「貴方のために、狂って、溺れて」(後編)

「貴方のために、狂って、溺れて」(後編)


あてんしょん


本SSには以下の要素が含まれます

依存

狂気

身体不随描写

精神崩壊

若干のグロ

CP要素…?

独自解釈と独自設定のオンパレード


それでもよろしければご覧ください。





「貴方のために、狂って、溺れて」(後編)



「っみわさ、はあっ、みわざん、みわさん…!!」

「はあいおかえり。私は無事だよ。…まあ動けないんだから元々無事では無いか」

「っ、あ゛、あ゛あ゛ぁ゛、うあぁ…」

「ふふふ、ほら、泣かない泣かない」


感情が滅茶苦茶になる。涙と嗚咽が止まらない。

不安、後悔、恐怖、絶望、安堵、喜び、喜び、喜び。

違和感がある振る舞いをしている自覚はあった。いつか彼女の存在がバレるかもしれないとも思っていた。でも急にこんな事になるなんて思いもしなかった。

拘束されている間、纏まらない頭に無数の思考が過った。どうしてここまで?あの少女は誰?桐原さんは私を騙した?三輪さんはどうなる?

不安で埋め尽くされる中、それでも私の中には確信があった。大丈夫、きっと桐原さんなら話せば分かってくれる。善良な彼女達であれば、あるいは、三輪さんの過去を同じように悲しんでくれるかもしれない。きっと理解してくれるって。


でも、彼女が殺されると聞いた瞬間、全ての思考が黒く塗りつぶされた。

後に残ったのは、彼女を害する『誰か』への殺意と、彼女を守らなければならないという意思だけだった。身体能力強化の煙を吸って黒い手を振り払い、部屋に飛び込んだ私はそこにいた『何か』を殺そうとして、でもその手は空を切った。


気づけば彼女らは去って、私は三輪さんに縋り付いて、抱えきれない感情に喘いでいる。

信じていた仲間達に裏切られた。彼女が殺されかけた。──自分が、本気で人を殺そうとした。


とっくに気づいていた、自分が狂い始めている事には。醜いモノが『美しく』見える世界の中で、目の当たりした人の『死』はとても『綺麗』だった。いくら理性が叫んでも、意識が認識に毒されていくのは止めようが無かった。認識が狂って、感情が捩れて、忌避感が薄れて。

