「転生したら黒炭オロチの姉だった」まとめ1
「姉上ェ〜……! 腹が減って減ってしょうがねェんだ……助けてくれェ〜……」
「うん。じゃあ、この林檎はオロチにあげよう」
「ありがとう……! ああ、うめェ!!」
日本の一般貧乏庶民として暮らしていた私は、ひょんなことから焼死して転生した。
今世においての私の名前は「黒炭クシナ」。
前世ではワンピースだけが唯一の楽しみであり、ワノ国編まで読破済みである。
それ故に自分の姓が「黒炭」で、かつ弟の名が「オロチ」とわかった時点で転生を確信した。
「姉上、どうしておれ達はこんなに貧乏なんだ?」
「それは私達のお祖父様が罪を犯し、お家が潰れたからさ。この国では先祖のどうしようもない罪は孫子も背負うのが正しい〝しきたり〟なんだよ」
「じゃあおれ達が石を投げられるのも、父上や母上が殺されたのも正しくて、仕方のねェことなのか?」
「……うん。その通りだよ」
このオロチという少年はワノ国編において、虐げられた過去を免罪符に民衆に悪逆の限りを尽くす人間になる。
それが数え切れない悲劇を生み、多くの悲しみと苦しみ、そして怒りをこの国にもたらした。
「いいかい、オロチ。人は悲劇を繰り返す生き物なんだよ。
私達のお祖父様は多くの人を殺し、多くの人から憎まれた。そして罪人には何をしても良いと思った人が私達を迫害する。
もし、私達が被害者であることに免じて復讐を正当化したら、どうなると思う?」
「……また同じ被害者が出る」
「お前は頭が良いね、その通りだよ。悲劇はそうして繰り返される。それを私達は『歴史』と呼ぶんだ」
だけど、もしそこに「私」という本来の歴史にいない人間が割り込んだら?
後の悲劇の元凶たるオロチを、私が止めることができたら?
「だから、この悲劇という名の歴史を終わらせたいのなら、誰かが飲み込まなければなければいけないんだ。
怒りも憎しみも悲しみも、その全てを抱えたまま、黒炭のように燃え尽きなければ。
それが私達にできる唯一の贖罪なんだよ」
「…………」
それだけで、多くの悲劇を起こすことなく終わらせられる。
子供の頃のオロチなら、まだ説得することも可能だろう。
おでんは死なず、赤鞘も復讐に生きることなく国を守り、日和やモモの助はすくすくと育ってくれるはずだ。
ワノ国は原作よりもきっと平和になってくれる。
私達のような人がこれ以上出ないような素晴らしい国ができるはず。
転生で得たこの2度目の命。
せめて好きだった原作がより良くなってくれる礎になれるのなら本望だ。
「……そんなに怯えなくてもいいよ、オロチ。お前はもう少し大きくなったら霜月のお殿様に奉公に出なさい。
それまで、私が命をかけてお前を守ろう」
「……姉上は?」
「ふふ、私はきっとそれまで生きてられないだろうね。だから息絶えるその日までお前を愛すよ、オロチ。
だから、約束して頂戴? 決して怨みや憎しみに囚われないということを。そうしてくれるなら、私はきっと最期までお前のために生きていられるから」
「……わかった。約束だ」
ああ、よかった。
これで私も、もう何の未練もなく死ぬことができる。
……不甲斐ない姉でごめんね、オロチ。
★☆★
「オロチ! 今日は久しぶりに腐ってない果物が手に入ったんだ! それになんと今日は米もある! 一緒に食べよう!」
ある日の夕方、私はいつものように食料を確保しに出かけていた。
私はまだ子供で、栄養が足りないのか身体も出来上がっていない。
そのため猟や耕作ではなく、スリやゴミ漁りで生計を立てている。
この日は偶々状態の良い食べ物が手に入り、それに加えてコツコツと貯めていた銭で椀一杯分の米を買った。
今日はオロチの誕生日なのだ。
姉として、せめて生まれた日だけは祝ってやりたかった。
もしかしたら今後、あの子をこうして祝福してくれる人はいなくなってしまうかもしれないから。
そんなことを考えながら、私は隠れ家として使っている廃寺の戸をカラカラと開けた。
ここは私達を迫害してくる人から身を隠すために重宝している。
森の中で見つかりにくく、さらに雨風を凌げるので隠れ家としては満点だ。
町に出るまで結構時間がかかるのが難点ではあるけれど。
「あれ? オロチ?」
しかし、オロチはそこに居なかった。
私がいない時は危ないから絶対にここを動くなと毎日口酸っぱく言い聞かせているにも関わらず、だ。
「オロチ……!」
心臓が早鐘を打つ。
私は抱えた食べ物をかなぐり捨ててボロ屋を飛び出した。
オロチに何かあったんだ。
すぐに助けに行かないと。
きっと助けると誓ったんだから。
日はいつの間にか傾き、逢魔時に差し掛かる。
私は暗い森の奥で、オロチが数人の刀を持った男達に囲まれ、腕や足を切り落とされているのを見つけた。
「私の弟に手を出さないでっ!!」
「うご!? てめェは……!」
護身用にと懐に忍ばせていた短刀を腰だめに構え、オロチを嬲るのに熱中していた男に体当たりする。
男の脇腹に深々と突き刺さった短刀ごと振り払い、うずくまるオロチの傍らに膝をつく。
「オロチ、オロチ! しっかりして……! 大丈夫、きっと大丈夫だから! こんな血なんてすぐに止まるから!」
「あ……姉上……!」
うめき声を上げながら、オロチは私の着物をぐい、と引っ張って言った。
「お前のせいだ……!」
「えっ……?」
充血した瞳で睨みつけるオロチに、私は時が止まったように固まってしまった。
「約束したじゃねェか! 死んでもおれを守ってくれるって!
