追憶/[デスヒコ=サンダーボルト]の場合

追憶/[デスヒコ=サンダーボルト]の場合



「動くなァ! 動いたら撃つぞッ!」

 アマテラス社保安部部長であるヤコウ=フーリオは、アマテラス社が経営する大型複合商業施設——俗に言うショッピングモールである——の三階にて後ろ手に縛られていた。

 同じように縛られている人々の悲鳴が空気を震わせる。しかし、犯人グループの一人が銃を見せつけるように弄べば、その声もすぐに止んだ。

 犯人グループはおよそ十人。十分ほど前に施設内で発砲し、人々を一箇所に集め、縛り上げてしまった。ヤコウはそれを止めようとしたところ頭を殴られ気絶し、目が覚めると他の人々と同じように捕らえられていた。

(——さて、どうすればこの状況を切り抜けられる……?)

 怯えて縮こまっているふりをしながら、ヤコウは冷静に周囲を観察していた。

 犯人グループは覆面をつけ、体のラインが分からないような服装をしているため特定が難しい。幸い、人質として捕らえられた人間以外は既に避難が完了しているのだろう、気配すらない。

 人質となっているのはヤコウ含め九人。老夫婦が二組、恐らく友人で来たのだろう若い女性の二人組、そして小学生ほどの子供が二人にヤコウだ。

 みな消沈しているが、中でも子供たちの様子がおかしい。少女の方はポロポロと涙を流しており、そんな少女を必死に励ましている少年の顔は体調が悪くなっているのかどんどん青くなっている。額にはじっとりと汗が滲んでいる。

(……まずいな、早く……)

 隙をついて逃がすとすれば、優先すべくは老人たちと子供だろう。若い女性たちには酷だが、彼女たちは後回しにする他ないか……。

 そして人質の中で唯一切れるカードは間違いなくヤコウ自身である。いざとなれば我が身に替えても、とヤコウが算段をつけていると、犯人グループの一人が、興奮しているのかキンキンと甲高い声でスマートフォンに向かって何かを喚き始めた。

「コイツらを解放して欲しくば先月貴様らが捕らえた我々のリーダーをを解放しろ!」

 先月捕らえた我々のリーダー。

 その言葉で思い出した。

 先月、保安部が、否、正確にはヴィヴィアが能力で見つけ、ハララが捕らえた詐欺グループのリーダー。彼はアマテラス社が強引に進出したことで潰れてしまった商店街のまとめ役で、詐欺に手を染めてしまったのも家族や行き場をなくした人々を養うためだった。そんな人間だったからメンバーには慕われており、自分が捕まる代わりに彼らへの罰は軽くして欲しい、彼らだって好きで手を汚したわけじゃない……と訴えていた。

 元々悪党だったわけじゃない。やむにやまれず悪事に手を染めた人々。

(オレが責任を感じることじゃないだろうけど)

 それでもアマテラス社に所属するものとして、同じようにカナイ区に暮らす人間として、どうしても罪悪感を覚えてしまう。

 苦い顔で、スマートフォンに喚き続ける男を見つめていると、よく知る涼やかな声が耳に届いた。

『要求を飲む前に人質の様子を見せてもらおうか』

(ハララ!)

 男性にしては可憐で、女性にしては硬い声。どうやら犯人たちが電話を繋げていた相手は信頼を置く部下の一人であるハララ=ナイトメアだったようだ。

(……犯人グループが目撃したのはハララだけだったからな。あの時ヴィヴィアは能力を使うため安全な保安部室に居たし、オレも一緒に控えていたから……オレが保安部の部長だってあいつらは知らないのか)

 ——チャンスかもしれない。

 犯人は渋々といった様子でスマートフォンのカメラでヤコウ達人質を撮した。

 すかさず、瞬きを利用したモールス信号で合図を送る。

(まずは子供たちを逃がす。三階の東側にあるトイレに助けを寄越してくれ)