気がつけば、三輪さんの為なら私は躊躇なく命を奪う事ができるようになったのだと、たった今現実として突きつけられた。


怖い、怖い、自分が怖い。

壊れていく自分が怖い。歪んでいく価値観が怖い。

──その恐怖すら、彼女を守れた安堵と喜びで酷く薄れつつある事が、堪らなく怖い。


「ぐずっ、よがっ゛だ、まもれて、わたし、まだぜんぜんよりそえ゛てないから。もっと、もっとむきあえるがら、だから…」


ああ、でも良かった。彼女を守れた。

まだ大丈夫、まだ彼女に寄り添える。

きっと桐原さんも、知らない少女も、ちゃんと話せば分かってくれる筈だ。彼女は孤独で、壊れていて、だから私が傷を埋めてあげないといけなくて。

道のりは遠いけど、まだ全然歩み寄れていないけれど、きっともっと彼女と一緒にいれば、彼女を救える筈だから──




「──ああ、思い上がりもここまで来ると傑作だね。」




「────え?」



くすくす、くすくす。かのじょがわらう。


「何を言われたか分からないって顔だね?うんうん、とっても可愛くて私好みの顔だ。じゃあ、分かりやすく、ゆっくり、話していこうか」


「ねえ、君はずっとずっと、私を知りたいと言ってたね?そうして私に寄り添いたいとか、力になりたいとか」

そうだ、わたしはかのじょのちからになってあげたくて。だってかのじょは、ずっとひとりで。

「…聞きたいのだけれど、私君に一度でも『助けて欲しい』なんて言ったかなあ?』

──────それ、は。

「言ってないよね?私は君に頼ろうともしてないし、まして助けを求めた事だって無い」


「私に君の理解なんて不要だ。憐憫も無用だ。私は元より、私だけの力で歩いてきたんだからね。…つまりはね、君の今までの努力、全部無駄なんだよ」

かのじょが、わらう。


ぴしり


きょぜつされた。そのじじつが、あたまをこわす。むねがくるしい。

──でも、でも、わたしは、あなたをおもって。あなたがこどくだって、だからわたしは。


「それも欺瞞だ。君の行動は私のためじゃ無い。君が君自身のエゴでやってきた事だ」

「その証拠に、ほら。仲間だっていう善良な魔法少女達。彼女らが私に危害を加えるかもしれないのは予想できただろう。なのにずっと行動を共にしていた。それに善良な彼女らが何を最後に願おうとするかなんて、私でも予想できる。そしてその願いが、君の『私に寄り添う』っていう目的と両立しない事も、当然君は知っていただろう?」


「そもそもこの生活の発端は、君が私を殺したくないからという『逃げ』だ。勝手に憐れんで、自分の弱さへの言い訳に私を生かし続け、その事実から目を背け続けた」

「意気地なし。私から人の尊厳も自由も奪っておいて、心まで他人に縋るしかない弱者だと貶めるのかい?」


ぴしり


──ちがわない。わたしは、かのじょをころせなくて。

わたしは、でも、それだけじゃないはずで

わたしは かのじょとおなじせかいを みて かのじょは うれしそうで


「それだけどね」


えがおが きえる

くろいめが わたしをみつめる


「ひっ」

「私はね、おかしくって笑っただけだよ。たかだか同じ視点に立っただけで私を理解した気になった君を。

同じ世界を見ただけで、私の人生に歩み寄れたつもりになって、涙を流して喜んでた、

可哀想で、

愚かで、

なんにもできない君が、ね」



────あ



ぱりん



あたまが まっしろになった




(ふむ。まあ、こんなものかな。)


目の光を失い、呆然と動かなくなった彼女を見つめながら、内心一息つく。この程度の言葉を素直に受け止めてしまうんだから、つくづく可笑しな子だ。


だいたい、これまでの彼女の行動が全部エゴだなんてそれこそ無理がある。ただ殺せないだけの人間を、ここまで甲斐甲斐しく世話する馬鹿なんているものか。彼女は間違いなく『聖人』とよばれる類の人間であって、だからこそ善人に味方しない事などできないし、弱者を見捨てる事もできない。夜、寝ながらに何度も何度も苦悶して泣いていた姿を見れば、そんな事など嫌でも理解できる。


(いやあ、嫌いなんだよね。そういう人間。)


他者を慈しみ、優しさを振り撒き、正しいと信じる物のために前を見続ける。そういう『醜悪な』奴を見ていると、無性に痛めつけたくなる。加えて、どうやら自分は彼女に憐れまれているらしいと気づいた時は、随分舐められたものだと柄にもなくイラついた物だ。


だったら、できる限り彼女を『美しく』してあげよう。どうせ身体の自由は効かない、私の夢は終わった。なら目の前で右往左往する彼女を徹底的に壊して歪めて、最初とは比べ物にならないほど『綺麗な』有様にして、精々笑って死んでやろう。


そう決めてから、彼女が自分を責めるように会話を誘導したり、何も不満を言わずニコニコし続けて罪悪感を覚えるようにしたりと、あれこれ手を尽くした。長年あらゆる人間に本性を隠してきたのだから、素直すぎる彼女に小細工を弄するのは容易かった。

ただ、自分で自分の価値観を歪めてしまった時は正直驚いた。正常である事を自ら捨てるというのは歪で、その有様はなかなかに『美しかった』。

だが、それだけだ。別に心を動かされたとか、そういう事は無い。


そうして、今日彼女は信じていた仲間達に裏切られた。私が殺されるという状況、そして自分が仲間に本気の殺意を向けた事に、大層精神的に動揺しているのがよく分かった。

だから、仕掛けるなら今だと畳み掛ける。

大事なのは彼女の行為を無意味と突き付ける事、エゴによる自己満足だと善性を否定する事。

今まではにこやかに全てを受け入れていた相手が徹底的に攻撃してくるのは、何処までも優しい彼女には大層応えるわけで、最後に私が喜んだと思っている『価値観の改変』すら無意味と断じてやれば、ご覧の有り様だ。


「──ぁ───ぁ、────、っぁ、──」


呆然と、ただ嗚咽を漏らす事だけしか出来なくなった、憐れなヒトを見据える。

元々あった心は徹底的に壊した。この後どう行動するかは、私にも分からない。


「ああ、何も言えなくなっちゃったね?ただ泣く事しか出来ないね?全部全部否定されて、潰されて、どうしようも無くなっちゃったね?」

「ねえ、今の君、とっっても『綺麗』だよ?」

「────────」


にこりと、からっぽの目に笑いかける。

さあ、どうする?

