「貴方のために、狂って、溺れて」(後編)

「貴方のために、狂って、溺れて」(後編)




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(テレグラフの限界で納めきれなかった後半部分です)



平和な街、夕焼け空の下、いつもの日常が終わり人々は家へと帰って行く。

こんな平凡な光景が、実は一度崩壊したなんて、誰も信じないだろう。あの抗争が終わり巻き戻ってから2週間程経った街を、私はいつものように自転車でパトロールして回る。無論、毎日何事か起こっている事なんて無いが、誰かが困っている時に颯爽と駆けつけるのがヒーローというものだ。


「〜♪…あっ」

ふと、見慣れた背中を見つける。それは、本来であれば私が知らないはずの人。世界も記憶も巻き戻って、忘れるはずだった人。

「桐原さん!」

「!…ああ、やっぱり霊歌ちゃんも覚えてるのね」


夕暮れの街を歩きながら、桐原さんと話す。話かけてから、覚えていなかったらどうしようかと一瞬冷や汗をかいたが、彼女も全てを覚えているようで安心した。

「願いを叶える時、生きていた人だけが記憶を残している…ですか」

「おじ…レイさんも覚えていたから。そちらでも、幽歌ちゃんは戦いを覚えていたのよね?」

「はい。えっと、でも死んでしまった人は記憶が無いと言うのは、誰から…」


「死川縫さんよ」

「っ!…覚えて、なかったんですか」

「幸いね。…記憶を引き継いでたら何をするか分からないと思ったから、交友関係を全力で手繰って話してみたの」

桐原さんがスマホを点ける。画面には、縫さんとのチャットが表示されていた。普通の友達同士の会話と言った風で、あの時の彼女のような闇は全く感じられない。


「記憶も無ければ、IDEAの画像を見せても何も反応は無かったわ。全部忘れてると確信が持てた時は…本当に安心した」

「…忘れてしまったんですね。あんなにイデアさんの事、大事に思ってたのに」

確かに、その在り方は間違いだった。でも縫さんがイデアさんに向けていたのは、心からの優しさであった事は確かだ。そんな彼女が、彼女の事を全部忘れてしまったなんて…


「…改めて話して知ったんだけどね、彼女、ボランティアで精神に障害を負った人のメンタルケアに取り組んでいるらしいの。実際、何人もの完治に貢献したとか何とか。多分、イデアに肩入れしたのもそう言う経緯があったんでしょうね」

「精神的な病、ですか」

「私が思うに、ヤツはその中でもとびきりの重症だったんじゃないかしら。もう手遅れの状態にひたすら寄り添い続けて、結果的にあの子も同じように沈んでいったって言うか…」


「だからきっと、酷い事かもしれないけど、あの二人は出会わない方が良かったのよ。相性が悪かったというか…ある意味、良すぎたというか」

私も、全てが巻き戻った日から縫さんとイデアさんの事は何度も考えた。果たして、どうするのが正解だったんだろうか。そもそも、正解なんてあったんだろうか。

結論は、未だに出ない。


「…あれ、そう言えば、最後に生き残っていた人が記憶を保持するって事なら」

「…ああ、彼女ね」

そうだ、私達が最後まで生きていたから記憶を引き継いだのなら──

「イデアさんも、記憶を持ち越してる…?」

「だから縫の周辺に目を光らせてるのよ。もう一度手籠めにされたらたまったものじゃないし。…現状は何も無いけれど、今後もそうとは限らないし」


全く、この女ってば本当に…と、桐原さんがボヤく。彼女のスマホの中では、メディアに激写された休暇中のイデアさんが、和かに手を振っていた。



「はー終わった終わった、今日は早く帰って寝よう…」

バイト終わりの帰り道。今日は割りかし忙しくて疲れてしまった。簡単に夜食を食べてちゃっちゃと寝てしまおう。


(ん、人影…?)

ぼんやり考えながら歩いていると、正面に人影が見える。その人はフードを深く被っていて、街頭に照らされながら立ち尽くしていた。


(ちょっと怪しい、けど…)

一見すると不審人物染みてるし、あまり構わない方が良いのだろう。

ただ、その後ろ姿が妙に寂しそうに思えて、つい声をかけてしまった。


「あの、大丈夫ですか?」

「っ────うん、大丈夫」

少しこちらに目をやって、その人は答える。か細く美しい、女性の声だった。


「こんな所で、どうしたんですか?困っている事があれば…」

「いや、特には無いよ。…思い出の場所なんだ、ここが」

「ここが…ですか?」

軽く辺りを見渡すも、特に変わった所は見られない。何の変哲もない、住宅街のど真ん中だ。


「大事な人との、思い出の場所なんだよ。ふふっ、熱烈なキスを貰ってしまってね。…もう、二度と会えないんだけどさ」

「っ…それは…」

「良いんだ。あの子が居なくても、私はまだ前に進める。何も変わらず、ずっと歩いていける」


「だからほら、そんな悲しそうな顔をしなくても良いんだよ?君、赤の他人じゃないか」

「……」

一瞬だけ、女性と目が合う。深くフードに隠れていた目は、やっぱり微かに悲しみを湛えていた。


「…どうか、一人で抱え込まないで下さい。何かあれば、他人を頼る事も大事です。よければ、私が…」

「大丈夫大丈夫!…うん、私は諦めないから。安心して、ね?」

「でしたら、良いのですが…気に病みすぎないで下さいね」

「うんうん、ありがとう。そちらも他人を心配して、自分を疎かにしないようにね!」


軽く言葉を交わして、女性と別れる。…不思議な雰囲気の人だった。でも、それ以上に優しい方だと思った。きっと悲しいはずなのに、終始私のことを励ましてくれた。

どうか優しい彼女の道行が、幸せな物に成りますように。そう願いながら、私は──死川縫は、帰路を急いだ。





「ばいばい。私だけの英雄。」


闇に微かに、声が響く。

もういない誰かへと向けられた言葉は、静かに夜の街へと消えていった。



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