赤子

赤子



 男は昔、赤ん坊を抱えたことがあった。その赤ん坊は、今は亡き男の妹であった。

 人の赤ん坊というものは、柔くて、重くて、温かい生き物なのだ。あらゆる大人達が愛すべき存在だった。


ピチャリ、ピチャリ。


 男の口の端から垂れたものが、白い便器の底へ落ちていく音がする。便器の縁に手を置き、膝をついて胃液しか無くなるまで嘔吐する姿は、まさしく滑稽だった。


ピチャリ、ピチャリ。


 あの男達の戯れの証が、自分のものとは思えぬ股から垂れ落ちていく音がする。


 男は知っていた、自身があの無様な姿を晒した日に、新しい命がうまれたことを。奇跡を起こす能力も、全てを見通す力も、この時ばかりは得たことを嘆きたい気分であった。

 まだろくな形を作れていないが、確かに胎にいる、誰にも望まれぬ子供。誰を父と知り、誰を母と呼べばわからない、あやふやな子供。手を下さずとも、流れ落ちるかもしれない場所にいる、子供。例えば、自分を刺したクソガキにまで手を差し伸べた優しいあの人がいたなら、こんな子でも生かすことを望んだのだろうか。それともおれの為に、殺すことを選んだのだろうか。

 どこからか、子供達がはしゃぐ声が聞こえて、つんざくような泣き声が聞こえる。目からは涙さえ出ないというのに、男の持つ聡明な脳味噌は、幻聴という選択肢を以って耳に注ぎ続けることを選び取ったらしい。

 ああ、いつの夜も哀れな罪人に対し、神様とやらは咎めるだけで、決して導きなどしてくれないのだ。


Report Page