逆上して私を殺す?全部から目を背けて逃げ出す?それとも、このまま思考を放棄して動かずにいる?

どれだって構わない、どんな選択を取っても彼女は、今までの自分の全てを自分自身の手で否定して、壊れた自分に止めを刺すんだ。

さあ、さあ、さあ。とびっきりに『綺麗な』最期を、私に見せてくれ。


「────私は」


「私は、『綺麗』、ですか?」

「…うん、とっても」


「────そっかぁ」


(……待て。何かおかしい)

泣き顔が、ふにゃりと笑顔に歪む。空っぽだった目に色が宿る。だがそれは、怒りでも、恐怖でも、全てを投げ捨てた諦観でもなく──


吸い込まれるような、深い、深い、黒。


(なんだ、その澱んだ目は。こいつ何を考えて…!?)


「やっと見つけました、私が貴方にできる事。私が貴方に、与えられるモノ…」

泣きながら、笑う。深い深い目が、こちらを見る。


「──これから私は、私の全部を貴方に捧げます」


「────っ?」


「貴方の為に生きます。悪人にだってなります。人だって殺します」


どろり、どろり、言葉が溢れ出る。それは懺悔のようであり、愛の誓いのようでもあった。


「でも、その犠牲から目を逸らしません」

「私は、貴方のために捨てる全てを嘆きます」

「死んだ命を踏みつけにして泣きます」

「裏切った仲間に懺悔します」

「この選択を、ずっとずっと後悔します」

「そうやって生きていく私自身を、心の底から憎みます」

「それでも私は、貴方を選びます」


「泣きながら、叫びながら、後悔しながら。良心と貴方の間で苦しみ続けます」

「そうして、醜く足掻く私を──どうか、『綺麗』だと笑って下さい」

「最低で、最悪のヒトとして、貴方の世界を少しでも、『綺麗に』彩らせて下さい」


「私には、何も与えられないのなら──ただ、貴方の望む『綺麗』の一部に成らせて下さい」


──何を言っているんだ、これは。


ぼろぼろと涙を溢しながら、笑いかけるそれは、何処までも苦しそうで、無限の地獄にいるかのようで。それでも、こちらを励ますように、随分と優しげな笑顔で。


そしてその目は、何処までも深く、暗く、澱んでいた。


彼女は自覚した、自分が何も私に与えられないと。目的も、動機も、進歩も全てを否定されて、全てを失った。

その筈なのに、まだ私に尽くそうとしている。何も与えられないなら、ただ狂い続ける姿を見て笑ってくれと。私に、ここまで自分を否定した人間に、自分の全てを捧げてまで?


「…なんで?」


なんだそれは。


どうしてそんな事ができる。


「何でって」

「だって、私には何も出来ない。貴方に何もあげられない」

「でも、『綺麗』だって感情はあげられたから。私が貴方にできる唯一の事がそれだから」


「貴方のために、狂って、溺れて、そうすれば貴方にあげられる物が有るなら。私はずっと、そうして壊れ続けます」



「だから、どうか。どうか、貴方にこんな事しか出来ない、愚かな私を、今みたいに笑ってください。」



「…はは。なに、それ」


「っ、なに、よ。そんなの」

狂ってる。こんな人間がまともなものか。こんな、何処までも理解の及ばない「狂人(わたし)」に全部捧げて、これから私の為に苦しむというのに、その対価は私が笑う事だけだなんて。


こんなの。こんなのって。


「────本当に、『綺麗』」


ただ、『美しい』と思った。今まで見た何よりも壊れていて、可笑しくて。そこに有る思いは初めから変わらないのに、取る手段があまりにも致命的に狂ってしまった、憐れで愚かな、聖人だったヒト。

