「フブキちゃん、スーパーの店員の才能もあるんじゃない? 呼び込みとか」

「そうでしょうか? だとすると今日だけで聖なる力に目覚めスーパーの店員さんの才能まで開花してしまったことになるのですね!」

 未知に心を弾ませながら色々なことを楽しげに報告してくれるフブキの姿にほっこりと心が和む。世間知らずゆえ時折想像もつかない大騒動を引き起こすことはあるものの、素直で悪気を感じない彼女の振る舞いは保安部の清涼剤となっている。

「あ、そうだ。フブキちゃんはなんか欲しいもんない?」

「え? 欲しいもの? わたくし、これ以上部長から何かを貰ってしまったらバチが当たってしまいますよ」

 可憐な笑みを浮かべたフブキがヤコウを見上げる。

「ですが強いて言うなら、今日の『タコパ』を部長も楽しんでいただければ嬉しいです」

 それなら、今の時点でオレには勿体無いほど、楽しんでるよ。

 万感の想いを込めてこくりと頷く。

「お嬢、それに部長! 材料全部買い終わったか?」

「デスヒコ。どこ行ってたんだ?」

「いやぁあっちで女の子たちが困ってたから手伝ってやってたんだよ」

 なるほど、体良くパシられていたのか……とは流石に言えなかった。

「あっ連絡先結局聞いてない!」と頭を抱えていたデスヒコがふと買い物かごに目を向ける。

「って全然必要なもん買えてねーじゃん。今まで何してたんだよ」

「え、粉だけじゃダメなのか?」

「天かすとか紅生姜とか卵とかいるだろ」

「デスヒコさんは何でも知っていますね」

 デスヒコの指示に従い買い物かごに諸々材料を入れる。流石にたこ焼きだけと言うのも何なので、付け合わせのサラダだのコロッケだの唐揚げだのもついでに買った。

「あ、そうだ。デスヒコはなんか欲しいもんある?」

「オイラコーラ飲みてぇ。お嬢は?」

「ムギチャを飲んでみたいです!」

「麦茶なら家にパックがあったような無いような……あれ、でも古いヤツだったかもなぁ……」

「部長、家にあるもんぐらい把握しとけよ。流石に生活力が無さすぎるぜ。恋人さんに愛想尽かされるぞ?」

「グッ……そ、そうかなぁ……」

「あーあ……オイラにも可愛い恋人の一人や二人居てくれればなぁ……」

「二人はダメだろ」

 ヤコウのツッコミにデスヒコが唇を尖らせる。

「チッ、自分は恋人いるからって……今に見てろよ部長……」

「ま、デスヒコならそのうち良い人見つかるだろ」

「だよな!」

 ポジティブに笑顔を浮かべるデスヒコ。

 ヤコウは多分、デスヒコ自身よりもデスヒコの魅力をわかっているんじゃないか、と思っている。きっとそのうち、彼のことをわかってくれる人が現れるだろう。

 ——コーラを買うついでに他の飲料を購入し、さらにデザートも買うことになり想定より重くなってしまった買い物カゴを持ってレジに並び、それなりの金額を払ってスーパーを出る。