 少年の顔は真っ青だ。今にも気を失いそうなその様子に少女がいよいよ心細い様子でしゃくりあげている。

『……要求に応えたいのは山々だが、人質にその価値が無くなりそうだ』

 冷徹な声に犯人達が少年の方へ振り向いた。かつて善良な一般市民だった彼らは少年の衰弱ぶりに怯んだようだった。

『そこの少年少女を休ませるぐらいはしてくれないか。そうだな……確か三階の「西側」にトイレがあったろう?』

「黙れ! 指示を出すのはこちらだ!」

 パン、と天井に向けて発砲。電飾ががしゃんと大袈裟なほどに大きな音を立てて割れる。人質たちの悲鳴が一斉に上がった。

「立て!」

 犯人たちは少年と少女を無理やり立ち上がらせ、歩かせようとする。

「ま、待ってくれよ! 父ちゃんも一緒に!」

「父ちゃん?」

 しかし少年が真っ青な顔で悲痛に叫ぶので、犯人たちの手が止まる。

 少年は泣き出しそうな顔でじっとヤコウを見上げる。

「オイラ、父ちゃんと一緒じゃ無いと嫌だよぉ」

「チッ……」

 犯人たちは逡巡したようだが、どうせ銃があるとたかを括ったのだろう。銃をヤコウに突きつけ、立ち上がらせる。手はもちろん縛ったままだ。

 ヤコウは動揺を顔に出さないようにしながら立ち上がる。

 少年の顔を見ると、真っ青な顔ながら、不敵ににやりと口角を上げている。

 この少年はヤコウが保安部の関係者であることを知っていて、一緒に連れ出せば何か起死回生の一手を打ってくれると信頼してくれたのかもしれない。なら、その信頼に応えるのが大人の役割だ。

 任せてほしい、と少年に頷くと、彼はほっとしたように息をついた。

 ハララと通話をしていた一人が再び甲高い声で叫ぶ。

「彼らが戻ってくるまでにリーダーを解放するよう準備を整えろ! 人質と交換だ……追って連絡する」

『わかった』

 ハララが頷いたのを確認して犯人は通話を終了した。

 少年少女とヤコウ、そして犯人グループの中から二人が見張りとして西側のトイレ——ではなく、東側のトイレへと向かう。

 ハララの露骨な誘導を無視して東側を選んだようだが、むしろそれが狙いだ。

 このショッピングモールは保安部部室が存在するアマテラス本社から、歩いて数分ほどの距離に建っている。アマテラス社が保有する新型ヘリコプターを使えば瞬く間に辿り着く距離だ。ヤコウたちが少年に気を遣いながらゆっくりと東側のトイレへと移動する間にハララやヴィヴィアはトイレから侵入し潜伏することさえ可能だろう。少年も恐らくこのことに気づいているのだろう、あえてふらふらとゆっくり歩みを進めている。

 犯人たちがいらついて急かすことだけが心配だったが、人質にしているくせに少年を心配しているのだろうか、何も言わない。

(……向いてないことはするもんじゃないだろ……)

 犯人グループはもともと商店街で暮らしていた普通の人々だ。人を殺す覚悟も少年を苦しませる覚悟も持たない、ただの人。

 悪事に手を染めて、しかし覚悟を持ちきれなかったせいで行動の何もかもが中途半端になってしまっている。

 彼らには悪いが、圧倒的で致命的な隙でしかない。

 ゆっくりと五分ほどの時間をかけて東側のトイレに辿り着く。トイレに入り奥にある個室の扉に覆面が手をかけた瞬間。

 ふらりと影が立ち上がり音もなく覆面へ手刀を叩き込んだ。

「な、何——」

 動揺したもう一人にすかさず体当たりを喰らわせる。奴は倒れ、頭を強く打ったようで気を失ってしまった。

 覆面を被った人間を抱えているヴィヴィアに振り向き笑顔を向ける。

「ふー……助かったよヴィヴィア」

「……良かったです。部長が人質になっているのを見た時は、肝が冷えましたよ……」

「オレも有休消化しようとしたら人質になるなんて思ってもみなかったよ」

 気を失った二人を縛ったヴィヴィアが懐からカッターナイフを取り出し、ヤコウと少年少女の戒めを解く。

 少女は安心したのかへたり込んでしまう。少年は真っ青な顔をしているにも関わらず少女へと安心させるように声をかける。

「お嬢ちゃん、大丈夫か?」

「うん……お兄ちゃんは?」

「オイラは平気さ。なんて言ったってスターだからな!」

「君たち、よく頑張ったな。後はお兄さんたちに任せてくれ」

 トイレの窓から外を見ると、ハララが件の新型ヘリコプターを操縦し救出の準備をしてくれていた。少年と少女を手招きして救出用のロープを手に取る。

 少女をハララの元に渡し、さあ次は少年だと振り向くと、相変わらず青い顔をしながら、少年が腰を手にやって笑っていた。

「なぁ、オッサン。お嬢ちゃんだけ先に帰してやってくれ。オイラ、力になれるかもしれねー」

「お、オッサン……いやそんなことより、力になれるって……? 君はもう十分……」

「この『東側のトイレ』を合流場所にしてくれて助かったぜ」

 少年は用具入れを開けるとやたらと大きいリュックサックを引っ張り出した。当然掃除用具入れに元からあったものでは無いだろうから、彼が隠していたのだろう。だけど、何のために?