彼女の言葉が、瞳が、笑顔が。全てが私を眩しく刺して、感じた事のない感情が胸に溢れて堪らない。


「えっ、なんで、泣いて」

「あ。ふふっ、嘘、あはは」

言われて初めて、涙を流している事に気づく。泣くのなんて、いつ振りだろうか。何故自分が泣いてるのか、結局この感情はなんなのか全く分からなくて、それが可笑しくて笑ってしまう。


「や、やっぱり嫌でしたか?こんな、ああ、泣かないで、ごめんなさい、ごめんなさい…!」

「もう!相変わらずすぐ謝るんだから、あははは!」

ああ、こういうところは何も変わってないんだ。他人に当たり前のように優しくできる人のままなのに、私の為にそれを踏み躙る事を誓ったんだ。

本当に凄いや、まさかこんな風に壊れてしまうなんて。私と同じ所まで落ちてくるなんて。


「ふふ、あははは!あははははははは!」


結局その日は、泣き笑いながら一晩を明かす事になった。



「…じゃあ、全部知っていたんですか?あの魔法少女を縫さんが匿っているだろうと?」

「予測していただけだ。実際に見てみなければ確証は得られなかった」


レイさんのラボ、どうにか帰還した我らが秘密基地で、レイさんと桐原さんが睨み合っていた。どうやらレイさんは、縫さんの事情をある程度予測していたらしく、その事や当日の計画を黙っていた事に桐原さんが抗議している。

私達に話していた計画では、桐原さんとレイさんが反応を見て、冷静に話を聞こうという方向で示し合わせていた。

…私達も、『俺が合図したら、迷わず対象に魔法を叩き込んで拘束してくれ』と頼まれていたが、あくまで万が一の保険だと言われていた。ああして押し入るような事は、完全に想定外だった。


「…そもそもどうして、予想できていたんですか?」

「俺はあの女──イデアを名乗る魔法少女に、一度出会っている。異様な女だったからな、よく覚えているとも」

そうして語られた体験談は、あの女性の異常性をありありと示していた。なんの躊躇もなく十何人の人々を支配下に置き、理解の及ばない夢の為に邁進するヒト。

あの手合いはアシュラなどよりよっぽどタチが悪い、善悪の基準が違うからな、とレイさんは語る。

「初戦は不意を突いて離脱できたが、二度目はそうはいかん可能性が高い。だから行動の追跡に手を尽くしたが…奴の足取りは消えていた。他の連中に負けたのかと思いニュースを当たれば案の定、謎の集団昏倒事件などと報道が為されていたからな」

「…それをやったのが、縫さんだと予想したんですか?」

「わざわざ支配下の人間を殺さず昏倒で済ませる、ついでに奴の死体も見つからず血痕も残っていなかった。つまりは殺しを躊躇する精神性かつ、それを可能にする魔法を持つ者だと予想。そしてお前たちが話す『死川縫』の人物像は、これと合致していた」


そうして語る彼女の言葉には、如何なる感情も見出せなかった。他者の死も、死川さんの事にも、彼女は何も思っていない事がありありと伝わって来る。ともすれば、イデアという魔法少女を殺そうとした理由は…


「魔法少女だから、殺そうとしたんですか?そうすれば、願いが近づくから…」

「ん?いや、花恋はあの縫という女を助けたかったのだろう?だから助けようとしたまでだが…」

「…え?アタシ?」


(やっぱり、桐原さんには露骨に感情を表すよね、レイさん)

(それもだいぶ重いものをね。…一体桐原さんの事を、どう思ってるのやら)


「おそらくはイデアを匿っていて、それが悪影響を与えているだろうとまでは予想していた。実際確認すると、状況が余りにも悪かったから殺して改善しようとしたというだけだ。今更俺がこの抗争の勝ち負け如きに拘ると思ったか?」