「うわ重。なぁー誰か持つの手伝ってくれ」

「五百シエンだ」

「悪魔か!?」

 最終的に五人でどうにか荷物を分けてヤコウの家にたどり着いた時には、微かに夕焼けの気配が滲んでいた。

 年季が入ったアパートの一室がヤコウの家だった。物置ですか? と可憐に首を傾げるフブキに内心ダメージを喰らいながらも踏む度に音が鳴る階段を上り部下たちを案内する。

 しかしドアを開ける直前になってヤコウが鍵を手にピタリと動きを止める。

 怪訝そうに部下がその様子を見守っていると、ヤコウがへへへ……と卑屈な笑みを浮かべながら振り返った。

「……悪い。オレの部屋掃除するからちょっと待っててくれ」

「部長。そういうところだぞ〜」

「いやオレだってお前らが来るってわかってたら掃除とかしてたって!」

「…………はぁ。一万シエンだ」

「大丈夫!! 一人で片付けるから! ちょっとだけ待っててくれればいいから!」

「私は……本を読んで待っています……」

「ならば、タコが逃げないように見張っていますね!」

 ——十分後、項垂れながらハララに一万シエンを渡すヤコウの姿があった。

「……じゃ、どうぞ〜。なんにも面白いもんなんてないけど許してくれよー」

 ドアを開けてリビングルームへと案内する。と言っても狭めの1LDKのため、迷うことはまずないはずだが。

「お邪魔します! まぁ、古代遺跡みたいですね!」

「……魂の休息を得るために誂られたゆりかご故に……部長の心を反映しているようですね……」

「部長のくせに本たくさん持ってんじゃん。あ、これとかヴィヴィア好きなんじゃねーの?」

「掃除をしている時から思ったが、調味料を延々と冷やすだけにしか冷蔵庫を使えないならいっそ捨てた方がいいぞ」

 部下たちが好き勝手に部屋でくつろぎ始める。

「のんびりするのもいいけど準備手伝ってくれよー。タコ切ったりとかしなきゃだし。……ていうかたこ焼き作るだけなら一匹丸ごと買う必要なかったな……」

 買ってきたものを整理しながらヤコウが声をかける。買い物袋の中で存在感を主張するタコまるまる一匹をキッチンに置いて、足の部分はたこ焼きに使うとして残りはどうすればいいんだ、と頭を悩ませる。

 不摂生な生活を送っていたヤコウは恥ずかしながらまともに料理をした試しがない。料理経験といえば惣菜をレンジで温めたり、即席麺を茹でる程度である。当然、タコの調理の仕方なんて知るわけがなかった。

 悩んでいるといつの間にかヴィヴィアが隣でじっとタコを見つめていた。

「光が差さない闇の奥に、私も糸を垂らすことができるでしょうか……」

「よくわからんが、手伝ってくれるなら頼む」

「脆く……触れれば千切れてしまうような糸で良ければ……」

 ヴィヴィアが包丁を取り出しタコを切り始める。刃物の扱いに慣れているからか、危なげなくタコは一口台に切り刻まれていく。足の部分を切り終えると、次いで残りの部分も同じように切り、買っておいたサラダと和える。カルパッチョ的な何かを作っているのだろうかと貧しい料理知識から推理してみた。

 ヴィヴィアの手捌きを興味深く見守っていると、ツンツンと肩を叩かれる。フブキだ。

「部長、わたくしにもお手伝いさせてください!」

「じゃあ、フブキちゃんは粉と卵を混ぜといて。その間にネギ切っとく」

 フブキがボウルに出した粉の中に卵を割らずにそのまま入れるというハプニングはあったものの、問題なくたこ焼きの素が作り出される。

「で、ハララにデスヒコは手伝ってくれないわけ? オレは悲しいよ」

 やる暇が無いが処分する暇も無いので部屋の片隅に放置されていた家庭用ゲーム機を取り出し対戦を始めたハララとデスヒコに声をかける。

 コントローラーでピンク色の一頭身とペンギン的な二頭身を操作し食べ物を奪い合う名作ゲームだ。軽快な音楽が部屋に響く。

「今話しかけないでくれ部長! あ、わー!」

「ふ。僕の勝ちだ」

「ああああああっ、クソッ、あそこでカレー取れてりゃ勝てたのにッ!」

「僕のロジックに不可能は無い」

「ロジック関係ないだろそのゲームに」

 ヤコウのツッコミをスルーして第二回戦を始めるハララとデスヒコ。

「オイラはたこ焼きを焼いてやるからさー」

「ええー。一番楽しいところ持って行く気? オレも焼いてみたいんだけど」

「わたくしも! わたくしも焼きたいです!」

 しばらくして、フブキが混ぜていてくれたたこ焼きの素をリビングに持っていくと、テーブルの上にはたこ焼き機が準備されていた。口ではああ言いつつも、ハララとデスヒコが準備をしてくれたのだろう。