 怪訝な顔でヤコウとヴィヴィア、そしてハララが見守る中、少年はリュックサックを開けて、何と中に入ってしまった。

「入った!?」

 何をしているのかリュックサックがグネグネと蠢き……再びファスナーが開く。

 現れたのは……先ほどの少年とあまり背丈は変わらないものの、明らかに別人とわかる姿。

 亜麻色の髪に大きな緑色の瞳の男がそこに立っていた。

「どうだ! オイラの能力『変装』は!」

「デスヒコお兄ちゃんやっぱりすごい!」

 ヘリコプターの中で見守っていた少女が歓声を上げ、デスヒコがドヤ顔をしてみせる。

「声も全然違う……変装の域を越えてるな」

「まぁな!」

「犯罪に活かせそうですね……」

「出し抜けに失礼なこと言ってんじゃねーよ!」

 ヴィヴィアにツッコミを入れたデスヒコはぽんぽんとリュックサックを叩いてみせる。

「このリュックさえあればオイラはどんな人間にだってなれる。声も一回聞けば合成音声で準備できる。オイラの変装を使えば人質になってるあの子達を解放できるはずだぜ」

「確かに凄い能力だが、危険に巻き込む訳には……」

 ヤコウがためらっているとデスヒコが真剣な瞳で懇願してくる。

「頼む……! オイラここで八面六臂の大活躍をして人質になってた女の子たちとワンチャン……」

「良いんじゃないか部長。彼の力を借りても」

「本人も……乗り気のようですし……」

「だな……」

 呆れたような顔をしているハララとヴィヴィアに背中を押され、ヤコウの躊躇は風に吹かれた蝋燭のように消えた。

「とりあえず……無茶だけはしないでくれよ、デスヒコ」

 デスヒコが頷く。

「わかってるよ。……さ、行こうぜ! 女の子たちを助けに!」

 

 ハララは保護した少女を一旦安全な場所まで送り届けるためヘリコプターでアマテラス本社まで戻った。残されたヤコウ、ヴィヴィア、そしてデスヒコの三人は素早く作戦のため動き始めた。

 ヴィヴィアが犯人の一人に変装し、そしてデスヒコは先ほどの少女の姿に変装する。

 少年の体調が悪いため見張りと一緒にトイレに残したことにして、人質が捕まっている場所まで戻り、犯人が再びハララとコンタクトを取るのを待つ。

 ハララは少女を送り届けた後すぐに引き返し、トイレから侵入しショッピングモールの電源室に忍び込み停電を発生させる手筈となっている。暗くなった時に隠し持っていた暗視スコープを使い視界を確保し犯人グループを無力化する——以上が四人で建てた作戦である。

 ヤコウは少女に変装したデスヒコと再び後ろ手に縛られたフリをして座り込む。

 ヴィヴィアが犯人グループの一人として演技ができるかどうかが不安だったが、デスヒコ曰く「まさか変装しているわけがないという心理的な油断があるからある程度は大丈夫だろう」だそうだ。

 実際にデスヒコの言う通り犯人グループたちはヴィヴィアをあまり怪しんでいないようだった。

 ヤコウたちが戻ってほんの数分後。リーダー格の人物が再びスマートフォンを取り出した。

「準備はできたか?」

『あぁ。こちらは「万全」だ』

 ——ハララの合図だ。

 犯人たち、人質さえもスマートフォンに意識を集中させている。ヤコウとデスヒコ、ヴィヴィアは暗視スコープを取り出し、装着した。その瞬間——暗転。周囲が闇に包まれる。

「て、停電だ——ぐっ」

 一番犯人たちに近かったヴィヴィアが犯人の一人を素早く気絶させる。残りは八人だ。

「おいっ、何も見えねーぞ!」

「今足踏んだの誰だ!」

「落ち着け、銃は打つな! 仲間に当たるかもしれない!」

 パニックに陥っている犯人たちはあっさりとヴィヴィアの言葉に従い、銃を下ろした。いくらデスヒコが用意した仲間と同じく合成音声からの指示だとしても、あっさりしすぎている。やはりこのような悪事に慣れていないのだろう。