「状況が、悪いって。それはどういう…?」

「依存だ」


レイさんが、キッパリと言い切る。僅かに、場の空気が張り詰めた。

「縫という女は、イデアに依存している。込められた感情の仔細までは分からんが…対峙した印象としては、芯にあるのは『憐憫』と『罪悪感』と言った所か。」

「…仮に依存していたとして、なんでそれがイデアを殺す事と繋がるんですか」

「ああいう状況は、単純に引き離すだけでは何も変わらん。致命的に依存関係を破壊して、当人が自然に立ち直るのを祈る。それが、あの状況で縫という奴を救うには最善と判断したまでだ」


ただ患部を切除するだけ、とでも言うような淡々とした話し方に、背筋が冷える。その判断は誰かを救おうとする物の筈なのに、あまりにも人間らしい感情から隔絶されていた。


「…最も、一度殺し損ねた以上、もう手遅れだろうが」

頭に刻まれた傷跡を、ゆっくりと撫でる。レイさんは部屋を離脱する直前、縫さんから錫杖で攻撃を受けていたらしい。深々と刻まれた裂傷は、桐原さんの魔法で粗方回復はしたものの、今もなおくっきりと跡が残っている。


「既に奴から殺しへの躊躇いは消えていた。あれとお前達の目的が一致する事は、もう無い。一時的な共同戦線なら説得次第だろうが…最後には、殺し合う事になるのを覚悟しろ」

「っ……」


そんな事は無い、と言いたかった。でも、あの時聞こえた彼女の絶叫が脳裏をよぎって、何も言えなかった。


「…アタシは、判断を間違えたのかしら」


静まり返ったラボに、小さな後悔の言葉が、重々しく響いた。



戦いは、私達を待ってはくれない。アシュラという大敵を相手にして、うかうかとしていられる余裕はなかった。

本格的に動き出した彼女は隠密を捨て、配下の魔法少女による他の魔法少女への襲撃を加速させ、それに巻き込んで多くの人を死に至らしめていく。それは、彼女の支配下に置かれた少女達も例外では無かった。数多の命を貪りながら、戦いは終末へと向かい始めていた。


いろんな魔法少女がいた。子供も大人も、善人も悪人もいた。共にアシュラと戦った人がいた、分かり合えず三つ巴になった人がいた。

それも、全員死んだ。ある子は、やっぱり死にたく無いと言い残して、ある子は、役に立てて良かったと笑って、ある人は最期まで自分の夢を呟きながら、死んでいった。

残る魔法少女は、7人。私達とアシュラと…あれから話す事が出来ていない縫さんと、彼女が守るイデア。

街は戦いの余波で崩れていき、今となっては残る人もほとんどいない。ここまで来てようやく、私達はアシュラを追い詰めることが出来ていた。


「…この廃工場が、彼女の根城なんですね」

「例の災害の魔法少女との戦闘で、配下をほぼ全て失っているのは確認済みだ。いい加減奴も後がない事は理解しているだろう、何しろ街はこの有様だ。部下の『補充』はもう望めん」

「きっとあいつも、ここで決着をつけに来る…って訳ね」


お姉ちゃんが、開け放たれた扉の先を睨む。私も、アシュラは止めなければならないと思う。ただ、やっぱり引っかかってしまうのは、今この場にいないかつて仲間だった彼女の事。


