迷い児たち
「ホーキンス、逃げよう」
逃げる、その言葉の意味を、おれは知っていた。
明るく前向きな声音でドレークは言う。今までおれの方から持ち掛けても、「それだけはダメだ」と決して頷こうとしなかったのに、今はドレークの方がおれを誘っている。真意を図ろうと見つめ返してみても、何の色も窺えない。ドレークの目には、ただ微かに周囲の明かりが反射するだけだった。
しかし、おれは少しだけ安堵したように思う。肩の荷が降りたというのだろうか。すべてから解放されて、この男と二人きり、どこでもない場所へ去ってしまえるということが、酷く穏やかなものに思えたのだ。
本当に頷いてしまっていいのか、ふと、良心とか、常識とか、そういうものが引き留めようとしてきたが、おれは結局、こくりと頷いていた。
逃げてしまえばいい。おれもお前も。おれたちを脅かすすべてのものから。
『へぇ、お前たち付き合ってんのか』
どうせ世界はあの時終わっている。漸く逃げ延びた先で、逃げ場を失って、もうどこにも居場所がなくなったら、それは世界が終わるのと同義だろう。おれたちを見つめる、驚きと物珍しさに満ちた双眸がいくつもいくつもおれたちを取り囲んで、それらはいつの間にか両親の虚な視線に変わって、おれの息をしにくくした。
『教祖様の為に』『教祖様のお陰で』『そういう教えなのよ』
一緒に教室を飛び出したドレークが、学校の裏手で「……父さん」と呟いていた所を見ると、こいつも同じだったのかもしれない。
宗教二世のおれと、父親から虐待を受けていたドレーク。偶々、”真っ当な”大人に保護され、今は安全と、ある程度の自由が保障された寮暮らしをしているものの、傷は深く、早々に癒えるものでもない。
保護される以前、二人きりで生き延びている間、歪んでしまった二つの魂は互いの傷を舐め合い、いつの間にか恋人の真似事をするようになっていた。今もその関係は続いていて、ドレークが居ればおれはそれで良かったし、ドレークにとってのおれが、そうであったら良いと思っている。
しかし、唯一の希望であり、救いであり、慰めであるドレークとの関係は、おれにとっては誇るべきものであったが、世間とやらはそうは思わないらしい。
だから隠し通すつもりだったし──隠し通せるだろうと、そう思っていたのに。
「飛び降りがいい、最後まで手を繋いでいられるように」
「それがいい」
ぎゅっと掴んだ手の平が、酷く頼りなく思えて、おれは手に力を込めた。おれはここにいる。ここにはおれと、お前だけしかいない。
「前に展望台に行っただろう、山の上の」
「ああ、覚えている」
「夜になったら寮を抜け出して──」
「この世界から逃げてしまおう」
笑いかけてみせると、ドレークも漸く、どこか吹っ切れたような顔で笑った。