 鉄板部分を温め油を敷いて、たこ焼きの素を流し込むと、じゅわ、と良い音を出しながら馴染み深いたこ焼きの匂いが広がる。

「わ、すげぇ。本当に焼けてる」

「タコを入れて良いですか!? 入れて良いですか!?」

「なら、僕が天かすを入れておこう」

 手早くハララが天かすやネギを入れてしまうと、フブキがキリッとした顔で慎重にタコを入れる。

「穴から溢れてしまいそうですが、良いでしょうか?」

「大丈夫だぜお嬢。後で良い感じにまとめるから」

 デスヒコのアドバイスに従いタコを入れる。

「んじゃあオイラが丸めてやるよ」

「それオレがやりたい。年長者に譲れよデスヒコ」

「大人気ねーなオッサン! 何気に難しいんだから一回オイラがやるとこ見とけって」

 デスヒコが器用にたこ焼きを丸めていくのをフブキが歓声を上げながら見守っている。変装のため変声機を作ったり衣装を縫うなどの手先の器用さが活かされているのだろうか。

 ピックを器用に扱いながらどんどんたこ焼きを焼いていくデスヒコを横目にコップに飲み物を注いで配っていく。

「おーし、とりあえず完成したぜ」

 たこ焼きが各自の皿に盛られる。ヴィヴィアが用意してくれたサラダや買っておいた惣菜を大皿に盛ってテーブルに並べる。

「本当にご家庭でたこ焼きが作れるんだな」

 感慨深げにヤコウが呟くとフブキも大きく頷く。

「夢にまで見たたこ焼きを皆さんと一緒に食べられるなんて感激です!」

「熱いから気をつけろよお嬢」

「おい、ソース取ってくれないか」

「どうぞ……」

 賑やかにソースをかけたり鰹節をまぶしたりする部下たちを見ながら目を細める。

 ——今日の買い物中……いや、今日だけじゃない。出会ってから今まで、彼らの何気ない言動にどれだけ心を動かされただろうと考える。

 学生時代に単調な日々を繰り返すことを想像して、未来が怖かったはずなのに、いざ社会人だなんて立場になって、想像通りに空っぽのツマラナイ日々を過ごしていた。

 仕方がないか、と諦観とともに受け入れていたことに何も感じなくなっていって、きっとそのまま擦り切れて行くんだろう、と薄々思っていた。

 だけれど。四つの星が手元に落ちてきたようだった。

 ヴィヴィアが灯台のようだと評してくれたけど、そうじゃない。

 真っ暗で何も無い日々を照らしてくれたのは、お前たちだよ。

 ——だから、礼を言わないといけないのはオレなんだ。

 ——だから、言わないと。今。

「みんな」

 ヤコウが口を開くと、たこ焼きを頬張りながら部下たちがこちらを見つめる。

 これが最後のチャンスだ。

 わかっているだろう。

 今言わないと。後悔する。

 ——いや。もうしている。

「本当に——」

 ありがとう。

 その言葉を伝える前に。

 

 目が覚めた。

 覚めてしまった。

 

 随分と懐かしくて。

 随分と暖かい。

 追憶の夢を見た。

 

 ザァザァと止まない雨音が脳を殴るように響く。

 机に突っ伏して寝ていたせいで、身体中が痛い。

 あの頃みたいな今日はもう来ない。分かっているからこそ、夢を見たのだろう。

 ハララ。ヴィヴィア。デスヒコ。フブキちゃん。

 みんな、あの日に死んでしまった。

 いや。殺されたのだ。

 街を牛耳る化け物に、名前も姿も、過去も未来も奪われて。

 延々と降り注ぐ雨がカナイ区を覆い、あの日の哀しみを、嘆きを、苦しみを、全て空白の中に閉じ込めて、無かったことにしようとしている。

 空白の一週間と呼ばれたあの時間を覚えている人間は、今や己以外に居ない。

 ヤコウはポケットの中の、肌身離さず持ち歩いている金庫の鍵を握りしめた。

 この鍵が封じている金庫の中に、血液検査以降ヤコウと部下たちで調べあげたホムンクルスの情報が記されたメモが保存されている。

 ホムンクルスが再現する記憶は、元になった遺伝子情報を採取した瞬間まで。

 血液検査以降に部下たちが得たホムンクルスの情報は、あの化け物たちも知り得ない。

 つまり、金庫の中のメモは、ヤコウが最後に守ることが出来た『部下たちの過去』なのである。

(アマテラス社にパソコンをハッキングされても良いように、アナログ形式でデータを記録することにして良かった)

 あの日に、化け物たちによってパソコンだの機械類は破壊されてしまった。もしも破壊されなかったとしてもマコト=カグツチが何らかの手段を用いて消去してしまっただろう。

(必ず、みんなが遺した証拠を超探偵たちに……託す)

 ヤコウや部下たち、愛する妻と同じ、赤い血が通った人間に、彼らの最後の記憶を託す。

 ……どうか、どうか。覚えていて欲しいのだ。知って欲しいのだ。

 雨水に沈められ、空白の中に消えてしまった彼らのことを。

 わけも分からないままに苦しんで、恐怖の中に死んだカナイ区の善人を、悪人を。

 ヤコウを護って死んだ、大切な四人の部下のことを。

 幸せにしたかった、愛する人のことを。

 あの日殺された全ての人達を弔うために、全てのホムンクルスを殺す。

 その願いが、憤怒が、憎悪が、ヤコウを付き動かしていた。

 

(ああ、結局、夢の中でもありがとうを言えなかったなぁ……)

 

 タワーの中にある自室には、あの日の面影なんて当然無く。

 空を見上げても雨雲だけで星なんて見えない。

 ザァザァと止まない雨がカナイ区に降り続けている。

 ——ヤコウは雨の下で今日も呼吸をし続けている。


◆終◆

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