「これが終わったら、縫さんと戦わないといけないんですね。あの人が守ってる、イデアさんも、その…」


「その通りです。私は、最後には皆さんと戦う事になります」

「っ!!」


「でも、それは今ではありません。アシュラが勝ってしまうと、私にとっても驚異ですので」

ざり、ざり、と。静かに、その人は歩いてくる。


「縫、さん」

…思ったより、変わらないな。

久しぶりに彼女を見た素直な感想だった。むしろ最後に見た時より、随分落ち着いてるようにも見える。


ただ、包帯の隙間から覗く瞳だけが、黒くぽっかりと穴が空いたように黒く染まっていて、その変化がむしろ異様に目立って見えた。


「…お久しぶりです、縫さん。あの時は…」

「お久しぶりです桐原さん。…色々と、話したい事はありますが、今は辞めておきましょう、ね?」

「っ…あり、がとう…」


「縫さん、協力して下さるんですか…?」

「ええ、桐原さんが電話して話を持ちかけてくれましたから。今だけは、味方です」


今だけは、という言葉が深く深く刺さる。ああ、この人はもう私達と相入れない所まで行ってしまったんだと実感して、思わず目を伏せた。


「では行くぞ。今だけはそいつも信用出来るはずだ。」

「…みんなで、アシュラを倒そう」

重い空気を払いたくて呟いた言葉は、役目を果たす事なく、虚しく響いて消えた。



戦いは、苛烈を極めた。

蒐集した魂の全てを喰らい、見上げる程の大蜘蛛のバケモノと化したアシュラと、唯一の配下となってなお従うヨイチ。降り注ぐ矢の雨、無数の子蜘蛛、辺りを切り裂く糸、振るわれる大脚。生と死が紙一重で交錯する戦場で、私も、みんなも、必死になって戦った。互いの血が辺りを塗り潰し、手足が何度も千切れ飛んで、文字通り血で血を洗う戦いだった。


ようやく決着がつこうとした時、辺りはほとんど更地と化していた。まともに立つ事が出来ているのも、辛うじてアシュラにトドメを刺したレイさんだけだった。


「…まだ、まだっ、こんな程度でぇ!!」

「いいや、もうお前は終わりだ」


地に伏せるアシュラに、剛速で脚が振り下ろされる。轟音と共に血飛沫が飛散し、既に自他の血に塗れていたレイさんを、再び赤く塗りつぶした。


こうして、数多の命を貪り、全てを破壊し尽くした悪の魔法少女は討たれた。


「……っ、無理を、し過ぎた。すまないが、後は頼、む」

糸が切れたように、レイさんが倒れ込む。無理も無い、一貫してアシュラやヨイチと近接戦闘を行い、最もダメージの応酬を繰り広げたのが彼だ。本当なら気を失ってしまっても、何も問題は無かった。だけど、この場にいるのは仲間だけじゃ無い──!


「アシュラは、倒れました。これで、残る私の脅威は──皆さんだけです」


折れた脚を支えに、何とか上体を起こして彼女を見据える。

縫さんは、ボロボロの状態からは信じられない程、すらりと立ちあがって私たちを見ていた。左腕は半ばから千切れかけ、脇腹は抉られて地面に無数の血の痕を作り出している。私たちの援護、相手への妨害を無茶を重ねながら行い続けた彼女は、今立っているのが不自然に思えるほどの傷を全身に負っている。


でも、その暗く深い目だけが、未だに全く変わらず私たちを見下ろしていた。


「…ッ、もう、もう止めてください、縫さん!!もう、これ以上戦いたくありません…っ!」

「皆んなはそうだろうけど、私はそうじゃ無いんだ。ごめんね。」

「縫さんだって!!必死になって戦って、私の事だって何度も庇ってくれて!!…っ、今だって、泣いてるじゃないですか…!!」

「…うん、だって、こんな事したく無いから。霊歌ちゃんは、皆んなはすごく優しくて、正義のために戦ってて、今ここでみんなの願いを叶えるのが一番ハッピーエンドなんだって、私も分かってる」


「でも、分かってても狂うしかないの。狂って、溺れて、もがいて、叫んで、苦しんで。そうして、あの人に喜んでもらう為に、今の私はいるから」


「だから。どうか、どうか、彼女の為に死んで下さい」

「っ……!!」


どろりとした悲しみが、絶望が、それを塗り潰すような喜びが、酷く歪んだ笑顔になって私たちに向けられる。同時に吐き出された煙はどす黒く、ぐちゃぐちゃの彼女の心がそのまま溢れているようだった。


(…駄目、やっぱりもう足がまともに動かない。近づかれて煙を至近距離から食らったらどうしようもない…!)