 犯人たちが混乱の渦の中にいる間に、ヤコウは人質の方へ近づき、怯えさせないように小声で出口まで誘導する。

 ヴィヴィアが暗闇の中を縫うように動き、犯人たちから銃を奪い気絶させ、無力化させていく。

「おいアンタ何をしてる! 止めろ!」

 デスヒコも奮闘しているようだ。しかしすぐに「いてっ!」と悲鳴が聞こえたが——大丈夫だろうか。……大丈夫だろうと信じよう。

 ——手筈通りヤコウが人質たちを非常用出口まで導き、待っていたハララや警察に人質を保護してもらう。

 ハララにもう一つの暗視スコープを渡し一緒に犯人グループの元へと向かう。あと数分もすれば自動で電源が復帰するだろうというハララの言葉通り、二人がヴィヴィアと合流する頃にはショッピングモール中の灯りが灯っていた。

 犯人たちを捕縛したヴィヴィアが憂いを帯びた顔で二人を迎える。

「……部長。デスヒコくんと最後の一人、姿が見えません」

「なんだって……!?」

「おい、あそこを見ろ!」

 ハララが指を差した方向を見ると、止まったエスカレーターを駆け上って行くデスヒコの後ろ姿が一瞬だけ見えた。

「追うぞ二人とも!」

 ヤコウの声にヴィヴィアとハララは頷き、三人はデスヒコの後を追った。

 

「やっぱり、アンタだったんだな。この事件の犯人は」

 ヤコウ達が辿り着いたのはショッピングモールの屋上。駐車場になっているそこで、デスヒコと覆面を被った犯人の一人が対峙していた。

 デスヒコは悲しげな表情でじっと犯人を見つめている。

「僕と会話をしていたやつか」

 ハララが耳打ちする。

 確かに男にしては妙に高いその声はハララとスマートフォンで通話をしてい人物で間違いないだろう。

 デスヒコの声が屋上に響く。

「なぁ、もうそんな『変装』しなくていいんだぜ。綺麗な顔が台無しじゃねーか……」

 悲しげに響く声の底に相手を慈しむ優しさが見える。

「お嬢ちゃんも、アンタがいなくなって悲しんでたよ」

 ヤコウにも、ヴィヴィアにも、ハララにも。デスヒコの言葉の意味はわからなかった。

 けれど確かに彼の言葉に応じるように、覆面を被った人間は銃を取り落とした。そして崩れ落ちる。

 デスヒコが哀しげな顔のまま、ヤコウ達に振り返る。

「……もう彼女は何もしないはずだ」

 ハララとヴィヴィアが頷いて彼女に近づき身柄を確保した。その人物は全く抵抗せず、人形のようになされるがままだ。

 じっとその様子を見守るデスヒコにヤコウが声をかける。

「なぁ、デスヒコ。お前が知ってることをオレにも聞かせてくれないか」

「——あぁ。わかったよ」

 

 駐車場の片隅に放置されていたベンチに座ってデスヒコの話を聞く。ハララとヴィヴィアは先にアマテラス社へと戻っていった。

 仮にも会社の一部署でしかない保安部の仕事は罪人を捉えるところまで。護送が済んだら部屋で待機するよう指示してある。

 煙草を吸っていいかデスヒコに尋ね、頷かれたのでありがたく一服する。デスヒコは揺れる紫煙を見ながらゆっくりと口を開いた。

「まず……オイラと一緒にいたお嬢ちゃんのことを話しておくよ。

 あの娘はアンタ達が先月捕まえた詐欺グループのリーダーの娘だったんだ」

「あの娘が……」

 父親がいなくなってしまい、さらに母も最近はどこかに出かけることが多くなったことを悲しんだ彼女は父と母に帰ってきてもらうために誕生日ケーキを買ってこようとしたのだそうだ。

