車輪お化けの城
「間違いなさそうだな」
灰の山にうずもれた車輪の燃え残りを前に、本のように分厚いメモ帳に目を落としたドフラミンゴが言った。
廃城カインハースト。医療教会の仇、穢れた血族と呼ばれた者たちがかつて住まったこの城の探索は、ヤーナム近隣の他区域に随分遅れて開始されていた。
立地的にも遠い場所であったし、ヘムウィックの墓地街に繋がっていた大橋も随分前に壊れていて、研究チームの手配が難しかったのだ。教会の生き残りの中には根強い差別意識があったことから、万が一にも城が荒らされることのないようメンバーの選抜に手間をかけたことも遅れの原因となっていた。
「…車輪お化けの城か」
かつてものすごくイヤそうな顔で語られたその名が、するりと口をつく。
温かな狩人の夢でコラさんが寝物語に披露してくれた、優しくて悲しい嘘で彩られた冒険譚。
おれを元気づけるために脚色され尽くしているだろうそれを、ドフラミンゴは驚くほど真剣に聴き取り時折質問を挟み、エピソード毎にメモを分け、夜中に大聖堂を抜け出し近隣を飛び回ってはなにか得心したように幾度も頷いていた。
街の探索を進める中で「キノコ頭星人」や「らんらん妖怪」を見かけることも、あの強敵「海獣白めんだこ」の痕跡を見つけることもなかったが、新しい医療教会の長が肌身離さず持ち歩き、ページが擦り切れるほど読み返されたそれを笑うものは誰もいない。
実際とんでもない描写にヒントが隠されていることもあったから、穏やかな夢の中で冗談交じりに話されたそれらは、今やおれたち新医療教会にとって重要な手がかりの一つになっていた。
「行くぞ、ロー」
普段は単独で現場を見て回ることがほとんどのドフラミンゴが、豪奢な正門を押し開けこちらを呼んでいる。
「内部が崩れてなきゃいいけどな」
それなりに切実な思いで呟く。本当に、墓地街やらヤハグルやらの探索は至難の一言だったのだ。
「まじかよ…」
今や廃城と呼ばれ、打ち捨てられて後随分時が経ったはずの城内は、かつての美しさをそのまま保っているように見えた。
大理石が敷き詰められた床は鏡のように磨き上げられ、燭台や床の上に並べられた蠟燭は全て丁寧に長さを揃えられている。
まるで、城主の戻りをいつも通りにただ待っているかのように。
驚くどころか慣れたような足取りで異様に柔らかな絨毯を踏み歩くドフラミンゴに呆れながら、その背中を早足で追いかける。
そうして階段を登った先、壁一面が肖像画で覆われた食堂で、今度はドフラミンゴの足が止まった。
整然と並んだ椅子の中に一つだけ、大きなものが紛れている。
その背を静かに撫ぜるドフラミンゴや、きっと、コラさんにぴったり合うような。
並んだカトラリーの隙間にはジャンルを問わず本が積まれ、その脇には見慣れた箱に入ったままの煙草が置きっぱなしになっていた。
「コラさん…?」
獣狩りの夜が明けて、街に残されたあの人の足跡は恐ろしいものばかりだった。
血狂いの、冒涜的殺戮者。ヤーナムの暗い狂気が人の姿をとったみたいな、絶望がそのまま闊歩しているような狩人だったと。
けれどこの場所だけは、おれの知ってるコラさんをまだ覚えてくれているみたいで、そのことがこんなにも嬉しい。
あの優しいコラさんは、おれの見た都合の良い夢なんかじゃない。
「この調子なら、状態の良い資料が他にも残っているだろうな」
それだけ言って本を開くこともせず歩き出したそのあとを、ほんの少しだけ軽くなった足で歩く。
凍えるほどに冷え切った空気の中に、嗅ぎ慣れた煙の匂いがうっすらと混ざった気がした。