でも見ろよォ! おれの手も! 足も! このバカ共に切られちまったァ!」
「あ……あ……」
「何が恨みを飲み込めだ! 何が悲劇を抱えて死ぬことが正しいんだ! ウゥ……!
こんなに痛ェのに、怖ェのに! そんなことできるわけがねェだろうが!!」
激昂する蛇の如き瞳孔が私の脳に突き刺さる感覚だった。
怖かったろう、不安でしかたなかっただろう。
唯一無条件でオロチが頼れる肉親は私だけなのに、その私が死を受け入れろなどと言うのだから。
それでも必死で耐えてきたのに、いざという時に全く間に合わず、守ると言ったのは口約束でしかなかったのだと思うだろう。
ああ、オロチが憎むべき最悪の肉親は、確かに他ならぬ私じゃないか。
何とも浅はかで、馬鹿な女が私じゃないか。
結局最後まで、オロチのことを弟とは思ってなかったんだ!
ただワンピースのいずれ悪役になるキャラクターとしてしか見ていなかった!
だからあんな無責任なことが言えたんだ!!
「ごめ……ごめん、私、そんなつもりじゃ……」
「てめェ、ガキ……! よくもおれ達に楯突いたなァ!!」
「うあっ」
取り囲んでいた男の一人に髪を引っ張り上げられ、投げ飛ばされる。
うつ伏せに倒れた私は男達に押さえつけられ、着物を剥がされた。
「呪ってやる! 呪ってやる! お前のせいでおれは死ぬんだ! うああァァ!!!」
「や、めて……! やめて、よお……!!」
自責と後悔の涙でにじむ視界の先で、死にかけのオロチに火がつけられた。
どんどんと黒く焼け焦げていくオロチが強制的に私の網膜に焼き付けられる。
「熱いィ! 痛いィ!! ぎゃあああああ!!!」
「う、あ……お、おえ」
「ぎゃはは! おら、しっかり見てやれよ姉ちゃんなんだろ? 黒炭に相応しい無様な死に様だなァ! ははははは!!」
目に映るのは赤と黒。
私の脳みそまで焼けてしまいそうだ。
「も゛う……!」
「あん? なんだァ?」
「もう何も゛……! 見だぐない゛……!!!」
これ以上、私に地獄を見せないで。
これ以上、私の大切なものを壊さないでよ……!
「ぎゃはは! そうか、まァ確かに可哀そうだしなァ……せめてもの情けだ。
両目を抉り取ってやるよォ、ひひひ。そしたらなァんにも見えねェからなァ〜!」
「ぎいィい!!?」
じゃないともう私、この世界を愛せないよぉ……!!!