「────パープル、ヘイズ!!!」

「…間に合って、しまいましたか。」

「桐原さん…!」


桐原さんが、立っている。傷を回復する魔法、特に自分の、大きな負傷は素早く回復できる桐原さんは、何度も何度も致命傷を負いながら全員を庇って、ついには魔力切れを起こして倒れてしまっていた。


静かに、二人が相対する。

沈黙を破ったのは、桐原さんだった。

「間に合ったって、言ってもね。ギリギリ回復した魔力を一回使っただけよ。後がないのは、アンタもアタシも同じってワケ」

「…ええ。こちらも、見ての通り感覚を誤魔化しているだけですので。このままだと、先に死ぬのは私です」

「だから、私たちを殺す」

「はい」

僅かに、桐原さんが目を伏せた。

「…どこで間違えたのか、なんて言ってもしょうがないか。これがアンタの選択なのよね」

「はい。皆さんを殺して、あの人にずっと、ずっと笑ってもらうんです」


「ええ、それで良いわ。──アタシも躊躇わず、お前を倒せるから」

「では、やりましょうか」


ゆっくりと、二人がステッキを構える。

互いにもはや魔力は僅か。故にこそ、そこから始まるのは泥臭く、血に塗れた原始の争い。

魔法少女の戦いを締め括るには余りにも相応しくない、純然たる『戦い(殴り合い)』が幕を開けた。




「…あ」

ふと、自分の指が動く事に気づく。全身の感覚が瞬く間に戻り、思わずゆっくりと手を開閉する。私の身体の麻痺が消えた。それはつまり、彼女の魔法が消えたと言う事で。


「そっか。負けたんだね、あの子は」

必ず戻ってきますからと、私に言い残して出て行った彼女。私を励ますように言っていたが、明らかに彼女は自分の死を予見していた。あれが、これから死ぬのだと覚悟した人のオーラってやつなんだろうなぁと、上手く動かない身体に力を込めながら思う。


「まあ、そんな有様も、とっても『綺麗』なんだけど、ね!」

私の幸せを祈りながら、おそらく彼女は最後までこの戦いに勝つ事を想定していなかったし、最後に何を願うのかも一度も話さなかった。きっと彼女の思考には、ただただ狂い続けて私に笑ってもらう以上の発想がもはや無かったんだろう。結局のところ、一見かつての善良さと狂気が併存しているように見えて、彼女は完全に壊れていたのだ。


「…駄目だこれ、今更立ち上がれないや。長いこと寝たきりだったせいかな」

なんとも締まらないが、私の最期は寝たままで迎える羽目になりそうだ。

そう、最期だ。彼女は明言しなかったが、どうせ他の魔法少女の願いは『全てのリセット』なんだろう。それはすなわち、今ここにいる私の死を意味する。


「どうでも良いんだけどね、そんな事」

記憶が有る無しも、今の私か過去の私かも、何も関係ない。

私は、どんな状況にあっても夢を追い続ける。

私が望む私だけの英雄に、私が成るんだ。


でも、彼女もまた私のことを忘れてしまうのに、思う所はある。

彼女には私の人生を、経験を、本当に詳らかに打ち明けたが、一部だけ嘘をついた。私を理解する人は人生で一人もいなかったと言ったが、私は理解者を早々に諦めて自分に閉じこもった訳ではなかった。


成長してから何度か、私は理解者を「作ろう」としたのだ。

私の全てを受け入れて肯定してくれる様な、理想的な理解者へと、言葉巧みに普通の人を歪めて当て嵌めようとした。幸い私は顔が『醜い』から、ちょっと普通の人を演じれば寄ってくる人は男女問わず存在した。

でも彼らはいつも途中で離れて行った。


「これ以上はこっちがおかしくなる」

「お前、病気だよ」

「ごめんなさい、私は貴方を受け入れられない」


悲しくは無かった。初めからあまり期待はしていなかったから。そんな調子だから、私は他者の理解を本当に諦めた。

でも彼女は違った。打てば響くような彼女と話すのは楽しかった。私の放つ言葉のトゲを、彼女はひたすら受け止めた。私の語る人生を聞いて、次第に私に毒されて、私のためにと無自覚にタガを外して行った。

そして、私と同じところまで…たった一つの望みのために、全てを犠牲にできるまでに壊れて、その上で苦しみ、もがいて、狂い続ける彼女は、人生で見た何よりも『美しかった』。


あるいは、その壊れきった『綺麗』で素敵な姿は。

世界すら敵に回して、私に寄り添う人、昔の私が望んだ、英雄そのものだったのかもしれない、なんてね。


「──出来れば、もっとお話ししたかったな」


途端に、世界が光で包まれる。

ああ終わるんだと実感する間もなく、私の意識は途絶えた。



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