「もうすぐ父親の誕生日だからって。あの娘の誕生日には絶対に家族揃ってバースデーパーティしてたもんだから、そうすれば二人とも帰ってきてくれるんじゃないかって」

 しかし一人ではどうしても勇気が出ずに近くの公園で二の足を踏んでいたところ、デスヒコに声をかけられて一緒に行くことにしたらしい。

「……何でわざわざ変装して彼女に付き添っていたんだ?」

「今のご時世あれぐらいの歳の女の子と一緒にいたら色々やべーんだよ! 察しろよ、保安部だろオッサン!」

「ま、まだオッサンって歳じゃないだろ!」

「そうムキになって反論してる時点で自覚あんじゃねーか!」

 冷静になって考えてみれば変装して少女と行動を共にする方が何らかの条例に引っかかりそうなものだったが、その時のヤコウは冷静ではなかったのでスルーしてしまった。

「あの娘のお父さんやお母さんの話を聞きながらショッピングモールを歩いてたら、あんな風に捕まっちまって……。一人明らかに変装した女がいたから注意を払ってたんだけど、声の感じがあの娘に似てたから、ピンと来たんだ」

「凄いな。オレはそもそも女ってことに気が付かなかったよ。声の高い男かと」

「ま、オイラは変装する側の人間だからな。色々わかるんだよ。無理に男みてーな歩き方してるな、とか、自分の素性がバレないようにかけ離れた存在に変装するだろう、とか」

 得意げに指を振りながらデスヒコが解説してくれる。すぐにその表情は暗くなってしまったが。

「……自分の母親が悪人として捕まるところを目の前で見るなんて嫌だろ。ただでさえ悲しいことがあって、怖い目にあってるのに。だから一刻も早くあの娘を逃して、母親の方もこれ以上何にもしねーように解決したかったんだ」

「そうか……」

 ヤコウはため息と共に紫煙を吐き出し、俯いた。

「母親が今回無茶苦茶な交渉に出たのはアマテラス社に逆らった人間がどんな目に遭うのか……どこかで知ったからだろうな」

「なぁ、アンタ保安部の部長だろ? どうにかなんねーのか?」

「できる限りの事はする。約束するよ」

「……なら、良いんだけどよ」

 デスヒコが目を伏せる。重い沈黙をかき消すように、ヤコウは立ち上がる。

「お前のおかげで、オレたちはあの人の事を知ることができた……起こってしまったことは変えることはできないけれど、想いを蔑ろにしないためにこれからどうするか選ぶことができる」

 ヤコウの言葉にデスヒコが顔を上げる。ベンチからヤコウの瞳を見上げるデスヒコに尋ねる。

「一つ聞いていいか? お前はあの娘と何も関係は無かったのに、どうして親身になって助けようとしたんだ?」

「んなの、決まってんだろ」

 デスヒコが輝く星のような笑顔を見せる。その輝きは煌びやかさだとか、そういう物ではなく、彼自身の優しさから発せられるものだろう。

「目の前で苦しんでる子を放ってはおけねーだろ。スターとして!」

 当たり前のように告げる彼は誰よりも優しく輝いている。

(……格好いいじゃん)

 口には出さないけれど、きっとデスヒコへの最高の賛辞を送る。

「そんなこと言われたら、オレも全力を尽くさないとな」

 デスヒコに笑いかけながら手を振り、別れの挨拶とさせてもらう。

「あの娘のことはオレたち保安部に任せてくれ。

 ……また縁があったら会おう。デスヒコ」

 

 デスヒコとの出会いから一週間が経った。

 結局有給をまともに消費できないまま事件の処理を行い、部下の力を借りながら、少しでも被害にあった人やあの親子達が笑顔で解決できるように奔走していた。ヤコウの自己満足にハララやヴィヴィアの力を借りるのは申し訳なかったが、二人とも付き合ってくれて助かった。

 出勤途中に届いたメールを見ると、どうやら解決の目処が立ったようだ。後はお偉いさんがどうにかこうにかするらしく、保安部が手を出せるのはこれまでだ。優秀な部下二人のおかげでできる限りの事はできたはずだ。

 胸をなでおろしながら保安部室の扉を開ける。

「ハララ、ヴィヴィア、おはよー」

「うぉおおい! いきなりドア開けんなっ!」

「ご、ごめん! ……って、デスヒコ!? なんでいるんだ!?」

「僕の勝ちだな、この金は頂くぞ」

「ま、待てっ! 今のはノーカンだろ! いきなり部長が入ってきたのはアクシデントだ!」

 ハララがテーブルに散らばった紙幣の山を掴もうとするのをデスヒコが止めている。暖炉の中のヴィヴィアは我関せずといった様子で本のページをめくっている。

 ……探偵でなくてもわかる。ハララとデスヒコは何らかの賭け事をしていたようだ。そしてヤコウの闖入(と言っても、普通に出勤しただけだ)のせいでデスヒコが負けてしまったのだろう。