「憎い、憎いィ……! 地獄に堕ちろォ! 姉上ェ!!」
「ははははは!! おい、いい句を思いついたぞ!」
「うう゛ゥー!! あ゛あア゛ァァ!!!」
両目を抉られてなお、私の眼には炎の赤と人の燃える黒が鮮明に焼き付いて離れない。
ああ、これがオロチの言う「呪い」なのかな。
「〝燃えてなんぼの黒炭に候〟!!! ぎゃはははは!!」
……不甲斐ない姉でごめんなさい、オロチ。
★☆★
「二キョキョキョキョ! 気がついたかい。
随分と派手にやられたもんだねェ。どれ、生きているかい?」
「あ゛……あ゛……!」
生きている。
まずはそのことに驚いた。
眼球を抉り取られたせいか、起きても目の前は闇ばかり。
痙攣する芋虫のように蠢く私は、失った瞳孔も含めて妖か何かの類であっただろう。
「あな、たが……」
「そうさ。チンピラに陵辱されているお前をすんでのところで救ってやった。
わしの名は黒炭ひぐらし……お前さんと同じ、このワノ国を憎む怨霊さ……!」
黒炭ひぐらし。
ワノ国乗っ取りを主導した陰の立役者。
ああ、今日が原作でオロチが復讐者となった日なのかな。
「オロチ、オロチ……」
「あの小僧は残念ながら死んでいたよ。無念だったろうねェ……凄まじい形相で焼け死んでいた」
「あ、ああ……」
じゃあ、なんで生きているのが私なんだ。
生き残るべきはこんな異物などではなかったというのに。
「知っているかい? お前の祖父の話さ……」
ひぐらしはそう言って、次期将軍の座を狙った黒炭の暗躍と、光月スキヤキの出生、計画の露見によるお家取り潰しの話を語った。
いかに自分達は悪くないか、光月のせいで全ての歯車が狂ったのだということを、涙声で力説した。
「お前のその貧乏暮らしは誰のせいだ!? お前の愛する弟オロチが死んだのは誰が悪い!?」
「それは……」
そんなもの決まっているだろうに。
「大名達を、暗殺した……祖父でしか、ないでしょう」
「何いィ……!?」
だって、迫害の理由はそれでしかない。
大名の時点で地位としては十分だったはずなのに、欲をかいて危ない橋を渡ったツケだ。
だから元凶は祖父でしかないのは、はっきりとしたことだ。
けれど。
「フン……そうかい、こりゃあ見込み違いだったかねェ。邪魔をしたよ、せいぜい野垂れ死んで——」
「炎が、見えるんです」
「……あァん?」
この世が理不尽なものだなんて、初めから理解していた。
だから黒炭に生まれた時点で、私はすでにまともな人生という希望は捨て去った。
このワノ国において私達は、存在することが罪なのだ。
しかし私の最大の罪は、その人生の諦観をあろうことかオロチにも押し付けてしまったことだ。
原作でそうだったから、という理由だけで私はオロチ本人をちゃんと見ていなかった。
ただ将来悪役になる〝キャラクター〟なだけだと、無意識にでも思っていたのだ。
「両眼を抉られ、暗闇しか見えないはずなのに、なぜか赤く燃えがる炎が目に焼き付いて離れない……」
だから私がオロチに呪われるのは道理でしかない。
今もなお鮮明に、焼け爛れていくオロチの形相が私を苛む。
「あの子の声が脳の中に木霊してる……『殺せ』『憎め』『呪え』という、怨嗟の叫びが、打ち付けるように響くんです……」
「!? な、なんだい!?」
がしっ、とひぐらしの足首を掴み、虚な貌でひぐらしが居るであろう場所を見上げる。
「ねェ、辛いの。苦しいの……頭の内側から炎で炙られてるみたいに、この国を、人間を恨めと、あの子の怨霊が私を焼き殺そうとしてくる!!」
「いッ!?」
こめかみを掻きむしりながら、ひぐらしの白装束の腰にまで手を伸ばし、逃さないように抱えて締め上げる。
「あなた、持っているんでしょう? 悪魔の実を!」
「! なぜお前がそれを……」
「そんなことどうでもいい! お願い、私に力をちょうだい! この〝呪い〟を祓えるなら私はなんだってするから!!
だから寄越して! このワノ国を焼き滅ぼし、全てをゼロに還す力を私に寄越せェ!!!」
「……!! 二キョキョキョキョ……」
この〝呪い〟は、きっと死んでも私を捕らえて離しはしないだろう。
2度目の生はあった。
もしこのまま呪いに身を焼かれながら、未来永劫に転生し続けてしまうなら、こんなの無間の地獄じゃないか。
せめてこの呪いだけは、晴らさなければ死んでも死にきれない……。
「二キョキョ! 良い顔だねェ……怨讐に取り憑かれ、それにしか生きられない奴の顔をしているよ。
いいだろう、お前の望むだけの力をやろう。この国の全てを統べる将軍となるだけの力をくれてやる!!」
こうして、私はワノ国に大いなる災害をもたらす『黒炭クシナ』として新生した。
魂を焼き焦がす怨念の呪いを国中に振り撒く未だ見ぬ大過として、ワノ国を地獄へと変貌させるために。