赫赫と燃える

赫赫と燃える


「待ってたわよ、アンタ。兄貴、なんでしょ。虎杖を連れ去った奴らの」


混沌の坩堝と化した渋谷の街を駆ける脹相に声をかけたのは、壊相と血塗から伝え聞いていた女だった。肩につく程度の長さに切り揃えた茶色の髪を揺らしながら、コツコツと靴音を立ててこちらに近づいてくる。──弟、虎杖悠仁と共に壊相血塗と交戦した人間側の術師。自身が死に瀕している状態にも関わらず、虎杖を連れて帰ろうとする壊相の足首を掴み、最後まで抵抗していた女。──釘崎野薔薇。


──八十八橋での交戦で脹相が感じ取ったのは確かに弟の死。しかし、壊相と血塗は「おつかい」から無事に帰ってきた。ただし、申し付けられていた件とはまた「別件」を伴って。


「──彼、私達の弟だよ」


いつも凛と背筋を伸ばしている壊相がらしくなく、涙に濡れたボソボソとした声でそう告げながら渡してきたのは少年の遺体だった。この時脹相は、初めて弛緩した人の体がここまで重いものだと知った。特徴的なツートンカラーのツーブロック。固く閉じられた目元に走る傷跡。壊相の術式の影響から顔面から上腕部にかけて咲いた薔薇の花。はっきり言って、身体はどこもかしこも傷だらけであり、傷が無いところを探す方が早いと言った有様なのが戦いの激しさを物語っていた。呼吸も心拍も疾うに停止しており、閉じられた目蓋が開くことは二度と無い。時間がさほど経っていないせいか、まだ体温が残っているが、それもじき失われるだろう。脹相は自身の呼吸が浅く、早くなるのを感じた。バクバクと早鐘を打つ鼓動がうるさい。


「……何故、呪術師側に、人間側に、俺たちの弟が……」


ようやっと絞り出した声は自分でも聞き取りづらいレベルで震え、掠れていた。術式が感知した弟の死は──この少年の死の事だったのか。


「……分からない。彼にトドメを刺した瞬間、わ、訳のわからない記憶が、流れ、込んできて……。そこからもう無我夢中で……」

「あ、兄者ぁ……」


実際に現場で交戦していた壊相と血塗の混乱ぶりは自分の比ではないだろう。一番上の兄が取り乱していてどうする。脹相は深呼吸をし、腕の中の弟の遺体を抱え直す。されるがままでだらりと弛緩した身体がどうしようもなく脹相の心を掻き乱した。──知らねばならない、彼のことを。


「……弟の、名前は」

「イタドリ、だと思う。あの場にもう一人女の子がいて──その子にそう呼ばれてた」

「女の子の方はクギサキって……。お、俺どうしたら……」


イタドリ、と壊相が告げた名前に心当たりがあった。夏油に見せられた高専術師のリスト。その中に記載されていた一つの顔写真と腕の中の弟の外見的特徴が合致する。


「──イタドリ、虎杖、……虎杖悠仁」

「……それが彼の、弟の、名前?」

「……ああ、そうだ」


未だ混乱の渦の中にいる壊相と血塗をなんとか言い含め、休ませる。二人が出て行った部屋で脹相は死んだ虎杖(おとうと)と二人きりになった。コンクリートうちっぱなしの床に力無く横たわる弟は、いやに寒々しく思えた。壊相が部屋を出ていく際、告げた言葉を思い出す。


「あの場にいたもう一人の女の子──最後まで彼を気にしてた。彼女もかなりダメージ受けてたのに、それでも、私の足首を、掴んで、『虎杖を……連れていくな』って……。ど、どうしよう兄さん、わ、私、取り返しがつかない事を──」


……きっと虎杖は心優しい人間だったのだろう。自らが死に瀕しているにも関わらず、心を砕いてくれる仲間がいた事がその何よりの証左だ。


「虎杖、虎杖悠仁、──悠仁」


終ぞ呼ぶことが出来なかった弟の名前を、脹相は噛み締めるように呼ぶ。それはただ、静寂の中に消えてゆき、その声に応える者は誰もいなかった。



「……敵を前に考え事なんて随分と舐められたものね。……単刀直入に聞くわ。虎杖はどこ」

「ゆ、……虎杖は、死んだ」

「…………そう。ねぇ、虎杖は最期に何か言ってた?」

「……」


壊相から聞いた言葉が脳内でリフレインする。


『彼も、私が抱えてた時は、まだ、ギリギリ生きてたんだ。抱えて、血塗と走り出した時、腕の中の彼と、目が──合って』

『『クギサキには手を出すな』って、そう、言われて……。もうろくに力も入らない手で、わ、私は……』


「……『釘崎には手を出すな』と」


それを聞いた釘崎の目だけが、宵闇の中でギラギラと光る。さながらそれは血に飢えた獰猛な肉食獣のような目だった。噛み締めすぎたらしい彼女の唇からは、新鮮な血が一筋滴っている。煮え立つマグマのような憎悪が、全てを焼き尽くす地獄の業火のような激情が、チリチリと脹相の肌を焦がした。


「………………なら、力づくで虎杖(アイツ)の身体だけでも奪い返すわ。──アンタを殺して」


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