「デスヒコが居るし保安部室で賭け事してるし! あーもうっ! 朝から情報量が多い!」

「……おはようございます、部長」

「遅いぞ」

「なぁ部長! 部長権限でノーゲームにしてくれ!」

「頼むから一つずつ解決させてくれ!」

 ……その場を収めるため今回の賭けはノーゲーム、今後賭け事は禁止の命令を出し、デスヒコの話を聞く。

「実はオイラあの後会社クビになっちゃってさぁ」

「えっ、なんでだよ?」

「事情聴取があっただろ? その時に変装してあの娘と一緒に居た事を色々ツッコまれたんだ」

「あぁ……」

 気持ちはわかるが、彼のおかげで解決の糸口を見つけ出すことができただけにやるせない話だ。

 複雑な表情をしているヤコウに気づいていないのか、すぐにまたデスヒコが口を開く。

「で、これからどうするかな〜って思ってたところでアンタたちを思い出したんだよ。世界探偵機構と張り合ってるかどうかは知らねーけど、アマテラス社は特殊な能力を持った人間を集めてるってのも聞いたし、オイラの変装を活かせるんじゃないかって」

「事情はわかったけど……どうして保安部に?」

「言ったろ。アンタたちのことを思い出したからだよ」

 意図が読めずヤコウが首を傾げるとデスヒコがにやりと笑った。

「オイラの話を聞いてあの結論を出したアンタが部長を務めてる場所なら、オイラはスターへの道を歩けるって……そう思ったんだよ」

「そこまで言われたら、照れるな」

 はにかみながら頰をかくヤコウにデスヒコが元気よく宣言する。

「そういう訳で……。これからよろしくな、部長」

「あぁ。こちらこそ、よろしく。お前が来てくれて嬉しいよ」

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 ——目の前で苦しんでいる人を救えなくて、何はスターだよ。

 つい先日ヴィヴィアからヤコウが苦しんでいること、今でも変わらず保安部のみんなを大事にしているということを伝えられてから、デスヒコはずっと思案を巡らせていた。

 カマサキ地区はネオンの光に包まれて雑多な賑わいに満ちている。目的地がある訳では無いが、雨の中、歩みは止めない。

 ——カナイ区住民の記憶が消え去ってしまった一週間。あの時からヤコウの様子がすっかり変わってしまった——と皆思っていたが、保安部のメンバーは、豹変以上にヤコウが苦しんでいることに気がついていた。

 本人は取り繕っているようだが常に顔色が悪く、食べ物に手をつけようとしない。飲み物だけは飲んでいるようだが、見ていないところではどうか分からない。

 体つきも細く、やつれたように見える。

 不意に瞳の中に渦巻く憎悪が薄れると、希死念慮に近いものが見え隠れしているような。

(空白の一週間の中でオイラたちが調べてた何かに関係があるのか?)

 消えた一週間の記憶を取り戻そうと保安部では懸命に調査を続けてきた。ハララが万が一のために記していた記録のバックアップから、保安部皆で何かを調査していたことはわかった。しかし、何を捜査していたのか、何のために捜査をしていたのかを知る術が、何も無い。どうやらマコト=カグツチと……ヤコウが、隠しているようだった。

(オイラたちが使っていたメモだのを、どうして部長が隠す必要があるんだ?)

 聡明なハララやヴィヴィアはなにか答えを導き出せたのだろうか。デスヒコには分からない。

 ——分かるのは、ヤコウが何かを一人で抱えていること。そのせいで苦しんでいることだけだ。

 以前のように保安部のメンバーで顔を合わせることもめっきり減ったが、それでもヤコウの部下四人は示し合わせたかのように行動を始めた。——ヤコウの望みを叶えるための行動を。

 ヤコウが何を望み何を願っているか、完璧に理解なんてできないけど。

 それでも、放っておけない。手を差し伸べたい。苦しみを少しでも拭ってやりたい。

 ……そうじゃなきゃスターじゃねーだろ?

 空から太陽や星が消え、止まない雨が降り注いだとしても、それでも変わらないものがあるとデスヒコは知っている。

 間違っているとわかっていても、慣れないことをしてでもやらないといけないと心が叫ぶことを知っている。

 ——誰に否定されても。他ならぬヤコウに拒絶されても。

 それでもオイラたちは、オイラたちの思うようにやってやる。

 ……星無き空を睨んで、デスヒコは心の中で誓った。


◆終◆

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